アジアの歴史・文化を学ぶ船旅~第11回日韓クルーズ「PEACE & GREEN BOAT2019」報告
日韓両国から参加者が1000人以上集まり、ともにアジアを旅したピースボートの日韓クルーズ「PEACE & GREEN BOAT2019」。2019年4月7日から4月18日まで、韓国の麗水(ヨス)、済州島、中国の上海、日本の長崎を訪れ、東アジアの市民が交流しました。
日韓の市民が各寄港地で学び、参加者同士で交流した体験を紹介します。
日韓の市民が各寄港地で学び、参加者同士で交流した体験を紹介します。
李舜臣をめぐる麗水歴史散策
このコースでは、16世紀末に行われた豊臣秀吉による「朝鮮出兵」を、侵略された朝鮮の側からの視点で検証しました。日本からの侵略を撃退する上で重要な役割を果たしたのは、朝鮮国の李舜臣(イ・スンシン)将軍です。
今回は、彼にまつわる麗水の歴史散策を行いました。案内してくれたのは、1995年に設立された麗水地域社会研究所のキム・ビョンホ理事長です。
舜臣将軍が水軍大本営をおいていた鎮南館や、李舜臣の母の家、そして造船技術を駆使し造った亀甲船のレプリカが展示されている李舜臣広場を訪問しました。
朝鮮王朝の独立を守るために戦い、韓国の英雄と呼ばれている李舜臣将軍。その足跡をめぐりながら麗水の歴史を学ぶことができました。
今回は、彼にまつわる麗水の歴史散策を行いました。案内してくれたのは、1995年に設立された麗水地域社会研究所のキム・ビョンホ理事長です。
舜臣将軍が水軍大本営をおいていた鎮南館や、李舜臣の母の家、そして造船技術を駆使し造った亀甲船のレプリカが展示されている李舜臣広場を訪問しました。
朝鮮王朝の独立を守るために戦い、韓国の英雄と呼ばれている李舜臣将軍。その足跡をめぐりながら麗水の歴史を学ぶことができました。
「慰安所」が設置されていた南京を訪ねて
中国の上海からは、南京市街で2015年に開館したばかりの南京利済港「慰安所」旧跡陳列館を訪れました。ここは、中国大陸では初めて生存中の元「慰安婦」の方が公認した「慰安婦」をテーマとした記念館です。
日中戦争中、この建物の2号棟19番目の部屋には、朝鮮人「慰安婦」の朴永心さんが拘束されていました。
各部屋には沖縄を含むアジアの地域で設置されていた慰安所の地図と写真、そして証言内容が展示されていました。
現在「#MeToo」運動が全世界で盛り上がっていますが、この「慰安所」の問題も過去のものではなく、現在までも続いている大きな問題であると改めて認識する訪問となりました。
日中戦争中、この建物の2号棟19番目の部屋には、朝鮮人「慰安婦」の朴永心さんが拘束されていました。
各部屋には沖縄を含むアジアの地域で設置されていた慰安所の地図と写真、そして証言内容が展示されていました。
現在「#MeToo」運動が全世界で盛り上がっていますが、この「慰安所」の問題も過去のものではなく、現在までも続いている大きな問題であると改めて認識する訪問となりました。
半世紀前に作られたダム建設計画をめぐって
長崎では、佐世保市に隣接する川棚町の川原(こうばる)地区を訪問しました。この地区は、見渡す限り自然があふれ、素晴らしい里山が一面に広がっていました。しかし、ここでは半世紀前に計画された石木ダムが建設されようとしています。
現地ではダム建設反対同盟のリーダーを務める岩下和雄さんに案内いただき、住民の方から川原地区での自然と共生する日常の暮らしを聞きました。
また、ツアーに参加した沖縄の米軍基地問題に取り組む若者からは、「辺野古の問題と構造がほとんど一緒」だという声があがり、今後もともに現状を変えるために取り組んでいこうと確かめ合う機会となりました。
