女性たちが笑顔で働ける環境を-インド、コーチン
ここでは、第87回ピースボートで訪れたインド(コーチン)での交流プログラムの様子をお伝えします。
- 寄港地エリア: アジア
- クルーズ: 第87回 地球一周の船旅
- 関連キーワード: 女性 / 貧困問題
船
2015.9.12
2020.9.15
ここでは、第87回ピースボートで訪れたインド(コーチン)での交流プログラムの様子をお伝えします。
過酷な労働環境を変えるために
エアコンも休憩もない中、毎朝5時から11時間働いて賃金はたったの2ドル。12億以上もの人口を抱えるインドでは、こうした過酷な環境で労働に従事する人が少なくありません。そんな中、女性たちが「自分たちの労働環境はすばらしい」と言って働く施設があります。
インド南部のケーララ州、コーチンにあるヴィマラ社会福祉センター(以下ヴィマラセンター)です。ヴィマラセンターは、社会の隅に追いやられていた女性たちの基本的な生活を支えるため、修道院が母体となって1961年に設立された組織です。
インドの最南端にあるケーララ州は、インド全土の中では経済的に豊かな地域です。そのため、1960年代当時から近隣の州から家族で出稼ぎに来る人たちが増えました。コーチンも港湾労働者の町として賑わうことになります。
一方で、出稼ぎに来た人々の賃金の安く、ケーララ語を話すことができない彼らは差別の対象にもなってきました。かといって地元に帰る事もできず、次第にホームレスになるような人も増えたことで、社会問題化するようになります。現在、ヴィマラセンターで働く女性たちのほとんども、ケーララの外から来た出稼ぎ労働者の女性たちです。ここを訪れたピースボート参加者たちは、彼女たちが活き活きと働く姿とその理由に触れることができました。
インド南部のケーララ州、コーチンにあるヴィマラ社会福祉センター(以下ヴィマラセンター)です。ヴィマラセンターは、社会の隅に追いやられていた女性たちの基本的な生活を支えるため、修道院が母体となって1961年に設立された組織です。
インドの最南端にあるケーララ州は、インド全土の中では経済的に豊かな地域です。そのため、1960年代当時から近隣の州から家族で出稼ぎに来る人たちが増えました。コーチンも港湾労働者の町として賑わうことになります。
一方で、出稼ぎに来た人々の賃金の安く、ケーララ語を話すことができない彼らは差別の対象にもなってきました。かといって地元に帰る事もできず、次第にホームレスになるような人も増えたことで、社会問題化するようになります。現在、ヴィマラセンターで働く女性たちのほとんども、ケーララの外から来た出稼ぎ労働者の女性たちです。ここを訪れたピースボート参加者たちは、彼女たちが活き活きと働く姿とその理由に触れることができました。
女性たちの生活を支えるシスターの存在
案内してくれたのは、ここで15年働く修道女である施設長のイレツ・ジョージさんです。「私たちの施設は年齢、カースト、宗教を問わず、助けを必要とする方ならどんな女性も受け入れています。仕事もなく、将来への展望も希望もないような貧困状態にある女性に手を差しのべることが施設の目的です」。
イレツさんのように、修道院で活動しているシスターはおよそ15人。彼女たちは、ヴィマラにある複合施設の管理・運営と周辺に住む女性の生活環境改善に取り組んでいます。ヴィマラセンターでは、製品を作る工房の他にも、老人介護、保育所、恵まれない女子学生のための宿泊つき助成教育コース、女の子の孤児院、そして自殺防止プログラムなどさまざまな取り組みを実践しています。
また、ケーララ語を教えるコースもあります。またシスターたちは、働く女性たちの経済的問題だけでなく、精神的な相談にものっています。シスターは家庭を訪問し状況を把握したうえで改善策の提案をすることで、女性たちの悩みを軽くしています。
イレツさんのように、修道院で活動しているシスターはおよそ15人。彼女たちは、ヴィマラにある複合施設の管理・運営と周辺に住む女性の生活環境改善に取り組んでいます。ヴィマラセンターでは、製品を作る工房の他にも、老人介護、保育所、恵まれない女子学生のための宿泊つき助成教育コース、女の子の孤児院、そして自殺防止プログラムなどさまざまな取り組みを実践しています。
また、ケーララ語を教えるコースもあります。またシスターたちは、働く女性たちの経済的問題だけでなく、精神的な相談にものっています。シスターは家庭を訪問し状況を把握したうえで改善策の提案をすることで、女性たちの悩みを軽くしています。
「ここは私の第二の家庭」
