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忘れてはならない「あの日」への想い:チョルノービリ38周年記念日

忘れてはならない「あの日」への想い:チョルノービリ38周年記念日
ピースボート地球一周の船旅Voyage 117には、駐日ウクライナ大使館の協力を得て、「ウクライナ・ユース・アンバサダー」としてウクライナ出身の若者7人が乗船し、ウクライナの現状やそれぞれの体験を伝えたり、文化や伝統を船旅の参加者に紹介したりしました。

ウクライナのチョルノービリ原子力発電所で爆発事故が起きたのは1986年4月26日。

この日にあわせて、ウクライナ・ユース・アンバサダーとおりづるプロジェクトが共同して、事故から38周年を記念するイベントを開催しました。
ピースボート地球一周の船旅Voyage 117には、駐日ウクライナ大使館の協力を得て、「ウクライナ・ユース・アンバサダー」としてウクライナ出身の若者7人が乗船し、ウクライナの現状やそれぞれの体験を伝えたり、文化や伝統を船旅の参加者に紹介したりしました。

ウクライナのチョルノービリ原子力発電所で爆発事故が起きたのは1986年4月26日。

この日にあわせて、ウクライナ・ユース・アンバサダーとおりづるプロジェクトが共同して、事故から38周年を記念するイベントを開催しました。

2つの写真展

忘れてはならない「あの日」への想い:チョルノービリ38周年記念日
船内では、4月26日を前に、長崎で被爆した小川忠義さんの2つの写真展を開催しました。

写真展のひとつは、長崎に原爆が投下された「8月9日11時2分」に、自分の好きなものや大切な人などの日常のシーンの写真を撮って世界各地から送ってもらうという小川さん独自のプロジェクトです。

もうひとつは、2012年にピースボートの「核兵器のない世界を目指す地球一周の船旅」で訪れたチョルノービリの写真展でした。

放射能と占領の脅威

忘れてはならない「あの日」への想い:チョルノービリ38周年記念日
ウクライナ・ユース・アンバサダーのひとり、キーウ出身のアントニナ・コロテンコさんは、4号炉の爆発後、チョルノービリの放射能制御に携わった核物理学者である祖父のミハイロ・コロテンコさんの個人的な証言を紹介しました。

彼の仕事は、核の連鎖反応を調査し、損傷した原子炉の周囲にコンクリートの防護構造を設計・設置することでした。チョルノービリ周辺30kmの放射能汚染地帯から11万6千人が避難し、別の地域に再定住しました。

アントニナさんは語りました。「放射線の脅威はそれだけでは終わりませんでした。今日に至るまで、損傷した原子炉の放射線レベルは危険なほど高いのです。ですから、事故から20年以上経った今でも、新しい世代の科学者たちが、この大惨事の影響に対処し続けています」

祖父と同じく核物理学者であるアントニナさんの父親は、損傷が激しく、もはや保護不可能な原子炉を覆う元の石棺構造に代わる、新しい保護構造の開発に携わるエンジニアでした。

彼が製作に関わった新しい石棺は、可動式アーチ型の構造物としては世界最大のものでした。

「ご覧の通り、放射能の脅威の影響は、一世代以上続きます。だからこそ、ロシア軍によるウクライナ侵攻が本格化した最初の1カ月で、チョルノービリが占領下に置かれたとき、私たちは皆、深い恐怖を覚えたのです」とアントニナさんは語りました。

危険の可視化

忘れてはならない「あの日」への想い:チョルノービリ38周年記念日
ユース・アンバサダーのタチァーナ・ヴァージンスカさんは、ハルキウの美術学校の恩師ヴェフレンコ・オレフ氏がチョルノービリを訪れ、汚染地帯の労働者たちと過ごした時の話をしました。

オレフ氏は肖像画、ポスター、写真などを制作し、労働者たちの危険な境遇を視覚的に物語る展覧会を開きました。その後、環境、社会、エコ教育ポスターの国際トリエンナーレ「第4ブロック」を同僚らとともに立ち上げ、国際的な注目を集め、今日に至っています。

この展覧会と、彼女の恩師がチョルノービリで果たした役目は、現在日本でグラフィックデザイナーとして活躍するタチァーナさんと、彼女のエンゲージメント・アートに対する熱意に多大な影響を与えました。

ザポリージャの不安

忘れてはならない「あの日」への想い:チョルノービリ38周年記念日
田中さんと小川さんは、おりづるプロジェクトとしてチョルノービリを訪問(2012年)
ヨーロッパ最大規模の原子力発電所があるウクライナのザポリージャは、現在ロシア軍の占領下にあります。

この街出身のユース・アンバサダーであるアデリーナ・リセンコさんは、ザポリージャ原発の適切なメンテナンス、周辺地域での定期的な武力衝突、そしてザポリージャにある6基の原子炉のいずれかに、ミサイルや手榴弾が誤って命中し、想像を絶する大惨事を引き起こす可能性に触れながら、現地に暮らす親族や友人たちが日々抱える不安感について話しました。

世界中でこれまでに、最大深刻度である「7」と評価された原発事故は、チョルノービリ原発事故と2011年の福島第一原発事故だけです。

タチァーナさんは、「ともに核の苦しみを経験した日本とウクライナの私たちが、苦しみや経験を分かち合うことは、とても重要です」と述べました。

核兵器の存在

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広島の被爆者である田中稔子さんも、個人的な見解と体験を語りました。

彼女は、ソビエト連邦崩壊後にウクライナが核兵器放棄を決定したことを称賛するとともに、ウクライナのユース・アンバサダーたちとこの問題についての意見交換を行いました。

田中さんは、自身が広島で経験したように、大量破壊兵器が使用された場合の人道的影響について警告を発しました。

「核兵器がもたらす被害の実態は、まだ充分に伝えられていません。核兵器が存在する限り、脅しや威嚇も続きます。だから、一刻も早く、核兵器を廃絶しなければなりません」と強調しました。

また、田中さんは、悲惨な事故の脅威や不十分なメンテナンスによるリスクを考慮し、エネルギー源としての原子力発電の再考を訴えました。

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