ICANのメリッサ・パーク事務局長が日本を訪問しました
1月18日から24日にかけて、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメリッサ・パーク事務局長が日本を訪れました。
これは、核兵器禁止条約が発効してから3年を迎えるにあたり、核兵器廃絶への世論を喚起し日本の同条約参加の機運を高めようとの目的での訪日でした。
パークさんにとっては、初の広島・長崎訪問となりました。ピースボートはICANの国際運営団体として、日本での受け入れをコーディネートし、川崎哲が全行程に同行しました。
これは、核兵器禁止条約が発効してから3年を迎えるにあたり、核兵器廃絶への世論を喚起し日本の同条約参加の機運を高めようとの目的での訪日でした。
パークさんにとっては、初の広島・長崎訪問となりました。ピースボートはICANの国際運営団体として、日本での受け入れをコーディネートし、川崎哲が全行程に同行しました。
- プロジェクト: 核廃絶
INFO
2024.3.11
2024.8.19
1月18日から24日にかけて、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメリッサ・パーク事務局長が日本を訪れました。
これは、核兵器禁止条約が発効してから3年を迎えるにあたり、核兵器廃絶への世論を喚起し日本の同条約参加の機運を高めようとの目的での訪日でした。
パークさんにとっては、初の広島・長崎訪問となりました。ピースボートはICANの国際運営団体として、日本での受け入れをコーディネートし、川崎哲が全行程に同行しました。
これは、核兵器禁止条約が発効してから3年を迎えるにあたり、核兵器廃絶への世論を喚起し日本の同条約参加の機運を高めようとの目的での訪日でした。
パークさんにとっては、初の広島・長崎訪問となりました。ピースボートはICANの国際運営団体として、日本での受け入れをコーディネートし、川崎哲が全行程に同行しました。
与野党国会議員に核兵器禁止条約への参加を働きかけ
1月18日、参議院議員会館で与野党を代表する7名の国会議員が参加しての討論会「核兵器のない世界へ 日本の役割を問う」が開かれました。川崎哲が司会をつとめ、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の木戸季市事務局長も参加しました。
パーク事務局長は、米国との同盟関係は核兵器禁止条約に参加することを阻むものではないと強調し、日本がまずは、自身の出身国であるオーストラリアと同様、同条約の締約国会議にオブザーバー参加すべきであることを強調しました。
参加した各党の代表からはオブザーバー参加に前向きな発言が相次ぎ、自民党においても党内で協議が行われているとの発言がありました。
この討論会のほか、同日パーク事務局長は、公明党の山口那津男代表および同党核廃絶推進委員会の谷合正明委員長ほかと面会。自民党で元防衛大臣の岩屋毅衆議院議員とも面会しました。1月22日には、立憲民主党の泉健太代表、源馬謙太郎国際局長と面会しました。
パーク事務局長は、米国との同盟関係は核兵器禁止条約に参加することを阻むものではないと強調し、日本がまずは、自身の出身国であるオーストラリアと同様、同条約の締約国会議にオブザーバー参加すべきであることを強調しました。
参加した各党の代表からはオブザーバー参加に前向きな発言が相次ぎ、自民党においても党内で協議が行われているとの発言がありました。
この討論会のほか、同日パーク事務局長は、公明党の山口那津男代表および同党核廃絶推進委員会の谷合正明委員長ほかと面会。自民党で元防衛大臣の岩屋毅衆議院議員とも面会しました。1月22日には、立憲民主党の泉健太代表、源馬謙太郎国際局長と面会しました。
広島:原爆資料館を見学、被爆者と面会
1月19日には広島入りし、松井一實市長、湯崎英彦知事それぞれに表敬訪問をしました。松井市長とは平和首長会議との連携を確認し、湯崎知事とは「核兵器と安全保障を考える広島-ICANアカデミー」や、核廃絶とSDGs(持続可能な開発目標)をつなぐ取り組みにおいて協力していくことで一致しました。
その後、原爆資料館と追悼平和祈念館を見学し、芳名録に記帳、慰霊碑に献花しました。そして、被爆者の笠岡貞江さんと面会してその証言をじっくりと聞きました。
夜には、地元の市民団体の皆さんと原爆ドーム対岸親水テラスで「END WARS, JOIN TPNW 2024」(戦争を止め、核兵器禁止条約に入ろう)のキャンドルを灯し、その後、ハチドリ舎で若者たちとの対話・交流イベントに参加しました。
その後、原爆資料館と追悼平和祈念館を見学し、芳名録に記帳、慰霊碑に献花しました。そして、被爆者の笠岡貞江さんと面会してその証言をじっくりと聞きました。
夜には、地元の市民団体の皆さんと原爆ドーム対岸親水テラスで「END WARS, JOIN TPNW 2024」(戦争を止め、核兵器禁止条約に入ろう)のキャンドルを灯し、その後、ハチドリ舎で若者たちとの対話・交流イベントに参加しました。
