第80回ピースボート地球一周の旅が帰港、世界19カ国をめぐり証言などを行いました
10月10日、第80回ピースボート地球一周の船旅が、横浜港に帰港しました。訪れたのは世界19カ国、20の寄港地(日本の石巻港も含める)。
今回のクルーズでは、平和と震災からの復興をテーマに多数のプロジェクトを実施しました。帰国記者会見では、「被爆者地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」、「福島大学ユースプロジェクト」、「石巻ユースアンバサダー」の3つのプロジェクトにかかわったメンバーが、それぞれ船内や寄港地での証言、交流などについて語りました。
今回のクルーズでは、平和と震災からの復興をテーマに多数のプロジェクトを実施しました。帰国記者会見では、「被爆者地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」、「福島大学ユースプロジェクト」、「石巻ユースアンバサダー」の3つのプロジェクトにかかわったメンバーが、それぞれ船内や寄港地での証言、交流などについて語りました。
- プロジェクト: おりづるプロジェクト
- クルーズ: 第80回-ピースボート地球一周の船旅
船
2013.10.11
2019.3.26
10月10日、第80回ピースボート地球一周の船旅が、横浜港に帰港しました。訪れたのは世界19カ国、20の寄港地(日本の石巻港も含める)。
今回のクルーズでは、平和と震災からの復興をテーマに多数のプロジェクトを実施しました。帰国記者会見では、「被爆者地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」、「福島大学ユースプロジェクト」、「石巻ユースアンバサダー」の3つのプロジェクトにかかわったメンバーが、それぞれ船内や寄港地での証言、交流などについて語りました。
今回のクルーズでは、平和と震災からの復興をテーマに多数のプロジェクトを実施しました。帰国記者会見では、「被爆者地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」、「福島大学ユースプロジェクト」、「石巻ユースアンバサダー」の3つのプロジェクトにかかわったメンバーが、それぞれ船内や寄港地での証言、交流などについて語りました。
核兵器や原発、震災の体験を世界で証言し、交流
被爆者地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)
今回で6回目を迎えた「被爆者地球一周 証言の航海」。参加した被爆者の方は9名(内訳:広島6名、長崎3名)で、日本政府の「非核特使」として委嘱されています。また、新設されたばかりの「ユース非核特使」として参加した瀬戸真由さん(広島の被爆三世)や、原爆を投下した航空機の搭乗技師の孫であるアリ・ビーザーさん(米国出身)ら、若い世代が被爆者をサポートしながら次世代に語り継ぐための議論を深めました。証言会は船内のほか12カ国、14都市で実施しました。
大村和子さん(長崎で被曝)
世界のいろいろな国をめぐって、核兵器のない世界をつくらなければならいと改めて感じました。この旅の経験をこれからも皆さんと共有していきたいと思っています。私はキプロスとアウシュビッツで証言会をしました。特に印象に残っているのは、アウシュビッツの生存者の方から証言を聞いたことです。本当に涙が出てしまいました。これからは人間同士が争い事をしない世界をつくるためにどうしたらよいか、伝えていきたいと思います。
今回で6回目を迎えた「被爆者地球一周 証言の航海」。参加した被爆者の方は9名(内訳:広島6名、長崎3名)で、日本政府の「非核特使」として委嘱されています。また、新設されたばかりの「ユース非核特使」として参加した瀬戸真由さん(広島の被爆三世)や、原爆を投下した航空機の搭乗技師の孫であるアリ・ビーザーさん(米国出身)ら、若い世代が被爆者をサポートしながら次世代に語り継ぐための議論を深めました。証言会は船内のほか12カ国、14都市で実施しました。
大村和子さん(長崎で被曝)
