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ガザからのたより:ザヘルさんの家の再建が進んでいます

ガザからのたより:ザヘルさんの家の再建が進んでいます
昨年(2021年)5月、イスラエル軍によるガザの一般市民に対する爆撃が繰り返し行われる中で、ピースボートと長くつながりのあるザヘル・サビーハさんの暮らす集合住宅が破壊されました。ガザ在住で人道支援活動家のザヘルさんとは、これまでガザの子どもたちへの教育支援や病院への支援活動を一緒に行ってきました。船にも何度も乗船してパレスチナの状況を伝えてくれる他、ピースボート参加者のパレスチナ難民キャンプの視察・交流の受け入れをコーディネートしてくれてきたのもザヘルさんです。
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昨年(2021年)5月、イスラエル軍によるガザの一般市民に対する爆撃が繰り返し行われる中で、ピースボートと長くつながりのあるザヘル・サビーハさんの暮らす集合住宅が破壊されました。ガザ在住で人道支援活動家のザヘルさんとは、これまでガザの子どもたちへの教育支援や病院への支援活動を一緒に行ってきました。船にも何度も乗船してパレスチナの状況を伝えてくれる他、ピースボート参加者のパレスチナ難民キャンプの視察・交流の受け入れをコーディネートしてくれてきたのもザヘルさんです。
ピースボートではザヘルさんの家の再建をパレスチナの平和を目指す具体的な一歩と位置づけ、ピースボートを知る方に広く募金を呼びかけました。その結果、多くの方の温かい気持ちが2,592,844円の寄付金とともに集まりました。ザヘルさんは今、そのお金とエールとともに、家の再建を進めています。

募金の呼びかけから長い時間がかかってしまいましたが、ザヘルさんに現在の様子を聞くことができました。寄付へのお礼の気持ちを込めて、お届けします。

ーザヘルさんとピースボートとのつながりを教えてください。特に印象に残っていることはありますか。

私が最初にピースボートと出会ったのは1990年代末のことです。私はピースボートの当時のパレスチナのパートナー団体であるパレスチナ学生連合で働いていました。ピースボート関係者のガザ地区訪問に際して様々な活動やプログラムをアレンジしました。

特に私が力を入れていたのはピースボート参加者が、ジャバリア難民キャンプでのホームステイを通して文化交流を行い、難民が置かれた状況を理解するプログラムです。その後長年にわたり、ピースボートはパレスチナのコミュニティを様々な方法で支えてくれています。

声明やアピールを出したり、パレスチナ人のために正義を訴えたり、パレスチナが直面する問題に関する国連決議が履行されるよう求めたりといったことです。また、戦争で被害を受けた人のために食糧支援をしてくれたり、ガザの子どもたちが学校に通うための鞄や文具、おもちゃの提供も受けたりもしてきました。

ピースボートの船には何度か水先案内人として乗船しています。これまで35回クルーズ(2001年)、37回クルーズ(2002年)、43回クルーズ(2003年)の3回に参加しました。船では、イスラエルが和平プロセスを侵害してきたこと、パレスチナとイスラエルの紛争の歴史とイスラエルによる占領に対する抵抗運動(インティファーダ)について、またパレスチナが現在置かれている状況などについて話しました。

船内でも寄港地でも、パレスチナの学生のためのチャリティオークションを始めとした様々な取り組みに積極的に関わりました。ある年の7月7日に七夕祭りに参加したのもよく覚えています。一年に一度だけ織姫と彦星が天の川を通して会えるというこの話は、私とピースボートの関係のようだと思うことがあります。

ピースボートは平和と持続可能な開発、そして自然環境の大切さを学ぶための船旅にとどまらないからです。世界の人びとの間に長く続く橋を架け、それを糧に人びとの権利や正義のために声をあげていくというのが、ピースボートのビジョンだと思うからです。

ー現在のガザにおけるザヘルさんとご家族の状況を教えてください。ガザに暮らす他の人たちについてもお願いします。

ガザについて聞かれるたびに、「状況は良くなっている」と答えることができたらいいのにと思います。しかし残念なことに状況は日々劇的に悪化していっているというのが現実です。

私が暮らすガザ地区は今とてもみじめな状況です。狭い地域に人が溢れていますし、住環境も人びとの健康状態もよくありません。失業率は45%ととても高く、貧困率も53%となっています。地区の封鎖やあらゆる制限のせいで、ガザに暮らす人びとの85%は人道支援に依存せざるをえない状況です。それ以外に生きる道がないからです。

過去15年間、ガザ地区では壊滅的な戦争が断続的に続いています。最後の戦争は2021年5月21日に終わりましたが、何百人という死傷者が出ました。この戦争で私たち自身も家を失い、避難民となり、賃貸のアパートで暮らすようになりました。

私は難民キャンプで生まれ育ちました。そんな私にとって、居場所がなくなることは最も苦しいことのひとつです。私は妻・ナスリンとともに、子どもたちには同じ思いをさせまいと必死で働いてきました。それでも、そんな私たちの思いとは裏腹に、歴史は繰り返されてしまいました。私の子どもたちは健康で安心でいられることができなくなり、今もそれは続いています。

ー家の再建は進んでいますか?

ガザからのたより:ザヘルさんの家の再建が進んでいます
ピースボートからの寄付を受け取ったとき、私と妻は一次的なシェルターではなく、私たちの希望となる家を建てようと決めました。少なくとも前の家よりもいいものにしたいと思いました。設計の段階から家族みんなで話し合っています。

リビングに加えて3部屋、そして台所とバスルームです。それから屋根を含めより具体的な家全体の設計をし、建設の許可を得ました。建設会社とも契約し、土地を整備し、基礎工事を始めました。柱、梁、屋根、壁など、はすべて終わり、その先を整える作業に入っています。もうすぐ電気や照明の取り付けが始まり、その後左官工事が行われる予定です。

ー日本や他の国から支援や連帯のメッセージを受け取ることはザヘルさんにとってどのような意味がありますか。

難民として育った私にとっての最優先事項は家を建て、子どもたちにきちんとした暮らしをさせてあげることです。人生のすべてをそれに費やしてきました。

家を失った時は、また大きな壁が立ちはだかった気分でしたし、それによるストレスも感じました。それでも絶望だけではありませんでした。暗闇にいるような苦しみの中においても、ピースボートのスタッフや仲間をはじめ、世界中の友達が毎日のように電話をくれたりメッセージをくれたりしました。

安心させてくれる人がいること、気にかけてくれる人がいること、支援してくれ連帯してくれる人がいることはこの危機的な状況の私にとって本当に大きかったです。ひとりじゃないと思えました。

ピースボートが、国籍や人種、宗教の違いをこえて世界中の人をつなぐ力を持っていることを、改めて強く感じました。私も家族も、ピースボートからのサポート、寛大な寄付に感謝しかありません。みなさんのおかげで、家を建て直し、復興に向けて歩み出し、人生と希望を取り戻すことができます。

ー子どもたちの将来への願いを教えてください。

ガザからのたより:ザヘルさんの家の再建が進んでいます
ガザ在住のザヘルさんの家族写真
子どもたちの将来を考えると、それだけで込み上げてくるものがあります。いろいろな意味でです。シンプルに、子どもたちには幸せと健康、愛と穏やかな生活を願っています。

人生が子どもたちにとって、フェアであること。子どもたちが広い世界を見渡す視野のある人たちに囲まれ、大切にしてくれる友達に恵まれること。つまり、4人の子どもたちに願い望むことは、この子たちが愛と豊かさに包まれ、幸せに平和に暮らせることです。

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