戦争を止め、核兵器禁止条約に入ろう
1月20日には、広島の原爆資料館で講演会が行われました。パークさんは過去10年間オーストラリアの国会議員をつとめていますが、その前職は国連の法務専門家としてさまざまな紛争地に赴いていました。
講演会の中で、パレスチナのガザ自治区に赴任していた2002年8月、ガザの子どもたちが広島・長崎の犠牲者たちを追悼して紙の小舟にキャンドルを乗せてガザ港に流していたことを紹介しました。
まるで毎年8月6日に広島で行われる灯籠流しのようです。パークさんは「爆撃を日常的に体験している子どもたちが、別の時代に別の場所で爆撃を受けていた子どもたちのことを想っていることに心を動かされた」といいます。
そして、広島で出会った現在80代や90代の被爆者の方々が「そのときのガザの子どもたちがと同年代の子どもたちであったことに気づいて胸を打たれた」と語りました。そして、こう続けました。「私たちは恒久的な戦争や兵器の絶え間ない蓄積から脱却しなければなりません。いずれも必要ありません。平和こそが必要なのです。」
講演会の中で、パレスチナのガザ自治区に赴任していた2002年8月、ガザの子どもたちが広島・長崎の犠牲者たちを追悼して紙の小舟にキャンドルを乗せてガザ港に流していたことを紹介しました。
まるで毎年8月6日に広島で行われる灯籠流しのようです。パークさんは「爆撃を日常的に体験している子どもたちが、別の時代に別の場所で爆撃を受けていた子どもたちのことを想っていることに心を動かされた」といいます。
そして、広島で出会った現在80代や90代の被爆者の方々が「そのときのガザの子どもたちがと同年代の子どもたちであったことに気づいて胸を打たれた」と語りました。そして、こう続けました。「私たちは恒久的な戦争や兵器の絶え間ない蓄積から脱却しなければなりません。いずれも必要ありません。平和こそが必要なのです。」
長崎:「核抑止論」を乗り越えて
広島から長崎に移動したパーク事務局長は、1月21日、朝から長崎の平和公園を訪問しました。そして地元の被爆者や高校生たちと一緒に「長崎の鐘」を鳴らし、平和への祈りを捧げました。
平和公園内にある数々の記念碑を見学しましたが、なかでも、出身地である西オーストラリアから贈られた先住民の記念碑の前では足を止めて写真を撮りました。そして、爆心地公園で原爆投下中心地碑に献花しました。
その後鈴木史郎市長に表敬し、核兵器廃絶にむけた協力体制を強めることで合意しました。原爆資料館ホールで行われた講演会では、被爆者の体験を伝えることで「核抑止論」の誤りを訴えていくことが大切だと強調しました。そのときの講演の全文は、毎日新聞の記事になっています(以下のリンク)。
平和公園内にある数々の記念碑を見学しましたが、なかでも、出身地である西オーストラリアから贈られた先住民の記念碑の前では足を止めて写真を撮りました。そして、爆心地公園で原爆投下中心地碑に献花しました。
その後鈴木史郎市長に表敬し、核兵器廃絶にむけた協力体制を強めることで合意しました。原爆資料館ホールで行われた講演会では、被爆者の体験を伝えることで「核抑止論」の誤りを訴えていくことが大切だと強調しました。そのときの講演の全文は、毎日新聞の記事になっています(以下のリンク)。
- 毎日新聞 2024.1.26 ICAN事務局長 ナガサキで残した言葉/上 核禁条約 人類の礎に
- 毎日新聞 2024.1.27 ICAN事務局長 ナガサキで残した言葉/中 核抑止、危機避けられぬ
- 毎日新聞 2024.1.28 ICAN事務局長 ナガサキで残した言葉/下 核廃絶、日本が主導を
被爆者や学生と交流
1月21日午後には原爆資料館と追悼平和祈念館を見学し、その後、被爆者の本村チヨ子さん、倉守照美さんのお二人および高校生、大学生たちとの交流・意見交換会を行いました。本村さんと倉守さんは、いずれもピースボートのおりづるプロジェクトに過去参加された被爆者の方々です。
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)も訪れ、同センターの研究者らと意見交換したほか、ナガサキ・ユース代表団の若者たちとも交流しました。
高齢となった被爆者がその体験を語り伝え続けていることだけでなく、それを引き継いで活動している多くの若者に触れたパーク事務局長は、強く励まされていました。と同時に、こうも言いました。
「政府が、政治的な責任を果たさなければなりません。それは、核兵器禁止条約に加わるということです。」
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)も訪れ、同センターの研究者らと意見交換したほか、ナガサキ・ユース代表団の若者たちとも交流しました。
高齢となった被爆者がその体験を語り伝え続けていることだけでなく、それを引き継いで活動している多くの若者に触れたパーク事務局長は、強く励まされていました。と同時に、こうも言いました。
