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【寄稿】2度目のおりづるユース、加害と被害の間で(おりづるユース:安藤真子さん)

【寄稿】2度目のおりづるユース、加害と被害の間で(おりづるユース:安藤真子さん)
ハワイの交流相手と
今回は、第99回ピースボート地球一周クルーズ(2018年9月出航)に、「おりづるユース」として乗船した安藤真子さんに寄稿いただきました。このクルーズでは、被爆者2名とユース1名(安藤さん)が、それぞれ外務省から委嘱された「非核特使」「ユース非核特使」として参加。世界の寄港地では、主に小学生から大学生までの子どもや若者を対象に証言を届けました。
ハワイの交流相手と
今回は、第99回ピースボート地球一周クルーズ(2018年9月出航)に、「おりづるユース」として乗船した安藤真子さんに寄稿いただきました。このクルーズでは、被爆者2名とユース1名(安藤さん)が、それぞれ外務省から委嘱された「非核特使」「ユース非核特使」として参加。世界の寄港地では、主に小学生から大学生までの子どもや若者を対象に証言を届けました。

99回クルーズに乗ろうと思った3つの理由

【寄稿】2度目のおりづるユース、加害と被害の間で(おりづるユース:安藤真子さん)
船内で行った「核兵器のない世界にYES」を掲げるフォトアクション
私は96回クルーズに続き、99回クルーズにも「おりづるユース」として乗船し、2名の被爆者と世界一周しました。99回クルーズでは21カ国24都市を訪れました。その中で被爆証言を聞いて下さった方々は述べ1200名。

そして、共に旅をした参加者も1000名を超えます。108日の間にどれだけ多くの出逢いに恵まれたか、この数字だけでもおわかりいただけると思います。

96回クルーズにも「おりづるユース」として乗船した私が、なぜ99回クルーズへの2度めの乗船を決めたのか。それには3つの理由があります。

ひとつ目は、被爆者の生の声を聞くことができるのはタイムリミットがあるということです。99回クルーズに乗るということは休学を選択しなければなりませんでしたが、そのタイムリミットを考えると「いつかまた被爆者と世界一周したい」と思っているだけでは、機会を逃すことになると考えました。

ふたつ目は、多様な視点から「原爆」「ヒロシマ」「平和」を考えたいと思ったからです。96回クルーズはほとんどの参加者が日本人でしたが、99回クルーズには約300名の海外からの参加者が乗船すると聞きました。そのほとんどはアジアからです。

そして、それらは日本が侵略した歴史を持つ国々でした。高校時代に日本の加害の歴史を学びショックを受けた私は、加害の側面を持った日本の中の被爆地ヒロシマから平和を伝えることに葛藤してきました。

日本が侵略・統治した国々の参加者と共に船で旅をしながら、「ヒロシマ」を伝えるということはどのようなことなのか、再び考えたいと思ったのです。

3つ目は、10代から30代の若い参加者が多く乗船することでした。戦争体験者の3世4世にあたる若者と歴史認識や平和について考えたかったからです。これらの理由から、99回クルーズは私にとってとても魅力的な学びの場所でした。

「昭南島」だったシンガポールを訪れて

【寄稿】2度目のおりづるユース、加害と被害の間で(おりづるユース:安藤真子さん)
広島で3歳のときに被爆した空民子さんの証言会
2番目の寄港地であるシンガポールを訪れた際、船内にインターナショナルスクールの小中高校生が81名も証言を聞きにきてくれました。被爆者として乗船した空(そら)さんは、自身の被爆証言を始める前にこう述べました。

「第二次世界大戦において日本がシンガポールを3年8ヶ月統治したことを、日本人として謝りたい」と。

空さんの被爆体験を聞いた生徒たちは、たくさんの感想を述べてくれました。「空さんが日本の行ったことを謝罪してくれて感謝したい」というものもありましたが、コメントのほとんどが「つらい過去を私たちに話して下さってありがとうございます」というものでした。

そして、「私にも何かできるんじゃないかと思った。平和のために自分ができることがしたい」という、やる気をもらえる感想もありました。

日本政府は「昭和時代に獲得した南の島」としてシンガポールを「昭南島」と名付け、3年8ヶ月の間統治しました。「昭南島時代」は「最も暗黒な時代」としてシンガポールの人々に刻まれています。

訪れた国立博物館でも、その3年8ヶ月にわたる「暗黒時代」に関する展示はとても大きな比重を占めていました。

日本の学校教育では日本がどの国をどのくらい統治・侵略したのかということを深くは習いません。おそらくほとんどの日本人はどこまで日本が進出していったのか答えられません。

でも、「された側」はずっと覚えています。そんな場所に私たちは「ピースボート(平和船)」に乗って訪れます。

私たちの生きる今の時代は、幸運なことに船で旅行として外国に行くことができます。

しかし、70余年前にはそれが「侵略」をするための来訪だったことを想像すると、「日本人」として訪れる私たちは何を考えるべきだったのでしょうか。

共に旅をした人々との交差点

【寄稿】2度目のおりづるユース、加害と被害の間で(おりづるユース:安藤真子さん)
シンガポールの国立博物館には、日本軍による侵略についての説明も展示されている
99回クルーズには日本以外のアジアからの参加者が、約300名乗船していました。中国大陸、シンガポール、マレーシア、台湾、香港。どれも、日本が統治・侵略したことのある国々ばかりでした。

