第16回エッセイ大賞の結果発表
第16回「旅と平和」エッセイ大賞では、以下の作品が入賞いたしました。審査委員による選評および、作品全文を掲載いたします。なお、今回の次点は審査員の間で意見が割れましたが、最終的に以下の3作品を受賞作品とすることに致しました。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 旅と共に~森から馳せる私の思い~/井戸静星さん
次点 時空を超えて/小泉花音さん
人生という旅/森島結さん
旅する「心の平和」/阿部裕紀子さん
*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードしてお読みいただけます。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 旅と共に~森から馳せる私の思い~/井戸静星さん
次点 時空を超えて/小泉花音さん
人生という旅/森島結さん
旅する「心の平和」/阿部裕紀子さん
*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードしてお読みいただけます。
- プロジェクト: 「旅と平和」エッセイ大賞
INFO
2021.5.23
2021.7.1
第16回「旅と平和」エッセイ大賞では、以下の作品が入賞いたしました。審査委員による選評および、作品全文を掲載いたします。なお、今回の次点は審査員の間で意見が割れましたが、最終的に以下の3作品を受賞作品とすることに致しました。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 旅と共に~森から馳せる私の思い~/井戸静星さん
次点 時空を超えて/小泉花音さん
人生という旅/森島結さん
旅する「心の平和」/阿部裕紀子さん
*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードしてお読みいただけます。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
大賞 旅と共に~森から馳せる私の思い~/井戸静星さん
次点 時空を超えて/小泉花音さん
人生という旅/森島結さん
旅する「心の平和」/阿部裕紀子さん
*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードしてお読みいただけます。
第16回エッセイ大賞選評
・鎌田慧(ルポライター)
最終選考に残った9編のうち、5編が10代という結果になった。応募媒体の関係があるのかも知れないが、若い才能がひろがっている、と受け止めたい。井戸静星さんの「旅と共に森から馳せる私の思い」を入選。次点を小泉花音さんの「時空を越えて」と森島結さんの「人生いう旅」にしたい。3人ともに10代だ。
海外経験が豊富な点では、入選作の井戸静星さんが圧倒的に恵まれている。ブータンで育ったことが、自然にたいする感覚の豊かさをつくりだしたのかもしれない。物怖じしない積極性を天性のものとしていて羨ましい。その組織力と行動力は転形期のものといえようか。
世界を分解すると、地域、家族、個人となる。その個人をどう変えるか。その可能性を信じられるようになった。ひととの対話を重ねるために旅に出る、という爽やかな決意が、「世界は私の森」と言う結語になっていて、これからの活躍を期待する。
旅の平和をつくる、と言うのはピースボートの精神だ。最終選考に残った作品が、その精神の具体的な確信にみちているのが、心強い。
小泉花音さんの「時空を超えて」は、高校生平和大使の実践に裏打ちされていて説得性がある。「他人の痛みを想像するから平和は生み出される」と言う被爆者の言葉を紹介しているのだが、その人についての紹介がほしかった。感動をあたえてくれたひとのことは、具体的に伝えたほうがいい。ルワンダに行けなくなったが、ズームミーティングで可能になった、というのが、状況が困難なときでも、運動ができる可能性を示していて心強い。
16歳の森島結さん「人生という旅」は、いじめられた自己体験から、他人の声をかける優しさが平和を生む、との思想をつくり出した、というのが説得的だ。阿部裕紀子さんの『旅する心の平和』は、フィジーでののんびりした生活がつくり出した、肯定的な人生観が羨ましい。
