第20回エッセイ大賞の結果発表

第20回「旅と平和」エッセイ大賞では、残念ながら応募作品の中には大賞に該当する作品がありませんでした。審査委員による選評と佳作となった作品全文を掲載致します。
佳作
思いを共有し、共に生きる 難民支援と私の挑戦/佐藤愛さん
春こがれ/坂本梓さん
死ぬのをやめて、生きると決めた/安土真理奈さん
平和な世界へ ~いま、僕にできること~/巽由一さん
*ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
佳作
思いを共有し、共に生きる 難民支援と私の挑戦/佐藤愛さん
春こがれ/坂本梓さん
死ぬのをやめて、生きると決めた/安土真理奈さん
平和な世界へ ~いま、僕にできること~/巽由一さん
*ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
- プロジェクト: 「旅と平和」エッセイ大賞
INFO
2025.5.15
2025.5.15
第20回「旅と平和」エッセイ大賞では、残念ながら応募作品の中には大賞に該当する作品がありませんでした。審査委員による選評と佳作となった作品全文を掲載致します。
佳作
思いを共有し、共に生きる 難民支援と私の挑戦/佐藤愛さん
春こがれ/坂本梓さん
死ぬのをやめて、生きると決めた/安土真理奈さん
平和な世界へ ~いま、僕にできること~/巽由一さん
*ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
佳作
思いを共有し、共に生きる 難民支援と私の挑戦/佐藤愛さん
春こがれ/坂本梓さん
死ぬのをやめて、生きると決めた/安土真理奈さん
平和な世界へ ~いま、僕にできること~/巽由一さん
*ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
第20回エッセイ大賞選評
鎌田慧(ルポライター)
アメリカ第一。極端なナショナリズムと排他主義が主張されている。留学生たちが大学を追い出されているなどの暗いニュースが伝わっている。ピースボートの友好と平和の精神と真逆の政治が横行している。あっという間に時代は暗転したように見えるが、国際交流の流れは途絶えることはない。さらにコロナと円安が響いていて、アメリカ訪問は当分難しにしても、応募作を読むと、若ものたちの海外志向が止まることはないと知らされる。
今年の応募作品は、総じてやや小粒になったようだが、留学、ボランティアなどと、長い時間で関わっている人たちがいるのが心強い。「思いを共有し、共に生きる 難民支援と私の挑戦」の佐藤愛さんは、まだ高校生だが、17歳ですでに難民支援を行なっていて、現代若者の代表的な存在になっている。
いつも悩むのは、ピースボートの賞は、文章力だけでなく、実行力と、将来の社会的な運動を担う可能性をも考慮するのだから、選考は難しい。佐藤愛さんは「まずは英語力を向上させ、さらに難民と受け入れ側をつなぐ活動をすることで、難民と受け入れ側の方法が納得できる支援の形を模索して行きたい」という。頼もしい若者が生まれている。
文章力では、高校生の巽由一さんの「平和な世界へーいま僕にできることー」が優れている。カンボジアのキリングフイルドの観察から始まって、校内でのガザのパネル展を開くなど、将来の運動に向けた活動を始めていて心強い。安土真里奈さんの「死ぬことをやめて、生きると決めた」は、不登校、自殺願望だったが、カンボジアのキリングフイールドなどをまわりながら、悲惨な現実に直面して、自分の生きる希望を取りもどす契機を獲得する。坂本梓さんの「春こがれ」も、安土さんとおなじように、能登半島の被災地の悲惨と復興の過程を見守りながら、平和のための行動に参加しようと考える。これからのもう一歩を見てみたい。