世界のいろいろな国をめぐって、核兵器のない世界をつくらなければならいと改めて感じました。この旅の経験をこれからも皆さんと共有していきたいと思っています。私はキプロスとアウシュビッツで証言会をしました。特に印象に残っているのは、アウシュビッツの生存者の方から証言を聞いたことです。本当に涙が出てしまいました。これからは人間同士が争い事をしない世界をつくるためにどうしたらよいか、伝えていきたいと思います。
瀬戸真由さん(ユース非核特使)
私は、被爆者の方と若者をどうつなげるかという橋渡しをするつもりで乗っていました。クルーズを通して、被爆者の方と一所に証言会をしたり、紙芝居を作ったり活動をしていく中で、気づいたことがありました。それは、自分にとってのゴールは被爆者の方のメッセージを届けることではないということでした。これから世界で核をなくしていくにはどうしたらいいかを考えるのは、私たちの問題です。だから被爆者の方のお話をしっかりと受け止めて、若い人が自分たち自身で行動していかないといけないと感じました。
私は、被爆者の方と若者をどうつなげるかという橋渡しをするつもりで乗っていました。クルーズを通して、被爆者の方と一所に証言会をしたり、紙芝居を作ったり活動をしていく中で、気づいたことがありました。それは、自分にとってのゴールは被爆者の方のメッセージを届けることではないということでした。これから世界で核をなくしていくにはどうしたらいいかを考えるのは、私たちの問題です。だから被爆者の方のお話をしっかりと受け止めて、若い人が自分たち自身で行動していかないといけないと感じました。
アリ・ビーザーさん
日本と米国は、二世代前までは、戦争をしていました。中でも私のおじいさんは、核時代の始まりに関わりました。でも、米国人である私は日本の船で被爆者とともに船で世界を回り、核兵器も原発もない世界をつくるために行動を共にしました。今回、私が一緒に地球一周をすごした人たちは、単に被爆者ではなく、私の家族になりました。彼らの発言や記録は、私の家族の記録なのです。人生とは何かについて、私は彼らからたくさんのことを学びました。しかし世界にはまだ多くの核兵器があり、手遅れにならないうちになんとかしなければなりません。これは誰か他の人の問題ではなく、私たち一人一人の問題なのです。
日本と米国は、二世代前までは、戦争をしていました。中でも私のおじいさんは、核時代の始まりに関わりました。でも、米国人である私は日本の船で被爆者とともに船で世界を回り、核兵器も原発もない世界をつくるために行動を共にしました。今回、私が一緒に地球一周をすごした人たちは、単に被爆者ではなく、私の家族になりました。彼らの発言や記録は、私の家族の記録なのです。人生とは何かについて、私は彼らからたくさんのことを学びました。しかし世界にはまだ多くの核兵器があり、手遅れにならないうちになんとかしなければなりません。これは誰か他の人の問題ではなく、私たち一人一人の問題なのです。
「福島大学ユースプロジェクト」
「福島大学ユースプロジェクト」は、「福島と世界をつなぐ」をテーマに、ピースボートと福島大学災害復興研究所が協力して実現したものです。今回のクルーズでは、福島大学の6名の学生が「福島大学ユース」としてキプロスから乗船しました。学生たちは、帰国するまでのおよそ2ヶ月間、船内や寄港地で福島の現状を伝え、これからの社会のあり方を考えました。また、地球大学のプログラムで自然エネルギーについて学びました。
佐藤絢香さん(福島大学3年生)
このクルーズを通して印象に残ったことは、ドイツで自然エネルギーやエコな町づくりを学んだことです。日本でもエコな町づくりができるかもしれないと考えるきっかけになりました。福島大学の学生の中には、原発についての意見が特にないという人もいましたが、クルーズ中に福島の現状を伝えようと真剣に議論してきたことで、明確な意見を持てるようになりました。私は、船で十分に福島のことを発信できたわけではないので、これから福島の現状を学びなおし、地域での行動に結びつけたいと思っています。
佐藤絢香さん(福島大学3年生)
