第17回エッセイ大賞の結果発表
第17回「旅と平和」エッセイ大賞では、以下の作品が入賞いたしました。審査委員による選評および、作品全文を掲載いたします。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 「知ること、伝えること。そして,動き続けること」/谷碧さん
次点 「78億個の普通を訪ねる旅」/島宗昴生さん
*大賞作および次点作は、ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 「知ること、伝えること。そして,動き続けること」/谷碧さん
次点 「78億個の普通を訪ねる旅」/島宗昴生さん
*大賞作および次点作は、ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
- プロジェクト: 「旅と平和」エッセイ大賞
INFO
2022.5.12
2022.6.6
第17回「旅と平和」エッセイ大賞では、以下の作品が入賞いたしました。審査委員による選評および、作品全文を掲載いたします。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 「知ること、伝えること。そして,動き続けること」/谷碧さん
次点 「78億個の普通を訪ねる旅」/島宗昴生さん
*大賞作および次点作は、ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 「知ること、伝えること。そして,動き続けること」/谷碧さん
次点 「78億個の普通を訪ねる旅」/島宗昴生さん
*大賞作および次点作は、ページ下部よりダウンロードしてお読みいただけます。
第17回エッセイ大賞選評
・鎌田慧(ルポライター)
谷碧「知ること、伝えること。そして,動き続けること。」
東日本大震災のあと、宮城県石巻市に駆けつけ、8年間NPOの活動に従事した。その体験で得た確信が文章を形づくっている。活動していて失敗や悩みがあったはずだが、それを乗り越えてきた清々しさがある。この実践と認識の深さは、30代前半ではなかなか獲得できない感覚だと思うけど、なにがあっても立ち直れる経験の蓄積としてある。「私が本気で動けば、必ず賛同してくれる仲間が現れ、ほんの少しかもしれないけど、世界が変わる」との自信は、谷さんが実践によって獲得した確信だ。2010年、ハイチで大地震が起きたとき、1000人が鶴を折り、千羽鶴を届けるプロジェクトを立ち上げ、3万羽の折鶴を集めた。「医療や衣食住などの支援が最優先なのは間違いないが、心の支援の大切さも実感できた」。人間にとっての心の繫がりの貴重さを獲得した実践力と思想化は、これからさまざまな場で、さらに深層化されてひろがる可能性を示している。自分で動けば一緒に動きだすひとは必ずいる、とするこの楽観主義をこれから伝えてほしい。「私は,自分の娘や子ども達に、戦争や貧困、人身売買、環境破壊、差別など、この世にはたくさんの課題があるコトをしっかり伝えたい。それと同時に、その課題に向き合い、動いているひとたちがたくさんいることも伝えていきたい」。この言葉は、谷さんが獲得した世界観であり、もっとも伝えてほしいことだ。彼女のピースボート船上での活躍が、明確にイメージされる文章だ。
島宗昴生「78億個の普通を訪ねる旅」
高校生ばなれした、高校生の行動力と分析力と表現力だ。こんな高校生があらわれるようになった、日本社会の国際化の広がりに確信をもたせる。インターネットを駆使して、国際的な認識を深めている確かさがある。難民はたんに同情をすべき存在ではない、「常にチャンスを探す野心的勤勉で可能性があふれている」ひとたちだ、とする認識から人間的に対等な関係がはじまる。常にある、現実と認識の「ズレ」を正すための参加。この必要性を痛切に感じるようになった島さんが、これから参加する行動で、ズレを修正していってほしい。ノーベル賞を受賞した、ムハンマドユヌスの自伝を読んだ出会いに導かれる少年の姿がまぶしい。
なお、残念ながら入選にはならなかったが、松本美波「『ここ』にいるということ、『そこ』にいるということ」は、16歳の高校生のういういしい情感に満ちた認識論で、ここにも留学体験から生みだされた、国際的な思考の確かさがあらわれている。ほかの応募作にも、社会の国際化とともに育っている、たしかなインターナショナルな視点と思考がめだっている。戦争にむかうナショナリズムにはけっして犯されない、柔軟で堅実な思考の営みが読んでいてうれしかった。
