オーストラリア5寄港地で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とワークショップを行いました

プロジェクト:核廃絶 寄港地エリア:太平洋 クルーズ: 第103回 オセアニア一周の船旅
オーストラリア5寄港地で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とワークショップを行いましたシドニーのワークショップに集まった参加者
第103回ピースボート「オセアニア一周クルーズ」のオーストラリア区間で、ICANオーストラリアと協力し、船上で複数のワークショップを開催しました。フリーマントル、アデレード、メルボルン、シドニー、ホバートの5つの港(2020年1月9日~1月24日)では、現地の議員や教師、学生やNGOスタッフがワークショップを通して、核なき社会を創っていくために自分たちができることを考えました。さらに水先案内人の方々から、太平洋とオーストラリアでの核実験被害、ウラン採掘、放射性廃棄物などの問題を学びました。

オーストラリアの人々と語ったICANのこれから

オーストラリア5寄港地で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とワークショップを行いましたICANオーストラリアに参加する赤十字国際委員会のスタッフ
ICANは、2007年にオーストラリアで誕生し、現在は世界各地の500以上の団体が連なるネットワークです。オーストラリア国内では、ICANオーストラリアとして諸団体が連携して活動する拠点となっています。

5つの寄港地で開催された船上ワークショップは、地元議員、学校の先生、州議会議員、そして活動家や学生など、主にオーストラリアの人々を対象に実施しました。

内容としては、核兵器やICANをめぐる最近の動き、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約への署名・批准の動向、オーストラリアの核実験被害者からの証言、ビキニ水爆実験の被爆写真展などを行いました。

ICAN創設者の1人であるデイブ・スウィーニーさんは、今回寄港する5つの都市全てが参加しているICANシティー・アピール(自治体が自国政府に核兵器禁止条約への参加を呼びかけるもの)を紹介しました。そして、この条約を発効させるために、1人1人の行動の必要性を呼びかけました。

シドニーで担当したジェム・ロムルドさん(ICANオーストラリア広報)は、参加者を小さなグループに分けて、オーストラリア政府や自分の住む市町村にどのように働きかけるかについて意見交換をしました。

どのグループからも、若者の参加を促進すること、気候変動の問題と関連させて考えることの重要性が指摘されました。
また、赤十字国際委員会や核兵器産業への投資をなくす取り組みからの報告を聞く機会もありました。

参加者に強い印象を与えたのが、核実験やウラン採掘による被害を受けている先住民による証言でした。実際に自分の家族や集落が経験したこと、今でも放射能の影響に苦しんでいることなどを訴え、会場の人々は聞き入りました。

また、平和資料館「草の家」の岡村啓佐さんによる、米国の太平洋上の核実験による被害を受けた高知県の漁師の話は、オーストラリアの参加者にとっては新しい情報となりました。

ウラン採掘から廃棄物の処理までつながる核のサイクル

オーストラリア5寄港地で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とワークショップを行いましたICANの創設者の1人、デイブ・スウィーニーさん
ICAN創設者の1人であるデイヴ・スウィーニーさんは、オーストラリアの抱える核関連の課題について話しました。核のサイクルは、ウラン採掘に始まり、核実験、核廃棄物の処理まで全てつながっています。

オーストラリアで世界の3分の1の核廃棄物を受け入れる処分場の計画があり、その対象地は先住民の土地になっています。デイブさんは、核のサイクル全ての段階で被害にあっているのは先住民であり、被害に苦しみながらも反対運動を続けていることを訴えました。

そんなデイブさんは、2019年11月に日本を訪れ、長崎と広島で被爆者とも面会したローマ教皇について話しました。世界のカトリック教徒を束ねるローマ教皇が「核兵器を作ることも保持することも、天に対する絶え間のないテロ行為である」と発言したことを紹介しました。

新しい核難民が誕生する可能性

オーストラリア5寄港地で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とワークショップを行いました先住民のデビー・カルモディーさんとアート作品
1952年から1963年にかけて、イギリス政府は、南オーストラリア州内陸部と西オーストラリア州沖で12回の大規模な核実験を実施しました。その作戦には、オーストラリア政府も積極的に参加していました。

核実験の被害について話したのは、ウラン採掘反対活動家で、オーストラリア西部の砂漠に住む先住民のデビー・カルモディーさんです。デビーさんたちアナング・スピニフェックス族は、これらの核実験によって先祖代々暮らしてきた土地からの移動を余儀なくされました。

