2019年度地球大学特別プログラム報告~8か国35名で取り組んだ「ともに築く平和で包摂的なアジア」~
8月3日から23日にかけて、2019年度の地球大学特別プログラム「ともに築く平和で包摂的なアジア」を行いました。ピースボートの「日本一周クルーズ」で行われたこのプログラムには、日本、台湾、韓国、マレーシア、アメリカ合衆国、フィリピン、タイ、中国から35名の参加がありました。
プログラム期間中は、国連持続可能な開発目標(SDGs)の中で、とりわけ「平和と公正をすべての人に」とするSDG16を軸に、日本・韓国・ロシアの3つの寄港地と洋上で、様々なアクティビティを行いました。東アジアの過去や現在と向き合い、そして未来を考える、濃密な21日間の旅となりました。
プログラム期間中は、国連持続可能な開発目標(SDGs)の中で、とりわけ「平和と公正をすべての人に」とするSDG16を軸に、日本・韓国・ロシアの3つの寄港地と洋上で、様々なアクティビティを行いました。東アジアの過去や現在と向き合い、そして未来を考える、濃密な21日間の旅となりました。
8月3日から23日にかけて、2019年度の地球大学特別プログラム「ともに築く平和で包摂的なアジア」を行いました。ピースボートの「日本一周クルーズ」で行われたこのプログラムには、日本、台湾、韓国、マレーシア、アメリカ合衆国、フィリピン、タイ、中国から35名の参加がありました。
プログラム期間中は、国連持続可能な開発目標(SDGs)の中で、とりわけ「平和と公正をすべての人に」とするSDG16を軸に、日本・韓国・ロシアの3つの寄港地と洋上で、様々なアクティビティを行いました。東アジアの過去や現在と向き合い、そして未来を考える、濃密な21日間の旅となりました。
プログラム期間中は、国連持続可能な開発目標(SDGs)の中で、とりわけ「平和と公正をすべての人に」とするSDG16を軸に、日本・韓国・ロシアの3つの寄港地と洋上で、様々なアクティビティを行いました。東アジアの過去や現在と向き合い、そして未来を考える、濃密な21日間の旅となりました。
アジアを見つめなおす:知らなかった過去、異なる視点、絶望的にすれ違う意見
プログラム序盤、最初の寄港地は8月6日(原爆投下の日)の広島、そしてその3日後は長崎を訪れました。洋上でのゼミを含めて中心的なテーマとなったのは、原爆投下の話やそこから始まる軍拡競争の話、また日本の植民地政策のもと行われた強制労働や慰安婦の話でした。
出航前オリエンテーション含めた最初の数日、参加者はチームビルディングに重点を置いたアクティビティやワークショップをいくつも行い、異なる価値観を尊重しながら、意見を自由に言い合うことの大切さを何度も確認しました。それでも、第二次世界大戦の歴史を考える中で、それがいかに難しいかを痛感することになります。
広島の平和記念資料館に展示される原爆後の生々しい被害の実相や、原爆投下の瞬間を経験した被爆者の証言などにより、韓国からの参加者は、自国の公教育の中ではあまり語られることのない原爆の被害の側面を知ることになりました。しかし「でも原爆があったから私たちの国は解放されたのではないのか」という思いを拭うことはできませんでした。一方で日本からの学生は、長崎の岡まさはる記念館を訪れて日本が行った加害の実態を知り、言葉を失いました。「原爆の悲惨さをもっと多くの人に知ってほしい」と意気込んで今回のプログラムに参加した参加者は、「こんなに他の国にひどいことをしたのに、被害を語る資格があるのだろうか」と、自分を見失いそうになったと言います。またアメリカから参加した学生は、原爆がもたらした被害への理解を示した上で、「原爆はだめだった、核兵器を保有するのもいけない、米軍基地は性暴力の温床となっている、と言うけれど、国のためだと思って従事する人もいる。その人たちの気持ちはどうなるのか」とやりどころのないモヤモヤを抱えました。
広島で話を聞いた平岡敬元市長には「国という視点をこえて『ダメなものはダメなのだ』と言える勇気を」と言われました。長崎で平和活動に取り組む学生には「被害を語りたいからこそ加害にも目を向けなければいけないのでは」とアドバイスをもらいました。それでもどうしていいかわからず、1日のプログラムを終えて、疲れ切っても、船内の公共スペースで夜な夜な議論する日が続きました。相手を尊重したいと思いつつも、どうしたらこんなにも異なる視点を擦り合わせることができるのかがわからず、思わず感情が溢れてしまうこともありました。