今年の応募作品は、総じてやや小粒になったようだが、留学、ボランティアなどと、長い時間で関わっている人たちがいるのが心強い。「思いを共有し、共に生きる 難民支援と私の挑戦」の佐藤愛さんは、まだ高校生だが、17歳ですでに難民支援を行なっていて、現代若者の代表的な存在になっている。
いつも悩むのは、ピースボートの賞は、文章力だけでなく、実行力と、将来の社会的な運動を担う可能性をも考慮するのだから、選考は難しい。佐藤愛さんは「まずは英語力を向上させ、さらに難民と受け入れ側をつなぐ活動をすることで、難民と受け入れ側の方法が納得できる支援の形を模索して行きたい」という。頼もしい若者が生まれている。
文章力では、高校生の巽由一さんの「平和な世界へーいま僕にできることー」が優れている。カンボジアのキリングフイルドの観察から始まって、校内でのガザのパネル展を開くなど、将来の運動に向けた活動を始めていて心強い。安土真里奈さんの「死ぬことをやめて、生きると決めた」は、不登校、自殺願望だったが、カンボジアのキリングフイールドなどをまわりながら、悲惨な現実に直面して、自分の生きる希望を取りもどす契機を獲得する。坂本梓さんの「春こがれ」も、安土さんとおなじように、能登半島の被災地の悲惨と復興の過程を見守りながら、平和のための行動に参加しようと考える。これからのもう一歩を見てみたい。
伊藤千尋(ジャーナリスト)
全作品を一読して思うのは、みんな自分のできる範囲で真剣に行動し、そこから具体的な考えを導いていることだ。まずは具体的に示そう。
羽白景君は香港で遭遇したデモを機に、自由は求め続けなければ消えると知った。浦郷さくらさんはベトナム旅行を通じ、一人ひとりの目の前の平和な生活の積み重ねが世界の平和につながると考えた。永井理愛さんは中国旅行からネット情報より実際に接する大切さを学んだ。吉野川恭子さんは被爆した祖父への思いから新婚旅行で広島を訪ねた体験を記す。
桐生莉緒さんは広島の平和祈念資料館を訪れ一人の命の大切さを学んだ。金民哲君はネットよりリアルな行動の大切さを、韓国で会ったウズベキスタンの友だちとの交流を通じて語る。金理雅さんは市場から人間性が消えていきシャッター街となる風潮から、文化交流を通じての平和を考えた。高安さんはピースボートで地球一周した体験から「私は知らないことを知らなかった」と感じ、「もっと知りたい」と思った。
山本好華さんはおばあちゃんの戦時中の体験とヨーロッパへのバックパック旅行の体験から「自分の行動の中で誰かに平和をつくり出せるように生きていたい」と考えた。足立七海さんはマレーシアで多文化共生を探ろうとしてうまくいかなかったけれど、言葉や民族を超える優しさを知りアンパンマンならぬジャムおじさんになろうと考えた。イタリアで育った竹田安里さんはミラノの洋裁店で体験したアフリカのひとたちとの交流を語る。これらはどれもそれなりに共感できる。その若さでよく考えたと評価もする。
しかし、そこからさらに一歩踏み出した人もいる。
佐藤愛さんは高校生だが難民を支援したいという具体的な目的を持ち、オーストラリアに留学し、帰国後はNGOで活動する。問題意識から実際に活動に踏み出したのは素晴らしい。坂本梓さんは自ら言い出して震災直後の輪島を訪れ、今、自分にできることをすることが平和につながると考えた。「できることは誰にでもある。それを理解して、自分の手の届く範囲で『平和』に向けて行動をしていくのがよい。さあ、始めよう」という結語が力強い。
山田桜來さんは沖縄の旅から「相手の話に耳を傾け、自分と違う意見も理解しようとする姿勢を持ち続けていきたい。それが小さな平和に繋がる」と考えた。自らの疾患についても「自分自身が心から生きていて良かったと思える日まで、挫けそうになっても周りの力を借りて精一杯生きようと、命の散った海に誓った」と前向きにとらえる。巽由一君はカンボジアへの旅の体験から孤児院への募金活動を始め、世界の紛争を他人事として見るのでなく考え自らコミットする必要性を意識した。神頼みするのでなく自分から行動することの必要性を自覚したのだ。そして不登校だったとき「みんな死ねばいい」と思い自分も死にたいと思っていた安土真理奈さんは、ヨーロッパやカンボジアへの旅でガラリと変わった。生きていいと考え、差別や偏見のない社会を作ることを目指してNPOを立ち上げた。広い世界を見て悲しみの中にある幸せや、自分が持っていたものに気がつき、「死にたい誰かを、一緒に生きよう、と抱きしめたい」と考えるようになった。
