市民の取り組みで紛争を乗り越える―アイルランド「グレンクリー平和・和解センター」の活動
ここでは、第99回ピースボート地球一周の船旅で訪れたアイルランドで実施された、「グレンクリー平和・和解センター」を訪ねるツアーを紹介します。
アイルランドでは1968年から30年にわたって、カトリック系住民とプロテスタント系住民による紛争が起きていました。1998年に和平合意が結ばれ紛争は終結しましたが、対立はくすぶっているのが現状です。ツアーでは、アイルランドの平和と和解を目指して活動する「グレンクリー平和・和解センター」を訪問し、活動について学びました。
アイルランドでは1968年から30年にわたって、カトリック系住民とプロテスタント系住民による紛争が起きていました。1998年に和平合意が結ばれ紛争は終結しましたが、対立はくすぶっているのが現状です。ツアーでは、アイルランドの平和と和解を目指して活動する「グレンクリー平和・和解センター」を訪問し、活動について学びました。
ここでは、第99回ピースボート地球一周の船旅で訪れたアイルランドで実施された、「グレンクリー平和・和解センター」を訪ねるツアーを紹介します。
アイルランドでは1968年から30年にわたって、カトリック系住民とプロテスタント系住民による紛争が起きていました。1998年に和平合意が結ばれ紛争は終結しましたが、対立はくすぶっているのが現状です。ツアーでは、アイルランドの平和と和解を目指して活動する「グレンクリー平和・和解センター」を訪問し、活動について学びました。
アイルランドでは1968年から30年にわたって、カトリック系住民とプロテスタント系住民による紛争が起きていました。1998年に和平合意が結ばれ紛争は終結しましたが、対立はくすぶっているのが現状です。ツアーでは、アイルランドの平和と和解を目指して活動する「グレンクリー平和・和解センター」を訪問し、活動について学びました。
異なる立場の人たちを結ぶ
ピースボートがダブリンに寄港した2018年10月17日、約20名の参加者が「グレンクリー平和・和解センター」(以下、グレンクリーセンター)を訪問しました。グレンクリーセンターは、大都市ダブリンからバスで約1時間、ウィックローマウンテンに位置しています
アイルランド紛争と国内に蔓延する暴力に対して、1974年に設立されたこのセンターは、社会的・文化的・政治的・宗教的に異なる立場や背景の人々の間に良い関係を築いていくことを目的としています。
ツアーには、グレンクリーセンターで学習コーディネーターを務めるエーモン・ラフターさんが同行しました。ラフターさんはダブリンに寄港する前、約10日間ピースボートに乗船し、アイルランドの紛争によってもたらされた様々な課題について話してくれました。
グレンクリーセンターのスタッフは、参加者を温かく歓迎し、手作りのスコーンやホットドリンクで迎えてくれました。一息をつきながら、何名かの参加者がツアーに参加した理由を話しました。
早稲田大学の学生は、アイルランド紛争について勉強したことがあり、アイルランド人がいま直面している課題をより深く理解したいと言います。そして、グレンクリーセンターで取り組んでいる紛争解決や非暴力アプローチの手法を理解することは、日本人が隣国との間に平和や和解をもたらすためにも有効なのではないかと説明しました。
アイルランド紛争と国内に蔓延する暴力に対して、1974年に設立されたこのセンターは、社会的・文化的・政治的・宗教的に異なる立場や背景の人々の間に良い関係を築いていくことを目的としています。
ツアーには、グレンクリーセンターで学習コーディネーターを務めるエーモン・ラフターさんが同行しました。ラフターさんはダブリンに寄港する前、約10日間ピースボートに乗船し、アイルランドの紛争によってもたらされた様々な課題について話してくれました。
グレンクリーセンターのスタッフは、参加者を温かく歓迎し、手作りのスコーンやホットドリンクで迎えてくれました。一息をつきながら、何名かの参加者がツアーに参加した理由を話しました。
早稲田大学の学生は、アイルランド紛争について勉強したことがあり、アイルランド人がいま直面している課題をより深く理解したいと言います。そして、グレンクリーセンターで取り組んでいる紛争解決や非暴力アプローチの手法を理解することは、日本人が隣国との間に平和や和解をもたらすためにも有効なのではないかと説明しました。
グレンクリーの土地がもつ歴史
前半は、スタッフのバルさんが、坂をのぼったところにあるドイツ人墓地へと案内してくれました。第二次世界大戦中、アイルランドは中立を維持しましたが、多くのドイツ人兵士がアイルランド国内で命を落としています。