谷碧「知ること、伝えること。そして,動き続けること。」
東日本大震災のあと、宮城県石巻市に駆けつけ、8年間NPOの活動に従事した。その体験で得た確信が文章を形づくっている。活動していて失敗や悩みがあったはずだが、それを乗り越えてきた清々しさがある。この実践と認識の深さは、30代前半ではなかなか獲得できない感覚だと思うけど、なにがあっても立ち直れる経験の蓄積としてある。「私が本気で動けば、必ず賛同してくれる仲間が現れ、ほんの少しかもしれないけど、世界が変わる」との自信は、谷さんが実践によって獲得した確信だ。2010年、ハイチで大地震が起きたとき、1000人が鶴を折り、千羽鶴を届けるプロジェクトを立ち上げ、3万羽の折鶴を集めた。「医療や衣食住などの支援が最優先なのは間違いないが、心の支援の大切さも実感できた」。人間にとっての心の繫がりの貴重さを獲得した実践力と思想化は、これからさまざまな場で、さらに深層化されてひろがる可能性を示している。自分で動けば一緒に動きだすひとは必ずいる、とするこの楽観主義をこれから伝えてほしい。「私は,自分の娘や子ども達に、戦争や貧困、人身売買、環境破壊、差別など、この世にはたくさんの課題があるコトをしっかり伝えたい。それと同時に、その課題に向き合い、動いているひとたちがたくさんいることも伝えていきたい」。この言葉は、谷さんが獲得した世界観であり、もっとも伝えてほしいことだ。彼女のピースボート船上での活躍が、明確にイメージされる文章だ。
島宗昴生「78億個の普通を訪ねる旅」
高校生ばなれした、高校生の行動力と分析力と表現力だ。こんな高校生があらわれるようになった、日本社会の国際化の広がりに確信をもたせる。インターネットを駆使して、国際的な認識を深めている確かさがある。難民はたんに同情をすべき存在ではない、「常にチャンスを探す野心的勤勉で可能性があふれている」ひとたちだ、とする認識から人間的に対等な関係がはじまる。常にある、現実と認識の「ズレ」を正すための参加。この必要性を痛切に感じるようになった島さんが、これから参加する行動で、ズレを修正していってほしい。ノーベル賞を受賞した、ムハンマドユヌスの自伝を読んだ出会いに導かれる少年の姿がまぶしい。
なお、残念ながら入選にはならなかったが、松本美波「『ここ』にいるということ、『そこ』にいるということ」は、16歳の高校生のういういしい情感に満ちた認識論で、ここにも留学体験から生みだされた、国際的な思考の確かさがあらわれている。ほかの応募作にも、社会の国際化とともに育っている、たしかなインターナショナルな視点と思考がめだっている。戦争にむかうナショナリズムにはけっして犯されない、柔軟で堅実な思考の営みが読んでいてうれしかった。
第17回エッセイ大賞選評
・伊藤千尋(ジャーナリスト)
長く選考をしているが、今回ほど文章の出来が総じて良かったことは過去になかった。年々、文章力が向上していて、この若さでこれほどの文章が書けるのかと驚くことがとても多くなったが、それにしても今回は図抜けて粒ぞろいだ。
ただし、このエッセイ大賞は文章の出来の良さを競うものではない。この人ならぜひともピースボートに乗って世界をめぐってほしい、それによって本人が成長するとともに将来の平和な地球を担う人材になってほしい…と思える人かどうかという観点から、それを判断する材料として見ている。文章の良さ、悪さは表現力があるかないかの判断にはなるが、選考の目的に直結するものではない。
松波さんは彼我の立場の違いから想像力の大切さを指摘し、杉浦さんは他者との対話こそ平和への第一歩と気づき、前嶋さんは「自分を知る旅」という観点に目覚めた。中富さんは沖縄への修学旅行から平和を考えたし、ライフセーバーという具体的な活動をしている辻本さんの行動力には共鳴する。島宗さんは一次情報の大切さに気付き、その機会を多くの人に広めたいと考える。能勢さんはヒロシマがまだまだ世界に知られていないことから、過去の過ちを第三者として見つめる機会が必要だと訴える。いずれも、その年齢でよくぞそこまで考えたと思えるものばかりだ。中でも中澤さんの文は、文学として読むととても面白かった。海外と日本を往復する生活をしながら、これだけしっかりした日本語の文を書けるのに感嘆する。田代さんはウクライナから戦争開始の直前に日本に避難しただけあって、その文章からは緊迫した雰囲気が伝わる。「平和を守るために必要なのは知ることであり、知ったことを共有すること。それこそ平和への第一歩だ」という主張には説得力がある。
