第15回エッセイ大賞の結果発表
第15回「旅と平和」エッセイ大賞では、残念ながら応募作品の中から入賞に該当ものがありませんでした。審査委員による選評を掲載致します。
- プロジェクト: 「旅と平和」エッセイ大賞
INFO
2020.4.11
2020.5.21
第15回「旅と平和」エッセイ大賞では、残念ながら応募作品の中から入賞に該当ものがありませんでした。審査委員による選評を掲載致します。
第15回エッセイ大賞選評
・鎌田慧(ルポライター)
今回、最終選考に残った作品6本がすべて女性だった。男はどこへ行った、と心配になる。この傾向は以前からのものだったが、女性の方がチャレンジ精神が強い、反映のようだ。それぞれ、海外旅行の体験、そこで学んだことを突き詰めて考えようとしているのだが、総花的で、平面的だ。旅は自分を変え、旅によって変わった自分を捉えかえして、あらたなこと、社会に参加し、社会を変えることに向き合う。そのプロセスが他人に感動と影響を与える。
田畑有紀子さん「世界中が平和になった日」は、16歳で韓国の西大門刑務所を訪問し、日本が韓国を植民地にした犯罪を学んだ。それは本人の人生に大きな影響力を与える、と思う。これからの報告を読みたい。
山本花采さん「私は今日も生きていく」は、フイリピンでボランティア運動の参加した記録で貴重で、奮闘した様子が感じられた。さて、これからはじまる、と言う地点だ。
細木真歩さん「『hello』は『こんにちは』ではない」は、相手の立場にたって考え、共感する、と言う精神を学んだ記録で、説得力がある。これもここからはじまる出発点としての記録だ。期待したい。
小野桃果さん「平和のとりで」は、世界遺産について、自分の言葉で語りはじめたところで終っているのだが、それまでの経験が、これから花ひらく可能性を感じさせる。
井戸静香さん「豊かさとはなにか」は、ブータン育ちという貴重な体験からか、自然のなかでの感性あふるる視点が魅力的だ。防災ボランティア運動をはじめたようで、これまでの経験が独自の運動をつくりだす。この苦闘が感じられて頼もしい。ここからはじまった経験を次に書いてくだされば、貴重なしごとになる。次回の応募を待望しています。
伊藤優花さん「旅と共に」は、子どもの頃から、旅に恵まれていてうらやましい報告です。海外では子どもたちの政治の話しをしていることを発見して、目を見開かせた、と率直だ。そういう体験が積み重ねられて、インターナショナル・スクールに入学する。早いうちから、世界を身近に感じられるのは、ひとより早いスタートを切れる。しかし、そこまでは与えられたチャンスであって、本当の旅はこれから。いままでに獲得した基礎が、どのような自己形成にむかうか。期待できる。人との出会いとは集団や場所のことではなく、個人との対話だ。ひととの出会いを大事にして、感動や尊敬や信頼のこころを養う。受け止める感性を研ぎすまして、これからもう一度、書いて送ってほしい。
今回はそれぞれのひとたちが、人生の大きな可能性の出発点にいることを感じさせた作品だった。願わくば、平面的な記述でなく、人間同士のふれあいと感動と発見を描いてほしい。ピースボートは運動体なので、この人たちの経験、視点、情熱とともにありたい。示唆に富む体験の記録を待望しています。
・伊藤千尋(ジャーナリスト)
エッセイ大賞は、ただ旅が好きな若者に無料で船旅を提供しよう…という甘いものではない。文章が上手な人に良く書けたご褒美として世界一周させてあげよう、というものでもない。旅をしていなくてもいい。文章が下手でもいい。必要なのは、平和な世界や共生の社会に向けての明確な意志を持ち、すでに何かしら社会に対する働きかけをした実績があることだ。難しいけれど、できないことではない。実際、過去の受賞者はそれに値することをしてきた。
今回の応募者には、大賞を設けた趣旨に文句なく該当する…という人が残念ながら見つからない。
学校の研修や親に連れられて海外に行った体験などが書かれているが、そこで何かに気づいた、あるいはそこから少し踏み出してみた、という段階だ。教わったことの範囲からさほど出ていない。これはスタートラインに過ぎない。得た知識をもとにさらに自分で考え研究し、自分一人で、あるいは友人を誘ってNGOなどを組織化する努力をし、具体的に国境を越えて世界に働きかけをし、かつ何らかの成果を得た…という段階に至って初めて審査の対象となる。その域に達していない。
そうした中でいくつか印象に残ったものはある。「平和のとりで」を書いた小野さんは、広島と沖縄をつなぐ世界遺産をキーワードに歴史を深く知ることで平和につながることを意識した。そこから世界遺産の検定に挑戦したが、それは小野さん個人の知識を増やす行為であって、社会に平和をもたらす行為に直結してはいない。
「剥き出しの生」を書いた山本さんのフィリピンでの体験は貴重だが、その意識も活動もまだ緒についたばかりだ。
ブータンで育ち親に連れられて世界各地を旅行した井戸さんは、稀な得難い経験をしたことから「豊かさとは何か」と考え始めた。そして高校2年生の時に災害復興のボランティア団体を立ち上げた。それは評価される。だが、まだ立ち上げた段階だ。ここからもう一歩も二歩も努力をし、社会や政治の仕組みに突き当たって悩み、それを乗り越えるすべを自分で開発し、輪を広げてほしい。
同じように「旅と共に」を書いた伊藤さんは中学のときに英国に留学し、国連も訪れて世界の問題を考えた。高校ではカナダに行って経済や差別の問題も考えた。こんどは英国で開かれる若者のサミットに参加するという。それ自体は素晴らしいことだが、あくまで周囲で用意された活動への「参加」であって、自分自身から発した行動とまでは呼べない。