出航前オリエンテーション含めた最初の数日、参加者はチームビルディングに重点を置いたアクティビティやワークショップをいくつも行い、異なる価値観を尊重しながら、意見を自由に言い合うことの大切さを何度も確認しました。それでも、第二次世界大戦の歴史を考える中で、それがいかに難しいかを痛感することになります。
広島の平和記念資料館に展示される原爆後の生々しい被害の実相や、原爆投下の瞬間を経験した被爆者の証言などにより、韓国からの参加者は、自国の公教育の中ではあまり語られることのない原爆の被害の側面を知ることになりました。しかし「でも原爆があったから私たちの国は解放されたのではないのか」という思いを拭うことはできませんでした。一方で日本からの学生は、長崎の岡まさはる記念館を訪れて日本が行った加害の実態を知り、言葉を失いました。「原爆の悲惨さをもっと多くの人に知ってほしい」と意気込んで今回のプログラムに参加した参加者は、「こんなに他の国にひどいことをしたのに、被害を語る資格があるのだろうか」と、自分を見失いそうになったと言います。またアメリカから参加した学生は、原爆がもたらした被害への理解を示した上で、「原爆はだめだった、核兵器を保有するのもいけない、米軍基地は性暴力の温床となっている、と言うけれど、国のためだと思って従事する人もいる。その人たちの気持ちはどうなるのか」とやりどころのないモヤモヤを抱えました。
広島で話を聞いた平岡敬元市長には「国という視点をこえて『ダメなものはダメなのだ』と言える勇気を」と言われました。長崎で平和活動に取り組む学生には「被害を語りたいからこそ加害にも目を向けなければいけないのでは」とアドバイスをもらいました。それでもどうしていいかわからず、1日のプログラムを終えて、疲れ切っても、船内の公共スペースで夜な夜な議論する日が続きました。相手を尊重したいと思いつつも、どうしたらこんなにも異なる視点を擦り合わせることができるのかがわからず、思わず感情が溢れてしまうこともありました。
過去は現在とつながっていて、どこかで分断を終わらせなければいけないと知る
プログラム開始から1週間経った8月10日、地球大学特別プログラムの参加者は釜山で船を一時離脱し、4泊5日のオーバーランドツアー(船旅の途中に行う陸路・空路でのツアー)に出発しました。釜山からKTX(韓国高速鉄道)でソウルに行き、3日間のソウルでのプログラムのあとに飛行機でウラジオストックに合流しました。
ソウルに滞在中、最初に訪れたのは韓国と北朝鮮の間の非武装地帯(DMZ)でした。遠い過去のように思える朝鮮戦争が、今も終結することなく民族を分断している現実をつきつけられました。その延長に、軍事力で国や地域の安全保障を維持しようという考え方から脱することができない「いま」があります。ソウル市内にある戦争と女性の人権博物館の訪問や難民人権センターの職員との意見交換では、そのような状況ではとりわけ難民や女性などの立場の弱い人たちが構造的な暴力に苦しむことを知りました。またその後に訪問した民主人権記念館では、軍事政権が力をもつ状況では、人権や表現の自由が尊重されないことを理解できました。
韓国での体験を経た参加者たちは、国や民族という帰属意識をもつことはとても大切だけれど、そのようなものを越えた共通の普遍的な価値観を見つける糸口をつかめたと感じました。また、誰にとっても平和である社会を築こうという姿勢こそが、あらゆる地球課題に取り組む上で不可欠ではないかと強く感じたと言います。
時には頭をからっぽにして、観光したりおいしいものを食べたり、誕生日を迎えた参加者のお祝いで大はしゃぎしたりもしながら、参加者同士がより深くお互いの事を知り信頼できる関係ができてきたのもこの頃でした。「本当はこうも思っているんだよ」と、一歩踏み込んで意見を交わすことができるようになってきたのです。
ソウルに滞在中、最初に訪れたのは韓国と北朝鮮の間の非武装地帯(DMZ)でした。遠い過去のように思える朝鮮戦争が、今も終結することなく民族を分断している現実をつきつけられました。その延長に、軍事力で国や地域の安全保障を維持しようという考え方から脱することができない「いま」があります。ソウル市内にある戦争と女性の人権博物館の訪問や難民人権センターの職員との意見交換では、そのような状況ではとりわけ難民や女性などの立場の弱い人たちが構造的な暴力に苦しむことを知りました。またその後に訪問した民主人権記念館では、軍事政権が力をもつ状況では、人権や表現の自由が尊重されないことを理解できました。
韓国での体験を経た参加者たちは、国や民族という帰属意識をもつことはとても大切だけれど、そのようなものを越えた共通の普遍的な価値観を見つける糸口をつかめたと感じました。また、誰にとっても平和である社会を築こうという姿勢こそが、あらゆる地球課題に取り組む上で不可欠ではないかと強く感じたと言います。
