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【寄稿】 被爆3世から見た世界 (おりづるユース:森山景さん−後編)

【寄稿】 被爆3世から見た世界 (おりづるユース:森山景さん−後編)
チリのカロリーナ・トレス外務副大臣(中央)と、ノーベル平和賞メダルを持って記念撮影。
第100回ピースボートのおりづるプロジェクトに、おりづるユースとして乗船した森山景さんの寄稿文を、2回にわたって紹介しています。今回は世界の人々との交流やその出会いを通じて、被爆3世の彼女が感じたことをまとめていただきました。

チリのカロリーナ・トレス外務副大臣(中央)と、ノーベル平和賞メダルを持って記念撮影。
第100回ピースボートのおりづるプロジェクトに、おりづるユースとして乗船した森山景さんの寄稿文を、2回にわたって紹介しています。今回は世界の人々との交流やその出会いを通じて、被爆3世の彼女が感じたことをまとめていただきました。

語り継いでいく必要性

【寄稿】 被爆3世から見た世界 (おりづるユース:森山景さん−後編)
証言を聞いた後、渡辺淳子さんを抱きしめるルシアさん
おりづるプロジェクトは、地球一周の航海をしながら訪れた国々で被爆証言をしていきます。現地とのやりとりも通訳も証言も、ピースボートがこれまで出会い、つながった人々に支えられて成り立っています。

それぞれの地に歴史があり、人々の営みを垣間見ました。そして私たちは海でつながっているのだと実感しながら、ひとつひとつの証言活動がより良くなるように、工夫しました。

私たちは、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン(ブエノスアイレスとウシュアイア)、チリ、タヒチ、サモアといった国々で証言会を開催しました。そして、核兵器禁止条約の批准について賛同を求め、ヒバクシャ国際署名を集めました。

チリでは、カロリーナ外務副大臣から「チリは核廃絶のための集会に参加し続けており、核兵器禁止条約を批准する方向で動いている」と話して頂き、感動しました。

ウルグアイでは、副大統領のルシアさんに面会し、淳子さんが証言しました。ルシアさんはその後のピースボートの乗客みんなに向けたスピーチで、「淳子さんの証言は非常に大事なものだと思います。彼女の証言が残ることで、悲劇が二度と起きないようになるのです」とおっしゃいました。

私たちは戦争体験や被爆体験を聞くことによって、これからの時代を生き延びるための知恵を学ぶことができます。だからこそ語り継いでいく必要があります。

渡辺淳子さんが乗船する直前に、船は南アフリカを訪れていました。私たちが訪れた後に、南アフリカが核兵器禁止条約を批准したというニュースを聞いたときは、とても感動しました。

放射能被害は世界共通の問題です。人類は核兵器の使用も、核実験も、核を抑止力にすることも止めなくてはいけません。社会は個の集まりです。個である私たちが隣にいるひとと手をつなぎあえば、この日本も変えていけると思います。

太平洋と核実験

【寄稿】 被爆3世から見た世界 (おりづるユース:森山景さん−後編)
タヒチの核被害の実態を聞く
フランス領ポリネシアは、フランスによる核実験の影響で、癌にかかる人が多いとされています。日本も1980年代には放射性廃棄物を太平洋に投棄する計画を立てて、強い非難を受けました。

私たちはタヒチを訪れた際に、核実験影響追跡調査団の代表の方々と会いました。メンバーは口を揃えて、「被ばくの実態を若い人々に教え、継承していくために試行錯誤している」とおっしゃいました。

しかし、フランス領であるタヒチでは、教育はフランス政府の管理下にあり、被ばくの実態について教科書には5行程度しか書かれていません。タヒチでは証言活動が始まったばかりで、若者への継承活動は私立の学校で少しずつ進めているということでした。

そんな中で若い世代に事実を知ってもらうときに、大切になるのが芸術を通してメッセージを伝えることです。私が船の中で演劇を作ったと知った調査団のメンバーからは、「タヒチの公立学校で核に関するお芝居をやってください」と言われました。私はいま、その実現に向けて準備しているところです。