思想は抽象化した理論ではなく、それを獲得するに至った体験の掘り下げるプロセスと、わたしは思う。
最終選考に残った9編のうち、5編が10代という結果になった。応募媒体の関係があるのかも知れないが、若い才能がひろがっている、と受け止めたい。井戸静星さんの「旅と共に森から馳せる私の思い」を入選。次点を小泉花音さんの「時空を越えて」と森島結さんの「人生いう旅」にしたい。3人ともに10代だ。
海外経験が豊富な点では、入選作の井戸静星さんが圧倒的に恵まれている。ブータンで育ったことが、自然にたいする感覚の豊かさをつくりだしたのかもしれない。物怖じしない積極性を天性のものとしていて羨ましい。その組織力と行動力は転形期のものといえようか。
世界を分解すると、地域、家族、個人となる。その個人をどう変えるか。その可能性を信じられるようになった。ひととの対話を重ねるために旅に出る、という爽やかな決意が、「世界は私の森」と言う結語になっていて、これからの活躍を期待する。
旅の平和をつくる、と言うのはピースボートの精神だ。最終選考に残った作品が、その精神の具体的な確信にみちているのが、心強い。
小泉花音さんの「時空を超えて」は、高校生平和大使の実践に裏打ちされていて説得性がある。「他人の痛みを想像するから平和は生み出される」と言う被爆者の言葉を紹介しているのだが、その人についての紹介がほしかった。感動をあたえてくれたひとのことは、具体的に伝えたほうがいい。ルワンダに行けなくなったが、ズームミーティングで可能になった、というのが、状況が困難なときでも、運動ができる可能性を示していて心強い。
16歳の森島結さん「人生という旅」は、いじめられた自己体験から、他人の声をかける優しさが平和を生む、との思想をつくり出した、というのが説得的だ。阿部裕紀子さんの『旅する心の平和』は、フィジーでののんびりした生活がつくり出した、肯定的な人生観が羨ましい。
思想は抽象化した理論ではなく、それを獲得するに至った体験の掘り下げるプロセスと、わたしは思う。
第16回エッセイ大賞選評
・伊藤千尋(ジャーナリスト)
今回が第16回になるエッセイ大賞だが、応募作にはかつてない新鮮な印象を受けた。一言で言えば「世代が代わった」ことだ。日本社会の国際化を映し出しているのだと思う。これまでは狭い日本から外に出て世界のどこかでがんばってみた、というタイプが多かった。今や親の仕事やグローバリズムの浸透、NGO活動の広がりの中で、幼いころから海外で暮らし、国内でも外国人が身近にいる時代になった。それが応募作からうかがえる。
このような時代だけに、なまじっかな経験ではアピールが難しい。その中で目を引いたのは「旅と共に~森から馳せる私の思い~」を書いた井戸静星さんだ。高校に入学したときの英語の先生との出会いから語り、高校2年で津波サミットの議長になって数々の行動を起こした体験を具体的に記した。行動が機敏で、主張が明快だ。
注目するのは、その結論として「私は3年間で変わったのではない。自分らしさを取り戻した」と述べたところだ。幼いころブータンで過ごし、フィンランドやモンゴルにも行ったという。「世界は私の森だ」と考え「旅は対話。共存の武器」というテーゼを引き出した感性がすがすがしい。これだけの体験をしながら気負いもなく自然体で世界に対面する度量もある。
津波サミットをネットで調べると井戸さんの顔が載っていた。丸い眼鏡の一見、普通の少女のようだが、この人がピースボートに乗れば船内は面白く、本人のいっそうの成長にも役立つだろう。
他の作品で目を引いたのは、「旅する『心の平和』」を書いた阿部裕紀子さんだ。休職して半年間、フィジーで暮らした思い出から書き起こす。「幸せとは何か」の意識が変わったという、いわばそれだけのこと。下手をすれば、心の持ちようで今の暮らしに満足せよという安易な発想につながりかねないが、懐が広い。こうした心の余裕こそ今の日本社会に欲しい。
そのほかの応募作には、残念ながら心を揺さぶられなかった。双葉町の震災伝承館を訪れた後藤さんの文章は被災地を訪ねたさいに優しくしてもらった感想文に留まっている。ここから広がってほしい。差別を論じた三宅さん、国連の在り方について書いた神野さんはいずれも「論考」であって、自らが世界にどう働きかけるのかが見えにくい。
