吉永小百合さんも登壇!イベント「核なき世界へ向けて〜被爆国の役割を考える〜」が開催されました
9月24日(月)、「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」記念イベントとして「核なき世界へ向けて〜被爆国の役割を考える」が、明治大学駿河台キャンパスにて開催され、550名の方が参加されました。昨年7月に国連で核兵器禁止条約が採択されてから1年が経ち、私たちには何ができるのかをテーマにさまざまな方が発言しました。ここでは、登壇した方のコメントの一部を抜粋して紹介しています。このイベントを主催したのは、ピースボートも参加する核兵器廃絶日本NGO連絡会です。国連広報センターが共催し、明治大学法学部とヒバクシャ国際署名連絡会が共催しました。
- プロジェクト: 核廃絶
INFO
2018.10.17
2019.3.26
9月24日(月)、「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」記念イベントとして「核なき世界へ向けて〜被爆国の役割を考える」が、明治大学駿河台キャンパスにて開催され、550名の方が参加されました。昨年7月に国連で核兵器禁止条約が採択されてから1年が経ち、私たちには何ができるのかをテーマにさまざまな方が発言しました。ここでは、登壇した方のコメントの一部を抜粋して紹介しています。このイベントを主催したのは、ピースボートも参加する核兵器廃絶日本NGO連絡会です。国連広報センターが共催し、明治大学法学部とヒバクシャ国際署名連絡会が共催しました。
世界をリードし、核廃絶の実現を
●主催者挨拶:森瀧春子さん(核兵器廃絶日本NGO連絡会共同世話人)
昨年、核兵器禁止条約が国連で採択されたことは、核廃絶運動の長い歴史の中でも希望の光となりました。しかしその動きをさらに進めて私たちが核を葬らない限り、私たちは核によって滅ぼされてしまいます。その状況を終わらせるために、日本は率先して核兵器禁止条約に署名し、世界をリードして、今日のテーマである被爆国の役割をまっとうしていこうではありませんか。
●挨拶:小林正美さん(明治大学副学長)
明治初期に建学された明治大学は、「権利、自由、独立、自治」という当時としてはリベラルで先進的な思想を掲げました。それから135年が経ったいま、これらの言葉は死語になっていてもよさそうなものですが、不穏な動きもあり、これらの言葉がいまだに意味を持っていることは、重要な課題と言えます。そういう意味でも、核廃絶のシンポジウムに会場を明治大学を使ってもらったことは、私たちにとっても光栄であります。
●河野太郎外務大臣メッセージ:代読・今西靖治さん(外務省軍備管理軍縮課課長)
唯一の戦争被爆国である日本にとり、核兵器のない世界の実現は積年の悲願であります。核軍縮、核廃絶への日本政府の決意に揺らぎはありません。国際社会が一致して核軍縮の進展に向けた取り組みを進める上では、核兵器国と非核兵器国の協力を得ながら、具体的な努力を積み重ねることが必要であり、日本は粘り強く双方の橋渡しに務めていく考えです。昨年7月には、国連で核兵器禁止条約が採択されました。アプローチは異なるものの、この条約が目指す核兵器廃絶という目標は、日本政府も共有しております。一方で核兵器禁止条約は、現実の安全保障の現実を踏まえることなくつくられたため、核兵器国も、安全保障上の脅威に直面する国々も参加していません。日本政府としては、NPTを重視しつつ、CTBTの発効促進など、核兵器国をしっかりと巻き込んだ実践的、かつ具体的な取り組みを粘り強く進めてまいります。
昨年、核兵器禁止条約が国連で採択されたことは、核廃絶運動の長い歴史の中でも希望の光となりました。しかしその動きをさらに進めて私たちが核を葬らない限り、私たちは核によって滅ぼされてしまいます。その状況を終わらせるために、日本は率先して核兵器禁止条約に署名し、世界をリードして、今日のテーマである被爆国の役割をまっとうしていこうではありませんか。
●挨拶:小林正美さん(明治大学副学長)
明治初期に建学された明治大学は、「権利、自由、独立、自治」という当時としてはリベラルで先進的な思想を掲げました。それから135年が経ったいま、これらの言葉は死語になっていてもよさそうなものですが、不穏な動きもあり、これらの言葉がいまだに意味を持っていることは、重要な課題と言えます。そういう意味でも、核廃絶のシンポジウムに会場を明治大学を使ってもらったことは、私たちにとっても光栄であります。
●河野太郎外務大臣メッセージ:代読・今西靖治さん(外務省軍備管理軍縮課課長)
唯一の戦争被爆国である日本にとり、核兵器のない世界の実現は積年の悲願であります。核軍縮、核廃絶への日本政府の決意に揺らぎはありません。国際社会が一致して核軍縮の進展に向けた取り組みを進める上では、核兵器国と非核兵器国の協力を得ながら、具体的な努力を積み重ねることが必要であり、日本は粘り強く双方の橋渡しに務めていく考えです。昨年7月には、国連で核兵器禁止条約が採択されました。アプローチは異なるものの、この条約が目指す核兵器廃絶という目標は、日本政府も共有しております。一方で核兵器禁止条約は、現実の安全保障の現実を踏まえることなくつくられたため、核兵器国も、安全保障上の脅威に直面する国々も参加していません。日本政府としては、NPTを重視しつつ、CTBTの発効促進など、核兵器国をしっかりと巻き込んだ実践的、かつ具体的な取り組みを粘り強く進めてまいります。
