船上からのウクライナ支援 ~ウクライナ平和アクション&チャリティー・オークション~

2024年6月15日、ピースボートのデッキの上で、潮風になびく大きな横断幕の白い背景に、「Peace for Ukraine(ウクライナに平和を)」という言葉が、明るく輝きました。この日は、約90カ国が参加した「ウクライナ和平サミット」がスイスで開催された日であり、ピースボート地球一周の船旅 Voyage117における「ウクライナ・バナー・アクション」の日として選ばれました。
- プロジェクト: 紛争予防(GPPAC)
- クルーズ: 地球一周の船旅 Voyage117
- 関連キーワード: 国際協力 / 女性 / 移民・難民 / 紛争
船
2025.12.24
2025.12.24
2024年6月15日、ピースボートのデッキの上で、潮風になびく大きな横断幕の白い背景に、「Peace for Ukraine(ウクライナに平和を)」という言葉が、明るく輝きました。この日は、約90カ国が参加した「ウクライナ和平サミット」がスイスで開催された日であり、ピースボート地球一周の船旅 Voyage117における「ウクライナ・バナー・アクション」の日として選ばれました。
ウクライナ・バナー・アクション ~ウクライナ支援の表明~

ウクライナのユース・アンバサダーたちは、自ら横断幕を準備し、作成しました。横断幕やスクリーン上のメッセージは、タチァーナ・ヴァージンスカさんがデザインしました。「Stop War in Ukraine(ウクライナでの戦争を止めよう)」という青、白、黄色の言葉が、青く輝く海を見下ろすスクリーンの上に、きらめきました。
400人程の参加者がデッキに集まり、横断幕と一緒に集合写真を撮影して、ウクライナの人々への支援を表明しました。また、参加者は平和のスローガンが書かれたポスターを持ち、個別の写真撮影をしました。その日の写真や映像は、ソフィア・デミデンコさんによってショートビデオに編集され、翌朝ピースボートがニューヨーク港に入港する際、デッキ上のスクリーンで上映されました。
400人程の参加者がデッキに集まり、横断幕と一緒に集合写真を撮影して、ウクライナの人々への支援を表明しました。また、参加者は平和のスローガンが書かれたポスターを持ち、個別の写真撮影をしました。その日の写真や映像は、ソフィア・デミデンコさんによってショートビデオに編集され、翌朝ピースボートがニューヨーク港に入港する際、デッキ上のスクリーンで上映されました。
「ピース&アースデイ」のウクライナ・イベントとウクライナ・チャリティー・オークション
船内で執り行われた「ピース&アースデイ」では、核軍縮や再生可能エネルギー、ヒロシマ、気候変動、ウクライナの平和に関するものなど、おおよそ100件のイベントが開催されました。午後にはユース・アンバサダーたちによる、ウクライナの人々を支援するように呼びかける、2つのイベントが行われ、夕方にはウクライナ・チャリティー・オークションが実施されました。イベントでユース・アンバサダーたちは、戦時下のウクライナの動物やペットの境遇に、焦点を当てました。
戦争で苦しむのは、人間だけじゃない ~戦火の動物たち~