時には頭をからっぽにして、観光したりおいしいものを食べたり、誕生日を迎えた参加者のお祝いで大はしゃぎしたりもしながら、参加者同士がより深くお互いの事を知り信頼できる関係ができてきたのもこの頃でした。「本当はこうも思っているんだよ」と、一歩踏み込んで意見を交わすことができるようになってきたのです。
これからも続くであろう厳しい現実を前に、それでもアクションを起こす人たちに励まされて
船に戻ってからの1週間は、これからのアジア、そして世界がどうなっていくのかについて多くのことを考えました。北海道に向かう船の中では、アイヌ民族の話を事例にしながら、先住民族の権利の話を議論しました。また、韓国や香港などで起こっているデモについても取り上げました。人の命はどれも等しく重いという当たり前のことを、どうやったら誰もが尊重できる社会になるのだろうか。表現の自由や報道の自由は、どうやったら守ることができるのだろうか。自分たちの出身国・地域の経験を踏まえ、それぞれが真剣に考えました。
室蘭では、主力産業だった鉄鋼業が衰退し、少子高齢化が進む街の実態を目の当たりにしました。一方で、ビジネスや観光など、さまざまな視点から地域の振興のために奮闘する人たちとも出会いました。その日を振り返るセッションでは「自分が室蘭の市長だったらこのマニフェストで勝負する!」というお題を掲げ、模擬演説会を通して、グループごとに室蘭のような地方都市の抱える課題を解決する方法を考えました。台湾や中国、また東南アジアの国々でも今後少子高齢化や過疎化は避けられない道です。どの参加者もリアリティをもって、アクティビティに取り組みました。
最後の寄港地は、東日本大震災の被災地のひとつにもなった宮城県石巻市です。事前にピースボート災害支援センター(PBV)のスタッフにも洋上ゼミを行ってもらい、東日本大震災がもたらした被害の大きさに驚かされました。また、それ以降も世界中で災害が増え続けている事実を改めて知りました。石巻のプログラムの中では、被災の経験をもつ人の話を聞き、当時の写真を見ながら街歩きをしました。参加者の中には「あぁ、本当にこの町が津波にのまれたのだ」と、当たり前の事実なのに、胸の奥がしめつけられた学生もいました。災害から8年、いったんばらばらになったコミュニティの再建に携わる人、記憶が風化することのないようにと継承に取り組む人、石巻を盛り上げようとローカルビジネスを立ち上げた人など、様々な形で立ち上がり前に進む人たちの姿をみて、参加者も大きな勇気をもらいました。
室蘭では、主力産業だった鉄鋼業が衰退し、少子高齢化が進む街の実態を目の当たりにしました。一方で、ビジネスや観光など、さまざまな視点から地域の振興のために奮闘する人たちとも出会いました。その日を振り返るセッションでは「自分が室蘭の市長だったらこのマニフェストで勝負する!」というお題を掲げ、模擬演説会を通して、グループごとに室蘭のような地方都市の抱える課題を解決する方法を考えました。台湾や中国、また東南アジアの国々でも今後少子高齢化や過疎化は避けられない道です。どの参加者もリアリティをもって、アクティビティに取り組みました。
最後の寄港地は、東日本大震災の被災地のひとつにもなった宮城県石巻市です。事前にピースボート災害支援センター(PBV)のスタッフにも洋上ゼミを行ってもらい、東日本大震災がもたらした被害の大きさに驚かされました。また、それ以降も世界中で災害が増え続けている事実を改めて知りました。石巻のプログラムの中では、被災の経験をもつ人の話を聞き、当時の写真を見ながら街歩きをしました。参加者の中には「あぁ、本当にこの町が津波にのまれたのだ」と、当たり前の事実なのに、胸の奥がしめつけられた学生もいました。災害から8年、いったんばらばらになったコミュニティの再建に携わる人、記憶が風化することのないようにと継承に取り組む人、石巻を盛り上げようとローカルビジネスを立ち上げた人など、様々な形で立ち上がり前に進む人たちの姿をみて、参加者も大きな勇気をもらいました。
自分にも思いを形にすることはできる、「SDGsアクションチャレンジ」をやってみて
プログラムの終わりを翌日に控えた8月22日。船内各地で参加者による「SDGsアクションチャレンジ」が繰り広げられました。ピースボート地球大学が目指すのは「行動できる地球市民」の育成。1,000名の乗客がいる船という環境を活かし、グループ編成からプロジェクトの立案、企画、実施まですべてを自分たちでやるというのが参加者にとっての最終課題でした。