救援すらできない状況を、二度とつくってはいけない
◆基調講演「核兵器廃絶への道筋に光は見えた」
●田中煕巳さん(日本原水爆被害者団体協議会〈日本被団協〉代表委員)
原爆が投下されてから7年間は、日本は米国の占領下にあり、私たち被爆者は、日本国内でも自分たちの苦しい現状を訴えることができませんでした。占領が終わった1956年に初めて全国の被爆者たちが結束して日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)をつくりあげ、国内外に核兵器の廃絶を訴えてきました。特に、核兵器の使用は非人道的であり、再び使われてはならないと叫び続けてきました。
そして2010年代に入ってから、核兵器の非人道性についての議論が国際社会で盛んになりました。それと同時に、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2007年に立ち上がりました。ICANは、広島と長崎の被爆者だけでなく、核兵器によって被害を受けた世界中の人々の苦しみも取り上げて、運動を大きくしていきました。その結果が、昨年国連で採択された核兵器禁止条約です。
しかし、日本政府はその交渉にも参加しませんでした。政府は日本の安全にとって核抑止力は必要という立場ですが、果たして、日本で多くの国民が「自国の安全のために核兵器に頼りたい」という意思を持っているかどうか、改めて問い直していかなければならないと思っています。
8月9日、私は爆心地から3.2キロの地点にいて助かりましたが、叔父や叔母たちが、500メートルから700メートルの距離にいて一挙に命を奪われました。その叔父や叔母たちの安否を確認するために、私は爆心地に3日後に入りました。3日後の爆心地は惨憺たるものでした。亡くなった何千人といった人の死体がそのまま放置されていました。そして生き残った重傷者たちが放置されていました。死体を収容することも、けが人を救援することも3日経ってもまだできない。そういう状況を原子爆弾が作ったのです。そういう状況を作らないためにも核廃絶のために頑張っていきたいと思います
被爆者の訴えを、世界中の多くの人たちから賛同してもらうため、一昨年から「ヒバクシャ国際署名」を実施しています。すでに1000万もの署名が集まっていますが、みなさんと一緒にもっともっと大きな運動にしていきたいと思います。国連を動かし、世界中の市民を動かすために、この署名を活用していただきたいと思います。
●田中煕巳さん(日本原水爆被害者団体協議会〈日本被団協〉代表委員)
原爆が投下されてから7年間は、日本は米国の占領下にあり、私たち被爆者は、日本国内でも自分たちの苦しい現状を訴えることができませんでした。占領が終わった1956年に初めて全国の被爆者たちが結束して日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)をつくりあげ、国内外に核兵器の廃絶を訴えてきました。特に、核兵器の使用は非人道的であり、再び使われてはならないと叫び続けてきました。
そして2010年代に入ってから、核兵器の非人道性についての議論が国際社会で盛んになりました。それと同時に、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2007年に立ち上がりました。ICANは、広島と長崎の被爆者だけでなく、核兵器によって被害を受けた世界中の人々の苦しみも取り上げて、運動を大きくしていきました。その結果が、昨年国連で採択された核兵器禁止条約です。
しかし、日本政府はその交渉にも参加しませんでした。政府は日本の安全にとって核抑止力は必要という立場ですが、果たして、日本で多くの国民が「自国の安全のために核兵器に頼りたい」という意思を持っているかどうか、改めて問い直していかなければならないと思っています。
8月9日、私は爆心地から3.2キロの地点にいて助かりましたが、叔父や叔母たちが、500メートルから700メートルの距離にいて一挙に命を奪われました。その叔父や叔母たちの安否を確認するために、私は爆心地に3日後に入りました。3日後の爆心地は惨憺たるものでした。亡くなった何千人といった人の死体がそのまま放置されていました。そして生き残った重傷者たちが放置されていました。死体を収容することも、けが人を救援することも3日経ってもまだできない。そういう状況を原子爆弾が作ったのです。そういう状況を作らないためにも核廃絶のために頑張っていきたいと思います
被爆者の訴えを、世界中の多くの人たちから賛同してもらうため、一昨年から「ヒバクシャ国際署名」を実施しています。すでに1000万もの署名が集まっていますが、みなさんと一緒にもっともっと大きな運動にしていきたいと思います。国連を動かし、世界中の市民を動かすために、この署名を活用していただきたいと思います。