仕事と職業訓練を兼ねた工房は裁縫部門と 繊維部門に分かれていて、前者は子ども服や刺繍製品を作り、後者はバナナの幹から抽出された繊維やヤシの繊維を染色したバッグやコースター、雑貨などを作っています。全て手作業で1つ1つ丹念に作り込まれています。
女性たちはセンターに通うことで、手に職をつけられることに加え、家に閉じこもりぎみな女性が外出する機会となり、仲間たちとのコミュニケーションの場になっています。イレツさんは言います。「彼女たちの多くは一人で家族を養っています。このセンターで受ける支援や教育は生活に不可欠なものになっています」。
ヴィマラセンターでは、女性たちは自分の能力に合わせて技能を習得することができます。女性たちはセンターの徒歩圏内に住み、就労時間は家族の状況や条件により考慮されています。賃金は州の平均賃金を上回り、さらに毎年昇給があります。現時点で約150人が働いていて、この54年間で6000人以上もの女性がこの施設で働いてきました。
こうした条件や環境の良さから、女性たちの多くは長年働いています。13歳の時に初めてやってきて以来、43年間もここで働くウシュア・ムケシさんは言います。「よそでは名前の代わりに番号を与えられ、人は機械のように扱われています。でもここでは技量が大切にされています。私たちは信頼と尊敬の上に、人と人との関係を築いています。ここで働くことで本当に人生が変えることができるんです」。
モリー・ポラクラスさんも、ここで40年以上働いています。彼女は「私たちはみんなここで働くのが大好きなの。仕事場は第二の家庭のようなものなんです」と言いました。
女性たちはセンターに通うことで、手に職をつけられることに加え、家に閉じこもりぎみな女性が外出する機会となり、仲間たちとのコミュニケーションの場になっています。イレツさんは言います。「彼女たちの多くは一人で家族を養っています。このセンターで受ける支援や教育は生活に不可欠なものになっています」。
ヴィマラセンターでは、女性たちは自分の能力に合わせて技能を習得することができます。女性たちはセンターの徒歩圏内に住み、就労時間は家族の状況や条件により考慮されています。賃金は州の平均賃金を上回り、さらに毎年昇給があります。現時点で約150人が働いていて、この54年間で6000人以上もの女性がこの施設で働いてきました。
こうした条件や環境の良さから、女性たちの多くは長年働いています。13歳の時に初めてやってきて以来、43年間もここで働くウシュア・ムケシさんは言います。「よそでは名前の代わりに番号を与えられ、人は機械のように扱われています。でもここでは技量が大切にされています。私たちは信頼と尊敬の上に、人と人との関係を築いています。ここで働くことで本当に人生が変えることができるんです」。
モリー・ポラクラスさんも、ここで40年以上働いています。彼女は「私たちはみんなここで働くのが大好きなの。仕事場は第二の家庭のようなものなんです」と言いました。
「インドの労働環境のイメージが変わった」
ピースボートの参加者は、女性たちが財布や鞄、マットなどの製品を作る様子を見学。日本の参加者からは歌と南京玉簾を披露しました。そして今度はインドの女性たちが歌や踊りを披露し、そのインド古典舞踊を教えてくれました。
自身も織物をするというピースボートの参加者の女性は「仕事をしている様子を見学するのが興味深かったです。インドの過酷な労働環境のイメージとはかけ離れた、良い環境で働いているのが驚きました」と語りました。
一日の締めくくりは美味しい食事。インドとピースボート、それぞれの女性たちが一緒になり、鶏肉や米、パイナップルなどの食事を和やかな雰囲気で囲みます。
日本の参加者たちも現地にならい、手でカレーを口に運びました。ヴィマラセンターの女性たちとの出会いを通じて、世界規模で問題となっている労働問題に対する地域レベルでの取り組みを学ぶ事ができました。
自身も織物をするというピースボートの参加者の女性は「仕事をしている様子を見学するのが興味深かったです。インドの過酷な労働環境のイメージとはかけ離れた、良い環境で働いているのが驚きました」と語りました。
一日の締めくくりは美味しい食事。インドとピースボート、それぞれの女性たちが一緒になり、鶏肉や米、パイナップルなどの食事を和やかな雰囲気で囲みます。
日本の参加者たちも現地にならい、手でカレーを口に運びました。ヴィマラセンターの女性たちとの出会いを通じて、世界規模で問題となっている労働問題に対する地域レベルでの取り組みを学ぶ事ができました。