「知りたい」から「なくしたい」へ・森田幸子と「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」(Vol.1)

プロジェクト:地雷廃絶キャンペーン(P-MAC) 寄港地エリア:アジア
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「知りたい」から「なくしたい」へ・森田幸子と「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」(Vol.1)カンボジアで取材を受ける森田幸子
ピースボート地雷廃絶キャンペーン(P-MAC)は、これまで20年以上にわたって活動してきました。P-MACの活動の1つである「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」は、200万㎡以上の土地の地雷除去を支援し、大きな成果を上げています。その活動の中心メンバーである森田幸子が、これまでの歩みを振り返ります。1回目は、普通の高校生だった彼女が旅を通じてなぜ地雷問題に興味を持ち、キャンペーンに関わるようになったかについてお話しします。

※森田幸子は、長年の地雷廃絶活動での貢献が認められ、カンボジア政府から2014年に「カンボジア王国友好勲章」、2016年に「ソワタラ勲章」を受章しました。

地雷問題と出会う

「知りたい」から「なくしたい」へ・森田幸子と「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」(Vol.1)遺跡観光の合間に屋台でランチ(2000年)
高校生のとき、なんとなく見ていたテレビにカンボジアの世界遺産であるアンコールワットが出てきました。それが、カンボジアに興味を持ったきっかけでした。そして、大学生になってはじめてカンボジアに行きました。夏休みに友人と2人で、約2週間にわたってタイ、カンボジア、ベトナムとバックパッカーの旅行をしました。

2000年当時のカンボジアは、内戦の傷跡が色濃く残っていました。アンコールワットはシェムリアップという町にあります。今では、観光のために世界中から人々が訪れる大きな街になりましたが、元々は小さな田舎町でした。私が訪れた当時の街は、砂ぼこりが舞う道沿いに小さな建物が並び、夜になると屋台以外は真っ暗です。車はほとんど走っていません。観光客は、少数のバックパッカーくらいしかいませんでした。

アンコールワットは、壮大でした。あたりは大木が生い茂る森と青空だけ。静かにたたずむ巨大なアンコールワットの内部には、繊細なレリーフがそこかしこに施されています。人もほとんどいないので、ゆっくりと楽しむことができました。でも、遺跡には銃弾や砲撃のあとも残っていました。そして観光客を頼って、脚や腕がない人々が物乞いをしていました。遺跡や町の周辺には、地雷の危険性を知らせる看板が立っていました。

このころ、カンボジアでは1年に800人以上が地雷被害にあっていました。シェムリアップ周辺にもまだ地雷原がありました。これまでまったく知らなかった「地雷問題」をいきなり目の当たりにしました。とにかく地雷について知りたいと思い調べた時に、出会ったのがピースボートでした。

私は地雷問題に興味を持ってピースボートに巡りあい、関わるようになってから、この団体が客船をチャーターして地球一周していることを知りました。もっといろんな国に行きたいとか、船に乗りたいとは特に思っていなかったので、まさかピースボートと20年近くにわたる長い付き合いになるとは思ってもいませんでした。

カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン

「知りたい」から「なくしたい」へ・森田幸子と「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」(Vol.1)ボランティアスタッフによる街頭募金
ピースボートは、船旅でカンボジアや旧ユーゴスラビアなどを訪れ、深刻な地雷被害の状況を知ったことから、1998年に「ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MAC」を設立しました。以来、地雷廃絶をめざして地雷除去や被害者への支援、そして地雷問題を伝える活動を続けています。

中でもカンボジアの地雷除去を支援するための募金活動である「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」は、P-MAC立ち上げ時から続いているものです。これまで、カンボジアへの支援は20年以上にわたっています。

100円キャンペーンという名称は、カンボジアで1㎡の土地から地雷を除去するのに必要なコストが、平均100円だったことに由来しています。全国のピースボートセンターでは、ボランティアスタッフが街頭募金活動を行い、またこの活動に賛同する個人や学校など全国から寄付をいただくことで、カンボジアの地雷除去を支援してきました。