なかなかやるじゃないかと思う一方で、過去のエッセイ大賞の作品と比べて強く感じるのは相対的に「軽い」ことだ。経験の軽さである。軽い経験からは軽い思考しか出てこない。アジアやヨーロッパなどさまざまな国あるいは国内でも広島や沖縄に旅をした経験から感じたことをかみしめながら書いているのはいいが、だれかと会ったり何かを知った、そのわずかな体験から結論を導き語っているものがほとんどだ。
過去のエッセイ大賞の応募者はこれより2段階くらいスケールが大きかった。海外旅行ではなくほとんど開拓民のような意気込みで世界各地を訪れたり、NGO活動でも既に大きな実績を残すほどの活動をした人がひしめいていた。それに比べて今回は、いかにも行動や思考の「小ささ」を感じる。
それは無理もない。この間のコロナの流行で、国外どころか国内に出ていくのも大変だったからだ。みなさんが悪いのではない。そんな時代環境のせいである。逆に言えば、閉塞の時代によくここまで出て行ってさまざま考えたと評価することもできる。だからといって地球一周のご褒美に値するほどとは思えない。応募者のみなさんは、ここから一歩も二歩も踏み出して実績を積み上げたあと、また応募してほしい。
今回は大賞受賞者ナシが妥当と考える。
羽白景君は香港で遭遇したデモを機に、自由は求め続けなければ消えると知った。浦郷さくらさんはベトナム旅行を通じ、一人ひとりの目の前の平和な生活の積み重ねが世界の平和につながると考えた。永井理愛さんは中国旅行からネット情報より実際に接する大切さを学んだ。吉野川恭子さんは被爆した祖父への思いから新婚旅行で広島を訪ねた体験を記す。
桐生莉緒さんは広島の平和祈念資料館を訪れ一人の命の大切さを学んだ。金民哲君はネットよりリアルな行動の大切さを、韓国で会ったウズベキスタンの友だちとの交流を通じて語る。金理雅さんは市場から人間性が消えていきシャッター街となる風潮から、文化交流を通じての平和を考えた。高安さんはピースボートで地球一周した体験から「私は知らないことを知らなかった」と感じ、「もっと知りたい」と思った。
山本好華さんはおばあちゃんの戦時中の体験とヨーロッパへのバックパック旅行の体験から「自分の行動の中で誰かに平和をつくり出せるように生きていたい」と考えた。足立七海さんはマレーシアで多文化共生を探ろうとしてうまくいかなかったけれど、言葉や民族を超える優しさを知りアンパンマンならぬジャムおじさんになろうと考えた。イタリアで育った竹田安里さんはミラノの洋裁店で体験したアフリカのひとたちとの交流を語る。これらはどれもそれなりに共感できる。その若さでよく考えたと評価もする。
しかし、そこからさらに一歩踏み出した人もいる。
佐藤愛さんは高校生だが難民を支援したいという具体的な目的を持ち、オーストラリアに留学し、帰国後はNGOで活動する。問題意識から実際に活動に踏み出したのは素晴らしい。坂本梓さんは自ら言い出して震災直後の輪島を訪れ、今、自分にできることをすることが平和につながると考えた。「できることは誰にでもある。それを理解して、自分の手の届く範囲で『平和』に向けて行動をしていくのがよい。さあ、始めよう」という結語が力強い。