1959年、ドイツとアイルランドの両政府は、グレンクリーの土地を亡くなったドイツ人兵士を埋葬する場所に指定しました。毎年11月、亡くなった兵士に敬意を表し、ドイツ大使や埋葬された兵士の子孫が集まり、追悼式典が開催されます。
ドイツ人墓地を訪問した後、バルさんはグレンクリーセンターの中で、グレンクリーセンターの歴史と、紛争の和解に向けて果たした役割について話してくれました。
グレンクリーはもともと英国軍の兵舎のあった場所で、後に起こった大飢饉の後には少年院として使われていました。
第二次世界大戦の末期には、オペレーション・シャムロック(※)で、助けを必要としていた何百人ものドイツ人の子どもたちを救う重要な役割を果たしました。
このような問題解決への取り組みを経て、グレンクリーはこの地に根差していた歴史的対立を、国際的に認識される平和への取り組みへと転換することができたのです。
※オペレーション・シャムロックとは、第二次世界大戦後、ヨーロッパ各地(特にドイツ)で孤児となった子どもたちをアイルランドで保護し、3年後に母国へ返すというしくみのこと。アイルランド赤十字社が運営し、約500名の子どもたちがアイルランドで過ごした。
1959年、ドイツとアイルランドの両政府は、グレンクリーの土地を亡くなったドイツ人兵士を埋葬する場所に指定しました。毎年11月、亡くなった兵士に敬意を表し、ドイツ大使や埋葬された兵士の子孫が集まり、追悼式典が開催されます。
ドイツ人墓地を訪問した後、バルさんはグレンクリーセンターの中で、グレンクリーセンターの歴史と、紛争の和解に向けて果たした役割について話してくれました。
グレンクリーはもともと英国軍の兵舎のあった場所で、後に起こった大飢饉の後には少年院として使われていました。
第二次世界大戦の末期には、オペレーション・シャムロック(※)で、助けを必要としていた何百人ものドイツ人の子どもたちを救う重要な役割を果たしました。
このような問題解決への取り組みを経て、グレンクリーはこの地に根差していた歴史的対立を、国際的に認識される平和への取り組みへと転換することができたのです。
※オペレーション・シャムロックとは、第二次世界大戦後、ヨーロッパ各地(特にドイツ)で孤児となった子どもたちをアイルランドで保護し、3年後に母国へ返すというしくみのこと。アイルランド赤十字社が運営し、約500名の子どもたちがアイルランドで過ごした。
多岐にわたるプログラムを体験
その後、グレンクリーセンターのチーフオフィサー、ニーヴさんより、グレンクリーセンターが現在提供している様々なプログラムの概要について説明を受けました。
グレンクリーセンターの平和活動は、南北アイルランドの紛争に関するものにとどまらず、難民支援や異文化への適応を助けるプログラムなどにも及ぶことに、参加者は驚きました。
センターで美味しいランチをいただいたあと、グレンクリーセンターが難民のトラウマを軽減するために行っているエクササイズのいくつかを実際に体験しました。
難民支援・異文化適応プログラム、をグレンクリーセンターで運営するナデットさん、ルイスさんが、「キャパシター」と呼ばれる呼吸法テクニックや、太極拳のエクササイズ、様々なツボを組み合わせてストレスを軽減し、感情を整える方法などを教えてくれました。
グレンクリーセンターの平和活動は、南北アイルランドの紛争に関するものにとどまらず、難民支援や異文化への適応を助けるプログラムなどにも及ぶことに、参加者は驚きました。
センターで美味しいランチをいただいたあと、グレンクリーセンターが難民のトラウマを軽減するために行っているエクササイズのいくつかを実際に体験しました。
難民支援・異文化適応プログラム、をグレンクリーセンターで運営するナデットさん、ルイスさんが、「キャパシター」と呼ばれる呼吸法テクニックや、太極拳のエクササイズ、様々なツボを組み合わせてストレスを軽減し、感情を整える方法などを教えてくれました。
平和な世界を実現するために
その後、参加者は自分の国の難民に対する姿勢について振り返り、対立や紛争の中にある人々の間で平和を獲得するために必要な要素は何か、ということについて考えました。
ラフターさんによれば、グレンクリーセンターが行ったような、紛争当事者の心のケアや非暴力を促進する活動は、必要不可欠な要素です。
「平和な世界は保証されているものではありません。だから私たちは努力しなければならないのです。そして、もっと慈悲深く、優しくならなければなりません」
ラフターさんによれば、グレンクリーセンターが行ったような、紛争当事者の心のケアや非暴力を促進する活動は、必要不可欠な要素です。
「平和な世界は保証されているものではありません。だから私たちは努力しなければならないのです。そして、もっと慈悲深く、優しくならなければなりません」
※当記事は、英語のリポートに基づいて編集されたものです。