被爆3世が語り継ぐ意味

【寄稿】 被爆3世から見た世界 (おりづるユース:森山景さん−後編)
被爆体験の継承を目指す「おりづるピースガイド」養成講座で修了生とともに
私は16歳の頃から、原爆を題材にした演劇を上演しています。しかしその過程では、「語り継ぐことは難しい」「何が事実か分からない」「本当に体験した人じゃないと分からない」と言われることもあります。

たとえば、東京で継承活動を行っている被爆3世の方は、被爆者の方から「その時の匂いが分かるか?」と厳しい言葉を受けたそうです。しかし、直接体験していない人間は語ってはいけないのだとしたら、事実はあっという間に忘れられてしまうでしょう。

2017年に広島市平和記念公園の被爆再現人形が撤去され、爆心地の模型の代わりにCG映像が設置されました。資料館を訪れる人は、人形の前で立ち止まり、八月六日を想像する機会を失いました。

それを、継承活動への参加や、映画や演劇を見ることで補える可能性があるかもしれません。時代の変化に合わせて、継承のあり方も変容していく必要があるように思うのです。

「真の被爆証言」

【寄稿】 被爆3世から見た世界 (おりづるユース:森山景さん−後編)
渡辺淳子さんは「今後はなるべく真の被爆証言を聞いてほしい。そして自分なりの表現で事実を伝えてほしい」とおっしゃいました。私は、「真の被爆証言」にたどり着くヒントは、語り慣れないことではないかと思っています。

たとえば、原爆文学作家の大田洋子は、原爆が落とされた直後の広島の街を「地獄という出来合いの、存在を認められないものの名で、そのものの凄さが表現されうるものならば、簡単であろう。まず新しい描写の言葉を創らなくては」と、著作『屍の街』で述べています。

淳子さんが、紙に書いた文章を読みあげるのではなく、相手を見ながら常に新鮮な気持ちで証言する姿は印象的でした。一人一人が自分なりの未来に残る言葉や姿勢を獲得することが、継承への道だと思います。

被爆証言をすることは日本を学び直すこと

【寄稿】 被爆3世から見た世界 (おりづるユース:森山景さん−後編)
プログラムを終えて横浜港に到着した際に
ある寄港地で取材を受けたとき、「3世にもなると流石にもう症状はないでしょう」と言われました。しかし、「自分は被爆2世だから子どもを産まない」と決めた女性がいます。

船で知り合った被爆3世の女性も5世の男の子も、自分のルーツを知ったときにまず自分の身体を注意して調べたと言っていました。被爆には個体差があります。遺伝する可能性もあれば、差別の対象にもなります。このような3世の体感を、私はきちんと伝えたいと思います。

また海外では、日本の核問題について何度も質問されました。「フクシマについてどう思うか」「日本はどうして原発を止めないのか」といったことです。さらに、船では日本の方が「被爆者は被害者ヅラをしている」と陰で言っているのを耳にしました。

わたしは、このような意見をぶつけられた時こそが対話のきっかけだと思いました。広島長崎だけが戦争の被害を受けたのではありませんし、日本軍は戦争でたくさんの人を殺しました。しかし、その事実を忘れないことと、被爆証言を否定することは別です。ある言葉が被爆者の口を閉ざすかもしれないと想像して欲しいのです。

渡辺淳子さんの証言会に同行するため広島に帰った翌朝、祖父が居間にいる私のところへ来て、自らの被爆体験を話しはじめました。彼は2005年まで被爆体験を詳しく話しませんでしたが、それは子どもや孫に原爆症の後遺症が出ることを恐れたからでした。

また、祖母から「あまり言わないほうがいい」と言われたことを気にしてもいたそうです。多くの葛藤があったのだと思います。祖父の体験に向き合うことが、私にできる継承のはじめの一歩だと思っています。

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