「多くの人々は、戦争初期の数日間で、2、3日で家に戻れると思ってウクライナから避難しました。しかし、避難生活は数週間どころか、何年も長引くことになりました。数え切れないほどのペット、つまり猫や犬が、アパートや家の中に閉じ込められ、逃げ出せない状態になったのです」とアントニナ・コロテンコさんが説明しました。「侵攻後、キーウ州の解放された町や村で、ボランティア活動をしていた時、密封された住居から、ペットたちを救助しようとしました。それが不可能な場合、フェンス越しにエサを投げ入れるなどして、閉じ込められたペットに食べ物を届けました。」
「捨てられたペットだけでなく、飼い主がいるペットも苦しんでいます」とタチァーナ・ヴァージンスカさんが付け加えました。「例えば、私の両親は、可愛らしい小型犬を飼っていて、とても可愛がっていました。侵攻が始まってから、親は犬を連れてハルキウから田舎へ避難しました。犬の健康には何の問題もなかったのですが、突然の環境の変化や、絶え間ない爆撃音によるストレスで、1か月後に亡くなってしまいました。両親はひどく落ち込み、愛犬の死がきっかけで、日本に避難しようと決心したのです」とタチァーナさんは、悲しそうに話しました。
ソフィア・デミデンコさんも、似たエピソードを語りました。「私が住んでいたハルキウのアパートでは、多くの住人が避難して、ペットを置き去りにしました。彼らは、私の両親にペットの世話を頼みました。隣の人は、モルモットを飼っていて、私たちがそのモルモットを預かり、ウールの靴下でセーターを編んであげました。しかし、数週間後、モルモットは死んでしまいました。飼い主なしでは、生き延びられなかったのです。爆弾やミサイルの音が、小さなモルモットには、耐えられなかったのでしょう。」
「捨てられたペットだけでなく、飼い主がいるペットも苦しんでいます」とタチァーナ・ヴァージンスカさんが付け加えました。「例えば、私の両親は、可愛らしい小型犬を飼っていて、とても可愛がっていました。侵攻が始まってから、親は犬を連れてハルキウから田舎へ避難しました。犬の健康には何の問題もなかったのですが、突然の環境の変化や、絶え間ない爆撃音によるストレスで、1か月後に亡くなってしまいました。両親はひどく落ち込み、愛犬の死がきっかけで、日本に避難しようと決心したのです」とタチァーナさんは、悲しそうに話しました。
ソフィア・デミデンコさんも、似たエピソードを語りました。「私が住んでいたハルキウのアパートでは、多くの住人が避難して、ペットを置き去りにしました。彼らは、私の両親にペットの世話を頼みました。隣の人は、モルモットを飼っていて、私たちがそのモルモットを預かり、ウールの靴下でセーターを編んであげました。しかし、数週間後、モルモットは死んでしまいました。飼い主なしでは、生き延びられなかったのです。爆弾やミサイルの音が、小さなモルモットには、耐えられなかったのでしょう。」
戦争がもたらす、野生動物への被害
ロシア軍の侵攻によって犠牲になったのは、人間とペットだけではありません。家畜や野生動物も殺されています。「ロシア軍に占領された農場で、鶏や牛が殺害され、死骸が山積みになっています」と、スクリーンに映った写真を指しながら、アントニナさんは言いました。
「ハルキウ動物園では、ロシア兵によって動物たちが射殺されました。ヘルソン州にある自然保護区のアスカニア・ノヴァ国立公園では、保護されている野生動物たちが殺害されました。このエコサイド(動植物のジェノサイド)は、一部の固有種を、絶滅の危機に追いやっています。ウクライナは、環境に対する犯罪で、他国政府(ロシア政府)を訴えた、史上初の政府です」と彼女は語りました。
加えて、ユース・アンバサダーたちは、2023年6月にロシア軍によってカホフカダムが破壊されて引き起こされた洪水が、動物や自然に甚大な被害をもたらした経緯について話しました。この人為的な災害で、たくさんの人が洪水から避難し、住む場所を失った無力な動物たちが、取り残されました。
「ハルキウ動物園では、ロシア兵によって動物たちが射殺されました。ヘルソン州にある自然保護区のアスカニア・ノヴァ国立公園では、保護されている野生動物たちが殺害されました。このエコサイド(動植物のジェノサイド)は、一部の固有種を、絶滅の危機に追いやっています。ウクライナは、環境に対する犯罪で、他国政府(ロシア政府)を訴えた、史上初の政府です」と彼女は語りました。
加えて、ユース・アンバサダーたちは、2023年6月にロシア軍によってカホフカダムが破壊されて引き起こされた洪水が、動物や自然に甚大な被害をもたらした経緯について話しました。この人為的な災害で、たくさんの人が洪水から避難し、住む場所を失った無力な動物たちが、取り残されました。
友人の故郷は、水の下に沈んだ ~カホフカダム破壊の悲劇~