このクルーズを通して印象に残ったことは、ドイツで自然エネルギーやエコな町づくりを学んだことです。日本でもエコな町づくりができるかもしれないと考えるきっかけになりました。福島大学の学生の中には、原発についての意見が特にないという人もいましたが、クルーズ中に福島の現状を伝えようと真剣に議論してきたことで、明確な意見を持てるようになりました。私は、船で十分に福島のことを発信できたわけではないので、これから福島の現状を学びなおし、地域での行動に結びつけたいと思っています。
「石巻ユースアンバサダー」
ピースボート災害ボランティアセンター(PBV)は、東日本大震災の発生直後から、宮城県石巻市を中心とした災害支援を続けてきました。震災から3年目を迎えた被災地では、復興へと歩みを進めている一方で、他の地域や世界では被災地への関心が失われていっているという現状もあります。そこで、震災の経験や教訓を伝え、語り継いでいくために石巻の若者2名を「石巻ユースアンバサダー(大使)」として第80回クルーズに派遣、船内や寄港地で証言会を行いました。
崎村周平さん(女川町出身/デザイナー)
自分は家も流され家族も亡くしました。その後、震災支援やスプレーを使ったアートをしてきました。船では、ありのままの自分を皆さんに見てもらって女川のことや震災のことを伝えようと思い、行動しました。船内では若い人たちとも交流できましたし、寄港地の証言でも親身になって聞いてくれる人が大勢いました。寄港地で一番リアクションが大きかったのはジャマイカです。質問がとても多くて、一方的な証言ではなくてディスカッションのような形になったのが印象的でした。最後の寄港地となった石巻では女川のツアーのアテンドをしました。ツアーが終わった時、「女川にもう一回来るからね」とか、「女川が好きなった」と言ってくれた人もいて、それが船旅の成果の一つだったかなと思っています。
高橋さやかさん(石巻市出身/会社員、市民劇団員としても活動)
私は地元で演劇活動をしていて、石巻の震災をテーマにして演劇にしようという企画もしました。最後の石巻のツアーが終わってから、「あなたがいたから石巻が被災地の一つではなく、大切な友人がいる場所という意識に変わった」と言われました。それは、85日間の旅をともにしていく中で、多くの人たちと「被災地にいる人」という扱いでなくて「大切な友だち」という心の交流ができた上で自分の町を紹介できたからだと思っています。自分がこれから町づくりに関わっていくうえでも、まずは心の交流をしていくことが大事だなと感じました。
※この記者会見の様子は、10月11日の神奈川新聞に「ピースボートの船、被爆や震災語る 19カ国巡り横浜帰港」というタイトルで掲載された他、産経フォトなど複数のメディアで掲載されてました。
崎村周平さん(女川町出身/デザイナー)
自分は家も流され家族も亡くしました。その後、震災支援やスプレーを使ったアートをしてきました。船では、ありのままの自分を皆さんに見てもらって女川のことや震災のことを伝えようと思い、行動しました。船内では若い人たちとも交流できましたし、寄港地の証言でも親身になって聞いてくれる人が大勢いました。寄港地で一番リアクションが大きかったのはジャマイカです。質問がとても多くて、一方的な証言ではなくてディスカッションのような形になったのが印象的でした。最後の寄港地となった石巻では女川のツアーのアテンドをしました。ツアーが終わった時、「女川にもう一回来るからね」とか、「女川が好きなった」と言ってくれた人もいて、それが船旅の成果の一つだったかなと思っています。
高橋さやかさん(石巻市出身/会社員、市民劇団員としても活動)
私は地元で演劇活動をしていて、石巻の震災をテーマにして演劇にしようという企画もしました。最後の石巻のツアーが終わってから、「あなたがいたから石巻が被災地の一つではなく、大切な友人がいる場所という意識に変わった」と言われました。それは、85日間の旅をともにしていく中で、多くの人たちと「被災地にいる人」という扱いでなくて「大切な友だち」という心の交流ができた上で自分の町を紹介できたからだと思っています。自分がこれから町づくりに関わっていくうえでも、まずは心の交流をしていくことが大事だなと感じました。
※この記者会見の様子は、10月11日の神奈川新聞に「ピースボートの船、被爆や震災語る 19カ国巡り横浜帰港」というタイトルで掲載された他、産経フォトなど複数のメディアで掲載されてました。