今こそみんなに核兵器のことを考えてほしい
◆ゲストトーク
●川崎哲(核兵器廃絶国際キャンペーン国際運営委員)
●吉永小百合さん(俳優)
川崎哲:昨年の核禁条約は歴史的な一歩だと思います。これをどうやって現実の核廃絶に近づけていけるかはまさに人々の力が試されているところです。私たちに何ができるかということを考えていきたいということで、ゲストとして吉永小百合さんをお招きしました。
吉永小百合:普段こういう会に参加することはないんです。いつも原爆詩の朗読をしています。でも今回は森瀧春子さんと川崎哲さんから熱烈なお手紙を頂いて、悩みに悩んでここに来ました。
本当に素晴らしい核兵器禁止条約が作られたんですけど、日本ではまだまだそれを知っている人が少ないと思うんです。だから私たちの力でなんとか、もうちょっと大きな声を出して政府に届けて、先ほど政府の方はアプローチが違うとおっしゃっていましたけれども、何とかこれを批准して核兵器のない平和な世界を作っていくことが大事なんじゃないかしらと思っています。
せっかく川崎さんたちが努力して素晴らしい核兵器禁止条約がつくられたのですから、いま日本にいる私たちがしっかりと「いいね」という意思表示ができたらいいなと思うんです。私はネットで「いいね」というのがぜんぜんできないんですけど、若い世代はできると思うんですね。私たち世代もいいねと言えるようなそんな形をもっと考えてくれたら、もっともっとみんなで行動できるなと思います。
私は、9月の初めにオーストリアに行きました。オーストリアでは原発が1つも稼働していないんです。風車がたくさんありました。そのときガイドしてくださった日本の方から、「86年のチェルノブイリのときに、原発を稼動する予定だったけれど事故の後国民投票で50%以上の人がNOと言って稼働しなくなったんです」と言われました。そして「そのあと何年かしてまた国民投票で意見を聞いたら、やはり同じような結果になって、いまこの国には核がないんです。それはとてもいいことだと思います」とおっしゃっていました。全く知らないことだったんですが大変感動しましたし、隣近所に原発や核兵器がたくさんあるわけです。そういう潔い決断をなさったということで大変感銘を受けました。
日本は唯一の被爆国で どんなにたくさんの方が亡くなって、またつらい思いをしてらっしゃるかということを考えれば、ぜったいに核兵器をやめましょうと言うべきではないかと思っています。
私が最初に広島に行ったのは「愛と死の記録」という映画の撮影でした。それは大江健三郎さんの『ヒロシマノート』という本の中に出てくる5行くらいのエピソードとして書かれた、ある青年と娘の話を映画化したものでした。4歳のときの被爆した青年が20歳になったときに白血病になって、そして亡くなるんです。恋人だった娘はその青年を追って1週間後に亡くなってしまうという、本当に悲しい話でした。
そのときに実際の広島の街で撮影して、被爆者の方たちともお話をしましたし、まだまだ原爆の爪痕が残っている街を見ることができました。そういう経験を通して、私の声は小さいんですけど、みんなに核兵器のことを考えましょうよって言いたいなと切実に願っています。
●川崎哲(核兵器廃絶国際キャンペーン国際運営委員)
●吉永小百合さん(俳優)
川崎哲:昨年の核禁条約は歴史的な一歩だと思います。これをどうやって現実の核廃絶に近づけていけるかはまさに人々の力が試されているところです。私たちに何ができるかということを考えていきたいということで、ゲストとして吉永小百合さんをお招きしました。
吉永小百合:普段こういう会に参加することはないんです。いつも原爆詩の朗読をしています。でも今回は森瀧春子さんと川崎哲さんから熱烈なお手紙を頂いて、悩みに悩んでここに来ました。
本当に素晴らしい核兵器禁止条約が作られたんですけど、日本ではまだまだそれを知っている人が少ないと思うんです。だから私たちの力でなんとか、もうちょっと大きな声を出して政府に届けて、先ほど政府の方はアプローチが違うとおっしゃっていましたけれども、何とかこれを批准して核兵器のない平和な世界を作っていくことが大事なんじゃないかしらと思っています。
せっかく川崎さんたちが努力して素晴らしい核兵器禁止条約がつくられたのですから、いま日本にいる私たちがしっかりと「いいね」という意思表示ができたらいいなと思うんです。私はネットで「いいね」というのがぜんぜんできないんですけど、若い世代はできると思うんですね。私たち世代もいいねと言えるようなそんな形をもっと考えてくれたら、もっともっとみんなで行動できるなと思います。
私は、9月の初めにオーストリアに行きました。オーストリアでは原発が1つも稼働していないんです。風車がたくさんありました。そのときガイドしてくださった日本の方から、「86年のチェルノブイリのときに、原発を稼動する予定だったけれど事故の後国民投票で50%以上の人がNOと言って稼働しなくなったんです」と言われました。そして「そのあと何年かしてまた国民投票で意見を聞いたら、やはり同じような結果になって、いまこの国には核がないんです。それはとてもいいことだと思います」とおっしゃっていました。全く知らないことだったんですが大変感動しましたし、隣近所に原発や核兵器がたくさんあるわけです。そういう潔い決断をなさったということで大変感銘を受けました。