ナターリヤ・マコホンさんは、ピース&アースデイに、ユリヤ・チェホフスカさんと一緒に「なぜウクライナは世界の支援を必要としているか」というイベントを企画し、そこでカホフカダムの事件について、さらに詳しく説明しました。
「私の友人は、カホフカダムの破壊によって、洪水に見舞われたヘルソン州に住んでいました。ある日、彼女と祖父母は、目を覚ましたら水の中でした。泳いで水面に脱出し、家の屋根の上で2日間過ごしましたが、家は既に浸水していました。その後、救助ボートで避難しました。友人の祖父母は、水に潜って、水面下に沈んだ家の中の金庫からパスポートを取り出しました。若者は、新しい場所で、新しい人生を始めることができるかもしれませんが、友人の祖父母のようなシニア世代の方は、どうすれば良いのでしょうか?一生をかけて築き上げてきた生活が、一瞬にして奪われた高齢者にとって、ゼロから新しい生活を始めるのは、困難で、ほぼ不可能に近いのです」とナタリアさんは述べました。
「私の友人は、カホフカダムの破壊によって、洪水に見舞われたヘルソン州に住んでいました。ある日、彼女と祖父母は、目を覚ましたら水の中でした。泳いで水面に脱出し、家の屋根の上で2日間過ごしましたが、家は既に浸水していました。その後、救助ボートで避難しました。友人の祖父母は、水に潜って、水面下に沈んだ家の中の金庫からパスポートを取り出しました。若者は、新しい場所で、新しい人生を始めることができるかもしれませんが、友人の祖父母のようなシニア世代の方は、どうすれば良いのでしょうか?一生をかけて築き上げてきた生活が、一瞬にして奪われた高齢者にとって、ゼロから新しい生活を始めるのは、困難で、ほぼ不可能に近いのです」とナタリアさんは述べました。
船内のウクライナ人道支援の募金活動

ピース&アースデーを通じて、ユース・アンバサダーたちは、ウクライナの人道支援のために様々な募金活動を行いました。タチァーナ・ヴァージンスカさんは、ウクライナの風景を描いた、手作りのデジタル・ポストカードを作成し、ソフィア・デミデンコさんは、これまで寄港地で撮ってきた写真をポストカードに印刷しました。これらの作品は、5000円以上の寄付をしてくださった参加者の方に、配られました。
草の根のウクライナ支援 ~日本にいながら、我々にできること~

