【特集:共生の船】顔の見える交流から生まれるその先へ

Voyage115でスタッフとともに
「共生」が当たり前になったピースボートの船内。その当たり前の日々の中で、一人でも多くの人が「楽しかった」と思えるよう、ピースボートでは様々な工夫をしています。今回の記事では、「共生の船」の中でうまれてきた様々な出会いや対話、企画を紹介しながら、ピースボートの原点でもある「過去の戦争をみつめ、未来の平和をつくる」という言葉、そしてピースボートの中心にある「顔のみえる国際交流」について考えます。
- プロジェクト: SDGs キャンペーン
船
2026.6.12
2026.6.12
Voyage115でスタッフとともに
「共生」が当たり前になったピースボートの船内。その当たり前の日々の中で、一人でも多くの人が「楽しかった」と思えるよう、ピースボートでは様々な工夫をしています。今回の記事では、「共生の船」の中でうまれてきた様々な出会いや対話、企画を紹介しながら、ピースボートの原点でもある「過去の戦争をみつめ、未来の平和をつくる」という言葉、そしてピースボートの中心にある「顔のみえる国際交流」について考えます。
ライフストーリーから知る「すぐそこにある多文化」

Voyage117通訳ボランティアのメンバーとともに
前回の記事で中国出身の谷慶子さんを紹介しましたが、ピースボートの船内では言語に長けたスタッフが大勢活躍しています。ピースボートの船内では「ルーツを語る」「ライフストーリー」「異文化まぜこぜトーク」といったトークシリーズを企画し、そのようなスタッフの経験や人柄を通して「共生」を考える講座を数多くおこなってきました。
たとえばミックスルーツのスタッフを紹介する企画。ピースボートには両親が別々の国にルーツを持つが故に複数の文化圏・言語圏をまたいで暮らしてきたスタッフが多くいます。日台にルーツのあるスタッフは、どうしても自分のルーツを日本の友達に明かすことができない過去がありました。日韓の両親を持つ通訳ボランティアは、韓国での幼少期、日本の植民地時代の歴史を教わる中で「(日本人である)お母さんが悪く言われていると感じてしまったこともある」と語っています。日中双方にルーツを持ち、どちらでも暮らした経験のあるスタッフが、「日本では中国人と言われ、中国では日本人であると言われ、『常に自分のどこかが受け入れてもらえない』と感じてきた」とカミングアウトする場面もありました。日系人としてメキシコで生まれ育ったスタッフ、在日コリアンとして日本に生きるスタッフ、本土復帰後の沖縄に引き揚げたペルー日系三世の参加者など、必ずしもミックスルーツでなくても、その人のルーツから歴史や社会課題が見えてくることも多くあります。
人が社会の中でマイノリティとなり、葛藤や差別を経験する過程や背景からは、共生をないがしろにした社会や政治の在り方が浮き彫りになります。共に旅路を分かち合う仲間のストーリーとして触れるからこそ、「差別のない共生社会を目指したい」という思いが、漠然としたものではなく、具体的に誰かを傷つけたくないという思いと結びつくようになります。
たとえばミックスルーツのスタッフを紹介する企画。ピースボートには両親が別々の国にルーツを持つが故に複数の文化圏・言語圏をまたいで暮らしてきたスタッフが多くいます。日台にルーツのあるスタッフは、どうしても自分のルーツを日本の友達に明かすことができない過去がありました。日韓の両親を持つ通訳ボランティアは、韓国での幼少期、日本の植民地時代の歴史を教わる中で「(日本人である)お母さんが悪く言われていると感じてしまったこともある」と語っています。日中双方にルーツを持ち、どちらでも暮らした経験のあるスタッフが、「日本では中国人と言われ、中国では日本人であると言われ、『常に自分のどこかが受け入れてもらえない』と感じてきた」とカミングアウトする場面もありました。日系人としてメキシコで生まれ育ったスタッフ、在日コリアンとして日本に生きるスタッフ、本土復帰後の沖縄に引き揚げたペルー日系三世の参加者など、必ずしもミックスルーツでなくても、その人のルーツから歴史や社会課題が見えてくることも多くあります。
人が社会の中でマイノリティとなり、葛藤や差別を経験する過程や背景からは、共生をないがしろにした社会や政治の在り方が浮き彫りになります。共に旅路を分かち合う仲間のストーリーとして触れるからこそ、「差別のない共生社会を目指したい」という思いが、漠然としたものではなく、具体的に誰かを傷つけたくないという思いと結びつくようになります。
共生のその先に…共に平和な未来をつくるための対話
Voyage117のイベントにて
一歩踏み込んだ対話企画にも果敢に取り組んできました。2023年のVoyage 115 でクルーズ終盤におこなったのは「若者が考える東アジアの歴史教育」という発表。これは、日本、中国、韓国の若手スタッフと参加者が、何週間にもわたって準備を重ねて実現したものです。船で出会い、生活を共にする中でうまれた疑問は「なぜ私たちの歴史認識はこうもすれ違うんだろう」ということ。それを理解するために、自分たちの地域の教育制度についてまとめ、特に歴史教育については教科書などの中身を比較しながら、それぞれの地域では何に重点をおいて歴史を教えているのかを話し合いました。
2025年のVoyage 121では、中国、台湾、韓国のメンバーで「過去から未来へ、私たちが紡ぐ東アジアの未来」と題したパネルトークを企画しました。東アジアの国際関係はいま緊張関係にあるとされ、世論調査をみれば互いを「よく思っていない」という結果も珍しくありません。そのような時代にありながら、あるいはそのような時代だからこそ、互いの文化に触れ、互いの国を訪れ、「腹を割って話せる友達」と出会うことが自分たちの先入観を改めるきっかけになってきたと登壇者が揃って語っていた姿が印象的でした。
こうした対話を重ねる中で、東アジアの未来が平和であるためにも、もっと日本の「過去の戦争」を学び、伝えていかなければいけないのではないかという意識が日本出身のスタッフの中に広がっています。近年のクルーズでは、「今さら聞けない、日本って戦争で何をしたの」という明治以降の日本の近代史をアジア太平洋戦争に焦点をあてておさらいする企画や、シンガポールの日本統治時代を紹介する「シンガポールが昭南島と呼ばれていた日々」という企画に若手のスタッフが取り組む姿もみられるようになりました。
2025年のVoyage 121では、中国、台湾、韓国のメンバーで「過去から未来へ、私たちが紡ぐ東アジアの未来」と題したパネルトークを企画しました。東アジアの国際関係はいま緊張関係にあるとされ、世論調査をみれば互いを「よく思っていない」という結果も珍しくありません。そのような時代にありながら、あるいはそのような時代だからこそ、互いの文化に触れ、互いの国を訪れ、「腹を割って話せる友達」と出会うことが自分たちの先入観を改めるきっかけになってきたと登壇者が揃って語っていた姿が印象的でした。
こうした対話を重ねる中で、東アジアの未来が平和であるためにも、もっと日本の「過去の戦争」を学び、伝えていかなければいけないのではないかという意識が日本出身のスタッフの中に広がっています。近年のクルーズでは、「今さら聞けない、日本って戦争で何をしたの」という明治以降の日本の近代史をアジア太平洋戦争に焦点をあてておさらいする企画や、シンガポールの日本統治時代を紹介する「シンガポールが昭南島と呼ばれていた日々」という企画に若手のスタッフが取り組む姿もみられるようになりました。
わかりあえることもわかりあえないこともある、それでいい