日本は唯一の被爆国で どんなにたくさんの方が亡くなって、またつらい思いをしてらっしゃるかということを考えれば、ぜったいに核兵器をやめましょうと言うべきではないかと思っています。
私が最初に広島に行ったのは「愛と死の記録」という映画の撮影でした。それは大江健三郎さんの『ヒロシマノート』という本の中に出てくる5行くらいのエピソードとして書かれた、ある青年と娘の話を映画化したものでした。4歳のときの被爆した青年が20歳になったときに白血病になって、そして亡くなるんです。恋人だった娘はその青年を追って1週間後に亡くなってしまうという、本当に悲しい話でした。
そのときに実際の広島の街で撮影して、被爆者の方たちともお話をしましたし、まだまだ原爆の爪痕が残っている街を見ることができました。そういう経験を通して、私の声は小さいんですけど、みんなに核兵器のことを考えましょうよって言いたいなと切実に願っています。
被爆者との出会いが世界の人々を変えた
川崎:吉永さんが被爆者の方々と出会ったことで、大きな影響を受けたという話でした。実は私もICANやピースボートの活動の中で、被爆者の方との出会いが持つ力というものを実感しております。
2008年からピースボートの船に、広島・長崎の被爆者の方たちに乗っていただいて、世界を回るわけです。そうすると本当に世界各地での受け止め方が力強くて熱くて、「そういう話を聞きたかった、もっと聞かせてくれ」と言われるわけです。
そうして被爆者の声を聞いた方々が、核兵器は非人道的だ感じてくれた。それが「非人道兵器として禁止しよう」と核兵器禁止条約につながったと、それがすごく大きかったという確信があります。
各国の外交官の方々も被爆者の声を聞いて動かされたということなんです。ところが日本では被爆者の方がたくさんいらっしゃるのにその声が若者に届いていないかもしれない、あるいは政府や国会議員に届いていないかもしれないという心配があります。
それからオーストリアの話が出ましたが、オーストリアは原発を止めただけでなく、この核兵器をなくすために本当に先頭で旗を振ってくれた国の1つでした。政府が頑張ると市民も一緒に頑張るんです。正しいことをやるために国際社会で役割を果たすんだという力強さが大学生くらいからあって、そこから見習わないといけないと思います。
吉永:私たちが世界の国の若者や活動する人たちからもっと多くを学んで、そして声を出していかないといけませんね。
川崎:先程「いいね」という話がありましたが、やはりこのことを話題にしなきゃいけないし、話題にして変えていかなきゃいけないというのがあるんですが、どうも世の中変わらないという諦めが日本には強すぎるのではないかと思います。
核兵器禁止条約だってそんなの無理だとずっと言われてきました。だけどやってみたらできたということですから、いま核兵器禁止条約ができたって核廃絶なんて無理だという人たちがいますけれども、やっぱりやろうよ、ということをみんなが声を出すのが本当に大事だと思います。
吉永:いま終末時計が2分前と言われていて大変な時期に来ているということですよね。だから私たちがしっかり行動することが大事ですよね。
川崎:人類滅亡のタイミングを午前ゼロ時と見立てて、いま2分前だということを世界の科学者たちが言っているということです。それほど緊迫した情勢のときに、私たちが立ち止まっていいんだろうかということだと思います。では最後に、吉永さんから皆さんへのメッセージをお願いいたします。
吉永:私もいろいろ考えてこの場に来ましたし、森瀧さんも川崎さんもずっと長いこと平和のこと核兵器廃絶のことを考えて行動してくださっています。被爆国の人間として大事なことは発言すること、そして核兵器がもう二度と使われないという状況を、みんなでつくりあげていくことだと思うんですね。
本当にこういう形ですばらしい核兵器禁止条約というものが採択できたんですから、私たちが声を出して政府に働きかけて、私たちと一緒にやりましょうよと言いたいと思っているんですね。
川崎:吉永さん本当にありがとうございました。
2008年からピースボートの船に、広島・長崎の被爆者の方たちに乗っていただいて、世界を回るわけです。そうすると本当に世界各地での受け止め方が力強くて熱くて、「そういう話を聞きたかった、もっと聞かせてくれ」と言われるわけです。
そうして被爆者の声を聞いた方々が、核兵器は非人道的だ感じてくれた。それが「非人道兵器として禁止しよう」と核兵器禁止条約につながったと、それがすごく大きかったという確信があります。
各国の外交官の方々も被爆者の声を聞いて動かされたということなんです。ところが日本では被爆者の方がたくさんいらっしゃるのにその声が若者に届いていないかもしれない、あるいは政府や国会議員に届いていないかもしれないという心配があります。
それからオーストリアの話が出ましたが、オーストリアは原発を止めただけでなく、この核兵器をなくすために本当に先頭で旗を振ってくれた国の1つでした。政府が頑張ると市民も一緒に頑張るんです。正しいことをやるために国際社会で役割を果たすんだという力強さが大学生くらいからあって、そこから見習わないといけないと思います。
