メキシコ・コスメル市で平和式典を実施、ピースボートに「コスメル平和名誉市民」の称号が授与されました
第88回ピースボート地球一周の船旅は、2015年10月24日にメキシコ・コスメル港に寄港しました。「平和の島」と呼ばれるコスメル島では、平和式典や友好フェスティバルなどが実施され、ピースボートは「コスメル平和名誉市民」を授与されました。
- プロジェクト: 核廃絶
- 寄港地エリア: 南北アメリカ&カリブ
- クルーズ: 第88回 地球一周の船旅
船
2015.11.4
2019.3.26
第88回ピースボート地球一周の船旅は、2015年10月24日にメキシコ・コスメル港に寄港しました。「平和の島」と呼ばれるコスメル島では、平和式典や友好フェスティバルなどが実施され、ピースボートは「コスメル平和名誉市民」を授与されました。
核廃絶への意識が高まるメキシコ
メキシコは、1967年に世界初の非核地帯宣言であるトラテロルコ条約が締結された国です(※)。この条約によってすべての中南米諸国が、核兵器の使用や製造、貯蔵を禁止していることは、政府や自治体、一般市民の誇りとなっています。
またメキシコは2014年2月に行われた「第2回核兵器の人道的影響に関する会議」のホスト国も務め、核廃絶への気運は一層高まっています。
※トラテロルコ条約
1962年に起きたキューバ危機では、米ソが核戦争の危機を迎えました。その事件をきっかけに、中南米諸国で核兵器のない社会をつくる機運が生まれます。この条約には中南米33カ国すべてが締約しており、領域内の核兵器の実験、使用、製造、貯蔵、配備などが禁止しています。
またメキシコは2014年2月に行われた「第2回核兵器の人道的影響に関する会議」のホスト国も務め、核廃絶への気運は一層高まっています。
※トラテロルコ条約
1962年に起きたキューバ危機では、米ソが核戦争の危機を迎えました。その事件をきっかけに、中南米諸国で核兵器のない社会をつくる機運が生まれます。この条約には中南米33カ国すべてが締約しており、領域内の核兵器の実験、使用、製造、貯蔵、配備などが禁止しています。
国連創立と広島・長崎原爆投下70周年を記念するイベントに参加
第88回ピースボートがコスメルに寄港する2日前の10月22日(木)、メキシコシティ(メキシコ市)が「自発的軍縮プログラム」というイベント企画しました。これは、広島・長崎への原爆投下と国連創立70周年の記念を兼ねて行われたものです。
このイベントには、ピースボート共同代表でICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営委員でもある川崎哲と、メキシコ在住の被爆者である山下泰昭さん(長崎で被爆)が参加しました。
山下さんはピースボートの水先案内人として、この船旅にコスメルからクリストバル(パナマ)まで乗船することになっていました。このイベントの開会式で、山下さんは自らの被爆体験を語り、広島・長崎両市が提供して展示した原爆写真展を、現地参加者に案内して回りました。
このイベントには、ピースボート共同代表でICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営委員でもある川崎哲と、メキシコ在住の被爆者である山下泰昭さん(長崎で被爆)が参加しました。
山下さんはピースボートの水先案内人として、この船旅にコスメルからクリストバル(パナマ)まで乗船することになっていました。このイベントの開会式で、山下さんは自らの被爆体験を語り、広島・長崎両市が提供して展示した原爆写真展を、現地参加者に案内して回りました。
平和の島から核廃絶をアピール
10月24日(土)の朝、ピースボートの船がコスメル港に到着。現地の音楽やダンスなどで盛大な歓迎を受けました。
午後にはコスメル市が「核兵器のない世界へ」という証言会を主催。コスメルの市役所職員や一般市民など、およそ100名が参加しました。ここでも被爆者の山下さんが登壇し、壮絶な被爆体験とその後の苦しみを証言しました。
原爆投下後、長崎の原爆病院で働いていた山下さんは、ヒバクシャとしての立場から逃げたい気持ちから、日本人がほとんどいない場所で暮らそうと思い立ちます。そして、1968年に親族の反対を押し切って以前から興味のあったメキシコにやってきました。
山下さんは、その後メキシコで40年近く住み続けています。「山下さんにとって、幸せとはなんですか」という会場からの質問に、このように答えました。