最終選考に残った中で高校生平和大使の経験を書いた小泉さんら17歳の高校生が4人もいる。今の意思を行動に示し、その体験をもってもう一度、応募してほしい。
今回が第16回になるエッセイ大賞だが、応募作にはかつてない新鮮な印象を受けた。一言で言えば「世代が代わった」ことだ。日本社会の国際化を映し出しているのだと思う。これまでは狭い日本から外に出て世界のどこかでがんばってみた、というタイプが多かった。今や親の仕事やグローバリズムの浸透、NGO活動の広がりの中で、幼いころから海外で暮らし、国内でも外国人が身近にいる時代になった。それが応募作からうかがえる。
このような時代だけに、なまじっかな経験ではアピールが難しい。その中で目を引いたのは「旅と共に~森から馳せる私の思い~」を書いた井戸静星さんだ。高校に入学したときの英語の先生との出会いから語り、高校2年で津波サミットの議長になって数々の行動を起こした体験を具体的に記した。行動が機敏で、主張が明快だ。
注目するのは、その結論として「私は3年間で変わったのではない。自分らしさを取り戻した」と述べたところだ。幼いころブータンで過ごし、フィンランドやモンゴルにも行ったという。「世界は私の森だ」と考え「旅は対話。共存の武器」というテーゼを引き出した感性がすがすがしい。これだけの体験をしながら気負いもなく自然体で世界に対面する度量もある。
津波サミットをネットで調べると井戸さんの顔が載っていた。丸い眼鏡の一見、普通の少女のようだが、この人がピースボートに乗れば船内は面白く、本人のいっそうの成長にも役立つだろう。
他の作品で目を引いたのは、「旅する『心の平和』」を書いた阿部裕紀子さんだ。休職して半年間、フィジーで暮らした思い出から書き起こす。「幸せとは何か」の意識が変わったという、いわばそれだけのこと。下手をすれば、心の持ちようで今の暮らしに満足せよという安易な発想につながりかねないが、懐が広い。こうした心の余裕こそ今の日本社会に欲しい。
そのほかの応募作には、残念ながら心を揺さぶられなかった。双葉町の震災伝承館を訪れた後藤さんの文章は被災地を訪ねたさいに優しくしてもらった感想文に留まっている。ここから広がってほしい。差別を論じた三宅さん、国連の在り方について書いた神野さんはいずれも「論考」であって、自らが世界にどう働きかけるのかが見えにくい。
最終選考に残った中で高校生平和大使の経験を書いた小泉さんら17歳の高校生が4人もいる。今の意思を行動に示し、その体験をもってもう一度、応募してほしい。
第16回「旅と平和」エッセイ大賞 大賞受賞作品
旅と共に~森から馳せる私の思い~/井戸静星さん(18歳)
今からちょうど3年前の春。高校に入学して最初の英語の授業である。私は教壇に立つ先生に惹きつけられた。他の先生と何かが違う。けれどその理由が分からなかった。先生は人の心を見透かすような真っすぐな視線を生徒一人一人に向ける。そして次の瞬間、しんと静まっているクラスに先生の流暢な英語が響いた。
そのとき、自分の中でずっと眠っていた何かが目を覚ますような感覚があった。全身を巡るゾクゾク感。「この先生は私の人生を大きく変える」そう直感した。
それから一か月ほど経った頃、私は勇気を出して先生に声をかけた。
「先生、私、もっと世界を見たいです。知りたいです。教えてください。」
すると先生はこう言った。
「いいだろう。井戸は将来、世界を自分の遊び場として旅を続ける人になるよ。
それが、私と師匠の出会いであった。
旅って何だろう。
私は森を歩きながら考える。家の近くにあるその森は、都市の中で唯一自然と繋がることのできる場所であり、森の持つ多様性は、私を取り戻す場所でもある。幼少期をブータン王国の大自然で過ごしたからであろうか、日々の暮らしの中でふと苦しくなるときがある。整然と並ぶビルからは、生命のエネルギーを感じない。植物が排除されたコンクリートの地面を歩いても、冷たい響きしか聞こえない。電車に揺られる人々の背中、忙しなく行き交う人々の歩みは、日々の憂鬱さを物語る。同質性が求められる教室からは、未来の希望は見えない。
私って何だろう。私の個性は、可能性は、どこにあるのだろう。
