カンボジアで地雷問題の「今」を学びました
第101回ピースボートで「カンボジア地雷問題検証ツアー」を開催しました。ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACはカンボジアの地雷除去を支援しています。パートナーである地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」が活動している現場や地雷被害者を支援するNGO、そしてP-MACが支援を続ける村を訪れました。
- プロジェクト: 地雷廃絶キャンペーン(P-MAC)
- 寄港地エリア: アジア
- クルーズ: 第101回 地球一周の船旅
- 関連キーワード: 国際協力 / 子ども / 紛争
船
2019.7.1
2019.7.1
第101回ピースボートで「カンボジア地雷問題検証ツアー」を開催しました。ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACはカンボジアの地雷除去を支援しています。パートナーである地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」が活動している現場や地雷被害者を支援するNGO、そしてP-MACが支援を続ける村を訪れました。
地雷除去の現場へ
アンコールワットで有名な都市・シェムリアップから車で約2時間かけ、タイとの国境近くにあるバンクト村に行きました。タピオカの原料であるキャッサバいもやカシューナッツの栽培が盛んなのどかな村の中で、地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」が除去活動をおこなっていました。
CMACによる説明を受け、地雷除去員と同じ防具を装着してから除去現場を見学しました。この日の気温は38度。日差しがジリジリと肌を刺して痛いくらいでした。
参加者は重くて暑い防護服とヘルメットをつけ、歩くのがやっとという状態です。この装備に加え7㎏ほどある金属探知機を使い、炎天下で危険な作業をする地雷除去活動の過酷さを痛感しました。
CMACによる説明を受け、地雷除去員と同じ防具を装着してから除去現場を見学しました。この日の気温は38度。日差しがジリジリと肌を刺して痛いくらいでした。
参加者は重くて暑い防護服とヘルメットをつけ、歩くのがやっとという状態です。この装備に加え7㎏ほどある金属探知機を使い、炎天下で危険な作業をする地雷除去活動の過酷さを痛感しました。
戦後20年以上におよぶ復興の道のり
CMACスタッフのトム・チャンセライさんは言います。「私たちは生きていくために、前に進むためにやらないといけないのです。地雷が埋められて住む土地がなくなってしまった人を助けたいという気持ちからこの仕事を始めて、気づけばこんなにも時間が経ってしまいました」
チャンセライさんは1996年から20年以上地雷除去に関わってきました。復興の道のりがいかに地道で時間のかかるものであるか、ひしひしと感じました。
カンボジアは長年、地雷除去を続けてきました。そのため、今では世界的にみても高度な除去技術を持っています。CMACはこの技術を地雷問題に苦しむ他の国々にも共有することで、世界の地雷をなくすことにも貢献しています。
チャンセライさんは1996年から20年以上地雷除去に関わってきました。復興の道のりがいかに地道で時間のかかるものであるか、ひしひしと感じました。
カンボジアは長年、地雷除去を続けてきました。そのため、今では世界的にみても高度な除去技術を持っています。CMACはこの技術を地雷問題に苦しむ他の国々にも共有することで、世界の地雷をなくすことにも貢献しています。
地雷原の村にできた小学校
ピースボートが支援しているスナハイ村には現在323世帯、約1,000名の村人が暮らしています。内戦時には激戦地となり、多くの地雷が埋められました。ピースボートは「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」で集まった募金で、この村の地雷除去を支援しています。
ピースボートが地雷除去と建設を支援して2016年に完成した「ピースボート・スナハイ小学校」を訪問しました。この日は休日で学校も休みでしたが、私たちのために100名を超える小学生たちが出迎えてくれました。
4年前までは地雷原でしたが、今は安全になった学校で、子どもたちとサッカーやかけっこ、おりがみやシャボン玉などで交流しました。
この小学校ができるまでは、村にはお寺の敷地に建てた小さな教室しかなく、授業を受けられる子どもは限られていました。小学生を迎えに来たお母さんは「村の子ども達が教室や校庭でめいっぱい学び、遊ぶことができるようになった事はほんとうに大きな進歩です」と話してくれました。
ピースボートが地雷除去と建設を支援して2016年に完成した「ピースボート・スナハイ小学校」を訪問しました。この日は休日で学校も休みでしたが、私たちのために100名を超える小学生たちが出迎えてくれました。
4年前までは地雷原でしたが、今は安全になった学校で、子どもたちとサッカーやかけっこ、おりがみやシャボン玉などで交流しました。
この小学校ができるまでは、村にはお寺の敷地に建てた小さな教室しかなく、授業を受けられる子どもは限られていました。小学生を迎えに来たお母さんは「村の子ども達が教室や校庭でめいっぱい学び、遊ぶことができるようになった事はほんとうに大きな進歩です」と話してくれました。
未来を見据えてともに歩む戦後復興
1970年代後半のカンボジアで政権をにぎったポル・ポトは、知識人を虐殺しました。その中には教師も含まれています。そのため、今でもカンボジアでは教師や教育施設が不足しています。
「先生の数が多くないので大変です。でも子どもたちと過ごす毎日はとても楽しいですよ」とバウ・ソッキエ校長が笑顔で答えてくれました。
また、地雷原のために中学校を建てる十分な土地がありません。現在スナハイ村の子ども達が進学するには遠方の村にある中学校に行くしかありません。そのため、小学校を卒業しても中学校へ進学できる子どもは年に2~3人です。
スナハイ村に小学校ができたことで子ども達は学校へ通え、地雷の心配がない安全な場所で遊べるようになりました。しかし、この村にはまだ地雷が残っています。小学校のすぐ裏も地雷原です。学校では、子ども達に地雷の危険性やどこに地雷原があるかも教えています。
スナハイ村を訪問することで地雷問題だけではなく、教育やインフラなど、様々な問題が見えてきました。それでも一歩ずつ前に歩み続けるスナハイ村の人々が平和に暮らせるよう、私たちは今後も交流を続け、地雷除去を通じて村の復興を手助けしていきたいと思います。
※P-MACがおこなう募金活動「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」では、スナハイ村のさらなる地雷除去のために募金を集めています。スナハイ村の人々が安全に暮らせるよう、募金にご協力ください。100円キャンペーンについては下の「この記事を読んだ方におすすめ」から詳細をご覧ください。
「先生の数が多くないので大変です。でも子どもたちと過ごす毎日はとても楽しいですよ」とバウ・ソッキエ校長が笑顔で答えてくれました。
また、地雷原のために中学校を建てる十分な土地がありません。現在スナハイ村の子ども達が進学するには遠方の村にある中学校に行くしかありません。そのため、小学校を卒業しても中学校へ進学できる子どもは年に2~3人です。
スナハイ村に小学校ができたことで子ども達は学校へ通え、地雷の心配がない安全な場所で遊べるようになりました。しかし、この村にはまだ地雷が残っています。小学校のすぐ裏も地雷原です。学校では、子ども達に地雷の危険性やどこに地雷原があるかも教えています。
スナハイ村を訪問することで地雷問題だけではなく、教育やインフラなど、様々な問題が見えてきました。それでも一歩ずつ前に歩み続けるスナハイ村の人々が平和に暮らせるよう、私たちは今後も交流を続け、地雷除去を通じて村の復興を手助けしていきたいと思います。
※P-MACがおこなう募金活動「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」では、スナハイ村のさらなる地雷除去のために募金を集めています。スナハイ村の人々が安全に暮らせるよう、募金にご協力ください。100円キャンペーンについては下の「この記事を読んだ方におすすめ」から詳細をご覧ください。