密着レポート!ベアトリス・フィンICAN事務局長 来日の一週間
2018年1月12日〜18日、2017年のノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長が長崎大学の招聘により来日しました。昨年12月に行われたノーベル平和賞授賞式への出席後、初の海外での講演です。長崎、広島、東京と3都市を回る中で、彼女はどんな人と出会い、メッセージを残していったのか。ピースボートも国際運営団体として、東京での受け入れを担い、またピースボートの共同代表でICANの国際運営委員でもある川崎哲も全行程に同行しました。ここでは、今回の来日に関わったスタッフの視点で彼女の日本滞在を振り返ります。
- プロジェクト: 核廃絶
INFO
2018.2.8
2019.3.26
2018年1月12日〜18日、2017年のノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長が長崎大学の招聘により来日しました。昨年12月に行われたノーベル平和賞授賞式への出席後、初の海外での講演です。長崎、広島、東京と3都市を回る中で、彼女はどんな人と出会い、メッセージを残していったのか。ピースボートも国際運営団体として、東京での受け入れを担い、またピースボートの共同代表でICANの国際運営委員でもある川崎哲も全行程に同行しました。ここでは、今回の来日に関わったスタッフの視点で彼女の日本滞在を振り返ります。
長崎:初めて訪れた「被爆地」で改めて認識する核兵器の脅威
長崎原爆落下中心地への献花で始まった長崎訪問。タクシーの運転手さんも近親に被爆者がいるという話を聞く場面もありました。館長の案内で原爆資料館を見学したフィンさんは、自分たちと変わらない一般市民が原爆の被害にあったのだと改めて感じたと語りました。
午後には老若男女が集まる特別市民セミナー「核兵器禁止条約をどう活かすか?~ナガサキからのメッセージ」で基調講演をしてからパネルディスカッションにも登壇したフィンさん。「核兵器が存在しているということは、市民を大量殺戮する準備ができているということ」と、核の抑止論の矛盾を指摘。会場もまきこむ活発な議論となりました。
翌日は、ナガサキ・ユース代表団をはじめとする若者との対話集会「核兵器廃絶と若者の役割」に参加。若者からは、SNSで批判的なコメントを受ける悩みや、どうやってNGO活動と私生活を両立するのかといった質問に、フィンさんは自身の苦労話を織り交ぜながら笑顔で答えていました。
最後には「RECNA(長崎大学核廃絶研究センター)ラウンドテーブル」にて、今後の戦略などを具体的に話し合い、長崎訪問を終えました。
午後には老若男女が集まる特別市民セミナー「核兵器禁止条約をどう活かすか?~ナガサキからのメッセージ」で基調講演をしてからパネルディスカッションにも登壇したフィンさん。「核兵器が存在しているということは、市民を大量殺戮する準備ができているということ」と、核の抑止論の矛盾を指摘。会場もまきこむ活発な議論となりました。
翌日は、ナガサキ・ユース代表団をはじめとする若者との対話集会「核兵器廃絶と若者の役割」に参加。若者からは、SNSで批判的なコメントを受ける悩みや、どうやってNGO活動と私生活を両立するのかといった質問に、フィンさんは自身の苦労話を織り交ぜながら笑顔で答えていました。
最後には「RECNA(長崎大学核廃絶研究センター)ラウンドテーブル」にて、今後の戦略などを具体的に話し合い、長崎訪問を終えました。
広島:被爆体験に耳を傾け、若者と語り合う
長崎に続けて訪れた被爆地・広島では、原爆死没者慰霊碑へ献花し平和記念資料館を見学した後、ご自身の被爆体験を英語で伝えている小倉桂子さんのお話にじっくりと耳を傾けました。
8歳で被爆して以来、外出することが恐怖だったり、60年を経て訪れたスミソニアン博物館に展示された戦闘機を見て涙が止まらなかったり、といった生涯を通した影響についても聞いたフィンさんは、自分の子どもたちに思いを馳せながら「想像を絶する苦しみ」と言葉を失いました。
これを受け、続く記者会見では、核兵器が使用された場合の遺体処理や被害者の手当にかかる莫大な労力やコストについての議論が欠けていることに言及しました。
広島の若者との対話集会では、おもに高校生の活発な質問に答えました。平和に興味を持ったきっかけとして、フィンさんが育った地域(スウェーデン)ではクラスの大半が移民や難民だったためその背景に触れた、と自身の原点を紹介する場面もありました。
また、長崎広島を訪れてみて、核保有国のリーダーが被爆地を訪問して声を聞くことを義務とすべきだと訴えました。夜には「核兵器禁止条約の早期発効に向けたNGOの意見交換会」が催され、核廃絶に向けた被爆者、被爆地とICANとの連帯への期待を語り合いました。