日常にいると、ふとそんなことを考え、怖くなる。そんなとき私はそっと森の世界を訪れる。自然に包まれながら、私は遠い記憶を旅している。木々に触れるとブータンの、深い霧に包まれた森を思い出す。空を見上げると、ニュージーランドで見た星々や、フィンランドで揺らめくオーロラが目の前に広がる。海岸を歩くと、モンゴル高原で踏みしめた砂の世界を足裏に感じる。海を眺めると、パレットのような鮮やかなオセアニアの海が目の前に広がる。私にとって森は、自分らしさを取り戻す旅への扉なのだ。
森の多様性に触れると、自分らしく生きていいのだと気がつく。そんな居場所を探したくなる。だから私は旅に憧れた。
そのようなときに出会ったのが先生であった。先生は英語を教えるだけでなく学校の外に出るチャンスを与えてくれた。私はスピーチコンテスト、弁論大会、サイエンスアカデミー、留学とあらゆるチャンスを掴んでは新しい世界に飛び込んだ。そこで私は様々な人と出会った。夢を掴もうと努力する人々や、社会の中で活動している人々の理念に触れた。たくさん失敗して悔しい思いをするたびに「次はもっと成長するぞ!」と燃えた。次第に新しいことに挑戦するのが楽しくなってきた。自分の生き方を場所や人に依存させるのではなく、自分自身で創りたい。自分の個性によって道を切り開くために世界に挑戦したい、そう思った。
高校2年生になった頃、先生に呼び出されて職員室に向かった。
「津波サミットの議長に井戸を推薦しようと思う」先生が言った。
「世界津波の日」高校生サミットは世界各国から300名以上の高校生が集まって防災について話し合う、正真正銘の国際サミットである。私は鳥肌が立った。英語が優れているわけでも防災の知識もない私がなぜ選ばれたのか。それでも私はこの大舞台で防災の大切さを伝えるだけでなく、高校生でもアクションを起こせば何かを変えることができるのだと証明したかった。私たちの声は社会のどこまで届くのか実験したい。失敗が怖くてなかなか一歩を踏み出せない若者と、やりたいことを追求する楽しさを共有したい。
「井戸静星が議長をするならばただでは終わらせないぞ!」そう決心した。
まずは実際の災害現場の現状を知るために、一人電車を乗り継いで北海道胆振東部地震で被災した安平町を訪問した。災害から半年以上たった当時も未だに土砂崩れの現場はそのまま残っていた。仮設住宅で暮らす人々は助けを必要としていた。私はボランティアや住民の方々と話をするうちに「高校生も日ごろから防災に取り組んで情報交換しておけば、非常時に地域のために行動を起こすことができるのではないか」と考えるようになった。そうして防災に特化した高校生団体を発足する構想が頭の中に描かれていった。
それからの日々は確実に私を変えていった。私は何か、抑えきれない大きなエネルギーに突き動かされていた。
私は団体の企画書を握りしめて先生、お役人、消防士、弁護士、あらゆる人を巡ってはアドバイスを求めた。しかし「どうせ高校生の考えることだから」と話さえ聞いてもらえないことも多々あった。自分の考えの甘さを痛感してたくさん泣いた。悔しかったから何度も企画書を書き直して門をたたいた。すると、少しずつ私の理念に振り向いてくれる人々が現れた。気が付けば15人の高校生が集まって、2週間後には学生団体BLOSSOMが発足していた。
それからが怒涛の日々であった。私はアイディアを現実に落とし込むときの過程をメンバーと共有するために、プロジェクトごとに別のメンバーをリーダーに立てた。一人で挑戦するのは怖いけれど、誰かがそっと背中を押してくれるだけで勇気が出る。それを知っていた私はメンバーの一番のサポーターとなることに努めた。目に見える活動の裏で何時間も調べて考えて準備した。
代表を務めた日々は楽しいことばかりではなかった。むしろ社会の厳しさを目の当たりにした。お金が社会を支配する現実に直面し、資金のない私たちは身動きが取れないこともあった。何度も大人に利用されそうになって苦しんだ。何よりも、自分の能力や経験不足でたくさん失敗して迷惑をかけて頭を下げた。毎晩枕に顔をうずめて泣いては、頑張らなくてはと自分を奮い立たせた。
そんな日々が続いたとき、津波サミットの事後報告でアメリカの国連を訪問することが決まった。高いビルが立ち並ぶニューヨーク、多様性にあふれる人々の姿、その全てに目を見開いた。私は当時国連防災機関事務局代表であった水鳥真美氏と出会う。彼女は何か重厚な雰囲気を持っていた。強い意志を醸し出しながらも優しさを持って相手を受け入れる。そこには日本人の、そして女性としてのプライドがあった。私も彼女みたいなリーダーになりたい。泣いてばかりではいられないと思った。
