原発事故から10年【下】――脱原発に向かう日本

プロジェクト:脱原発
原発事故から10年【下】――脱原発に向かう日本
東日本大震災と福島原発事故から10年を迎えるのを機に、ピースボートは福島と日本の現状を海外向けにまとめ、英語で発信しました。「10年目のフクシマ―その概観」と題する文章(ピースボートの川崎哲が執筆し、メリ・ジョイスが翻訳)の英文(Fukushima 10 Years On – An Overview)は、以下のリンクでご覧になれます。ここでは、【上】に引き続き、日本語原文をご紹介します。

静かなエネルギー転換

原発事故から10年【下】――脱原発に向かう日本福島県飯舘村(2019年5月)
 では事故から10年を経て、日本がまた福島の事故前のような原発依存型の社会に回帰するのかといえば、そこまで単純な話ではない。
 福島原発事故が発生した当時、日本には54基の原発があり、日本の電力の約30%を賄っていた。事故後に原子力規制委員会が発足しこれまでより厳しい規制基準が設けられるなか、今日までに21基の廃炉が決定し(福島県内の10基を含む)、再稼働した原発は33基中9基である。(うち定期点検中のものもあり、2月18日現在で実際に運転をしているのは4基である。)事故後、日本の原発稼働は2013~2014年にかけてゼロになったが、その後稼働が少しずつ増え、2019年には総発電量の6.5パーセントを占めている。
 2011年の事故直後、日本国内で反原発の機運は非常に高まった。2012年には首相官邸前に反原発のデモがくり返し行われ、最大時で20万人を動員した。多くのNGOの連携で、脱原発世界会議が2回にわたり開催された。当時は民主党政権であったが、同政権下で今後のエネルギーの選択肢に関する国民的討議が行われた。
 その結果、2012年9月「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざすとするエネルギー戦略が閣議決定された。1950年代以来、原子力の平和利用を推進することは日本の基本政策の一つであり続けてきたが、このときそれが初めて、転換を迎えたのだった。
 しかし同年12月の総選挙で民主党は敗れ(震災に伴うさまざまな社会的混乱がその大きな要因であったと考えられる)、安倍晋三氏率いる自民党が政権に復帰した。その下で、2014年4月、原発を「重要なベースロード電源」と位置づけるエネルギー基本計画が策定された。その後、2030年に原発の電源構成比率20~22%を目指すとされた。
 しかしそのような原発回帰は、容易には実現しそうにない。市民社会における原発に対する忌避意識が依然高いからである。原発事故から10年にあたるこの3月の世論調査では、76%の人々が将来的な(あるいは即時の)原発ゼロを支持している。2012年に発足した脱原発首長会議には103名の首長(現職および元職)が参加している。地元の同意なしに、原発は再稼働できない。
 再稼働した原発に対しても、住民らは安全性に問題があると訴訟を起こしている。2020年12月には福井県で稼働中の大飯原発2基について、大阪地裁が、国の規制委員会が与えた設置許可に「看過しがたい過誤、欠落がある」とし、許可取り消しの判決を下した。このほか原発の運転を差し止めを求める訴訟は全国各地で提起されており、現在約30件が係争中である。電気事業者は強化された規制基準をクリアし、自治体は事故の場合の避難計画を作らなければならない。原発の技術的、経済的、政治的コストは、福島の事故後一貫して高いままである。
 もちろん、不確定な要素は数多くある。福島の事故直後は、省エネやエネルギー効率向上の機運が高まり、原発の比率がゼロまたはそれに近い状態でも日本の電力が逼迫することはなかった。その事実は、人々にとって「脱原発」に一定の安心感を与えている。しかしその一方で、近年の異常気象に伴う夏の猛暑や冬の極寒、その中での自然災害の頻発が、電力供給に対する不安材料となっていることもまた事実である。
 さらに、2020年9月に安倍政権を引き継いだ菅義偉政権は、就任直後の国会で「2050年までにカーボンニュートラル社会を実現する」との公約を発表した。福島原発事故後、日本では、化石燃料による火力発電が総発電の約8割を占めている。これを減らさなければならないという圧力が、原発回帰の流れをいくぶん加速させる可能性は否定できない。
 それでも、日本における再生可能エネルギーの拡大はめざましいものがあり、大規模水力を含む発電量の比率は、2011年の10.5%から2018年には17.4%にまで拡大している。とりわけ太陽光の拡大はめざましく、2019年に総発電量の7.4%を占め、原子力を超えている。
 再生可能エネルギー拡大を象徴する一つの事例をあげたい。九州電力では、太陽光発電が大幅に拡大し、2018年10月以降、発電量が大きすぎて太陽光発電の出力抑制をしなければいけないという事態が起きている。これは、柔軟性をもった計画と運用を行えば、太陽光を最大限に生かしつつ石炭火力や原子力を停止させることができるという可能性を示している。

