成長していった紛争地の若者たち - ヤスナ・バスティッチが語るピースボートと平和教育vol.3

成長していった紛争地の若者たち - ヤスナ・バスティッチが語るピースボートと平和教育vol.3ヤスナ・バスティッチ(右)。北アイルランドから乗船したインターナショナル・スチューデントとともに(第37回ピースボート)
ピースボートで平和教育に携わるスタッフの中には、過酷な戦場をくぐり抜けてきた人がいます。旧ユーゴスラビア出身のヤスナ・バスティッチです。1992年に始まった紛争は、彼女の住むサラエボの街を火の海にしました。包囲網から命がけで脱出したヤスナは、難民として逃れたスイスで人生の新たな一歩を踏み出します。そこでピースボートと出会った彼女は、故郷サラエボへのスタディツアーを実現させました。3回シリーズ企画の最終回は、ピースボートスタッフとして紛争地などの若者たちをコーディネートしてきたヤスナが、平和教育の場としてのピースボートの意義について語ります。

紛争地の若者たちの思いどう伝えるか

成長していった紛争地の若者たち - ヤスナ・バスティッチが語るピースボートと平和教育vol.3ヤスナがコーディネートしたインターナショナル・スチューデントたちからお礼のバナーをもらう(第35回ピースボート)
Q:紛争地から来た若者たちのプログラム(インターナショナル・スチューデント)でのコーディネーターでは、どのような点を重視していましたか?

ヤスナ:当たり前のことかもしれないけど、船に乗ってくる紛争地出身の若者たちはみんな、それぞれ自分の環境のことで頭がいっぱいです。自分と自分が抱える問題、自分がいる国や紛争のことがすべてになっている。

でも船には、紛争地のことなどほとんど知らない人も乗っています。自分の物語や紛争について大勢の人に語る機会ができることで、自分たちだけの間で通じる言葉や、細かい地名などの固有名詞を使っても、他の人たちには伝わらないことに気づくようになります。私はコーディネーターとして、みんなにわかるように説明してみようと話をするよう心がけました。

ピースボート参加者向けの講座では、「何それ?」「どこ?」「誰?」という質問が続きます。そういう人たちに伝えるためには、自分の周りのことに若干の距離を置いて、感情をコントロールすることが大切です。

歴史的な出来事や政治的な決定、さらに最近の選挙のことなど、客観的に何が起きているのか、どんな解決方法があるのかを丁寧に伝えていけば、理解してもらうこともできるようになります。

船で、他の地域の紛争地から来た若者たちと出会うことも重要です。自分と自分の国が世界の中心ではないし、他の地域にも紛争があることに気づくようになります。また、日本のような安全な国があることも。

他の視点を持つさまざまな人たちと話すことによって、自分の考えの中に新しいスペースが生まれ、そこで自分の国や紛争について客観的に考えることができるようになります。解決方法は何かを考えられるようになるし、解決方法があるのではないかと希望が持てるようになるのです。

それから、何気に大きかったのは船内の堅苦しくない雰囲気です。みんなでTシャツとゆるいズボンかなにかで、床に輪になって座りという環境がよかったと思います。
若者たちは実にいろいろなところから来ていました。

紛争地だけでも、旧ユーゴスラビア、イスラエル・パレスチナだけでなく、コロンビア、北アイルランド、インド・パキスタン、中国・台湾などです。

さらに日本でも被爆3世の若者や、基地問題を抱えている沖縄の人だったりと多様な背景を抱える人たちが集まりました。

皆がお互いに話そうとする姿勢、聞こうとする姿勢、サポートしようとする姿勢を大切にしました。そうした話し合いをインフォーマルな形で行うことが、心に響き、モチベーションも上がりました。

理解するまで待つ大切さ

成長していった紛争地の若者たち - ヤスナ・バスティッチが語るピースボートと平和教育vol.3かつてヤスナのコーディネートの下、ボスニアから乗船した学生。その後、地域のNGO代表として活躍し、ピースボートのツアーの受け入れを務めてくれた。
Q:コーディネーターとしてどのようなことを学びましたか?