それからというもの、私はもっと周りの人々に目を向けるようになった。すると次第に何かが動き出したのである。私たちは台風で被害を受けた千葉県に、瓦が落ちた個所に簡易的に挿入する段ボール瓦を作って送った。バレンタインデーには宮城県の仮設住宅で暮らす人々に、メッセージ付きチョコレートを120枚届けた。厳冬期の避難所を体験するために防災合宿を実施した。学校の避難訓練を改革するべく高校生でサミットを開き、教育委員会に提出する宣言文を作成した。私たちの動きを知った北海道庁が私たちに講演機会を与えてくれた。昨年発生したコロナに素早く対応し、200枚以上のフェイスシールドを独自に開発して医療機関に届けた。
私たちは全てのプロジェクトを周りの友達や若者を巻き込んで実施した。多くの大人が資金や場所、知識面で支えてくれた。私たちはそうやって人々と繋がることで、新しいものを社会に創った。気が付けば1年間で10個近くのプロジェクトを手掛けていた。
代表を引退する最後のミーティングの帰り道。あるメンバーが「静星に出会えてよかった。静星のお陰で怖がらないでもっと行動を起こしてみたいと思えた
と言った。それを聞いた途端、思わず涙が溢れてきた。私がずっと伝えようとした理念や行動は、ちゃんと誰かの心を震わせていたのである。
正直今の私には「平和」が何か分からない。目の前の社会に向き合うことで目一杯の私は今もなお、平和の形を模索している。しかし世界を因数分解してみると、世界は一つ一つの国でできている。国は地域でできている。地域はコミュニティの集まりで、それは家族が構成している。そして、それを作っているのは一人一人の人間である。当たり前のことを言っているようでそれは、実は多くの人が忘れがちな真理ではないだろうか。
社会が人の集まりならば、一人の変化がもしかしたら社会を変えるかもしれない。人と人の輪の広がりが、世界を少しでも良くすることができるかもしれない。そうやって積極的に自分たちの世界を、そして未来を創りたい。今までの経験から私はその可能性を信じることができるようになっていた。
流れるように高校時代が終わった。2021年3月。東京に進学する私は札幌で最後のプロジェクトを手掛けていた。それは大人の方や高校生が自分たちの生き方や考え方、働き方について語るというイベント。私の高校生活の集大成であった。イベント後、何人かの高校生が「私もアクションを起こしたい!」と声をかけてきた。そしてこんな質問をした。
「どうして3年間でそんなに変化できたの、なぜ人と会ったり行動を起こしているの。
私は3年間で変わったのではない。自分らしさを取り戻したのである。旅をするという自由を手に入れたのである。私にとって挑戦は学びであり、学びは遊びである。人と出会ったり新しい世界に触れるのが、純粋に楽しいのである。それは私の旅である。旅は単に場所を移動することを意味するのではない。旅は、様々な場所や自然、文化、そして人との対話である。暴力を避けて共存するための武器である。「戦争」の対義語が「平和」であれば、人を外に向けて開き、対話をもたらす旅と平和は一体である。今の私に「平和」の形は分からない。けれど様々な文化や人を旅し続けることで、いつか日本の「平和」の形が私にも見えてくるはずだ。
世界は私の森であり、学び場である。だから私は旅を続ける。
今からちょうど3年前の春。高校に入学して最初の英語の授業である。私は教壇に立つ先生に惹きつけられた。他の先生と何かが違う。けれどその理由が分からなかった。先生は人の心を見透かすような真っすぐな視線を生徒一人一人に向ける。そして次の瞬間、しんと静まっているクラスに先生の流暢な英語が響いた。
そのとき、自分の中でずっと眠っていた何かが目を覚ますような感覚があった。全身を巡るゾクゾク感。「この先生は私の人生を大きく変える」そう直感した。
それから一か月ほど経った頃、私は勇気を出して先生に声をかけた。
「先生、私、もっと世界を見たいです。知りたいです。教えてください。」
すると先生はこう言った。
「いいだろう。井戸は将来、世界を自分の遊び場として旅を続ける人になるよ。
それが、私と師匠の出会いであった。
旅って何だろう。
