ウクライナの若者とヒバクシャを乗せて、ピースボートVoyage117が横浜に帰港しました
2024年7月26日早朝、18か国21寄港地をめぐる地球一周の船旅を終え、パシフィックワールド号が横浜に帰港しました。105日にわたって船内や寄港地で、対話と平和への訴えを続けた「ウクライナ・ユース・アンバサダー」と「ヒバクシャ地球一周 証言の航海(おりづるプロジェクト)」のメンバーが、活動を報告しました。
記者会見には、「ウクライナ・ユース・アンバサダー」プロジェクト実現に協力いただいた駐日ウクライナ特命全権大使コルスンスキー・セルギー氏や、共に地球一周したパシフィックワールド号のビクター・アリモフ船長も参加し発言しました。
記者会見には、「ウクライナ・ユース・アンバサダー」プロジェクト実現に協力いただいた駐日ウクライナ特命全権大使コルスンスキー・セルギー氏や、共に地球一周したパシフィックワールド号のビクター・アリモフ船長も参加し発言しました。
- プロジェクト: おりづるプロジェクト
- クルーズ: 地球一周の船旅 Voyage117
- 関連キーワード: 環境・エコ / 移民・難民 / 紛争
船
2024.7.30
2024.9.30
2024年7月26日早朝、18か国21寄港地をめぐる地球一周の船旅を終え、パシフィックワールド号が横浜に帰港しました。105日にわたって船内や寄港地で、対話と平和への訴えを続けた「ウクライナ・ユース・アンバサダー」と「ヒバクシャ地球一周 証言の航海(おりづるプロジェクト)」のメンバーが、活動を報告しました。
記者会見には、「ウクライナ・ユース・アンバサダー」プロジェクト実現に協力いただいた駐日ウクライナ特命全権大使コルスンスキー・セルギー氏や、共に地球一周したパシフィックワールド号のビクター・アリモフ船長も参加し発言しました。
記者会見には、「ウクライナ・ユース・アンバサダー」プロジェクト実現に協力いただいた駐日ウクライナ特命全権大使コルスンスキー・セルギー氏や、共に地球一周したパシフィックワールド号のビクター・アリモフ船長も参加し発言しました。
ピースボート本来の活動
記者会見では、冒頭、ピースボートの吉岡達也が大使や船長への謝辞を述べた上で、「ロシアによる侵略は、絶対に許してはならない野蛮な行為であり、国際社会として止めなければいけない」とし、ウクライナ・ユースの活動は今後必ず実を結ぶという強いメッセージを伝えました。
Voyage117でインターナショナル・ディレクターを務めた畠山澄子は、「コロナ後にクルーズを再開して2年目となった今回の船旅は、ピースボート本来の世界の不条理に抗い声を上げる活動を再開すべく、船内や寄港地で取り組んだ」と説明しました。
また、「ウクライナ・ユースにとっては祖国で戦闘が続く不安とすぐには成果が見えづらい活動での焦りに苛まれる中、長年にわたり平和の訴えを続けてきた被爆者の存在がひとつの手本となった」と今回乗り合わせた2つのプロジェクトについて考察しました。
さらに、世界20の国や地域から乗船した幼児から95歳までの1500人ほどの参加者や、寄港地で出会った人々の多さに触れ、ニュースで見たり聞いたりしてもわからないことが多い中、当事者の声を直接聞ける機会を届けることができたことを成果として報告しました。
Voyage117でインターナショナル・ディレクターを務めた畠山澄子は、「コロナ後にクルーズを再開して2年目となった今回の船旅は、ピースボート本来の世界の不条理に抗い声を上げる活動を再開すべく、船内や寄港地で取り組んだ」と説明しました。
また、「ウクライナ・ユースにとっては祖国で戦闘が続く不安とすぐには成果が見えづらい活動での焦りに苛まれる中、長年にわたり平和の訴えを続けてきた被爆者の存在がひとつの手本となった」と今回乗り合わせた2つのプロジェクトについて考察しました。
さらに、世界20の国や地域から乗船した幼児から95歳までの1500人ほどの参加者や、寄港地で出会った人々の多さに触れ、ニュースで見たり聞いたりしてもわからないことが多い中、当事者の声を直接聞ける機会を届けることができたことを成果として報告しました。
様々な意見を聞くことや話し合えることが重要
駐日ウクライナ大使のコルスンスキー・セルギー氏からは、まず、地球一周の旅を全うし帰還した7人のメンバーに対する賞賛と、船長に向けて無事の航海への感謝が伝えられました。