吉永:私たちが世界の国の若者や活動する人たちからもっと多くを学んで、そして声を出していかないといけませんね。
川崎:先程「いいね」という話がありましたが、やはりこのことを話題にしなきゃいけないし、話題にして変えていかなきゃいけないというのがあるんですが、どうも世の中変わらないという諦めが日本には強すぎるのではないかと思います。
核兵器禁止条約だってそんなの無理だとずっと言われてきました。だけどやってみたらできたということですから、いま核兵器禁止条約ができたって核廃絶なんて無理だという人たちがいますけれども、やっぱりやろうよ、ということをみんなが声を出すのが本当に大事だと思います。
吉永:いま終末時計が2分前と言われていて大変な時期に来ているということですよね。だから私たちがしっかり行動することが大事ですよね。
川崎:人類滅亡のタイミングを午前ゼロ時と見立てて、いま2分前だということを世界の科学者たちが言っているということです。それほど緊迫した情勢のときに、私たちが立ち止まっていいんだろうかということだと思います。では最後に、吉永さんから皆さんへのメッセージをお願いいたします。
吉永:私もいろいろ考えてこの場に来ましたし、森瀧さんも川崎さんもずっと長いこと平和のこと核兵器廃絶のことを考えて行動してくださっています。被爆国の人間として大事なことは発言すること、そして核兵器がもう二度と使われないという状況を、みんなでつくりあげていくことだと思うんですね。
本当にこういう形ですばらしい核兵器禁止条約というものが採択できたんですから、私たちが声を出して政府に働きかけて、私たちと一緒にやりましょうよと言いたいと思っているんですね。
川崎:吉永さん本当にありがとうございました。
軍縮教育はなぜ重要なのか?
◆パネルディスカッション:「軍縮教育の可能性−核兵器廃絶と市民社会」
●モデレーター 根本かおるさん(国連広報センター所長)
今年の8月9日は、国連のグテーレス事務総長が、国連事務総長としては初めて長崎の平和祈念式典に参列しました。私も同行しましたが、長崎を訪れ、被爆者の方々とお会いになって、核兵器のない世界を築くことへの思いを強く新たにしていたと思います。また、グテーレス事務総長は、国連で今年5月に発表した軍縮アジェンダの中で「若い世代というのは変革をもたらすための最終的な原動力だ」という表現で、軍縮教育への取り組みと国連としてのサポートの仕方について触れています。今回は、軍縮教育の歴史、具体的な事例としてどんな事があるのか、核兵器のない世界の具体的なビジョン、軍縮教育における若者の役割という視点で皆さんからお話しいただきます。
●今西靖治さん(外務省軍備管理軍縮課課長)
政府がやっている取り組みを少し紹介させていただきます。非核特使という制度があります。被爆者の方々が海外で核兵器の非人道性について発信をする際に非核特使として委嘱をしています。同じような形で高校生から20代の若者にユース非核特使に委嘱して、海外での原爆展や国際会議などでも活動していただいています。また国連軍縮フェローシップというプログラムでは、各国の若手の外交官や政府関係者の人たちを広島や長崎に来ていただいて被爆の実相を勉強していただくということも続けています。過去に1000人近く訪れてもらって、いま軍縮の第一線で活躍している外交官の方たちが、かなりの確率でこのプログラムを利用して被爆地を訪れているということになります。
●土岐雅子さん(ミドルベリー国際大学院ジェームズ・マーティン不拡散研究所研究員)
カリフォルニア州モントレーというところで、若い世代への軍縮不拡散教育を担当しております。1980年に創設された私たちの研究所は、国際機関や各国政府、研究機関とも協力しながら、軍縮教育の研究を幅広く実施し世界中に多彩な人材を輩出しています。私たちは、高校生対象の軍縮教育と異文化理解のプロジェクトも実施しています。広島や長崎でもプロジェクトを行い、被爆の実相を伝えてきました。軍縮教育を拡大していくためには、あきらめずに挑戦し続けることが大切だと思います。
●工藤恭綺さん(ナガサキ・ユース代表団第6期生)
私は現在、長崎の大学で勉強する大学生です。ナガサキ・ユースというのは長崎県と長崎市、長崎大学が運営する人材育成プロジェクトです。軍縮をテーマにする国際会議などに出席して、核兵器をめぐる世界情勢について学び、核廃絶について発信しています。私たちが作った映像が、国連のサイドイベントでも上映されました。活動してきた感想としては、日本の中では平和教育を受けてきたとされている長崎の若者であっても、核兵器については諦めや無関心が漂っているということを感じています。そうならないための教育をこれからどうしていったらいいのかということを考えていきたいと思っています。
◆クロストーク
根本:土岐さんは、日本、アメリカ、ロシアの若者に軍縮教育を手がけられています。軍縮教育に国境は関係あるのでしょうか?また、違う国の若者たちが出会うことでどんな化学反応が起きるのでしょうか?