二人ともまだ17歳の高校生だ。これからの発展が期待できる。その努力が認められたときに、世界一周の船旅の夢は手に入るだろう。
今回、最終選考に残った作品6本がすべて女性だった。男はどこへ行った、と心配になる。この傾向は以前からのものだったが、女性の方がチャレンジ精神が強い、反映のようだ。それぞれ、海外旅行の体験、そこで学んだことを突き詰めて考えようとしているのだが、総花的で、平面的だ。旅は自分を変え、旅によって変わった自分を捉えかえして、あらたなこと、社会に参加し、社会を変えることに向き合う。そのプロセスが他人に感動と影響を与える。
田畑有紀子さん「世界中が平和になった日」は、16歳で韓国の西大門刑務所を訪問し、日本が韓国を植民地にした犯罪を学んだ。それは本人の人生に大きな影響力を与える、と思う。これからの報告を読みたい。
山本花采さん「私は今日も生きていく」は、フイリピンでボランティア運動の参加した記録で貴重で、奮闘した様子が感じられた。さて、これからはじまる、と言う地点だ。
細木真歩さん「『hello』は『こんにちは』ではない」は、相手の立場にたって考え、共感する、と言う精神を学んだ記録で、説得力がある。これもここからはじまる出発点としての記録だ。期待したい。
小野桃果さん「平和のとりで」は、世界遺産について、自分の言葉で語りはじめたところで終っているのだが、それまでの経験が、これから花ひらく可能性を感じさせる。
井戸静香さん「豊かさとはなにか」は、ブータン育ちという貴重な体験からか、自然のなかでの感性あふるる視点が魅力的だ。防災ボランティア運動をはじめたようで、これまでの経験が独自の運動をつくりだす。この苦闘が感じられて頼もしい。ここからはじまった経験を次に書いてくだされば、貴重なしごとになる。次回の応募を待望しています。
伊藤優花さん「旅と共に」は、子どもの頃から、旅に恵まれていてうらやましい報告です。海外では子どもたちの政治の話しをしていることを発見して、目を見開かせた、と率直だ。そういう体験が積み重ねられて、インターナショナル・スクールに入学する。早いうちから、世界を身近に感じられるのは、ひとより早いスタートを切れる。しかし、そこまでは与えられたチャンスであって、本当の旅はこれから。いままでに獲得した基礎が、どのような自己形成にむかうか。期待できる。人との出会いとは集団や場所のことではなく、個人との対話だ。ひととの出会いを大事にして、感動や尊敬や信頼のこころを養う。受け止める感性を研ぎすまして、これからもう一度、書いて送ってほしい。
今回はそれぞれのひとたちが、人生の大きな可能性の出発点にいることを感じさせた作品だった。願わくば、平面的な記述でなく、人間同士のふれあいと感動と発見を描いてほしい。ピースボートは運動体なので、この人たちの経験、視点、情熱とともにありたい。示唆に富む体験の記録を待望しています。
・伊藤千尋(ジャーナリスト)
エッセイ大賞は、ただ旅が好きな若者に無料で船旅を提供しよう…という甘いものではない。文章が上手な人に良く書けたご褒美として世界一周させてあげよう、というものでもない。旅をしていなくてもいい。文章が下手でもいい。必要なのは、平和な世界や共生の社会に向けての明確な意志を持ち、すでに何かしら社会に対する働きかけをした実績があることだ。難しいけれど、できないことではない。実際、過去の受賞者はそれに値することをしてきた。
今回の応募者には、大賞を設けた趣旨に文句なく該当する…という人が残念ながら見つからない。
学校の研修や親に連れられて海外に行った体験などが書かれているが、そこで何かに気づいた、あるいはそこから少し踏み出してみた、という段階だ。教わったことの範囲からさほど出ていない。これはスタートラインに過ぎない。得た知識をもとにさらに自分で考え研究し、自分一人で、あるいは友人を誘ってNGOなどを組織化する努力をし、具体的に国境を越えて世界に働きかけをし、かつ何らかの成果を得た…という段階に至って初めて審査の対象となる。その域に達していない。
そうした中でいくつか印象に残ったものはある。「平和のとりで」を書いた小野さんは、広島と沖縄をつなぐ世界遺産をキーワードに歴史を深く知ることで平和につながることを意識した。そこから世界遺産の検定に挑戦したが、それは小野さん個人の知識を増やす行為であって、社会に平和をもたらす行為に直結してはいない。
「剥き出しの生」を書いた山本さんのフィリピンでの体験は貴重だが、その意識も活動もまだ緒についたばかりだ。
ブータンで育ち親に連れられて世界各地を旅行した井戸さんは、稀な得難い経験をしたことから「豊かさとは何か」と考え始めた。そして高校2年生の時に災害復興のボランティア団体を立ち上げた。それは評価される。だが、まだ立ち上げた段階だ。ここからもう一歩も二歩も努力をし、社会や政治の仕組みに突き当たって悩み、それを乗り越えるすべを自分で開発し、輪を広げてほしい。
同じように「旅と共に」を書いた伊藤さんは中学のときに英国に留学し、国連も訪れて世界の問題を考えた。高校ではカナダに行って経済や差別の問題も考えた。こんどは英国で開かれる若者のサミットに参加するという。それ自体は素晴らしいことだが、あくまで周囲で用意された活動への「参加」であって、自分自身から発した行動とまでは呼べない。
二人ともまだ17歳の高校生だ。これからの発展が期待できる。その努力が認められたときに、世界一周の船旅の夢は手に入るだろう。