そして、3ヶ月前に船の出発を見送った時は、どのような成果が得られるかは未知数だったが、船旅を通してウクライナの人々の声を、世界中の人々に直接届けた意味は非常に大きいことを強調しました。
また、昨今の世界情勢の中、異なる立場の意見を聞くことや、話し合えるということが本質的に重要であることを説明した上で、ウクライナの若い女性たちがその経験をする機会となったことにも感謝を述べました。
そして、3ヶ月前に船の出発を見送った時は、どのような成果が得られるかは未知数だったが、船旅を通してウクライナの人々の声を、世界中の人々に直接届けた意味は非常に大きいことを強調しました。
また、昨今の世界情勢の中、異なる立場の意見を聞くことや、話し合えるということが本質的に重要であることを説明した上で、ウクライナの若い女性たちがその経験をする機会となったことにも感謝を述べました。
世界のどこにいても助け合える
ウクライナ出身のビクター・アリモフ船長は、ピースボートの船旅で15年にわたり船長を務めてきました。ロシアによる侵攻が始まった時はオデーサにおり、これまでの船旅参加者や乗組員から数多くの心配や激励のメッセージが届いたことに触れ、「世界のどこにいても助け合えることを実感した」と語りました。
また、横浜市とオデーサ市は姉妹都市で、ウクライナ侵攻開始後、横浜市からも多くの支援が届いていることへも感謝を述べました。
今回のクルーズにおけるウクライナの若者の活動について、世界の各地で直接声を届け話し合う「まさに市民外交だ」とし、その機会に船長を務めることができて光栄だと述べました。
さらに、今回の船旅で掲げたガザの停戦を求める大きなバナーについても触れ、ウクライナに限らず、世界の平和に向けたピースボートの活動の意義を確認しました。
また、横浜市とオデーサ市は姉妹都市で、ウクライナ侵攻開始後、横浜市からも多くの支援が届いていることへも感謝を述べました。
今回のクルーズにおけるウクライナの若者の活動について、世界の各地で直接声を届け話し合う「まさに市民外交だ」とし、その機会に船長を務めることができて光栄だと述べました。
さらに、今回の船旅で掲げたガザの停戦を求める大きなバナーについても触れ、ウクライナに限らず、世界の平和に向けたピースボートの活動の意義を確認しました。
ウクライナ・ユース・アンバサダー
コーディネータとして乗船した長與茅からは、プロジェクトの活動として、戦争について個人や家族の体験や、環境や動物に対する影響について証言することはもちろん、それ以外にも、ウクライナの文化紹介として伝統衣装を身にまとって歴史を説明したり、ウクライナ語のレッスンをしたり、大掛かりなウクライナ式の夏祭りを船のデッキで開催したり、と様々な形でメンバーと乗客が交流した様子を伝えました。
また、「今回の船旅でユース・アンバサダーのメッセージを受け取った人々には、それぞれの場所に帰って、その声を伝えてほしい」と話しました。
また、「今回の船旅でユース・アンバサダーのメッセージを受け取った人々には、それぞれの場所に帰って、その声を伝えてほしい」と話しました。
ウクライナ・ユース・アンバサダーのマリヤ・ボルジクさんは、国際法を学ぶ学生です。ウクライナ侵攻開始以来、名古屋で、ウクライナからの避難者の通訳などをしながら、日本からウクライナへの支援にも関わってきました。
寄港地のニューヨークで国連を訪れた時、ラウンドテーブルの席で、ウクライナの戦争について質問しても答えてもらえなかったことも含め、「国連は平和を維持するためにできた組織であるにもかかわらず、今回のロシアの攻撃を止める効果的な行動がほぼなく、目的を果たせていない」と指摘しました。
一方で、船旅で色々な国の人々と話し理解してもらうことができた経験を踏まえ、「人々がそれぞれの国の代表に訴えれば、ロシアの侵攻を止めることができるはず」と強調しました。
マリヤさんは会見後、今後も法律の勉強を続け、国際組織に関わっていきたいと今後の抱負を語りました。
寄港地のニューヨークで国連を訪れた時、ラウンドテーブルの席で、ウクライナの戦争について質問しても答えてもらえなかったことも含め、「国連は平和を維持するためにできた組織であるにもかかわらず、今回のロシアの攻撃を止める効果的な行動がほぼなく、目的を果たせていない」と指摘しました。