土岐:確かに国境はあります。普通のアメリカの高校生は、原爆の正当性を学校で学んできている人が多い。でもだからこそ、原爆の非人道性をプロジェクトを通して理解していただこうと思っています。2013年から、日本の高校生にも参加してもらうようになりました。広島や長崎から来た高校生の話をアメリカの若者が聞いて、非常に感動していました。若いときに同世代から話を聞く体験とても大事なことだと実感しています。
根本:今西さんにお聞きます。核軍縮の専門家の方でも会議で初めて広島・長崎を訪れて、大きく心を揺さぶられたという話がありました。こういった機会をさらに広げていくために政府としてどのようなアクションをとっているでしょうか?
今西:去年、核兵器国からも非核兵器国からも、16人位の専門家を広島に呼び、軍縮についての会議を開催しました。今年の11月には長崎でも開催する予定です。、政府としては、専門家の方、政府要人の方が日本を訪れる際には、できるだけ広島・長崎を訪れていただくようにしたいと考えています。
根本:工藤さんは、若い人たちから「何をしたらいいかわからない」という言葉を聞くとおっしゃっていましたが、軍縮不拡散に関わった一人として、どんなことから一歩を踏み出せば良いと思いますか?
工藤:まず「知る」というツールがない事が大きいと思っています。そのツールがつくれれば、というのが私たちの活動のひとつです。私も最初はそうでしたが、多くの人は自分たちには関係のない話と考えているので、軍縮教育の中身を問い直していく必要があるのではないかと思います。
根本:広島、長崎とそれ以外の若者では、知識や理解などに違いはあるでしょうか?
工藤:ナガサキユースの先輩たちは、それについてアンケートを取りました。核兵器廃絶が現実的かどうかといった意識の面や、原爆投下についての知識面など、意外なことに場所によっての差はほとんどありませんでした。どこの出身の方も同じではないでしょうか。
根本:工藤さんのお話を受けて、土岐さんはどう感じましたか?
土岐:ツールがない、というのは本当にそうだなと思います。学ぶ機会さえあれば、高校生たちはこの問題の重要性について敏感に気づくんです。かつてうちの研究所の所長であるポッター博士が、核軍縮について講演をしたあとに高校生が来て「今までこんな話を聞いたことがありませんでした」と言われたました。ポッター博士は、そこで危機感を感じて高校生にも軍縮について勉強する機会を与えるべきだと考え、20年前にプロジェクトを立ち上げました。無関心には挑戦し続けないと、何も変わらないということだと思います。
根本:ここでニュースがあります。一昨日(9月22日)に行われた国際平和映像祭で、広島女学院高等学校の高校生である庭田杏珠さん(16歳)が被爆者の方と一緒に作った短い映像が、学生部門賞を受賞いたしました。庭田さんは、11月に行われる国連の映像祭に参加して上映とスピーチを行う予定になっています。映像のタイトルは「『記憶の解凍』:カラー化写真で時を刻み、息づきはじめるヒロシマ」というもので、広島で被爆した浜井徳三さんの思い出の白黒写真を、AIを使ってカラー化したことで被爆者の記憶を呼び起こし、世代を超えたつながりが生まれたというものになっています。会場の皆さんには、映像を見ていただきます。
最後になりますが、1万人アクションを起こしたいと思っている人がいても、実際に行動に移す人は1%の100人です。それを続けていく人はさらに1%で一人です。今日のイベントで話し合われたことを周りの方々に共有していただければと思います。そしてこれをきっかけに様々なアクションにつなげていっていただければと思います。
●閉会の辞 朝長万左男さん(核兵器廃絶日本NGO連絡会共同世話人)
被爆者の方々がこれだけ世界中に出ていって証言をしていても、なかなか核廃絶が実現していません。感性だけではなく、理性の部分も組み合わせて我々はやっていかないといけないと思います。どうやったら日本政府が核兵器禁止条約に署名するのか、それを教育の場で考えることができるかということだと思います。核抑止論で世界情勢は成り立っている中で、感性だけでは動かせない。それが我々のいま抱えている問題があると思います。外務省の方と一緒にそのあたりを考えていかないといけないと思います。
※なお、このイベントの様子は以下のメディアで紹介されました、
●9月24日
・NHKニュース 吉永小百合さん「日本も核兵器禁止条約に賛同を」
・NHK首都圏ニュース 吉永さん「核禁止条約に賛同を」
・毎日新聞 吉永小百合さん「核兵器のこと考えて」
・共同通信 吉永さん「核兵器のこと考えて」
・共同通信 「被爆国として役割を果たそう」核兵器廃絶求めるイベント