アジア各地の乗客と歌の発表の場にて
2024年のVoyage117に参加した台湾出身の通訳ボランティアのひとりが、クルーズを終える時にこう話していたのが印象的です。
「今のアジア情勢の中で中国大陸の人と3か月半も寝食を共にしながら仕事をする機会は滅多にない。分かり合えることがたくさんあって、でもわかりあえないことももちろんある。でもそれでいいし、それでも共生できる。そう思えたことが私にとってこの旅の一番の収穫です。」
これは中台だけでなく、日中や日韓、中韓に関しても言えることなのかもしれません。
テレビやスマホに流れてくる情報だけで相手を想像するのではなく、実際に出会い、コミュニケーションをして相手を知る。その結果、受け入れられることも受け入れられないこともある。それが人間で、相手の全部を受け入れられなくても私たちは共生できる。そのような気づきが広がることが、アジアと世界の平和と共生につながることを信じて、私たちはこれからも共生の船を出し続けます。
「今のアジア情勢の中で中国大陸の人と3か月半も寝食を共にしながら仕事をする機会は滅多にない。分かり合えることがたくさんあって、でもわかりあえないことももちろんある。でもそれでいいし、それでも共生できる。そう思えたことが私にとってこの旅の一番の収穫です。」
これは中台だけでなく、日中や日韓、中韓に関しても言えることなのかもしれません。
テレビやスマホに流れてくる情報だけで相手を想像するのではなく、実際に出会い、コミュニケーションをして相手を知る。その結果、受け入れられることも受け入れられないこともある。それが人間で、相手の全部を受け入れられなくても私たちは共生できる。そのような気づきが広がることが、アジアと世界の平和と共生につながることを信じて、私たちはこれからも共生の船を出し続けます。