山田桜來さんは沖縄の旅から「相手の話に耳を傾け、自分と違う意見も理解しようとする姿勢を持ち続けていきたい。それが小さな平和に繋がる」と考えた。自らの疾患についても「自分自身が心から生きていて良かったと思える日まで、挫けそうになっても周りの力を借りて精一杯生きようと、命の散った海に誓った」と前向きにとらえる。巽由一君はカンボジアへの旅の体験から孤児院への募金活動を始め、世界の紛争を他人事として見るのでなく考え自らコミットする必要性を意識した。神頼みするのでなく自分から行動することの必要性を自覚したのだ。そして不登校だったとき「みんな死ねばいい」と思い自分も死にたいと思っていた安土真理奈さんは、ヨーロッパやカンボジアへの旅でガラリと変わった。生きていいと考え、差別や偏見のない社会を作ることを目指してNPOを立ち上げた。広い世界を見て悲しみの中にある幸せや、自分が持っていたものに気がつき、「死にたい誰かを、一緒に生きよう、と抱きしめたい」と考えるようになった。
なかなかやるじゃないかと思う一方で、過去のエッセイ大賞の作品と比べて強く感じるのは相対的に「軽い」ことだ。経験の軽さである。軽い経験からは軽い思考しか出てこない。アジアやヨーロッパなどさまざまな国あるいは国内でも広島や沖縄に旅をした経験から感じたことをかみしめながら書いているのはいいが、だれかと会ったり何かを知った、そのわずかな体験から結論を導き語っているものがほとんどだ。
過去のエッセイ大賞の応募者はこれより2段階くらいスケールが大きかった。海外旅行ではなくほとんど開拓民のような意気込みで世界各地を訪れたり、NGO活動でも既に大きな実績を残すほどの活動をした人がひしめいていた。それに比べて今回は、いかにも行動や思考の「小ささ」を感じる。
それは無理もない。この間のコロナの流行で、国外どころか国内に出ていくのも大変だったからだ。みなさんが悪いのではない。そんな時代環境のせいである。逆に言えば、閉塞の時代によくここまで出て行ってさまざま考えたと評価することもできる。だからといって地球一周のご褒美に値するほどとは思えない。応募者のみなさんは、ここから一歩も二歩も踏み出して実績を積み上げたあと、また応募してほしい。
今回は大賞受賞者ナシが妥当と考える。
曺美樹/チョウミス(新聞翻訳者、ラジオパーソナリティ)
巽由一さんはカンボジアの孤児院での体験から、キリングフィールドでのショック、平和に対する考え方の変化、実際に起こした行動と、変わっていく自身を非常に明確にとらえています。むごい虐殺の歴史に向き合う決意にとどまらず、並行して「多くの支えなしには成り立たない子どもたちの生活」に目を向け、平和を多面的にとらえ直しています。寄付活動やパネル展などを通じて様々な人たちと対話し、自分が動けば共感する人々の波紋が広がっていくこと、また、違う考え方とも接して自身の考えも重層的になることに気づいていきます。一過性の「やった満足感」で終わらない今後の可能性を感じました。「すぐに戦争を止めることはできないが、それが何もしない理由にはならない」という言葉は、体験と気づきに裏付けられているだけに力強く響きました。また、読み手を引き付ける文章の構成力、表現力も卓越していました。
坂本梓さんは、震災後も復興が滞っている能登に自ら二度出向いて行った行動力に注目しました。災害の直接支援活動をしたかどうかは触れていませんが、「風化させない」という目的をはっきりもって8カ月後、11カ月後の被災地に自ら赴くのはたやすいことではないでしょう。ひょっとしたら、この地を災害以前に訪れたことがあるとか、何かしらのご縁があったのかもしれないと思われる箇所が見受けられましたが、直接書かれてはいませんでした。現地に赴いた動機となったものは何だったのかも掘り下げたら、もっと気づきが多かったかもしれません。今後、PBVの活動などにつながればいいなと思います。
佐藤愛さんは、難民問題にまっすぐ向き合い、モノの支援だけではなく難民と共に生きる社会づくりという大きな課題に目を向けています。自身の体験一つひとつを難民問題に照らし合わせ、役立つ人になろうとする成長の意欲に期待が持てます。すでに国際的な活動に携わっているだけに、今後は日本の難民受け入れ問題にもっと踏み込んで、どんな行動をしていくのかが気になります。文の後半で少し触れてはいましたが、日本の難民受け入れの問題点をどう考えているか、自分なりの視点をもっと聞いてみたいと思いました。
