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3年ぶりの出航とウクライナ支援・出航記者会見の様子を詳しくお伝えします

3年ぶりの出航とウクライナ支援・出航記者会見の様子を詳しくお伝えします
4月7日、コロナ禍を乗り越えてピースボートとして3年ぶりとなる地球一周クルーズが、横浜港から出航いたしました。本記事では、出航に先立って行われた、出航記者会見の各登壇者のコメントを、一部抜粋してご紹介します。

4月7日、コロナ禍を乗り越えてピースボートとして3年ぶりとなる地球一周クルーズが、横浜港から出航いたしました。本記事では、出航に先立って行われた、出航記者会見の各登壇者のコメントを、一部抜粋してご紹介します。

3年ぶりの出航とウクライナ支援・出航記者会見の様子を詳しくお伝えします
大勢に見送られて出航するパシフィック・ワールド号
今回のクルーズでは、ウクライナ避難民への人道支援に特に力を入れています。

ウクライナ出身のビクター・アリモフ名誉船長は、2009年から2019年の間、幾度もピースボートの船長として舵を取ってきました。今回は、避難先のルーマニアから来日し、名誉船長として乗船。乗船者に向けて、ウクライナの現状をお話しいただきます。

また、戦争が始まって以来、ピースボートはウクライナの避難民を支援する募金活動を続けてきました。これまでに、ピースボート災害支援センター(PBV)を通して支援した寄付金や助成金などの金額は、合わせて約1億5千万円になります。

今回のクルーズでは、船内でも募金活動を行い、支援物資と共にクルーズ参加者が寄港地のギリシャから船を離脱し、ルーマニアの支援団体に直接届けることになっています。記者会見では、その参加者の一人である植草夏海さんもスピーチを行なっています。

設立から40 周年を迎えるピースボートは、船を出すことを通じて人と人とのつながりを結び直し、顔の見える国際交流を通して、平和を訴え続けます。

市民の手で、具体的な平和を/吉岡達也(ピースボート)

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吉岡達也
今日、船を出すことができるのは、ピースボートを支えてくださった方はもちろん、多くの人々が平和にすごく危機感を感じているからだと思います。

ウクライナの戦争が起きている中で、ピースボートを世界に出すという時に、多くの応援をいただきました。

ウクライナとピースボートとは、深い縁があります。連続で地球一周をし始めたのは、1999年からですが、その時に借りた船は、ウクライナの船でした。

アリモフ船長をはじめ、ウクライナの船員の皆さんに支えられて、世界一周を続けてきたのです。

そしていま、その人たちが戦場に駆り出され、避難を余儀なくされ、欧州各地に散らばっています。この戦争に対して、世界はどのように平和的に解決できるかを、真剣に考えるべきです。

私たちがやらなければならないのは、持続可能な平和をつくり出すことじゃないかと思います。

この船でもできるだけのことをやっていきます。オデッサ(オデーサ)出身で、現在ルーマニアに避難されているアリモフ船長から、船に乗る人々に話をしていただきます。

支援物資を持っていきますし、船内でも募金活動をします。小さなことですが、その積み重ねが平和をつくるきっかけになっていくと思っています。

これからも、世界一周という行動によって、具体的な平和を、市民の手でつくっていきたいと思います。 

世界中からのメッセージが勇気をくれた/ビクター・アリモフ(ピースボート名誉船長/ウクライナ出身)

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ビクター・アリモフ名誉船長
今日は雨ですが、航海の世界では、出航日に雨が降るのは運がいいと言われています。だからこの航海は、うまくいくと考えています。

私はウクライナのオデッサ(オデーサ)出身で、1970年代から船乗りをしており、ピースボートには2009年から乗船してきました。そして、3年間の休みを経て、来日しました。

この3年間、コロナや戦争があり、ウクライナの私たちはもちろんですが、日本の人も含めてすべての人が大変な思いをしたと思います。そしていま再び、ピースボートが出航し、その船に乗ることができるのは、奇跡的だと思っています。

戦争が始まってから、たくさんの人からサポートをいただきました。日本を含めて、世界中からメッセージをもらいました。友人や同僚、ピースボートの仲間、そして乗客の方からも温かいメッセージをいただきました。こうしたメッセージが、私たちに勇気をくれました。 