私は森を歩きながら考える。家の近くにあるその森は、都市の中で唯一自然と繋がることのできる場所であり、森の持つ多様性は、私を取り戻す場所でもある。幼少期をブータン王国の大自然で過ごしたからであろうか、日々の暮らしの中でふと苦しくなるときがある。整然と並ぶビルからは、生命のエネルギーを感じない。植物が排除されたコンクリートの地面を歩いても、冷たい響きしか聞こえない。電車に揺られる人々の背中、忙しなく行き交う人々の歩みは、日々の憂鬱さを物語る。同質性が求められる教室からは、未来の希望は見えない。
私って何だろう。私の個性は、可能性は、どこにあるのだろう。
日常にいると、ふとそんなことを考え、怖くなる。そんなとき私はそっと森の世界を訪れる。自然に包まれながら、私は遠い記憶を旅している。木々に触れるとブータンの、深い霧に包まれた森を思い出す。空を見上げると、ニュージーランドで見た星々や、フィンランドで揺らめくオーロラが目の前に広がる。海岸を歩くと、モンゴル高原で踏みしめた砂の世界を足裏に感じる。海を眺めると、パレットのような鮮やかなオセアニアの海が目の前に広がる。私にとって森は、自分らしさを取り戻す旅への扉なのだ。
森の多様性に触れると、自分らしく生きていいのだと気がつく。そんな居場所を探したくなる。だから私は旅に憧れた。
そのようなときに出会ったのが先生であった。先生は英語を教えるだけでなく学校の外に出るチャンスを与えてくれた。私はスピーチコンテスト、弁論大会、サイエンスアカデミー、留学とあらゆるチャンスを掴んでは新しい世界に飛び込んだ。そこで私は様々な人と出会った。夢を掴もうと努力する人々や、社会の中で活動している人々の理念に触れた。たくさん失敗して悔しい思いをするたびに「次はもっと成長するぞ!」と燃えた。次第に新しいことに挑戦するのが楽しくなってきた。自分の生き方を場所や人に依存させるのではなく、自分自身で創りたい。自分の個性によって道を切り開くために世界に挑戦したい、そう思った。
高校2年生になった頃、先生に呼び出されて職員室に向かった。
「津波サミットの議長に井戸を推薦しようと思う」先生が言った。
「世界津波の日」高校生サミットは世界各国から300名以上の高校生が集まって防災について話し合う、正真正銘の国際サミットである。私は鳥肌が立った。英語が優れているわけでも防災の知識もない私がなぜ選ばれたのか。それでも私はこの大舞台で防災の大切さを伝えるだけでなく、高校生でもアクションを起こせば何かを変えることができるのだと証明したかった。私たちの声は社会のどこまで届くのか実験したい。失敗が怖くてなかなか一歩を踏み出せない若者と、やりたいことを追求する楽しさを共有したい。
「井戸静星が議長をするならばただでは終わらせないぞ!」そう決心した。
まずは実際の災害現場の現状を知るために、一人電車を乗り継いで北海道胆振東部地震で被災した安平町を訪問した。災害から半年以上たった当時も未だに土砂崩れの現場はそのまま残っていた。仮設住宅で暮らす人々は助けを必要としていた。私はボランティアや住民の方々と話をするうちに「高校生も日ごろから防災に取り組んで情報交換しておけば、非常時に地域のために行動を起こすことができるのではないか」と考えるようになった。そうして防災に特化した高校生団体を発足する構想が頭の中に描かれていった。
それからの日々は確実に私を変えていった。私は何か、抑えきれない大きなエネルギーに突き動かされていた。
私は団体の企画書を握りしめて先生、お役人、消防士、弁護士、あらゆる人を巡ってはアドバイスを求めた。しかし「どうせ高校生の考えることだから」と話さえ聞いてもらえないことも多々あった。自分の考えの甘さを痛感してたくさん泣いた。悔しかったから何度も企画書を書き直して門をたたいた。すると、少しずつ私の理念に振り向いてくれる人々が現れた。気が付けば15人の高校生が集まって、2週間後には学生団体BLOSSOMが発足していた。
それからが怒涛の日々であった。私はアイディアを現実に落とし込むときの過程をメンバーと共有するために、プロジェクトごとに別のメンバーをリーダーに立てた。一人で挑戦するのは怖いけれど、誰かがそっと背中を押してくれるだけで勇気が出る。それを知っていた私はメンバーの一番のサポーターとなることに努めた。目に見える活動の裏で何時間も調べて考えて準備した。