忍耐力が必要だということに気がつきました。物事を理解するということは、何かを決断することとは違います。一晩で理解できるようになることはないのです。私自身もそうですが、船にいると新しいことが次々と出てくるので、理解するのには時間と労力がかかります。

今の私にとって理解できることが、乗船してくる紛争地からの若者にとってそうとは限りません。気づいてもらうまで時間がかかるので、それを待つのに忍耐力を持たなければならないことを学びました。

Q:ヤスナさん自身も、最初に船に乗った時に同じような経験をしています。だからこそ彼らの気持ちがより理解できるのでしょうか?

ヤスナ:まさにそうでうね。若者は感情のエネルギーがとても強いので、そこに難しさがあります。例えば、パレスチナ人とイスラエル人が出会う時、お互いに不信感を持っているので、その感情はとても強いものになります。その感情をどうやって扱って橋渡しをするのかは、とても難しいことです。

最も感動的だったのは、イスラエルとパレスチナから最初に乗った若者たちの話です(第33回ピースボート)。最初は握手も目を合わせることもなかったのに、下船するころには強い絆があって、その後一緒にプロジェクトをするようになったのだから。

Q:過去に乗船したメンバーとはその後も連絡を取り合っていますか?

何人かはずっと連絡を取り続けて、それぞれ大人になり家庭を持つようになっています。コメントを求めると、何年も経っているのに参加した時のことを情熱的に語ってくれるし、人生を変えるようなとても深い経験だったと言ってくれる。

船の経験が後のキャリアにもつながっていて、国際機関やNGOなどで働いている人も多いんです。例えば、セルビアから乗船した初めての国際学生は、今は外務省の大使になっています。

ナチスの過去と向き合い続けるドイツの若者たち

成長していった紛争地の若者たち - ヤスナ・バスティッチが語るピースボートと平和教育vol.3洋上でプレゼンを行うチュービンゲン大学の学生たち(第102回ピースボート)
Q:ヤスナさんの努力で、提携が始まったドイツのチュービンゲン大学とのプログラムについて教えてください。

ヤスナ:チュービンゲン大学は、特に社会政治学の分野では世界でも有数の素晴らしい大学です。この大学と提携できたことは、双方に価値あるプログラムになっています。乗船する学生たちは、平和研究と国際関係を研究する25歳前後の大学院生で、大学のカリキュラムの一部として船に乗船し、単位を取得することができます。

船上のプログラムで最大のものは、学生による発表です。学生は数ヶ月をかけて内容を事前準備し、船でリハーサルをして発表します。その後、ピースボート参加者とワークショップをするといった流れです。

テーマは「過去と向き合う」こと。ナチスによるホロコーストを受けて、戦後のドイツがどのようにその過去と向き合ったのかという内容になります。

毎回このテーマなので、私はコーディネートをしている教授に、「今回は他のテーマでもいいのではないか?」と尋ねたことがあります。でも必ずこのテーマで準備しなければならないと言うのです。それくらい、ドイツ人にとってこのテーマが重要であるということを意味しています。

興味深いのは、ドイツの学生が扱っている過去と、同じ時期に侵略の歴史を持っている日本の過去が交わるときです。ドイツの学生たちは、ドイツと日本の類似点と相違点について比較します。また日本人参加者が中心の地球大学生ともディスカッションを行います。

ドイツの学生も日本の人も、心を開いて考えや感じたことなどを率直に共有します。ドイツの学生にとって、アジアなど他の地域で何が起こったか、また戦後どのようなことがされてきたかを学ぶのは刺激になります。

そして日本の人は、戦後のドイツがしてきた歴史との向き合い方や、日本がほとんどしてこなかった事実を学ぶことができます。

それから、チュービンゲン大学の学生がいる時には、多くの場合でポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所へのツアーを実施してきました。ツアーから帰ってきて、チュービンゲンの学生とツアー参加者とが話をすることになっています。