安土真理奈さんは、自分を肯定できない感情の殻を蹴破って世界へ飛び出した、そのパワーに圧倒されました。 繊細な感受性と生来のやさしさをもって、型にはまらない平和活動を繰り広げた時間が生々しく伝わってきました。粗削りだけど力強く、整った文章力を発揮しています。ただし、激しい感情をそのまま伝えようとするが故に使った表現が、意図せず誰かを傷つけることがあります。特に具体的な被害者が存在する事柄に関しては、言葉は慎重にならざるを得ません。表現の規制ではなく、言葉のもつ力と責任を十分に認識してほしい、ということです。その上で評価をしました。
<総評>
それぞれの「平和活動(平和+活動)」はどのように始まるのだろう。こんな風に考えてみました。
①自分の身の回りの物事から違和感や疑問、不条理なことを見つける ②それを世界のできごとや仕組みとつなげて捉え直し、あらためて自分の「当たり前」をひっくり返してみる ③人との出会いや新たな場所での体験など「身体的な経験」から、気づきと学び・行動の幅を広げる
この考えに基づいて応募作品を読み通したところ、多くの方々が①のように、ごく身近なところから「平和でない出来事・状態」に目を向けていることは感じられました。ただ、取り上げるイシューがやはり限られているという印象が今回もありました。「平和」といえばだれもが思い浮かべる、そのようなイシューです。しかし、いま現在日本社会や世界で起きているさまざまな問題にもっと目を向け、自分の問題意識に引きつけて行動の一歩を踏み出してみてほしいと思いました。
情報を集めたり調べたりするのはいくらでも容易くできる時代です。しかし、身体的な経験は自分が動かなければ得られません。問題をどれくらい深く掘り下げられたか、どれくらい自分の「当たり前」を脱ぎ捨てられたか、そして自分の一人よがりではなく、どれくらい他者と関わり合い、影響を与え合えたかが大事だと思っています。
さまざまな角度から読み込みましたが、今回は残念ながら大賞に推せる作品はありませんでした。ただ、それぞれキラリと光る点をもった四作品を佳作としました。
坂本梓さんは、震災後も復興が滞っている能登に自ら二度出向いて行った行動力に注目しました。災害の直接支援活動をしたかどうかは触れていませんが、「風化させない」という目的をはっきりもって8カ月後、11カ月後の被災地に自ら赴くのはたやすいことではないでしょう。ひょっとしたら、この地を災害以前に訪れたことがあるとか、何かしらのご縁があったのかもしれないと思われる箇所が見受けられましたが、直接書かれてはいませんでした。現地に赴いた動機となったものは何だったのかも掘り下げたら、もっと気づきが多かったかもしれません。今後、PBVの活動などにつながればいいなと思います。
佐藤愛さんは、難民問題にまっすぐ向き合い、モノの支援だけではなく難民と共に生きる社会づくりという大きな課題に目を向けています。自身の体験一つひとつを難民問題に照らし合わせ、役立つ人になろうとする成長の意欲に期待が持てます。すでに国際的な活動に携わっているだけに、今後は日本の難民受け入れ問題にもっと踏み込んで、どんな行動をしていくのかが気になります。文の後半で少し触れてはいましたが、日本の難民受け入れの問題点をどう考えているか、自分なりの視点をもっと聞いてみたいと思いました。
安土真理奈さんは、自分を肯定できない感情の殻を蹴破って世界へ飛び出した、そのパワーに圧倒されました。 繊細な感受性と生来のやさしさをもって、型にはまらない平和活動を繰り広げた時間が生々しく伝わってきました。粗削りだけど力強く、整った文章力を発揮しています。ただし、激しい感情をそのまま伝えようとするが故に使った表現が、意図せず誰かを傷つけることがあります。特に具体的な被害者が存在する事柄に関しては、言葉は慎重にならざるを得ません。表現の規制ではなく、言葉のもつ力と責任を十分に認識してほしい、ということです。その上で評価をしました。