8歳で被爆して以来、外出することが恐怖だったり、60年を経て訪れたスミソニアン博物館に展示された戦闘機を見て涙が止まらなかったり、といった生涯を通した影響についても聞いたフィンさんは、自分の子どもたちに思いを馳せながら「想像を絶する苦しみ」と言葉を失いました。
これを受け、続く記者会見では、核兵器が使用された場合の遺体処理や被害者の手当にかかる莫大な労力やコストについての議論が欠けていることに言及しました。
広島の若者との対話集会では、おもに高校生の活発な質問に答えました。平和に興味を持ったきっかけとして、フィンさんが育った地域(スウェーデン)ではクラスの大半が移民や難民だったためその背景に触れた、と自身の原点を紹介する場面もありました。
また、長崎広島を訪れてみて、核保有国のリーダーが被爆地を訪問して声を聞くことを義務とすべきだと訴えました。夜には「核兵器禁止条約の早期発効に向けたNGOの意見交換会」が催され、核廃絶に向けた被爆者、被爆地とICANとの連帯への期待を語り合いました。
東京:政治家、一般市民との対話で日本の役割を問う
最後に訪れた東京ではまず、与野党の国会議員を招いた討論集会が議員会館で行われました。被爆者や一般市民も見守る中、佐藤外務副大臣、そして各党を代表する議員が参加したこの討論会で、フィンさんは「市民社会と議員との対話はデモクラシーの基本」と前置きした上で、唯一の戦争被爆国としてもNPT加盟国としても、日本は世界の核軍縮のリーダーとして取り組むべきであると呼びかけました。
核兵器禁止条約を含む核軍縮に対する日本の取り組みや今後の道筋について、政党ごとに立場と見解は異なります。しかし、核兵器の無い世界にしたいという目標はもちろん、NGO・政府・すべての党は、核兵器禁止条約に意義があるという共通認識は確認できました。
国会議員の意見にじっと耳を傾けていたフィンさんは最後、「日本はこの禁止条約を無視できない」と述べ、市民社会から日本政府に対するプレッシャーが大きくなる前に署名すべき、条約参加の是非を民主的な観点から調査すべきであると指摘しました。
同日夜には「核兵器は本当になくせるの?ICANに聞いてみよう!」と題し、一般市民向けの講演会が行われました。10代の高校生から大学教授やNGOスタッフ、被爆者など老若男女が集まり、250名収容の会場が満席となりました。
「日本は民主主義国家なので、みなさん自身が首相のボスなのです。みなさんが声を上げて団結、連帯すれば、政府は無視することはできません」とフィンさんは言います。
核兵器禁止条約に参加するか、否か。それは政治家が決めることでなく、会場にいる皆さんが決めること。関心を持った皆さん一人一人が、まず身近なところで家族・友人知人たちに対して働きかけて、行動を起こしてほしいと訴えました。
「核兵器が私たちを終わらせる前に、私たちが核兵器を終わらせなければなりません。」
参加した10代女性は、「ノーベル平和賞受賞と言う、どこか夢物語のような気がしてしまう程の大きな出来事が実際に私たち市民の近くで起きたのだということを実感しました。」と感想を述べました。
核兵器禁止条約を含む核軍縮に対する日本の取り組みや今後の道筋について、政党ごとに立場と見解は異なります。しかし、核兵器の無い世界にしたいという目標はもちろん、NGO・政府・すべての党は、核兵器禁止条約に意義があるという共通認識は確認できました。
国会議員の意見にじっと耳を傾けていたフィンさんは最後、「日本はこの禁止条約を無視できない」と述べ、市民社会から日本政府に対するプレッシャーが大きくなる前に署名すべき、条約参加の是非を民主的な観点から調査すべきであると指摘しました。
同日夜には「核兵器は本当になくせるの?ICANに聞いてみよう!」と題し、一般市民向けの講演会が行われました。10代の高校生から大学教授やNGOスタッフ、被爆者など老若男女が集まり、250名収容の会場が満席となりました。
「日本は民主主義国家なので、みなさん自身が首相のボスなのです。みなさんが声を上げて団結、連帯すれば、政府は無視することはできません」とフィンさんは言います。
核兵器禁止条約に参加するか、否か。それは政治家が決めることでなく、会場にいる皆さんが決めること。関心を持った皆さん一人一人が、まず身近なところで家族・友人知人たちに対して働きかけて、行動を起こしてほしいと訴えました。
「核兵器が私たちを終わらせる前に、私たちが核兵器を終わらせなければなりません。」
参加した10代女性は、「ノーベル平和賞受賞と言う、どこか夢物語のような気がしてしまう程の大きな出来事が実際に私たち市民の近くで起きたのだということを実感しました。」と感想を述べました。
ノーベル平和賞受賞を共に祝い、決意を新たに ーピースボートにて
帰国前夜にはピースボートセンターとうきょうにてフィンさんの歓迎会が行われました。50名以上のスタッフが拍手で迎える中、最後のメディア取材を終えたフィンさんが入場。
驚きと嬉しさの表情を浮かべながら、「核兵器廃絶に向けて色々な団体がそれぞれ頑張ってきました。そんな中でも、ピースボートがプロジェクトとして被爆者の証言を世界中に届け続けてくれたことは大きな功績です。そんな団体のホームに来られて嬉しい」と話してくださいました。