集まった募金はパートナーである地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」に渡し、地雷除去が行われています。その結果、プロジェクト開始から2020年末までの間に、東京ドーム約43個分となる2,015,337㎡の土地の地雷除去を支援し、394個の地雷と616個の不発弾が処理されました。また、地雷除去後の土地に4つの小学校も建設しています。

人びとの暮らしの中にある地雷原

「知りたい」から「なくしたい」へ・森田幸子と「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」(Vol.1)写真に写っているところは校舎も通路も含めすべて地雷原だった
私がP-MACの担当スタッフになった2002年、「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」の募金による、はじめての地雷除去が行われました。現場となったのはカンボジア西部ポーサット州にあるプテアルング村でした。私は、地雷除去が始まる前、CMACの案内で現場を視察し、地雷問題の深刻な状況を知ることとなりました。

プテアルングは小さな田舎の村で、ジャングルや田畑などが広がる緑の中にポツンぽつんと高床式の家が点在していました。車で走っていると、そんな家の前に赤いどくろの看板が立っているのを発見しました。地雷原のマークです。家が建てられている土地そのものが地雷原だったのです。

のどかな田舎の風景が続き、人々が普通に暮らしているだけに見えるその地面の下に、今も地雷が眠っていると知った時は大きなショックを受けました。村人たちは多くが貧しい生活を送っており、安全な土地に引っ越すお金もありません。地雷原であっても、そこに家を建て田畑を耕さないと生きていくことができません。私が地雷問題の深刻さを実感した瞬間でした。

そして、P-MACが地雷除去支援をする予定の場所には、草木が生い茂り、奥には小さな藁ぶきの建物が建っていました。プテアルング小学校です。この学校も地雷原に建てられていました。道路から建物までは10mほどですが、人ひとりが歩けるだけの細い通路以外は草木が生い茂り、どこに地雷があるかわかりません。子どもたちは、この地雷原の中にある小学校に毎日通っていました。「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」ではじめて支援したのが、この小学校の地雷除去と新しい校舎の建設でした。

その後、私たちが地雷除去を支援した他の村でも同様のケースが多くありました。地雷が埋まっている場所と人々の生活する場が重なっているのです。これはカンボジアの地雷問題の大きな特徴で、だからこそ戦後も多くの一般市民が地雷の被害にあっています。カンボジアではこの20年間で、わかっているだけでも8,802人が地雷被害にあい、これはアフガニスタン、コロンビアに次いで3番目に多い被害者数となっています。

コーケー村の小学校

「知りたい」から「なくしたい」へ・森田幸子と「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」(Vol.1)コーケー小学校で村長と校長とミーティング
P-MACが2005年から地雷除去支援をしている北部プレアヴィヘア州のコーケー村は、921~941年まで都が置かれた古都の村です。世界遺産であるアンコールワットなど多くの寺院が建設されカンボジアが繁栄を極めたアンコール時代にわずか20年ほど都となったため、コーケーは「幻の都」とも呼ばれています。

今でも多くの遺跡が残されていて、近年はガイドブックなどにも紹介されて観光客も増えています。そして内戦時代には多くの地雷が埋められた場所でもあります。

2005年、P-MACは地雷を除去して小学校を建設しました。コーケー村にはそれまで小学校がなかったため、これが戦後はじめて村にできた小学校です。その後も学校周辺や通学路となる道路、周辺のコーケー遺跡など、合計8か所の地雷除去を支援しました。そして、ピースボート地球一周の船旅の中で行なっているスタディツアーでも村を訪れ、人々と交流を続けてきました。

カンボジアで1975〜79年に政権を握ったポル・ポトは、学校教育を禁止し、教師や知識人を虐殺しました。そのため教育の復興は大きな課題で、さまざまなNGOが学校建設や教師の育成に力を入れています。ただ、地雷原の村にはそのような支援はなかなか届きません。安全な土地がない場所では支援活動をおこなうことができないからです。