「政府が、政治的な責任を果たさなければなりません。それは、核兵器禁止条約に加わるということです。」
第五福竜丸展示館で「全てがつながった」
東京に戻ったパーク事務局長は、核兵器禁止条約発効3周年となる1月22日には、日本記者クラブで記者会見を行いました。また、NHKニュースウォッチ9にインタビューの形で出演するなど、多くのメディア取材をこなしました。
1月23日午前は、第五福竜丸展示館を訪問しました。同館の学芸員の方々に案内されて、核の被害は広島・長崎で終わったのではなく太平洋や世界各地での核実験により世界中でヒバクシャが生まれたという展示を一つ一つ見学していきました。核実験による食品の汚染が原水爆禁止を求める署名運動のきっかけになったという展示にも、深く頷いていました。
パーク事務局長は、核実験による放射性物質が大気、海流、魚に運ばれて広がっていったことを示す地図や展示を見て、「全てがつながった」という感想を語りました。核兵器の被害者は世界中にいる。世界中の人たちがつながって、力を合わせて「核兵器を廃絶しなければなりません」。
1月23日午前は、第五福竜丸展示館を訪問しました。同館の学芸員の方々に案内されて、核の被害は広島・長崎で終わったのではなく太平洋や世界各地での核実験により世界中でヒバクシャが生まれたという展示を一つ一つ見学していきました。核実験による食品の汚染が原水爆禁止を求める署名運動のきっかけになったという展示にも、深く頷いていました。
パーク事務局長は、核実験による放射性物質が大気、海流、魚に運ばれて広がっていったことを示す地図や展示を見て、「全てがつながった」という感想を語りました。核兵器の被害者は世界中にいる。世界中の人たちがつながって、力を合わせて「核兵器を廃絶しなければなりません」。
「第3回締約国会議でお会いしましょう」
1月23日午後には、総理大臣官邸にて石原宏高内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)を表敬訪問しました。
今回の来日にあたって、岸田総理大臣と上川外務大臣にそれぞれ表敬訪問のお願いをしていましたが、政府における調整の結果、石原補佐官が政府を代表してがパーク事務局長を迎えることになりました。面会には川崎哲が同席したほか、同じくピースボートの渡辺里香が通訳を行いました。
当初の予定時間を上回る45分間の会談の中で、石原補佐官とパーク事務局長は、核兵器の非人道性への理解を広げていくことが重要であることを互いに再確認しました。
パーク事務局長は、日本が核兵器禁止条約の締約国会議にまずはオブザーバーとして参加することが重要であることを強調し、石原補佐官に「(2025年3月に第3回締約国会議が開かれる)ニューヨークでお会いしましょう」と明るく語りかけました。
今回の来日にあたって、岸田総理大臣と上川外務大臣にそれぞれ表敬訪問のお願いをしていましたが、政府における調整の結果、石原補佐官が政府を代表してがパーク事務局長を迎えることになりました。面会には川崎哲が同席したほか、同じくピースボートの渡辺里香が通訳を行いました。
当初の予定時間を上回る45分間の会談の中で、石原補佐官とパーク事務局長は、核兵器の非人道性への理解を広げていくことが重要であることを互いに再確認しました。
パーク事務局長は、日本が核兵器禁止条約の締約国会議にまずはオブザーバーとして参加することが重要であることを強調し、石原補佐官に「(2025年3月に第3回締約国会議が開かれる)ニューヨークでお会いしましょう」と明るく語りかけました。
ピースボートセンターとうきょうで交流
1月23日の夜は、核兵器廃絶のために活動している首都圏の多くの団体、個人のみなさんと意見交換会を行い、その後ピースボートセンターとうきょうで懇親会を行いました。日本では、核兵器廃絶NGO連絡会が母体となって今年4月に「核兵器をなくす日本キャンペーン」を立ち上げることが報告されました。
また、ピースボートが被爆者の皆さんと一緒に行ってきたおりづるプロジェクトについても紹介され、4月からのVoyage117で同プロジェクトを行うことも報告されました。こうした日本の諸団体の活動と、世界600団体以上が集うICANとがさらに連携を深めていこうと、懇親会は盛り上がりました。
今回のパーク事務局長の訪日にあたっては、広島、長崎そして東京の多くの方々にご支援をいただきました。御礼を申し上げます。
また、ピースボートが被爆者の皆さんと一緒に行ってきたおりづるプロジェクトについても紹介され、4月からのVoyage117で同プロジェクトを行うことも報告されました。こうした日本の諸団体の活動と、世界600団体以上が集うICANとがさらに連携を深めていこうと、懇親会は盛り上がりました。
今回のパーク事務局長の訪日にあたっては、広島、長崎そして東京の多くの方々にご支援をいただきました。御礼を申し上げます。