「このノーベル平和賞受賞は私たちみんなのものである」というフィンさんの言葉に、会に参加したスタッフにとっては、ピースボートの核廃絶に向けた活動や、ひいては「船を出す」意義を再確認できる時間となりました。
参加したスタッフは、「被爆者の方々が生きているこの時代に、ICANがこのような賞を受賞したことを嬉しく思うと同時に、この機会を最大限に活かした活動を、1人のピースボートスタッフとして行っていければと思います」と感想を述べました。
また、会場には「おりづるプロジェクト」参加メンバーとして乗船経験のある被爆者の方も数名いらしていました。その一人は、「ありがとうを伝えたい一方で、被爆者がする被爆者の活動はもう古くなっているのではないかと思う。これから新しいことを考えていかなければなりません。その新しいことを考えるためには、若い人たちの力が必要です。被爆者は核廃絶のためにこれからも考え続けなくてはいけないと感じました」と語りました。
驚きと嬉しさの表情を浮かべながら、「核兵器廃絶に向けて色々な団体がそれぞれ頑張ってきました。そんな中でも、ピースボートがプロジェクトとして被爆者の証言を世界中に届け続けてくれたことは大きな功績です。そんな団体のホームに来られて嬉しい」と話してくださいました。
「このノーベル平和賞受賞は私たちみんなのものである」というフィンさんの言葉に、会に参加したスタッフにとっては、ピースボートの核廃絶に向けた活動や、ひいては「船を出す」意義を再確認できる時間となりました。
参加したスタッフは、「被爆者の方々が生きているこの時代に、ICANがこのような賞を受賞したことを嬉しく思うと同時に、この機会を最大限に活かした活動を、1人のピースボートスタッフとして行っていければと思います」と感想を述べました。
また、会場には「おりづるプロジェクト」参加メンバーとして乗船経験のある被爆者の方も数名いらしていました。その一人は、「ありがとうを伝えたい一方で、被爆者がする被爆者の活動はもう古くなっているのではないかと思う。これから新しいことを考えていかなければなりません。その新しいことを考えるためには、若い人たちの力が必要です。被爆者は核廃絶のためにこれからも考え続けなくてはいけないと感じました」と語りました。
これから進むべき道
フィンさんの訪問は改めて、「核兵器のない世界」の実現に向けてのエネルギーを注入してくれたように思います。
同時に、「核軍縮に向けて努力する」と言いながら核抑止力に依存し、核兵器禁止条約参加に向けた議論を拒む日本政府の矛盾した立場、また「核抑止論」そのものの矛盾を浮き彫りにしました。
ですがフィンさんが繰り返し述べた通り、選ぶのは、政治を変えていくのは、私たち市民です。ICANという世界のNGOの取り組みが核兵器禁止条約を可能にしたように、この日本でも市民が声を上げ、政治をリードしていくべきではないでしょうか。
ピースボートは現在、オセアニアを巡る第96回の船旅で、ICANが誕生したオーストラリアの各都市で核の非人道性と核兵器禁止条約の重要性を訴えるイベントや記者会見をICANオーストラリアと連携して実施しています。
船内で被爆体験を未来に継承する「おりづるピースガイド」養成講座も、昨年始めた新たな取り組みです。世界各地へ被爆証言を届ける「おりづるプロジェクト」を可能な限り続けていくことはもちろんですが、日本全国へ被爆証言を伝えていくために行ったクラウドファンディングを通じて200万円以上の寄付金が集まっています。
フィンさんがくれたエネルギーと希望、議論の場を受け継ぎ、ピースボートは今後も核廃絶に向けた活動を続けていきます。
同時に、「核軍縮に向けて努力する」と言いながら核抑止力に依存し、核兵器禁止条約参加に向けた議論を拒む日本政府の矛盾した立場、また「核抑止論」そのものの矛盾を浮き彫りにしました。
ですがフィンさんが繰り返し述べた通り、選ぶのは、政治を変えていくのは、私たち市民です。ICANという世界のNGOの取り組みが核兵器禁止条約を可能にしたように、この日本でも市民が声を上げ、政治をリードしていくべきではないでしょうか。
ピースボートは現在、オセアニアを巡る第96回の船旅で、ICANが誕生したオーストラリアの各都市で核の非人道性と核兵器禁止条約の重要性を訴えるイベントや記者会見をICANオーストラリアと連携して実施しています。
船内で被爆体験を未来に継承する「おりづるピースガイド」養成講座も、昨年始めた新たな取り組みです。世界各地へ被爆証言を届ける「おりづるプロジェクト」を可能な限り続けていくことはもちろんですが、日本全国へ被爆証言を伝えていくために行ったクラウドファンディングを通じて200万円以上の寄付金が集まっています。
フィンさんがくれたエネルギーと希望、議論の場を受け継ぎ、ピースボートは今後も核廃絶に向けた活動を続けていきます。