代表を務めた日々は楽しいことばかりではなかった。むしろ社会の厳しさを目の当たりにした。お金が社会を支配する現実に直面し、資金のない私たちは身動きが取れないこともあった。何度も大人に利用されそうになって苦しんだ。何よりも、自分の能力や経験不足でたくさん失敗して迷惑をかけて頭を下げた。毎晩枕に顔をうずめて泣いては、頑張らなくてはと自分を奮い立たせた。
そんな日々が続いたとき、津波サミットの事後報告でアメリカの国連を訪問することが決まった。高いビルが立ち並ぶニューヨーク、多様性にあふれる人々の姿、その全てに目を見開いた。私は当時国連防災機関事務局代表であった水鳥真美氏と出会う。彼女は何か重厚な雰囲気を持っていた。強い意志を醸し出しながらも優しさを持って相手を受け入れる。そこには日本人の、そして女性としてのプライドがあった。私も彼女みたいなリーダーになりたい。泣いてばかりではいられないと思った。
それからというもの、私はもっと周りの人々に目を向けるようになった。すると次第に何かが動き出したのである。私たちは台風で被害を受けた千葉県に、瓦が落ちた個所に簡易的に挿入する段ボール瓦を作って送った。バレンタインデーには宮城県の仮設住宅で暮らす人々に、メッセージ付きチョコレートを120枚届けた。厳冬期の避難所を体験するために防災合宿を実施した。学校の避難訓練を改革するべく高校生でサミットを開き、教育委員会に提出する宣言文を作成した。私たちの動きを知った北海道庁が私たちに講演機会を与えてくれた。昨年発生したコロナに素早く対応し、200枚以上のフェイスシールドを独自に開発して医療機関に届けた。
私たちは全てのプロジェクトを周りの友達や若者を巻き込んで実施した。多くの大人が資金や場所、知識面で支えてくれた。私たちはそうやって人々と繋がることで、新しいものを社会に創った。気が付けば1年間で10個近くのプロジェクトを手掛けていた。
代表を引退する最後のミーティングの帰り道。あるメンバーが「静星に出会えてよかった。静星のお陰で怖がらないでもっと行動を起こしてみたいと思えた
と言った。それを聞いた途端、思わず涙が溢れてきた。私がずっと伝えようとした理念や行動は、ちゃんと誰かの心を震わせていたのである。
正直今の私には「平和」が何か分からない。目の前の社会に向き合うことで目一杯の私は今もなお、平和の形を模索している。しかし世界を因数分解してみると、世界は一つ一つの国でできている。国は地域でできている。地域はコミュニティの集まりで、それは家族が構成している。そして、それを作っているのは一人一人の人間である。当たり前のことを言っているようでそれは、実は多くの人が忘れがちな真理ではないだろうか。
社会が人の集まりならば、一人の変化がもしかしたら社会を変えるかもしれない。人と人の輪の広がりが、世界を少しでも良くすることができるかもしれない。そうやって積極的に自分たちの世界を、そして未来を創りたい。今までの経験から私はその可能性を信じることができるようになっていた。
流れるように高校時代が終わった。2021年3月。東京に進学する私は札幌で最後のプロジェクトを手掛けていた。それは大人の方や高校生が自分たちの生き方や考え方、働き方について語るというイベント。私の高校生活の集大成であった。イベント後、何人かの高校生が「私もアクションを起こしたい!」と声をかけてきた。そしてこんな質問をした。
「どうして3年間でそんなに変化できたの、なぜ人と会ったり行動を起こしているの。
私は3年間で変わったのではない。自分らしさを取り戻したのである。旅をするという自由を手に入れたのである。私にとって挑戦は学びであり、学びは遊びである。人と出会ったり新しい世界に触れるのが、純粋に楽しいのである。それは私の旅である。旅は単に場所を移動することを意味するのではない。旅は、様々な場所や自然、文化、そして人との対話である。暴力を避けて共存するための武器である。「戦争」の対義語が「平和」であれば、人を外に向けて開き、対話をもたらす旅と平和は一体である。今の私に「平和」の形は分からない。けれど様々な文化や人を旅し続けることで、いつか日本の「平和」の形が私にも見えてくるはずだ。
世界は私の森であり、学び場である。だから私は旅を続ける。
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