<総評>
それぞれの「平和活動(平和+活動)」はどのように始まるのだろう。こんな風に考えてみました。
①自分の身の回りの物事から違和感や疑問、不条理なことを見つける ②それを世界のできごとや仕組みとつなげて捉え直し、あらためて自分の「当たり前」をひっくり返してみる ③人との出会いや新たな場所での体験など「身体的な経験」から、気づきと学び・行動の幅を広げる
この考えに基づいて応募作品を読み通したところ、多くの方々が①のように、ごく身近なところから「平和でない出来事・状態」に目を向けていることは感じられました。ただ、取り上げるイシューがやはり限られているという印象が今回もありました。「平和」といえばだれもが思い浮かべる、そのようなイシューです。しかし、いま現在日本社会や世界で起きているさまざまな問題にもっと目を向け、自分の問題意識に引きつけて行動の一歩を踏み出してみてほしいと思いました。
情報を集めたり調べたりするのはいくらでも容易くできる時代です。しかし、身体的な経験は自分が動かなければ得られません。問題をどれくらい深く掘り下げられたか、どれくらい自分の「当たり前」を脱ぎ捨てられたか、そして自分の一人よがりではなく、どれくらい他者と関わり合い、影響を与え合えたかが大事だと思っています。
さまざまな角度から読み込みましたが、今回は残念ながら大賞に推せる作品はありませんでした。ただ、それぞれキラリと光る点をもった四作品を佳作としました。
井筒陽子((株)ジャパングレイス代表取締役専務)
2025年、私たちは戦後から80年という大きな節目の年を迎えました。昨年は、被爆者の声を70年にわたり届け続けてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞し、その思いがようやく世界に届き始めたように感じられました。
その一方で、ウクライナやパレスチナでは戦争が続き、多くの命が奪われています。遠くの出来事と思えない今だからこそ、平和とは誰かが与えてくれるものではなく、私たち一人ひとりの行動から生まれるものなのだと、改めて心に刻まれます。
今回の「旅と平和」エッセイ大賞では、大賞該当作はありませんでしたが、4名の方が佳作として選ばれました。
巽由一さん、佐藤愛さん、坂本梓さん、安土真理奈さん——それぞれが旅の中で現実と向き合い、自分にできることを模索し、言葉にしてくれました。その姿勢に、旅が人の心を動かし、行動を生む力があることを改めて感じさせられました。
私たちジャパングレイスは、「旅が平和をつくり、平和が旅を可能にする」という言葉を、旅づくりの根幹に据えてきました。今回寄せられた声のなかには、私たちが大切にしてきた想いと重なる姿勢が数多く見られ、大きな希望を感じました。
それぞれの旅が、それぞれのかたちで平和につながっていくことを信じています。
その一方で、ウクライナやパレスチナでは戦争が続き、多くの命が奪われています。遠くの出来事と思えない今だからこそ、平和とは誰かが与えてくれるものではなく、私たち一人ひとりの行動から生まれるものなのだと、改めて心に刻まれます。
今回の「旅と平和」エッセイ大賞では、大賞該当作はありませんでしたが、4名の方が佳作として選ばれました。
巽由一さん、佐藤愛さん、坂本梓さん、安土真理奈さん——それぞれが旅の中で現実と向き合い、自分にできることを模索し、言葉にしてくれました。その姿勢に、旅が人の心を動かし、行動を生む力があることを改めて感じさせられました。
私たちジャパングレイスは、「旅が平和をつくり、平和が旅を可能にする」という言葉を、旅づくりの根幹に据えてきました。今回寄せられた声のなかには、私たちが大切にしてきた想いと重なる姿勢が数多く見られ、大きな希望を感じました。
それぞれの旅が、それぞれのかたちで平和につながっていくことを信じています。