発表したのは9つのグループです。具体的な発表方法としては、大勢の乗客を巻き込んで大合唱を実施、シニア世代にも知ってもらおうと「SDGs麻雀」をつくってプレイ、「ボーダレス」と題した写真展を開催、船内環境に関する取り組みを調査し海洋保護のための募金活動を行う、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の啓蒙を兼ねたコンサートを実施、プログラムを通して学び考えた原爆の話や慰安婦の話をテーマにトークショー、被爆証言を人形劇で発表などがありました。3週間を通して悩みながら出した答えのひとつの形が、それぞれのプロジェクトに凝縮されていたようです。
プログラム後、参加者たちはこんな言葉を残してくれました。
「自分とは反対の意見を持つ人がどんな気持ちなのかを想像してみたことなんてなかった」
「都合のいいように『平和』を定義することは簡単で、私もずっとそうしてきた。でもいろいろな立場の人がいることを、やっぱり無視してはいけないと今は思う」
「他の人の痛みや苦しみから目をそらしたくない。何ができるのか一緒に考えられる人でありたい」
「国家間の対立は続く。だからこそ丁寧に過去のことを知る努力をしないといけない」
「できないと言っていたら、何も変わらない」
たくさんの感情を知り、たくさんの対立を乗り越え、乗り越えきれなかった意見の違いもあるけれど、それでもこれでもかというくらいに意見を交わし、自分たちにできることを考えた3週間でした。
発表したのは9つのグループです。具体的な発表方法としては、大勢の乗客を巻き込んで大合唱を実施、シニア世代にも知ってもらおうと「SDGs麻雀」をつくってプレイ、「ボーダレス」と題した写真展を開催、船内環境に関する取り組みを調査し海洋保護のための募金活動を行う、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の啓蒙を兼ねたコンサートを実施、プログラムを通して学び考えた原爆の話や慰安婦の話をテーマにトークショー、被爆証言を人形劇で発表などがありました。3週間を通して悩みながら出した答えのひとつの形が、それぞれのプロジェクトに凝縮されていたようです。
プログラム後、参加者たちはこんな言葉を残してくれました。
「自分とは反対の意見を持つ人がどんな気持ちなのかを想像してみたことなんてなかった」
「都合のいいように『平和』を定義することは簡単で、私もずっとそうしてきた。でもいろいろな立場の人がいることを、やっぱり無視してはいけないと今は思う」
「他の人の痛みや苦しみから目をそらしたくない。何ができるのか一緒に考えられる人でありたい」
「国家間の対立は続く。だからこそ丁寧に過去のことを知る努力をしないといけない」
「できないと言っていたら、何も変わらない」
たくさんの感情を知り、たくさんの対立を乗り越え、乗り越えきれなかった意見の違いもあるけれど、それでもこれでもかというくらいに意見を交わし、自分たちにできることを考えた3週間でした。
国内外の多くの提携大学やナビゲーターの皆さんに感謝
今年度のプログラムは東京外国語大学と韓国・慶熙大学との提携、また台湾のLung Yingtai Cultural Foundationのサポート、そして関西大学が事務局のグローバル教育イノベーション推進機構[IIGE]と東洋大学が事務局のアジア太平洋大学交流機構[UMAP]が連携して行ったUMAP-COIL Joint Honors Programとの協力のもと行われました。船内や寄港地ではその他にも多くのみなさんのサポートを得ました。
また、ナビゲーターとして、秋林こずえさん(同志社大学教授)、クレイグ・シーリーさん(ジェームズマディソン大学教授)、アレクシス・ダデンさん(コネチカット大学教授)、アンセルモ・リーさん(アジア民主主義ネットワーク[ADN]およびアジア開発連盟[ADA]創設者・シニアアドバイザー)の方々にお世話になりました。
プログラムの詳細レポートについては日本語での簡易報告書と英語の報告書をご覧ください。
また、ナビゲーターとして、秋林こずえさん(同志社大学教授)、クレイグ・シーリーさん(ジェームズマディソン大学教授)、アレクシス・ダデンさん(コネチカット大学教授)、アンセルモ・リーさん(アジア民主主義ネットワーク[ADN]およびアジア開発連盟[ADA]創設者・シニアアドバイザー)の方々にお世話になりました。
プログラムの詳細レポートについては日本語での簡易報告書と英語の報告書をご覧ください。