多くの人は病気になり、死んだカラスが空から落ち、ウサギは熱で焼け焦げたと言います。さらにそのウサギの肉を食べ、水を飲んだ人々は死んでいきました。

デビーさんたちは、政府に粘り強く抗議し、核実験に対する補償金を受け取り、1980年代に故郷に戻る道をつくりました。空き地となったところに学校、病院、女性センターなどを建てました。

また、人類学者を雇い、この土地に対する所有権を主張。絵画で表現をして、世界に訴えかけました。努力の結果、先住民の土地所有権が認められました。

様々な困難を経験してきたデビーさんは、このように話を締めくくりました。「核実験により私たちの民族は難民になりました。これからも、新しい核による難民が誕生する可能性があります。また、気候変動による環境難民も増えています。そのことを忘れないでください」。

核実験による放射能汚染はオーストラリア大陸のほぼ全域に

オーストラリア5寄港地で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とワークショップを行いましたオーストラリア全土に広がった核被害を説明するスー・コールマンさん
南オーストラリア西海岸の先住民、コカタ族のスー・コールマン・ハセルダインさんは、1950年代に核実験が行われていた時代に生まれ、育ちました。これまで核兵器や放射能廃棄物、有害鉱物の採掘や人権侵害に反対してきました。

イギリス政府により、「不毛の地」と呼ばれた先住民たちの土地で行われた核実験は、広範囲の地域を汚染させました。彼女の村も、その一つでした。

実験当初から数十年にわたり、政府は健康への危険性を否定、無視し、隠蔽してきました。しかし、核実験による放射能汚染は、最終的には、オーストラリア大陸のほぼ全域で検出されるまでになりました。

南オーストラリアでは、ウラン採掘が続けられています。そしてそのウランは、大事故を起こした福島第一原発でも使用されていました。スーさんの言葉は、聴衆の心に刺さりました。

「ウランは地中に置いておくべきであって、決してそれを掘り出すべきではありませんでした。ウラン採掘で土地を奪われた先住民は、自分の土地に戻ることができていません。

その上、ウランから発生する放射性廃棄物の処理場を、また先住民の土地に設置しようとする政治的な動きに脅かされています。ウラン採掘は、自国民を汚染で苦しめているだけでありません。福島の原発事故により、日本の人々も大変な思いをしているのです。」

核兵器禁止条約は、核実験被災者の救済にもなる

オーストラリア5寄港地で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とワークショップを行いました岡村啓佐さんが撮影した、ビキニ環礁沖で被爆した漁師の写真展
高知市で、平和資料館「草の家」の副館長を勤める岡村啓佐さん。岡村さんの伯父さんは、広島に軍属として配属され、広島駅の北にある二葉山に壕を掘りました。原爆投下後に、この壕に逃げ込んだ143名の名簿を作成し残していました。

伯父さんは、生涯を通じて核兵器廃絶と原爆被爆者の支援に取り組みました。岡村さんは、伯父さんとともに支援の手伝いをするうちに、原爆に対する関心が高まりました。

そして、のちに太平洋・ビキニ環礁での水爆実験で被爆した元船員ら約50人の写真集を、自費出版するまでに至ります。写真集は、米国が続けたビキニ環礁での水爆実験による放射性降下物「死の灰」と、第五福竜丸以外にも無数のマグロ漁船員が被爆したことを示しました。

岡村さんは「核と人間は共存できないことを認識すべき。歴史から学び、想像する力、権力による嘘を見破ること、そして自分にできることを意識的にやっていくことが大事」と力強く訴えました。

そして「核兵器禁止条約が発効されれば、ビキニ水爆実験によるマグロ漁船員だけでなく、周辺国、オーストラリアや世界の核実験による被災者の救済の道が開かれます」と参加した人々を力づけました。

ICANオーストラリアに関わり、元国会議員のロバート・ティックナーさんは、今回のワークショップを「核兵器のない世界を目指す上で革新的な取り組みで、人々を動かすモデルケースとなりうる」と評価しました。

オーストラリアと日本は、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約にまだ署名していません。被爆から75年を迎える今年、両国の市民が政府の条約署名につなげられるよう、意識を高めるよい機会となりました。

ピースボートとICANは、今後も連携しながら核のない世界に向けて行動を続けていきます。

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