一方で、船旅で色々な国の人々と話し理解してもらうことができた経験を踏まえ、「人々がそれぞれの国の代表に訴えれば、ロシアの侵攻を止めることができるはず」と強調しました。
マリヤさんは会見後、今後も法律の勉強を続け、国際組織に関わっていきたいと今後の抱負を語りました。
ナターリア・マコホンさんは、船内での様々な交流企画の成果として、「ウクライナを訪れることはできなかったが、船内にウクライナを届けることはできた」と話しました。
ニューヨーク寄港前にオープンデッキで行ったバナーアクションには、ウクライナの国旗と同じ黄色と青の服に身を包んだ400人以上もの乗船者が集まったことや、船内で行ったチャリティ・オークションでは、台湾からの乗船者による高額の寄付もあり、合計170万円にのぼる医療や人道支援のための寄付を集めることができました。
近しい友人が2年半もロシア軍の捕虜になっているというナターリアさんは、船旅での活動について、「一人ひとりの心に触れられるよう、全力を尽くしました」と締めくくりました。
会見後、ナターリアさんは「もっともっとインパクトを与えたかった」と感じる一方で、6歳の乗客がウクライナの国旗と「NO WAR」と描いたカードを渡してくれたことに涙するなど、心温まる経験が多くあったと振り返りました。そして、情報を伝えることの重要性を実感しているからこそ、現在学んでいるジャーナリズムの道を進み、将来は国際的な報道に関わりたいと語りました。
ニューヨーク寄港前にオープンデッキで行ったバナーアクションには、ウクライナの国旗と同じ黄色と青の服に身を包んだ400人以上もの乗船者が集まったことや、船内で行ったチャリティ・オークションでは、台湾からの乗船者による高額の寄付もあり、合計170万円にのぼる医療や人道支援のための寄付を集めることができました。
近しい友人が2年半もロシア軍の捕虜になっているというナターリアさんは、船旅での活動について、「一人ひとりの心に触れられるよう、全力を尽くしました」と締めくくりました。
会見後、ナターリアさんは「もっともっとインパクトを与えたかった」と感じる一方で、6歳の乗客がウクライナの国旗と「NO WAR」と描いたカードを渡してくれたことに涙するなど、心温まる経験が多くあったと振り返りました。そして、情報を伝えることの重要性を実感しているからこそ、現在学んでいるジャーナリズムの道を進み、将来は国際的な報道に関わりたいと語りました。
ヒバクシャ地球一周 証言の航海(おりづるプロジェクト)
おりづるプロジェクトのコーディネータとして乗船した橋本舞からは、地球一周した田中稔子さんと小川忠義さん、ユースの2名に加え、長崎で被爆された田中煕巳さんや、米国ネバダ州の核実験の被害を受けたメアリー・ディクソンさんも一部の区間で乗船しプロジェクトに参加したことが報告されました。
4年ぶりとなったクルーズでのプロジェクト実施にあたり、まず12カ国12都市での活動に重点を置いたといいます。船内での企画については、「今後に向けて、日本によるアジア諸国への侵略の歴史なども含めて、多国籍の乗客との共通認識を築いていける形を目指したい」と語りました。
また、被爆証言の伝え方について、「被爆当時のことを話すだけでは過去のことになってしまう。日本を最後の被爆地にするために、いかに若者にメッセージや未来をつないでいくか」と模索した結果、ユースと共に証言活動を作り伝える形に辿り着いたことを説明しました。
4年ぶりとなったクルーズでのプロジェクト実施にあたり、まず12カ国12都市での活動に重点を置いたといいます。船内での企画については、「今後に向けて、日本によるアジア諸国への侵略の歴史なども含めて、多国籍の乗客との共通認識を築いていける形を目指したい」と語りました。
また、被爆証言の伝え方について、「被爆当時のことを話すだけでは過去のことになってしまう。日本を最後の被爆地にするために、いかに若者にメッセージや未来をつないでいくか」と模索した結果、ユースと共に証言活動を作り伝える形に辿り着いたことを説明しました。
6歳の時広島で被爆した田中稔子さんは、英語での活動も含め、日本国内外やピースボートで多くの証言活動を行ってきました。
今回の船旅では、「クジラが潮を吹くところを見ました。その時デッキでは、多様な言語で歓声があがりました。同じ感動を、国籍を超えて仲良く分かち合ったのです。私はそこに人間本来のもつ本当の平和を見ました。」