・しんぶん赤旗 核兵器禁止条約 今こそ日本批准
・日刊スポーツ 吉永小百合「やりましょうよ」政府に核兵器廃絶訴え
・スポーツ報知 吉永小百合。「核兵器なき世界」でトーク 昨年ノーベル平和賞のメダル見て「すばらしいですね」と感動
・デイリースポーツ 吉永小百合 核兵器廃絶への思い訴え「私の声は小さいけど…切実に」
●9月25日
・朝日新聞 核禁止「声出して働きかけよう」吉永小百合さん、NGO集いで呼びかけ
・東京新聞 吉永さん「核の傘要らない」ICANと対談
・サンケイスポーツ 吉永小百合、核兵器廃絶へ「私たちが声を出して政府に言いたい」
・スポニチアネックス 吉永小百合「核兵器はダメ」シンポジウム参加で呼びかけ
●9月27日
・機関紙連合通信社 「政府は核兵器禁止条約批准を」俳優・吉永小百合さんが訴え
●モデレーター 根本かおるさん(国連広報センター所長)
今年の8月9日は、国連のグテーレス事務総長が、国連事務総長としては初めて長崎の平和祈念式典に参列しました。私も同行しましたが、長崎を訪れ、被爆者の方々とお会いになって、核兵器のない世界を築くことへの思いを強く新たにしていたと思います。また、グテーレス事務総長は、国連で今年5月に発表した軍縮アジェンダの中で「若い世代というのは変革をもたらすための最終的な原動力だ」という表現で、軍縮教育への取り組みと国連としてのサポートの仕方について触れています。今回は、軍縮教育の歴史、具体的な事例としてどんな事があるのか、核兵器のない世界の具体的なビジョン、軍縮教育における若者の役割という視点で皆さんからお話しいただきます。
●今西靖治さん(外務省軍備管理軍縮課課長)
政府がやっている取り組みを少し紹介させていただきます。非核特使という制度があります。被爆者の方々が海外で核兵器の非人道性について発信をする際に非核特使として委嘱をしています。同じような形で高校生から20代の若者にユース非核特使に委嘱して、海外での原爆展や国際会議などでも活動していただいています。また国連軍縮フェローシップというプログラムでは、各国の若手の外交官や政府関係者の人たちを広島や長崎に来ていただいて被爆の実相を勉強していただくということも続けています。過去に1000人近く訪れてもらって、いま軍縮の第一線で活躍している外交官の方たちが、かなりの確率でこのプログラムを利用して被爆地を訪れているということになります。
●土岐雅子さん(ミドルベリー国際大学院ジェームズ・マーティン不拡散研究所研究員)
カリフォルニア州モントレーというところで、若い世代への軍縮不拡散教育を担当しております。1980年に創設された私たちの研究所は、国際機関や各国政府、研究機関とも協力しながら、軍縮教育の研究を幅広く実施し世界中に多彩な人材を輩出しています。私たちは、高校生対象の軍縮教育と異文化理解のプロジェクトも実施しています。広島や長崎でもプロジェクトを行い、被爆の実相を伝えてきました。軍縮教育を拡大していくためには、あきらめずに挑戦し続けることが大切だと思います。
●工藤恭綺さん(ナガサキ・ユース代表団第6期生)
私は現在、長崎の大学で勉強する大学生です。ナガサキ・ユースというのは長崎県と長崎市、長崎大学が運営する人材育成プロジェクトです。軍縮をテーマにする国際会議などに出席して、核兵器をめぐる世界情勢について学び、核廃絶について発信しています。私たちが作った映像が、国連のサイドイベントでも上映されました。活動してきた感想としては、日本の中では平和教育を受けてきたとされている長崎の若者であっても、核兵器については諦めや無関心が漂っているということを感じています。そうならないための教育をこれからどうしていったらいいのかということを考えていきたいと思っています。
◆クロストーク
根本:土岐さんは、日本、アメリカ、ロシアの若者に軍縮教育を手がけられています。軍縮教育に国境は関係あるのでしょうか?また、違う国の若者たちが出会うことでどんな化学反応が起きるのでしょうか?
土岐:確かに国境はあります。普通のアメリカの高校生は、原爆の正当性を学校で学んできている人が多い。でもだからこそ、原爆の非人道性をプロジェクトを通して理解していただこうと思っています。2013年から、日本の高校生にも参加してもらうようになりました。広島や長崎から来た高校生の話をアメリカの若者が聞いて、非常に感動していました。若いときに同世代から話を聞く体験とても大事なことだと実感しています。
根本:今西さんにお聞きます。核軍縮の専門家の方でも会議で初めて広島・長崎を訪れて、大きく心を揺さぶられたという話がありました。こういった機会をさらに広げていくために政府としてどのようなアクションをとっているでしょうか?