こうした中でエッセイ大賞の選考という観点から心を強く惹かれたのは谷さんだ。3・11の直後から現地に支援活動に入り、そのまま移住して8年間もNPO活動をした。それ以前のカンボジアでの経験、それ以後のハイチ地震の被災者へ折り鶴を贈る活動を自発的に組織し実行した点も、大きく評価できる。文の表題が示す「知り、伝え、動き続けることを繰り返し実行してきた。このような人ならピースボートに乗って世界を見れば、さらに広く見る目を養うだろうし、それ以上にさまざまな活動を提案、実行しそうだ。ピースボートの活動をさらに広げてくれるのではないかという期待感も持った。ただし、「アメリカの自衛隊」には「?」だが(笑)。今回は谷さんを大賞に推したい。
長く選考をしているが、今回ほど文章の出来が総じて良かったことは過去になかった。年々、文章力が向上していて、この若さでこれほどの文章が書けるのかと驚くことがとても多くなったが、それにしても今回は図抜けて粒ぞろいだ。
ただし、このエッセイ大賞は文章の出来の良さを競うものではない。この人ならぜひともピースボートに乗って世界をめぐってほしい、それによって本人が成長するとともに将来の平和な地球を担う人材になってほしい…と思える人かどうかという観点から、それを判断する材料として見ている。文章の良さ、悪さは表現力があるかないかの判断にはなるが、選考の目的に直結するものではない。
松波さんは彼我の立場の違いから想像力の大切さを指摘し、杉浦さんは他者との対話こそ平和への第一歩と気づき、前嶋さんは「自分を知る旅」という観点に目覚めた。中富さんは沖縄への修学旅行から平和を考えたし、ライフセーバーという具体的な活動をしている辻本さんの行動力には共鳴する。島宗さんは一次情報の大切さに気付き、その機会を多くの人に広めたいと考える。能勢さんはヒロシマがまだまだ世界に知られていないことから、過去の過ちを第三者として見つめる機会が必要だと訴える。いずれも、その年齢でよくぞそこまで考えたと思えるものばかりだ。中でも中澤さんの文は、文学として読むととても面白かった。海外と日本を往復する生活をしながら、これだけしっかりした日本語の文を書けるのに感嘆する。田代さんはウクライナから戦争開始の直前に日本に避難しただけあって、その文章からは緊迫した雰囲気が伝わる。「平和を守るために必要なのは知ることであり、知ったことを共有すること。それこそ平和への第一歩だ」という主張には説得力がある。
こうした中でエッセイ大賞の選考という観点から心を強く惹かれたのは谷さんだ。3・11の直後から現地に支援活動に入り、そのまま移住して8年間もNPO活動をした。それ以前のカンボジアでの経験、それ以後のハイチ地震の被災者へ折り鶴を贈る活動を自発的に組織し実行した点も、大きく評価できる。文の表題が示す「知り、伝え、動き続けることを繰り返し実行してきた。このような人ならピースボートに乗って世界を見れば、さらに広く見る目を養うだろうし、それ以上にさまざまな活動を提案、実行しそうだ。ピースボートの活動をさらに広げてくれるのではないかという期待感も持った。ただし、「アメリカの自衛隊」には「?」だが(笑)。今回は谷さんを大賞に推したい。
第17回エッセイ大賞選評
・チョウ・ミス (新聞翻訳者、ラジオパーソナリティ)
今回初めて「旅と平和」エッセイ大賞の選考に関わりました。私が重視したのは、「どのような平和感受性を働かせているか」「自己完結していないか」「自分の体験をきちんと表現し、他者との共有・連帯につなげられているか」の3点です。
全体的に、「平和」がテーマであるだけに対義としての「戦争」を語らなければ、という視点に立っている傾向を感じました。言うまでもなく重要なことです。しかし、戦争のみならず「あらゆる暴力のない状態」として平和をとらえ、すぐ身の回りで起きている暴力(国籍やジェンダーに対する差別や偏見、身分や上下関係による抑圧、環境破壊…)を感知する「平和感受性」が必須だと考えます。そういった意味で、「海は繋がっている」を書いた辻本珠才さんが「構造的暴力」に触れていたのが興味深い点でした。
私が候補に絞ったのは、谷碧さん、島宗昂生さん、田代明衣さん、中澤温文さんの4作です。
田代さんの作品は、自身がかつて暮らしていたウクライナで戦争が起きているという生々しい現状から目をそらさず、自分にできることで行動に移したこと、そして「どの視点から平和を見るか」の違いに気づいた経験に注目しました。残念だったのは誤字・誤記が目についたことで、エッセイ公募であるからには丁寧に読み直してほしいところでした。