それは、とても有意義な議論になります。ときには感情的になることもありますが、誠実に、相手を尊重しつつ、あるべき形できちんと話せば、どのようなトピックでも話すことができるようになるのです。

日本とドイツの戦後補償の差

成長していった紛争地の若者たち - ヤスナ・バスティッチが語るピースボートと平和教育vol.3チュービンゲン大学の学生(第102回ピースボート)
Q:ドイツと異なり、日本では戦争の過去についてそれほど深く学んでいません。チュービンゲン大学の学生が、日本人の過去との向き合い方について知ったときどのように反応するのでしょうか?

ヤスナ:ドイツ人にとって、ナチスの歴史はとても重く、いつまでも背負っていかなければならない過去になっています。そのため、ドイツは戦後の補償をいつまでやっても十分ではない、きちんと話し続けても十分ではないという考えを持っています。

ところが船上で日本の歴史や日本政府が戦後してきたこと、あるいはどれだけしてこなかったかについて知り、驚愕します。また、日本の若い世代が学校などで戦争や加害の事実についてほとんど習っていないことも驚きます。

ドイツでは、小学校から毎日のようにナチスについて学ばされるので、日本の歴史との向き合い方に「どうして?」と理解に苦しむようです。そこで、「ドイツが戦後してきた謝罪や補償などは全然足りない」と思っていたけれど、「そこまで悪くないのかもしれない」と感じる学生もいます。

私は、チュービゲンの学生にいつもこのようなことを聞きます。「確かにナチスの残虐行為はひどいことだけど、戦後こんなに過去に向き合い、和解をしようとしてきた国は他にない。その後のことは誇りに思ってもいいのではないか?」と。

当初、学生たちは「何も誇りに思えるようなことはない」と答えます。でも日本について学び、日本人と話すことで、ドイツはそれなりにきちんとやってきたのではないかと思えるようになるのです。

船を出すことで平和をつくる旅

成長していった紛争地の若者たち - ヤスナ・バスティッチが語るピースボートと平和教育vol.3イランから乗船したインターナショナル・スチューデントと学ぶ地球大学生(第80回ピースボート)
Q:いま、コロナの問題もあり、ピースボートは船を出せずにいます。「平和教育の場」としてのピースボートには、どのような意義があると思いますか?

3ヶ月間を通して、水平線を眺め、いろいろな人と出会い、寄港地をめぐる中で、参加者だけでなく水案やスタッフ自身もみんな学び続けています。

短い時間なのに、世界中のこと、例えば気候変動だったり、国連、貧困、軍縮、核兵器といった大きな問題から、それぞれの地域で起きていることまで、幅広く学ぶことができます。そして、物理的にも多様な場所を実際に訪れることで、さまざまな気づきがあります。

よく言われるのは、「船に乗ったあと、乗る前と同じ人ではいられない」という言葉です。大切なのは、本当に自分が経験すると言うこと。自分で実際にやって体感することは、インスタやYoutubeとは違う。

ものすごく詰まった体験だけど自分自身で何をするか選ぶことができるから、詰め込みすぎというわけでもありません。その体験を通じて、新たなアイデアや気づきを得ることができます。

私も世界中で幅広い団体や人々、プロジェクトと出会ってきたけれど、こんなふうに学び、人と会い、様々なトピックと出会うことができるのは、ピースボート以外にはできないと思っています。ピースボートは、船を出すことで平和をつくることが可能だと証明して見せているのです。

さらに国際的には、ピースボートが日本にルーツのある団体であることも重要です。日本には平和憲法もあるし、過去の戦争の体験、特に広島・長崎への原爆投下という悲劇の歴史もあります。

ピースボートの代表が、国連や国際会議に行った時に、日本から来ていることで、リスペクトされることが度々ありました。それは日本が平和な国であり、平和を大事にしてきたという印象があるからです。私の目にはそれは重要な要素だと映っています。

いまはコロナで大変な状況ですが、ピースボートがまた船を出せるようになればと願っています。

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