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ピースボートで出会うタヒチ(仏領ポリネシア)

ピースボートで出会うタヒチ(仏領ポリネシア)
船旅で訪れる寄港地では、ピースボートならではの国際交流や見聞を深める多様なスタディ・プログラムを行っています。「ピースボートで出会う」と題して、それぞれの寄港地について、ご紹介します。

※この記事は、2020年〜2021年にかけてフェイスブックに掲載した”Voyaging with Peace Boat”シリーズの内容を基に作成しています。
船旅で訪れる寄港地では、ピースボートならではの国際交流や見聞を深める多様なスタディ・プログラムを行っています。「ピースボートで出会う」と題して、それぞれの寄港地について、ご紹介します。

※この記事は、2020年〜2021年にかけてフェイスブックに掲載した”Voyaging with Peace Boat”シリーズの内容を基に作成しています。

ピースボートで出会うタヒチ(仏領ポリネシア)

ピースボートで出会うタヒチ(仏領ポリネシア)
美しい海に浮かぶ「南国のパラダイス」といったイメージが象徴的な島々はよく、対極的な歴史を持ち合わせています。

ポリネシアン・トライアングルの一角を成すタヒチもその一つ。フランスによる植民地支配は、近代になると南太平洋に浮かぶ美しい島々を核実験場に変えました。

今、タヒチを訪問すれば、雄大な自然や豊かな文化、温暖な気候と透明な海に包み込まれ、郷土料理のポワソン・クリュを味わってのんびり過ごすことができます。

しかし、植民地支配と核実験の影響は、特に島の先住民の人々の生活に深く刻み込まれています。
ピースボートで出会うタヒチ(仏領ポリネシア)
ピースボートで出会うタヒチの代名詞とも言える存在として、ガブリエル・テティアラヒさん(通称ガビさん)が挙げられます。

長年のパートナーであるガビさんは、水先案内人として船内でタヒチの歴史や文化、課題を紹介してくれたり、現地でご自身が営む農園で持続可能な有機農法を案内してくれたり、エネルギーとアイディアに満ち溢れた方です。

彼は、NGOヒティタウ(Hiti Tau:立ち上がって変化を起こす、の意)の創設者で、若い世代にも先住民マオヒとしての文化や尊厳の持ち方について継承しようと取り組んでいます。

ガビさん自身も、幼い頃、フランスによる核実験を目の当たりにした当事者です。当時、なんの防護用具も与えられず、何も知らずに眺めることを許された実験は、多くの人々や島々に健康被害や死をもたらしました。
ピースボートで出会うタヒチ(仏領ポリネシア)
1966年から1996年の間、タヒチの属する仏領ポリネシアの海では、フランスが193回もの核実験を行いました。

その放射能は、実験場とされたムルロア環礁とファンガタウファ環礁にとどまらず、広範囲に拡散。自然を汚し、人々の健康に害を及ぼしています。

ムルロアとファンガタウファの核実験場で働いていた元労働者の団体「ムルロア・エ・タトゥ(MET、ムルロアと私たち、の意)」は、タヒチと太平洋地域の核実験被害者への補償を求めて活動しています。

METは、そのメンバーが水先案内人として乗船するだけでなく、ピースボートおりづるプロジェクトの盟友でもあります。パペーテの港付近に建てられた核実験被害者を追悼する記念碑が、2014年当時の政権により撤去されそうになった時、ピースボートはMETの声を世界に届け、撤去に反対する署名活動を行いました。
ピースボートで出会うタヒチ(仏領ポリネシア)
福島原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年という節目を迎えた第90回クルーズでは、太平洋を航行中に船内で、福島、タヒチ、マーシャル諸島の核被害者が集う「太平洋ピースフォーラム」を開催しました。

フランス領ポリネシア(タヒチ)、マーシャル諸島、福島からのフォーラム参加者と、広島の被爆者や被爆二世のジャーナリストなどが集い、それぞれの核の悲劇と共通点、今後の連帯について話し合いました。

日本帰港後、一行は福島の被災地を訪れ視察を行い、地元住民の方々と交流しました。さらに、東京で「民主主義とは何か」をテーマにシンポジウムを開催しました。

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