現地ではダム建設反対同盟のリーダーを務める岩下和雄さんに案内いただき、住民の方から川原地区での自然と共生する日常の暮らしを聞きました。
また、ツアーに参加した沖縄の米軍基地問題に取り組む若者からは、「辺野古の問題と構造がほとんど一緒」だという声があがり、今後もともに現状を変えるために取り組んでいこうと確かめ合う機会となりました。
済州島「四・三事件」の虐殺の歴史を学ぶ
韓国の済州島では、1948年から1952年にかけてこの島で起きた「四.三事件」と呼ばれる民間人虐殺の記憶の地を巡りました。現地を案内してくれたたのは、4.3事件研究所のキム・チャンウ所長です。
今回訪問した済州4.3平和公園では、この事件がなぜ起こったのかを学ぶとともに、殺された多くの市民の慰霊碑の前で焼香を行いました。
また、当時北村里での虐殺の中で唯一生き残った順伊(スニ)さんが倒れていた場所を訪れました。順伊さんは、1978年の軍事独裁政権の下で小説『順伊おばさん』に描かれた方です。
この小説により、政権により隠されていた済州島四・三事件が多くの人の知るところとなり、その後の真相究明運動の大きな引き金になったといわれています。
今回訪問した済州4.3平和公園では、この事件がなぜ起こったのかを学ぶとともに、殺された多くの市民の慰霊碑の前で焼香を行いました。
また、当時北村里での虐殺の中で唯一生き残った順伊(スニ)さんが倒れていた場所を訪れました。順伊さんは、1978年の軍事独裁政権の下で小説『順伊おばさん』に描かれた方です。
この小説により、政権により隠されていた済州島四・三事件が多くの人の知るところとなり、その後の真相究明運動の大きな引き金になったといわれています。
ショパン〜花束の中に隠された大砲〜
船内で行われた企画では、ピアニストの崔善愛(チェ・ソンエ)さんが、ご自身の経験とともに作曲家ショパンの知られざる一面を紹介されました。
在日コリアンである崔さんは、米国の大学院に留学した際、外国人登録の指紋押捺拒否を理由に再入国許可を取得できず、日本での永住資格を失った経験をもちます。
ポーランドに生まれたショパンもまた、苦難の出国を余儀なくされています。ショパンは、ロシアに占拠された祖国ポーランドを離れる際に、親友にあてた手紙でこのような言葉を綴っています。
「出発の日を決めるだけの強さがない。永遠に家を忘れるためにこの国を離れる気がしてならない。死ぬために出発するような気がする」
崔さんはこの言葉を読み、衝撃を受けたそうです。参加者は、崔さんのお話から、時と場所を越えて現在まで通じる国家がもたらす苦難の歴史について考えさせられました。
今回のクルーズを通して、お互いの文化、歴史を学び、交流することにより、国籍を超えた多くのつながりが生まれました。今回の出会いを活かし、これからの未来をアジアでともに築いていきたいと思います。
在日コリアンである崔さんは、米国の大学院に留学した際、外国人登録の指紋押捺拒否を理由に再入国許可を取得できず、日本での永住資格を失った経験をもちます。
ポーランドに生まれたショパンもまた、苦難の出国を余儀なくされています。ショパンは、ロシアに占拠された祖国ポーランドを離れる際に、親友にあてた手紙でこのような言葉を綴っています。
「出発の日を決めるだけの強さがない。永遠に家を忘れるためにこの国を離れる気がしてならない。死ぬために出発するような気がする」
崔さんはこの言葉を読み、衝撃を受けたそうです。参加者は、崔さんのお話から、時と場所を越えて現在まで通じる国家がもたらす苦難の歴史について考えさせられました。
今回のクルーズを通して、お互いの文化、歴史を学び、交流することにより、国籍を超えた多くのつながりが生まれました。今回の出会いを活かし、これからの未来をアジアでともに築いていきたいと思います。