クルーズの終盤に、アデリーナ・リセンコさんとマリヤ・ボルジクさんは、ピースボート災害救援センター(PBV)の小林深吾さんと共に、ウクライナへの、草の根人道支援を促進するイベントを開催しました。
「ピースボート災害救援センター(PBV)は、ウクライナ侵攻が始まって以来、ウクライナ支援を続けています」と小林さんは言いました。「例えば、私たちはルーマニアのNGO、ルーマニア平和研究所(PATRIR)と協力し、ルーマニア経由でウクライナの病院や、その他の施設に救援物資を送っています。また、PBVはルーマニアの難民支援NGO(CNRR)との共同で、ルーマニアに暮らすウクライナ難民を支援しています。難民は、教育、行政とのやり取り、財政面、心理面など、さまざまな苦難に直面しています。」
次に、アデリーナ・リセンコさんは、日本のウクライナ人コミュニティ、NPO法人日本ウクライナ友好協会クラヤヌィでの活動について話しました。「私たちは募金を集め、その資金を使って日本からウクライナに、中古の救急車を送っています」とアデリーナさんは語りました。「また、私たちは資金を使って戦災がひどいウクライナの町の子どもたちのために、シェルターを建てました。腕や足をなくしたウクライナの負傷兵を日本に招待し、リハビリを受けられるようにするプログラムも実施しています。それだけでなく、クラヤヌィでは、日本に避難してきたウクライナの人々にも支援を提供し、日本社会への適応や、書類申請を手助けしています。」
日本における、ウクライナ難民支援の経験を持つマリヤ・ボルジクさんは、名古屋の愛知県国際交流協会で、日ウクライナ通訳として働いていた時のエピソードを紹介しました。「日本にいるウクライナ人は、言語の壁に悩まされています。彼らにとって、日本での生活に適応するのは、極めて難しいのです。例えば、私の母は漢字が読めず、最初はスーパーで一人で牛乳を買うこともできませんでした。今では買えるようになりました。多数のウクライナ難民は固定電話を持っておらず、困ったときにはLINEアプリで私に連絡してきます。病院や行政での書類についての問題が大半ですが、トラブルは多種多様です。ある日、ウクライナ人の女性から、涙ながらのメッセージが届きました。リモコンの日本語の文字が読めず、アパートのエアコンがつけられなくて、真夏の酷暑に苦しんでいたのです。」
「ピースボート災害救援センター(PBV)は、ウクライナ侵攻が始まって以来、ウクライナ支援を続けています」と小林さんは言いました。「例えば、私たちはルーマニアのNGO、ルーマニア平和研究所(PATRIR)と協力し、ルーマニア経由でウクライナの病院や、その他の施設に救援物資を送っています。また、PBVはルーマニアの難民支援NGO(CNRR)との共同で、ルーマニアに暮らすウクライナ難民を支援しています。難民は、教育、行政とのやり取り、財政面、心理面など、さまざまな苦難に直面しています。」
次に、アデリーナ・リセンコさんは、日本のウクライナ人コミュニティ、NPO法人日本ウクライナ友好協会クラヤヌィでの活動について話しました。「私たちは募金を集め、その資金を使って日本からウクライナに、中古の救急車を送っています」とアデリーナさんは語りました。「また、私たちは資金を使って戦災がひどいウクライナの町の子どもたちのために、シェルターを建てました。腕や足をなくしたウクライナの負傷兵を日本に招待し、リハビリを受けられるようにするプログラムも実施しています。それだけでなく、クラヤヌィでは、日本に避難してきたウクライナの人々にも支援を提供し、日本社会への適応や、書類申請を手助けしています。」
日本における、ウクライナ難民支援の経験を持つマリヤ・ボルジクさんは、名古屋の愛知県国際交流協会で、日ウクライナ通訳として働いていた時のエピソードを紹介しました。「日本にいるウクライナ人は、言語の壁に悩まされています。彼らにとって、日本での生活に適応するのは、極めて難しいのです。例えば、私の母は漢字が読めず、最初はスーパーで一人で牛乳を買うこともできませんでした。今では買えるようになりました。多数のウクライナ難民は固定電話を持っておらず、困ったときにはLINEアプリで私に連絡してきます。病院や行政での書類についての問題が大半ですが、トラブルは多種多様です。ある日、ウクライナ人の女性から、涙ながらのメッセージが届きました。リモコンの日本語の文字が読めず、アパートのエアコンがつけられなくて、真夏の酷暑に苦しんでいたのです。」
ウクライナ・チャリティー・オークションへご寄付いただいた皆さま、ありがとうございました

概ね300名の乗客が参加した、船内のウクライナ・チャリティー・オークションは、Voyage117のハイライトの一つとなりました。ピースボートのスタッフやボランティア、船長、クルー、そしてウクライナ・ユース・アンバサダーたちが、さまざまなサービスを提供し、募金と合わせて、合計1,716,079円(約12,000ドル)が集まりました。この資金は、ウクライナのUnited24医療支援と、ウクライナの動物支援団体UAnimalsに寄付されました。ピースボートは、チャリティー・オークションに貢献してくださった皆さまに、感謝の意を表します。
※この記事は、英語の記事をもとに作成されました。