国際的側面――原発輸出と核燃料サイクル

原発事故から10年【下】――脱原発に向かう日本遠くに見える六ヶ所再処理工場
 福島の事故後、国内での原発の新増設が見込めなくなった原発メーカーは、原発輸出に活路を見いだそうとした。しかし、ベトナム、リトアニア、トルコ、イギリスのいずれのケースでも計画が中止となったり、撤退を余儀なくされたりして、日本の三大メーカーである三菱、東芝、日立による計画はすべて頓挫した。東芝が、2006年に買収した原発大手の米ウェスチングハウスが2017年3月に破綻したことによって、深刻な債務超過と経営危機に陥ったことは、記憶に新しい。
 日本の原子力の将来を占うもう一つの重要な要素は、使用済み燃料の取り扱いである。日本は、使用済み燃料を全量再処理してプルトニウムを取り出すという核燃料サイクル政策は一貫してとっており、この方針は2012年に民主党政権が脱原発の政策を打ち出した際にも維持されていた。核燃料サイクル政策の中核的な要素であった高速増殖炉もんじゅの計画が、長年にわたり頓挫の後、2016年末についに廃炉が決定されたあとも、この政策自体は継続されたのである。
 その結果、日本は使用する目処の立たないプルトニウムを大量に保有する状態が続き、核兵器不拡散の観点から国際的な懸念を持たれる事態となってきた。2018年7月、政府はその時点での保有量であるプルトニウム47トン(海外に36トン、国内に11トン)を上限としそれ以上増やさないことを決定した。その後国内のMOX燃料の使用により若干減って、45トン(海外に36トン、国内に9トン)となっている。
 原発稼働の大幅な回復が見込めない以上、これは日本にとって大きな負債となっているといえる。脱原発や核兵器廃絶に取り組むNGOは共同で、これ以上プルトニウムを増やさないこと、そのために青森県六ヶ所村の再処理工場を稼働させないことをくり返し要求している。
 この問題は、日本の核のごみを最終的にどうするのかという問題と密接不可分である。2020年には、北海道の2町村が高レベル放射性廃棄物の最終処分場の調査に応じるとして手を上げた。政府からの交付金を期待しての動きである。今後の展開が注目されるが、短期間で結論が出ることはないだろう。

おわりに

原発事故から10年【下】――脱原発に向かう日本
 事故から10年が経ち、政府が声高に復旧と復興をアピールしている一方で、多大な被害や潜在的な危険性が覆い隠され、見えない状態にされている。原子力への回帰を求める政治的スローガンや経済界の動きは無視できないものではあるが、実態として日本はこの10年で大幅に脱原発を進めた。再生可能エネルギーは飛躍し、消費電力の削減やエネルギー効率の向上も進んだのである。
 今日、新型コロナウィルスのパンデミックは、社会・経済のあり方の世界的な転換を促しており、日本もその中にある。社会の分権化や効率化を求める動きは、さらなる省エネやエネルギー効率の向上、コミュニティ主体の再生可能エネルギーの発展、また、そうしたプロセスへの市民社会の積極的関与へとつながりうる。一方、コロナ禍で進行する経済危機や社会不安は、今なお苦しむ原発事故被害者や被ばく労働者の置かれた状況を悪化させていく危険性を伴っている。マスコミ報道には載りにくいこうした変化をタイムリーに捉え、情報交換をしていく市民社会のつながりが、日本国内および国境を越えた形で、ますます重要になってくるだろう。

(ピースボート・川崎哲 2021.3.7)

3/11原発ゼロ・自然エネルギー100世界会議

原発事故から10年【下】――脱原発に向かう日本
 これまでの10年間の教訓を将来にいかすため、ピースボートは、3月11日に開かれるオンラインでの世界会議「3/11原発ゼロ・自然エネルギー100世界会議」の準備に協力しています。新型コロナウイルスの感染拡大を経験した私たちの社会が、新たな持続可能性のモデルを作る好機でもあります。原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連。会長:吉原毅(城南信用金庫相談役)、顧問:小泉 純一郎(元内閣総理大臣)、細川護熙(元内閣総理大臣))が開催するこの会議に、ピースボートは、環境エネルギー政策研究所(ISEP)、国際環境NGO FoE Japan、さようなら原発1000万人アクションー実行委員会、「あと4年 未来を守れるのは今」キャンペーンとともに、協力団体として参加しています。
 会議の詳細および参加方法は、以下のリンクをご覧下さい。

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