今西:去年、核兵器国からも非核兵器国からも、16人位の専門家を広島に呼び、軍縮についての会議を開催しました。今年の11月には長崎でも開催する予定です。、政府としては、専門家の方、政府要人の方が日本を訪れる際には、できるだけ広島・長崎を訪れていただくようにしたいと考えています。
根本:工藤さんは、若い人たちから「何をしたらいいかわからない」という言葉を聞くとおっしゃっていましたが、軍縮不拡散に関わった一人として、どんなことから一歩を踏み出せば良いと思いますか?
工藤:まず「知る」というツールがない事が大きいと思っています。そのツールがつくれれば、というのが私たちの活動のひとつです。私も最初はそうでしたが、多くの人は自分たちには関係のない話と考えているので、軍縮教育の中身を問い直していく必要があるのではないかと思います。
根本:広島、長崎とそれ以外の若者では、知識や理解などに違いはあるでしょうか?
工藤:ナガサキユースの先輩たちは、それについてアンケートを取りました。核兵器廃絶が現実的かどうかといった意識の面や、原爆投下についての知識面など、意外なことに場所によっての差はほとんどありませんでした。どこの出身の方も同じではないでしょうか。
根本:工藤さんのお話を受けて、土岐さんはどう感じましたか?
土岐:ツールがない、というのは本当にそうだなと思います。学ぶ機会さえあれば、高校生たちはこの問題の重要性について敏感に気づくんです。かつてうちの研究所の所長であるポッター博士が、核軍縮について講演をしたあとに高校生が来て「今までこんな話を聞いたことがありませんでした」と言われたました。ポッター博士は、そこで危機感を感じて高校生にも軍縮について勉強する機会を与えるべきだと考え、20年前にプロジェクトを立ち上げました。無関心には挑戦し続けないと、何も変わらないということだと思います。
根本:ここでニュースがあります。一昨日(9月22日)に行われた国際平和映像祭で、広島女学院高等学校の高校生である庭田杏珠さん(16歳)が被爆者の方と一緒に作った短い映像が、学生部門賞を受賞いたしました。庭田さんは、11月に行われる国連の映像祭に参加して上映とスピーチを行う予定になっています。映像のタイトルは「『記憶の解凍』:カラー化写真で時を刻み、息づきはじめるヒロシマ」というもので、広島で被爆した浜井徳三さんの思い出の白黒写真を、AIを使ってカラー化したことで被爆者の記憶を呼び起こし、世代を超えたつながりが生まれたというものになっています。会場の皆さんには、映像を見ていただきます。
最後になりますが、1万人アクションを起こしたいと思っている人がいても、実際に行動に移す人は1%の100人です。それを続けていく人はさらに1%で一人です。今日のイベントで話し合われたことを周りの方々に共有していただければと思います。そしてこれをきっかけに様々なアクションにつなげていっていただければと思います。
●閉会の辞 朝長万左男さん(核兵器廃絶日本NGO連絡会共同世話人)
被爆者の方々がこれだけ世界中に出ていって証言をしていても、なかなか核廃絶が実現していません。感性だけではなく、理性の部分も組み合わせて我々はやっていかないといけないと思います。どうやったら日本政府が核兵器禁止条約に署名するのか、それを教育の場で考えることができるかということだと思います。核抑止論で世界情勢は成り立っている中で、感性だけでは動かせない。それが我々のいま抱えている問題があると思います。外務省の方と一緒にそのあたりを考えていかないといけないと思います。
※なお、このイベントの様子は以下のメディアで紹介されました、
●9月24日
・NHKニュース 吉永小百合さん「日本も核兵器禁止条約に賛同を」
・NHK首都圏ニュース 吉永さん「核禁止条約に賛同を」
・毎日新聞 吉永小百合さん「核兵器のこと考えて」
・共同通信 吉永さん「核兵器のこと考えて」
・共同通信 「被爆国として役割を果たそう」核兵器廃絶求めるイベント
・しんぶん赤旗 核兵器禁止条約 今こそ日本批准
・日刊スポーツ 吉永小百合「やりましょうよ」政府に核兵器廃絶訴え
・スポーツ報知 吉永小百合。「核兵器なき世界」でトーク 昨年ノーベル平和賞のメダル見て「すばらしいですね」と感動
・デイリースポーツ 吉永小百合 核兵器廃絶への思い訴え「私の声は小さいけど…切実に」
●9月25日
・朝日新聞 核禁止「声出して働きかけよう」吉永小百合さん、NGO集いで呼びかけ
・東京新聞 吉永さん「核の傘要らない」ICANと対談
・サンケイスポーツ 吉永小百合、核兵器廃絶へ「私たちが声を出して政府に言いたい」
・スポニチアネックス 吉永小百合「核兵器はダメ」シンポジウム参加で呼びかけ
●9月27日
・機関紙連合通信社 「政府は核兵器禁止条約批准を」俳優・吉永小百合さんが訴え