緊急署名のお願い:核実験被害者の追悼碑の撤去に反対します
ピースボートもたびたび訪れているタヒチ。「南洋の楽園」として知られる島ですが、仏領ポリネシアの国名が示す通り、実質的にはフランスの植民地として扱われてきた歴史があります。その象徴が1960年から1996年まで、ムルロア環礁などで200回以上にわたって繰り返されてきた核実験です。
- プロジェクト: 核廃絶
- 寄港地エリア: 太平洋
- クルーズ: 第83回 地球一周の船旅
INFO
2014.6.26
2019.3.26
ピースボートもたびたび訪れているタヒチ。「南洋の楽園」として知られる島ですが、仏領ポリネシアの国名が示す通り、実質的にはフランスの植民地として扱われてきた歴史があります。その象徴が1960年から1996年まで、ムルロア環礁などで200回以上にわたって繰り返されてきた核実験です。
フランス政府は、核実験による被害はいっさい出ていないと公言してきましたが、2000年代に入って病気になった核実験場の労働者を中心に、補償を求める声があがりはじめます。そしてフランスによる核実験から40年となる2006年7月2日には、当時の仏領ポリネシア大統領であるオスカー・テマル氏が、核実験被害者を追悼する記念碑をタヒチの首都、パペーテに建設しました。
それ以降、タヒチだけでなく広島・長崎の原爆による被害者や、世界中の核実験の被害者の追悼する式典を毎年7月2日に行っており、日本の被爆者や世界中の要人も参加してきました。ピースボートも、先日タヒチに寄港した第83回ピースボートをはじめ、これまでに多くの被爆者・参加者と共にこの記念碑を訪れています。
ところが、仏領ポリネシアのガストン・フロス現大統領はこの記念碑の取り壊しを決定しました。また、記念碑のある広場の名称を、核実験を強行したフランス大統領の名前を掲げた「ジャック・シラク広場」にすることも決めています。以前から核実験の熱心な推進派だったフロス大統領は、今回の決定を「観光開発をすすめるため」と位置づけています。同時に、核実験の歴史を葬りたいという思わくもあると考えられています。
この決定に、ポリネシアの核実験被害者団体「モルロア・エ・タトゥ(モルロアと私たち)」は激しく抗議。代表を務めるジョン・ドゥーム氏は、このようにコメントしました。
「1966年7月2日広場の記念碑はポリネシアの歴史遺産であり、今や世界的にも知られています。地域のボスの気まぐれで取り壊すなどとんでもないことです。ポリネシアに根付いている民主主義は、この決定に強く反発するでしょう」
実際にフロス大統領の決定直後、パペーテ市にあるフランス太平洋大学の学生が「ポリネシアの暗い歴史を葬り去ってしまうことは許されない」とネット上で呼びかけ、非政治団体「プヒハウ」を結成。記念碑の保存を求めてデモを行うなど活動を始めました。
2014年6月17日、反対運動の広がりによって、フロス大統領は代替案を提示しました。記念碑を取り壊す代わりにパペーテ市内にあるフランス海軍基地正門前のロータリーに移設してはどうかというものです。これに対し、モルロア・エ・タトゥとプヒハウは「記念碑はあくまで現在の場所に永久保存すべき」として、提案を拒否しています。
とはいえ、地域の再開発と追悼碑の撤去はすでに閣議決定がされているため、いつ取り壊されてもおかしくない状況です。こんなときこそ、広島・長崎の痛みを知る日本の皆さんの声を、ぜひ届けていただきたいと思っています。ピースボートもオンライン署名「タヒチの核実験被害者記念碑を壊さないでください!」に協力しています。かんたんな署名にご協力いただけると幸いです。
それ以降、タヒチだけでなく広島・長崎の原爆による被害者や、世界中の核実験の被害者の追悼する式典を毎年7月2日に行っており、日本の被爆者や世界中の要人も参加してきました。ピースボートも、先日タヒチに寄港した第83回ピースボートをはじめ、これまでに多くの被爆者・参加者と共にこの記念碑を訪れています。
ところが、仏領ポリネシアのガストン・フロス現大統領はこの記念碑の取り壊しを決定しました。また、記念碑のある広場の名称を、核実験を強行したフランス大統領の名前を掲げた「ジャック・シラク広場」にすることも決めています。以前から核実験の熱心な推進派だったフロス大統領は、今回の決定を「観光開発をすすめるため」と位置づけています。同時に、核実験の歴史を葬りたいという思わくもあると考えられています。
この決定に、ポリネシアの核実験被害者団体「モルロア・エ・タトゥ(モルロアと私たち)」は激しく抗議。代表を務めるジョン・ドゥーム氏は、このようにコメントしました。
「1966年7月2日広場の記念碑はポリネシアの歴史遺産であり、今や世界的にも知られています。地域のボスの気まぐれで取り壊すなどとんでもないことです。ポリネシアに根付いている民主主義は、この決定に強く反発するでしょう」
実際にフロス大統領の決定直後、パペーテ市にあるフランス太平洋大学の学生が「ポリネシアの暗い歴史を葬り去ってしまうことは許されない」とネット上で呼びかけ、非政治団体「プヒハウ」を結成。記念碑の保存を求めてデモを行うなど活動を始めました。
2014年6月17日、反対運動の広がりによって、フロス大統領は代替案を提示しました。記念碑を取り壊す代わりにパペーテ市内にあるフランス海軍基地正門前のロータリーに移設してはどうかというものです。これに対し、モルロア・エ・タトゥとプヒハウは「記念碑はあくまで現在の場所に永久保存すべき」として、提案を拒否しています。
とはいえ、地域の再開発と追悼碑の撤去はすでに閣議決定がされているため、いつ取り壊されてもおかしくない状況です。こんなときこそ、広島・長崎の痛みを知る日本の皆さんの声を、ぜひ届けていただきたいと思っています。ピースボートもオンライン署名「タヒチの核実験被害者記念碑を壊さないでください!」に協力しています。かんたんな署名にご協力いただけると幸いです。
応募締め切り
受付は終了しました
2014年7月31日 (木)