過去の日本軍によるアジア侵攻についても忘れることなく、心温まる交流を積み重ねながら、核兵器の恐ろしさを伝え続けていきたい、と今後の活動への決意を伝えました。
また、共に旅をしたユースの2人や小川さんのお孫さんのような、同じ思いをもつ若手には、それぞれが持つツールを使って、核廃絶の活動を続けていってもらいたい、と締めくくりました。
今回の船旅では、「クジラが潮を吹くところを見ました。その時デッキでは、多様な言語で歓声があがりました。同じ感動を、国籍を超えて仲良く分かち合ったのです。私はそこに人間本来のもつ本当の平和を見ました。」
過去の日本軍によるアジア侵攻についても忘れることなく、心温まる交流を積み重ねながら、核兵器の恐ろしさを伝え続けていきたい、と今後の活動への決意を伝えました。
また、共に旅をしたユースの2人や小川さんのお孫さんのような、同じ思いをもつ若手には、それぞれが持つツールを使って、核廃絶の活動を続けていってもらいたい、と締めくくりました。
小川忠義さんは、11か国で14回の講演を行い、約1000名の方に参加していただき、それぞれの場所で温かく歓迎を受けたことを報告しました。
そして、数ある活動の中で、ニューヨークでの出来事を紹介しました。
海外での活動では「日本に原爆を落としたアメリカのことをどう思うか」とよく聞かれるので、逆に、米国が原爆を落とした日本をどう思っているかを質問してみたといいます。
一瞬の沈黙の後、ある女性から、「優しい文化と美しい風景は好きだが、核廃絶に後向きな日本政府は核保有国である米国政府となんら変わりなく尊敬はできない」という回答があったそうです。
期待した答えとは少し違ったものの、ひとつのエピソードとして印象的だったといいます。
小川さんはこれから、この3ヶ月間の活動について整理をして、今後の活動に活かしていきたいと述べました。
そして、数ある活動の中で、ニューヨークでの出来事を紹介しました。
海外での活動では「日本に原爆を落としたアメリカのことをどう思うか」とよく聞かれるので、逆に、米国が原爆を落とした日本をどう思っているかを質問してみたといいます。
一瞬の沈黙の後、ある女性から、「優しい文化と美しい風景は好きだが、核廃絶に後向きな日本政府は核保有国である米国政府となんら変わりなく尊敬はできない」という回答があったそうです。
期待した答えとは少し違ったものの、ひとつのエピソードとして印象的だったといいます。
小川さんはこれから、この3ヶ月間の活動について整理をして、今後の活動に活かしていきたいと述べました。
「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」ユース特使として乗船した中国出身のロンユアン・フアンさんは、活動を共にする中で、被爆者の訴えは「平和は人類にとって、魚にとっての水のように不可欠である」ということだと理解しました。
中国の深圳の受け入れ団体の方が核廃絶について「夫婦関係のように、時折喧嘩することはあっても引っ越しはできないので、両国の関係をうまく処理するしかない」と表現したり、フランスでは核兵器を支持する市民も多く、医療や教育よりも核兵器の研究に多くの予算が充てられていることなど、様々な見解に出会ったエピソードも紹介しました。
3か月の活動を経て、「自分と異なる意見に出会ったらまずその背景を考える批判的思考を養うこと、そして、政治活動に積極的に参加して意思決定できる立場を目指すこと」が重要だと考えるようになったと報告しました。
◆それぞれのプロジェクトの報告は、別途掲載します。
中国の深圳の受け入れ団体の方が核廃絶について「夫婦関係のように、時折喧嘩することはあっても引っ越しはできないので、両国の関係をうまく処理するしかない」と表現したり、フランスでは核兵器を支持する市民も多く、医療や教育よりも核兵器の研究に多くの予算が充てられていることなど、様々な見解に出会ったエピソードも紹介しました。
3か月の活動を経て、「自分と異なる意見に出会ったらまずその背景を考える批判的思考を養うこと、そして、政治活動に積極的に参加して意思決定できる立場を目指すこと」が重要だと考えるようになったと報告しました。
◆それぞれのプロジェクトの報告は、別途掲載します。