共に108日間旅をする仲間たちの歴史をたどると、必ず日本に何かを「された」過去を持っています。

日本の「加害の歴史」に目を向けている若者がいることを知ってほしかったこともあり、私は何名かのアジアからの参加者にインタビューを依頼しました。

インタビューを引き受けてくれた日本以外の参加者の約半数に近い方々が、過去に日本軍によって親戚を何らかの形で殺されたという経験を持っていました。

ある中国の方は抗日戦争についてこれまで家族から聞いてきた話は、昔はしたくなかったと話してくれた方もいました。しかし、繰り返さないために話そうと思うようになったといいます。

また、台湾出身の方は、5歳のときに日本軍を村人が怖がっていたという記憶があると話してくれました。また、自身も、幼心に日本軍が怖かったといいます。「日本はこれまであまり反省していない。

敗戦を終戦と言う。日本はそう認識している。無条件降伏は敗戦。アジアの国々からすると終戦は認めがたい」と本音をぶつけてくれました。

「した側」の想像に及ばないほど私たちの過去は「戦争」によって交差していたのだと気づかされました。

最高齢で乗船されていた93歳の台湾のあばあさんは、日本統治時代の教育の影響により、今も教育勅語を覚えていました。

日本人の若者として、決して目をそむけていい過去ではない。私は「ほとんどの日本人が、自国のしてきたことを知ろうとせず、無責任な態度を取り続けることに本当に憤りを感じます」と伝えるのが精一杯でした。

こうしたインタビューを通じて、これからも「戦争」や「平和」というテーマに向き合っていく人間として、どの地点に自分の視点を置くべきなのか、ということを今一度問われたように思います。

「和解の希望」の力をみたハワイ

【寄稿】2度目のおりづるユース、加害と被害の間で(おりづるユース:安藤真子さん)
パールハーバーには、日本軍の奇襲により沈没した戦艦アリゾナの錨などが展示してある
最後の寄港地となるハワイを訪れたのは、真珠湾攻撃の前日、12月7日でした。

私たちおりづるチームは、ハワイ大学での証言会の前にパールハーバーを訪れました。そして、日本がこの地で行ったことを目の当たりにします。翌日の式典の準備が整えられる公園を見て、「8月6日の平和記念式典と同じだ」と思いました。

8月6日、私は広島で「アメリカに原子爆弾を落とされた」ことを思い返します。そしてここパールハーバーでは「日本に奇襲攻撃を受けた」と明日振り返るのだということに言葉にできない気持ちになりました。

証言会では空さんが日本の真珠湾攻撃について謝罪しました。

そして私もおりづるユースとしてのコメントの中で「正直、パールハーバーを訪れて日本の歴史を振り返るとき、日本人として、しかし広島の若者としてどうコメントしたらいいのか分からなくなってしまった」と率直に伝えました。

空さんの謝罪のことばを受け、会場にいた女性が「本当に謝罪に感謝する。そして、アメリカ人として、アメリカが広島に原爆を投下したことを謝罪したい」と述べました。また、その他に「北朝鮮が核を持っていることをどう思うか?」などの質問が出ました。

人と人が個々人で出逢い、お互いの過去を見つめ合うことが持つ「和解と希望」の力を見ることができたハワイでした。

平和をつくっていくのは人と人の小さな出逢い

【寄稿】2度目のおりづるユース、加害と被害の間で(おりづるユース:安藤真子さん)
下段右から安藤真子さん、被爆者の空民子さんと塚本未知子さん(メキシコ・マンサニージョにて)
人の持つ力を信じてみたい。そう思えたのがこの99回クルーズでした。「ピースボート」に乗り世界をめぐり、そこに生きる人々とつながっていく。

これこそが平和への種をまくことであると思います。

そして、自分が何者であるのかということを考えざる得ない環境でもありました。私は広島に生まれ育ち、多くの被爆者から声を託してもらった若者として乗船しました。

でもそこで、「日本人」であることを突きつけられます。日本に「された」経験をもつアジア諸国の方々に、「ヒロシマ」をどのように伝えたらいいのかと頭を悩ませました。

船内では、「ピースガイド」という、一般の参加者の方がヒロシマの出来事や、被爆者の体験を伝えれるように学ぶというプロジェクトも実施しました。

そこでは、悲観的で主観的な視点に固執していないかということをピースボートスタッフとの間で話し合いました。

広島が第二次世界大戦以前から軍都として栄えてきたことや、被爆したのは日本人だけでなく、多くの外国人、特に朝鮮半島出身の方々も被爆している事実も盛り込むよう工夫しました。

おりづるユースとして乗船し、多様なバックグラウンドを持つ参加者と旅をすることで、高校1年生のときにぶつかった、「加害の歴史を持つ日本、被害の面をもつ被爆地ヒロシマ」という葛藤や想いをどう伝えていくのかという試練に、9年後に再びぶつかることができました。

9年前、自分自身に誓った「多くの戦争を知り、多様な立場から平和を語れる人間になりたい」という課題を振り返る時間にもなりました。

ただヒロシマの悲惨な被害を語り「ノーモア」を願っているだけでは「リメンバー」と言い返されて平行線を保つだけです。

自らの歴史をきちんと振り返り、そして相手の過去にも想いを寄せること。平和な未来を、戦争を繰り返さない未来をつくるために必要なことだと思います。

そして、名前をもった個人と個人が出逢い、お互いの歴史を知ろうとすれば、小さな和解が生まれます。その小さな和解の連鎖がいずれ戦争を繰り返さない、戦争を許さない社会をつくっていくのではないかと思います。

私は、その小さな和解を生むことができる人間の力を信じてみたいと思っています。

※安藤真子さんは、第96回ピースボート・オセアニア一周クルーズにもおりづるユース特使として乗船しています。その際のリポートは、以下の「この記事を読んだ方におすすめ」からご覧ください。

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