中澤さんの文は読ませる力があり、二つの時計から考えを馳せる独自の視点が秀逸でした。一カ所に根付くことのない自身のアイデンティティと、どうやって他者と思いを共有し、ズレを合わせていくのかを悩む気持ちが描かれていました。ただ、文章のうまさ故にやや「すべっていく」表現を感じ、筆者自身の考えの核心がストレートに伝わってこない段落があったことが気になりました。
島宗さんは「資本主義の絶頂」といえる世界の体験を経て、経済格差に目を向けた…ということならよくある話になりがちですが、寄付の受け取り側である難民の方に直接話を聞き、自身の先入観を崩したという部分に一目置きました。「調べて行動した」ことで自己満足せず、さらに疑問をもって追及する力は、ピースボートのように多様な人々との出会いの場で揉まれながらますます磨かれるのではないかと期待します。
谷さんは天性の好奇心と、人並外れた行動力に脱帽でした。その行動力のきっかけとなった体験や自分の思いを、まっすぐに伝えていることに好感をもちました。非常に多くの問題に関心をもちつつ、一つひとつにきちんと向き合い行動に移した経験は、かけがえのないものでしょう。それらを通じてたどり着いた「伝えることを極めたい」というのは具体的にどのような活動なのか、そして伝えることを通じて何を成したいのかを、じっくり見つけてほしいと思います。
協議の末、大賞を谷碧さんの「知ること、伝えること。そして、動き続けること。」、次点を島宗昂生さんの「78億個の普通を訪ねる旅」としました。
今回初めて「旅と平和」エッセイ大賞の選考に関わりました。私が重視したのは、「どのような平和感受性を働かせているか」「自己完結していないか」「自分の体験をきちんと表現し、他者との共有・連帯につなげられているか」の3点です。
全体的に、「平和」がテーマであるだけに対義としての「戦争」を語らなければ、という視点に立っている傾向を感じました。言うまでもなく重要なことです。しかし、戦争のみならず「あらゆる暴力のない状態」として平和をとらえ、すぐ身の回りで起きている暴力(国籍やジェンダーに対する差別や偏見、身分や上下関係による抑圧、環境破壊…)を感知する「平和感受性」が必須だと考えます。そういった意味で、「海は繋がっている」を書いた辻本珠才さんが「構造的暴力」に触れていたのが興味深い点でした。
私が候補に絞ったのは、谷碧さん、島宗昂生さん、田代明衣さん、中澤温文さんの4作です。
田代さんの作品は、自身がかつて暮らしていたウクライナで戦争が起きているという生々しい現状から目をそらさず、自分にできることで行動に移したこと、そして「どの視点から平和を見るか」の違いに気づいた経験に注目しました。残念だったのは誤字・誤記が目についたことで、エッセイ公募であるからには丁寧に読み直してほしいところでした。
中澤さんの文は読ませる力があり、二つの時計から考えを馳せる独自の視点が秀逸でした。一カ所に根付くことのない自身のアイデンティティと、どうやって他者と思いを共有し、ズレを合わせていくのかを悩む気持ちが描かれていました。ただ、文章のうまさ故にやや「すべっていく」表現を感じ、筆者自身の考えの核心がストレートに伝わってこない段落があったことが気になりました。
島宗さんは「資本主義の絶頂」といえる世界の体験を経て、経済格差に目を向けた…ということならよくある話になりがちですが、寄付の受け取り側である難民の方に直接話を聞き、自身の先入観を崩したという部分に一目置きました。「調べて行動した」ことで自己満足せず、さらに疑問をもって追及する力は、ピースボートのように多様な人々との出会いの場で揉まれながらますます磨かれるのではないかと期待します。
谷さんは天性の好奇心と、人並外れた行動力に脱帽でした。その行動力のきっかけとなった体験や自分の思いを、まっすぐに伝えていることに好感をもちました。非常に多くの問題に関心をもちつつ、一つひとつにきちんと向き合い行動に移した経験は、かけがえのないものでしょう。それらを通じてたどり着いた「伝えることを極めたい」というのは具体的にどのような活動なのか、そして伝えることを通じて何を成したいのかを、じっくり見つけてほしいと思います。
協議の末、大賞を谷碧さんの「知ること、伝えること。そして、動き続けること。」、次点を島宗昂生さんの「78億個の普通を訪ねる旅」としました。
第17回「旅と平和」エッセイ大賞 入賞作品
大賞作と次点作は、こちらのPDFファイル(A4横・縦書き)でお読みいただけます。