「自分はヒバクシャであることから逃げるためにメキシコに来た。けれど、ここでたまたま被爆証言を始めることになりました。そして、証言を聞いた人から暖かい言葉を受けたり、原爆の恐ろしさを知って、平和のために活動する人々と会うことができた。私にとって、こういった人の優しさやつながりが何よりもの幸せです」。
午後にはコスメル市が「核兵器のない世界へ」という証言会を主催。コスメルの市役所職員や一般市民など、およそ100名が参加しました。ここでも被爆者の山下さんが登壇し、壮絶な被爆体験とその後の苦しみを証言しました。
原爆投下後、長崎の原爆病院で働いていた山下さんは、ヒバクシャとしての立場から逃げたい気持ちから、日本人がほとんどいない場所で暮らそうと思い立ちます。そして、1968年に親族の反対を押し切って以前から興味のあったメキシコにやってきました。
山下さんは、その後メキシコで40年近く住み続けています。「山下さんにとって、幸せとはなんですか」という会場からの質問に、このように答えました。
「自分はヒバクシャであることから逃げるためにメキシコに来た。けれど、ここでたまたま被爆証言を始めることになりました。そして、証言を聞いた人から暖かい言葉を受けたり、原爆の恐ろしさを知って、平和のために活動する人々と会うことができた。私にとって、こういった人の優しさやつながりが何よりもの幸せです」。
ピースボートに「コズメル平和名誉市民」が授与
その後、会場を移して、「コスメル平和名誉市民」の授与式が行われました。平和活動に積極的なコスメル市長のフレディ・マルホ氏から、山下さんと、ピースボート代表として川崎哲に称号が渡されました。
夜には「平和と友好のフェスティバル」が開催され、コスメル市民ら300名、ピースボートから300名の総勢約600名が参加しました。ピースボート側からは和太鼓の演奏と千羽鶴の贈答、コスメル側からはダンスの文化紹介が行われました。
またコスメルから乗船する水先案内人で、米国の伝説的フォークグループ、「ピーター・ポール&マリー」のピーター・ヤーロウさんも登場し、核廃絶へのメッセージを述べたあと、参加者とともに代表曲 の"Puff, the Magic Dragon(邦題:パフ)"を歌いました。
コスメル市長とピースボートは、非核地帯条約締結地であるメキシコと、唯一の戦時被爆国である日本とで、一緒に核廃絶のイニシアティブをとり、核廃絶を実現しようと確認し合いました。
夜には「平和と友好のフェスティバル」が開催され、コスメル市民ら300名、ピースボートから300名の総勢約600名が参加しました。ピースボート側からは和太鼓の演奏と千羽鶴の贈答、コスメル側からはダンスの文化紹介が行われました。
またコスメルから乗船する水先案内人で、米国の伝説的フォークグループ、「ピーター・ポール&マリー」のピーター・ヤーロウさんも登場し、核廃絶へのメッセージを述べたあと、参加者とともに代表曲 の"Puff, the Magic Dragon(邦題:パフ)"を歌いました。
コスメル市長とピースボートは、非核地帯条約締結地であるメキシコと、唯一の戦時被爆国である日本とで、一緒に核廃絶のイニシアティブをとり、核廃絶を実現しようと確認し合いました。
メキシコから核廃絶と平和を推進
コスメル島での行事に先立ってメキシコ市で開かれたイベントでは、同市では平和と軍縮の推進の一環として、市民の間に広がっている銃や武器を回収して廃棄する活動をしており(右の写真)、山下さんと川崎はその行事にも来賓として参加しました。
■山下さんの被爆証言を含めた当日の交流の様子は、メキシコ現地の新聞やメキシコ市等の広報で報じられたほか、以下のメディアに掲載されています。
日本語記事:いずれも2015年10月26日
・静岡新聞、京都新聞、琉球新報、四国ニュースなど(共同通信配信)
「メキシコの島で被爆者証言 PP&Mメンバーも参加」
■山下さんの被爆証言を含めた当日の交流の様子は、メキシコ現地の新聞やメキシコ市等の広報で報じられたほか、以下のメディアに掲載されています。
日本語記事:いずれも2015年10月26日
・静岡新聞、京都新聞、琉球新報、四国ニュースなど(共同通信配信)
「メキシコの島で被爆者証言 PP&Mメンバーも参加」
スペイン語記事:
インターネットメディア Cancunmio 2015年10月24日
「ピースボートがコズメルに寄稿、被爆証言などを実施」
※この他、スペイン語では多数のメディアに掲載されました。
「ピースボートがコズメルに寄稿、被爆証言などを実施」
※この他、スペイン語では多数のメディアに掲載されました。