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タヒチで、核のない世界をめざす交流を行いました

タヒチで、核のない世界をめざす交流を行いました
(ファアア市のオスカー・テマル市長と面会するクルーズディレクターの日高慎介)
第81回ピースボートは、2月15日にタヒチのパペーテに寄港し、核実験で被爆した労働者や、反核の声を上げ続けてきたファアア市のオスカー・テマル市長と式典などを行いました。
(ファアア市のオスカー・テマル市長と面会するクルーズディレクターの日高慎介)
第81回ピースボートは、2月15日にタヒチのパペーテに寄港し、核実験で被爆した労働者や、反核の声を上げ続けてきたファアア市のオスカー・テマル市長と式典などを行いました。
タヒチといえば、日本では南国のリゾート地を想像する人がほとんどです。しかし、1966年から1996年の間、タヒチの属する仏領ポリネシアの美しく青い海で、フランスは193回もの核実験を行っています。実験所とされたムルロア環礁とファンガタウファ環礁だけでなく、放射能は広範囲に拡散。自然を汚し、人々の健康に害を及ぼしています。

ピースボートは今回の寄港に際して、核実験当時から反対運動を起こし、核のない世界を求めて今も行動を起こしている、ファアア市のオスカー・テマル市長(仏領ポリネシア元大統領)と交流を行いました。ファアア市では現在、過去の核実験に関する記録と記憶を伝えるための「祈念センター」をつくろうと準備を進めています。

水先案内人の前田哲男さん(軍事評論家)は、1978年、南太平洋の核問題を取材する際にオスカ・テマル市長とはじめて会っています。今回は、久々の再会となり、感慨もひとしおでした。前田さんは、「初めて会った時から、テマル市長の核をなくそうという決意はまったく変わっていない」と語りました。

タヒチで、核のない世界をめざす交流を行いました
(記念碑に献花する日高信介)
また交流会には、かつて核実験場で働いていた被ばく労働者の支援を続けるNGO「ムルロア・エ・タトゥ(ムルロアと私たち)」のメンバーも参加。代表のローラン・オルダムさんは、最大の問題として、「核実験場の労働者やその家族は、今もフランス政府から被ばくに対する補償を受けておらず、病気になって診察を受けても履歴は秘密とされて、本人も内容を知ることができません」と語りました。今もほとんどの市民は、核実験や被ばくの実態を知らされていません。ファアア市の「祈念センター」のように、過去の記憶をきちんと伝える教育も進めていかなければならないという危機感を伝えてくれました。

パペーテ港の近くには、核実験の被害者を追悼し、核の被害をなくすように求める記念碑があります。これは2006年、当時仏領ポリネシアの大統領であったオスカー・テマル市長によってつくられたもので、タヒチ先住民の伝統的な石壇が築かれています。ここには、広島・長崎はもちろん、世界各地の核実験などで核兵器が使用された地点が石で示されています。

クルーズディレクターの日高慎介は、記念碑で行われた式典で次のように語りました。「福島で原発事故が起きて3年になりますが、残念ながら放射能の被害は広がり続けています。これまで同様の痛みを味わってきたタヒチの人々と手を取りあい、一緒に核のない世界を作って行かなければなりません」。