コーケー村も小学校ができるまでは、外からの支援がなく、村人は「生活は内戦中とほとんど変わらない」と話していました。2005年に小学校ができたことは村の復興に大きな影響を与えました。安全な土地に小学校ができたことで、何年か後には、教育支援を行なっている現地NGOが教師育成や学校環境の整備、給食の提供、図書館運営などの活動をはじめました。ピースボートも文房具を届けたり、図書館運営や校舎の改修工事を支援するなど協力しています。

子どもが学ぶ権利

「知りたい」から「なくしたい」へ・森田幸子と「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」(Vol.1)ソック・リンさん
コーケー村に住んでいる大人たちは、内戦の影響で学校教育を受けることができませんでした。そのような状況のため教育の重要性を理解していない人も多く、子どもたちを卒業するまで小学校に通わせること自体が簡単ではありませんでした。農業が忙しい時期には学校を長期間休ませたり、読み書きができるようになればもう十分だと学校をやめさせてしまったり、驚いたのは、結婚をさせるために小学校をやめるということもありました。

2007年に小学校を訪れた時、ソック・リンさんに出会いました。彼は18歳ですが、この学校ができるまで勉強することができなかったので、小学校4年生として10歳くらいの子どもたちと一緒に学んでいました。彼は「勉強をして将来は医者になってコーケー村の人々を助けたい」と目を輝かせながら話してくれました。

でも数年後に学校を訪れると彼の姿はありませんでした。彼は農業を手伝うために、小学校を卒業することなく途中でやめていました。勉強できることを心から喜んで将来の夢を語ってくれた彼の笑顔は今でも覚えています。貧しい生活を送っている一家にとって、若い働き手は貴重な存在です。未来のために教育を受けさせることよりも、今働いて食料を得ることが優先されるのは当然なのかもしれません。

紛争が終わっても地雷があるために戦後復興が進まず、その影響を受けて子どもたちの学ぶ権利が奪われることに、怒りを感じます。この状況を一瞬で解決することはできませんが、私たちがCMACと共に地雷除去を進めることが、今後子どもたちが学び続けられることにつながると信じています。

そんな中、複数のNGOが教育環境を整えて支援を続けたことで、近年は小学校卒業後も、他の村にある中学校や高校へ進学する子どもたちも増え、少数ですが大学に進学する子どももいます。地雷除去は、人々が復興をスタートさせるためにまず最初に必要なことです。だからこそ、少しでも早く、より多くの場所で地雷除去を進めることが重要です。

2018年、コーケー遺跡のすぐ隣にある森の地雷除去を支援しました。遺跡には多くの観光客が訪れますが、つい最近まですぐ近くに地雷原がありました。またこの森は村人が農業や牛飼いなどで日常的に使っている場所でした。

地雷除去終了後にCMACの方と現場を視察しての帰り道、彼の携帯が鳴りました。それは、コーケー村の村長から「地雷除去した森のすぐ近くで新たな地雷を発見した」という報告でした。そしてその場所は、これまで地雷原とはされていなかった場所です。その後、CMACが調査をすることになりました。

このように、地雷除去が進んで安全が確認される一方で、地雷原とされていなかった場所で新たな地雷が発見されることもあります。埋められた地雷をすべてなくすことは本当に長い時間が必要で、果てしなく続くような気がしてしまいます。それでも1つひとつ探し出して取り除くという地道な作業を続けることでしか解決することができません。だから私たちも、これからも地道に継続して支援を続けることで、地雷をなくしていきたいと思います。

※次回は、カンボジアで出会った人々との交流を通して知った地雷被害の現実をお伝えします。
※地雷廃絶のための募金にご協力ください。「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」についての詳細は下の「この記事を読んだ方におすすめ」からご覧ください。

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