国境を越えて市民が交流したこの夏のアジアの船旅 ~第9回日韓クルーズ報告
日韓両国から参加者が集まり、ともにアジアを旅したピースボートの日韓クルーズ「PEACE & GREEN BOAT2016」。各寄港地で学び、参加者と交流した体験を紹介します。
- プロジェクト: PEACE&GREEN BOAT
- 寄港地エリア: アジア
- クルーズ: ピースボート日韓クルーズ PEACE&GREEN BOAT 2015
- 関連キーワード: エネルギー / 女性 / 子ども / 歴史 / 環境・エコ
船
2017.1.17
2020.9.15
日韓両国から参加者が集まり、ともにアジアを旅したピースボートの日韓クルーズ「PEACE & GREEN BOAT2016」。各寄港地で学び、参加者と交流した体験を紹介します。
南京大虐殺記念館で過去の事実と向き合う
過去、日中戦争で南京を占領した日本軍により数十万人ともいわれる人々が南京で殺されました。今回、中国の南京大虐殺記念館を訪れ、辛くも生き延びた方の証言を聞き、事実を正面から見つめました。
記念館では、南京大虐殺の生存者である92歳のツェン・ホングイさんから当時の証言を聞きました。チェン・ホングイさんは当時の様子を「1937年12月に日本軍が南京城を侵略し、家に火をつけ多くの中国人を殺害した。その中でも中国の兵士だと疑われた人は川で銃殺され、その死体は川に流されていった」と語りました。
そして最後に、「このことを次世代も忘れてはいけない。日中が永遠に友好関係を築いていけるよう願っています」という言葉を私たちに投げかけました。
記念館では、南京大虐殺の生存者である92歳のツェン・ホングイさんから当時の証言を聞きました。チェン・ホングイさんは当時の様子を「1937年12月に日本軍が南京城を侵略し、家に火をつけ多くの中国人を殺害した。その中でも中国の兵士だと疑われた人は川で銃殺され、その死体は川に流されていった」と語りました。
そして最後に、「このことを次世代も忘れてはいけない。日中が永遠に友好関係を築いていけるよう願っています」という言葉を私たちに投げかけました。
ハンセン病とともに
歌手の沢知恵さんはこれまで瀬戸内の国立療養所大島青松園を訪問するなど、ハンセン病の方々とともに歩んできました。今回これまでの交流についてお話を聞きました。
沢さんはまず「かかわらなければ この愛しさを知るすべはなかった」から始まる詩を紹介しました。この詩は大島青松園で過ごしていた詩人の故塔和子さんが作られたものです。沢さんは塔さんと交流する中で、塔さんがハンセン病として隔離される中、誰ともかかわりのなくなった療養所からかかわりを求めて詩を発表していたことを紹介しました。
沢さんは2001年から毎年大島青松園でコンサートを開いており、島外からも多くの人が参加し交流する大きな機会となっています。そして塔さんの詩は今も沢さんの歌声とともに生き続けています。
沢さんはまず「かかわらなければ この愛しさを知るすべはなかった」から始まる詩を紹介しました。この詩は大島青松園で過ごしていた詩人の故塔和子さんが作られたものです。沢さんは塔さんと交流する中で、塔さんがハンセン病として隔離される中、誰ともかかわりのなくなった療養所からかかわりを求めて詩を発表していたことを紹介しました。
沢さんは2001年から毎年大島青松園でコンサートを開いており、島外からも多くの人が参加し交流する大きな機会となっています。そして塔さんの詩は今も沢さんの歌声とともに生き続けています。
民主主義とこれから目指す社会
2015年の夏、60年安保闘争以来といわれる多くの人々が国会を取り囲みました。この中で、特に若い世代の声が注目を浴びました。この企画では、そのようなうねりを作ってきた日韓同世代の若者からこれから目指す社会について語ってもらいました。
SEALDs関西メンバーの寺田ともかさんは「その人の能力、生産性があるような人が優先される社会から、みんなが当事者として考えられ、生きていく価値があるということを保障していく社会になれば」と話しました。また韓国の学生チョ・ヘミンさんは「社会の弱者になったとしても、自分を肯定できるようなことをしたい」と語りました。
最後にSEALDs創立メンバーの奥田愛基さんは「大人が政治だと思わないところ、個人的な問題を上の人が政治として扱ってくれない。それは個人的な体験から始まっていかないといけない」と語りました。
SEALDs関西メンバーの寺田ともかさんは「その人の能力、生産性があるような人が優先される社会から、みんなが当事者として考えられ、生きていく価値があるということを保障していく社会になれば」と話しました。また韓国の学生チョ・ヘミンさんは「社会の弱者になったとしても、自分を肯定できるようなことをしたい」と語りました。
最後にSEALDs創立メンバーの奥田愛基さんは「大人が政治だと思わないところ、個人的な問題を上の人が政治として扱ってくれない。それは個人的な体験から始まっていかないといけない」と語りました。
21世紀海のシルクロードを目指して
外交、国際経済、国際法に携わる人材を育成する中国外交学院とピースボートが協力し、アジア地域の協力関係のあり方について話し合う洋上会議「21世紀海のシルクロード」が開催されました。
この会議には、日本、中国、韓国のほかカンボジア、スリランカ、タイ、ベトナムなどアジア全域から著名な大学教授や政府高官を務めた有識者などの専門家約20名が参加し、海でつながるアジアの国々が、領土問題やナショナリズムを乗り越え、どのように平和的な協力・共存関係を築いていけるのかについて討論しました。
寄港地では8月1日には上海国際問題研究所で専門家フォーラムを開き、8月3日に那覇ではひめゆりの塔・平和記念資料館などを訪問、8月5日には長崎大学を訪問し松坂誠應副学長や同大学の核兵器廃絶研究センター(RECNA)の教授らと意見交換をしました。これらは、PEACE&GREEN BOATが目指す東アジア平和共同体の形成にもつながる取り組みとなりました。
この会議には、日本、中国、韓国のほかカンボジア、スリランカ、タイ、ベトナムなどアジア全域から著名な大学教授や政府高官を務めた有識者などの専門家約20名が参加し、海でつながるアジアの国々が、領土問題やナショナリズムを乗り越え、どのように平和的な協力・共存関係を築いていけるのかについて討論しました。
寄港地では8月1日には上海国際問題研究所で専門家フォーラムを開き、8月3日に那覇ではひめゆりの塔・平和記念資料館などを訪問、8月5日には長崎大学を訪問し松坂誠應副学長や同大学の核兵器廃絶研究センター(RECNA)の教授らと意見交換をしました。これらは、PEACE&GREEN BOATが目指す東アジア平和共同体の形成にもつながる取り組みとなりました。
国を越えた子どもたちの交流
今回のクルーズには日本、韓国、ブラジルなどから子どもたちが乗船し、交流しました。
交流イベントの1つでは、韓国の学校の先生が講師となり、子どもたち自身が身近にある環境問題を考えるとともに、一人ひとりが解決へと向かう方法を提案、共有しました。
また、イベント以外では互いの言葉がわからなくてもジェスチャーや船内での日頃の挨拶を通して、国を越えた交流が行われました。
交流イベントの1つでは、韓国の学校の先生が講師となり、子どもたち自身が身近にある環境問題を考えるとともに、一人ひとりが解決へと向かう方法を提案、共有しました。
また、イベント以外では互いの言葉がわからなくてもジェスチャーや船内での日頃の挨拶を通して、国を越えた交流が行われました。