寒い冬の後には、必ず暖かい春がやってきます。私たちも、この横浜港から船を出すことができるようになりました。今回、一緒にこの船旅に乗れることをとても嬉しく思います。

私は、ピースボートの船旅を通じて、人生の生きる意味を見つけました。ピースボートのクルーズは非常にユニークで、平和と友情を動力にして動いているといえるかもしれません。

これからも、ピースボートを通して、日本や世界の人たちとともに船旅を続けていきたいと思います。

※アリモフ名誉船長は、ロシアの侵攻を受けて、現在は妻と孫娘を連れてルーマニアに避難しています。ピースボートの参加者がルーマニアを訪問する際には、受け入れもしていただくことになっています。

支援者の想いも一緒に届けたい/植草夏海(大学生/船からルーマニア訪問予定)

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植草夏海さん
私は、大学を休学して、ピースボートに乗船することを決めました。東京のピースボートセンターでは、ロシアとウクライナの戦争が始まって以降、街中で募金活動に携わってきました。

その成果を、現地に届けるという大きな目標につなげることができるのが、心からの喜びです。募金活動をする中で、道ゆく人たちからの応援の声も、現地に届けて来たいと思っています。

募金活動は、船内でも行う予定です。集めた募金を直接届けることができるというのも光栄ですし、現地に行った私たちにしかできないことが必ずあると思います。

なんらかの形で、日本に帰ってから活かしたいと思いますし、さらなる支援にもつなげたいと思っています。募金をしてくださった方や、日本で応援してくれている方たちの想いも、一緒に届けて来たいと思っています。

市民は無力ではない/高橋和夫(国際政治学者)

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高橋和夫さん
この3年間は、ピースボートにとっては試練の時だったと思います。しかしピースボートは試練を乗り越える力を示したと思うんです。

力の源は、この平和の船をコロナの海に沈めてはならないという、スタッフと支援者の熱い想いだったと思います。この試練を乗り越えて、ピースボートはさらに強く、大きくなりました。

ウクライナとロシアの戦争に象徴される不安定な時期に船を出して、平和を語ることの意義は何でしょうか?私は理想という鏡を示すことによって、現実の厳しさ、時には醜さがはっきり見えるんだと思います。

そのギャップの大きさによって、われわれは何をすべきかを考える、そういう機会を与えてくれるんだと思うわけです。

ピースボートは、再び世界の市民と連帯しようという旅を始めます。市民の力は、決して無力ではありません。無力に見えるのは、そう思い込まされているからです。

「連帯した市民の力で、国際政治の現状を突き動かす力になりたい」。そういう思いで、ピースボートのスタッフ、そして支援者は、この運動を支えてきました。

金もない、力もない、権力もない人間たちが、手をつないだら何ができるのかというのを、世界の政治家に見せてやりたい。それがピースボートを動かす人々の心意気です。

いまこそ、人と人とのつながりをつくる船旅を/畠山澄子(ピースボート)

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畠山澄子
コロナで船が出せない3年間は本当に大変でした。いろんな人に支えていただいて、それでも今日この場に立てるのは本当に感謝しかありません。

船旅で世界をつないでいくことだけが私たちにできることだと思っていましたが、船旅という手段を奪われて、自信を失いかけました。「いったい私たちに何ができるだろうか?」と。

そのときにメッセージをくださったのは、これまでピースボートに乗船していただいたたくさんの人たちでした。「ピースボートがあったから、世界の人たちとつながることができた」、「その体験があるから、今もしっかり平和活動をしています」、といった言葉をかけていただきました。

それが、私たちがやってきたことには意味があると、自信を取り戻すきっかけになりましたし、絶対に船を出すと信じる糧になりました。

私は15年前の2008年に、初めてピースボートの船旅に乗りました。そのときに地球上のたくさんの人たちと出会ったことで、世界のどこかで何かが起こるたびにその人たちの顔が浮かぶようになりました。

今回のウクライナの戦争は、まさにそうでした。まっ先に思い浮かべたのは、アリモフ船長や、ウクライナのクルーの方たちのことでした。そういう人たちが苦しんでいる時に黙ってはいられないと。

ピースボートの船旅は、そういう人と人とのつながりをつくる船だと思っています。今日この日、1,400人の夢と希望と、平和への想いをのせて、3年ぶりにピースボートが出航いたします。

出航記者会見の様子はこちら

横浜港出航の様子はこちら

神戸港出港の様子はこちら

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