【インタビュー】地球一周!通訳ボランティア体験談
ピースボートでは、地球一周の船旅に参加する英語、スペイン語、中国語の通訳ボランティアを募集しています。「みんなが主役で船を出す」を合言葉に、ピースボートならではの国際交流の船旅をともにつくりあたげてきた通訳ボランティアは、これまでに500名を超えます。出身も経歴も多様なメンバの中から、3名の体験談を紹介します。
「初めての本気のチャレンジで自信がついた」
■羽鳥未来さん
第69回クルーズ(2010年4月出航)に乗船、当時25歳
大学へは付属高校からのエスカレータ、就職もとりあえず決まった一社に入り、社会人生活を送っていた神奈川県出身の羽鳥未来(はとり・みき)さん。
高校生のとき近所で英会話を習い、大学の交換留学で1年間オーストラリアに住んだだけで「英語力的には通訳になれるとは思わなかった。でも、体力的にも知力的にも大きなチャレンジをできる今だからこそ」と考え、2年勤めた仕事を辞めて通訳ボランティアとして船旅に参加しました。
乗船してみると「あんなに自分を追い込んだことはない」というほどの苦労と努力の日々。協力しながら遂行する船内での通訳業務では、チームメンバに比べ英語力が乏しいことを痛感しました。しかし、堂々と英語を使いこなすチームメイトが、意外にも日本語に苦労している姿を目の当たりにし、皆それぞれに得意不得意があるということに気づきます。
「できないことを嘆くより、強みをいかすことで、自信を持って周りと協力し、挑戦を続けることができました」と語る未来さん。船旅の終盤、参加者に「本当によくやってくれているね」と直接声をかけられたことでさらに自信に繋がりました。
地球一周での大きな収穫は「世界に対する見方が大きく変わった」こと。日本で生活しているだけでは気づかない、各地で異なる物事のとらえ方、考え方、表現のしかた、そして英語のアクセントに触れました。この経験を通して異なる文化に対するアプローチを学び、「一歩踏み込んで、理解や配慮ができるようになった」と語る未来さん。現在働いている職場で、世界各国から集まった同僚達とコミュニケーションを取る上で大きく役立っているそうです。
船旅に参加して、ネットワークも広がりました。日本中から集まる幅広い世代の乗船者に加え、世界中から集まるボランティア通訳や語学講師、ゲスト講師と知り合ったことで、世界各地に訪問する友人ができ、多方面から仕事のオファーも舞い込みます。紹介を受け、南極へ行く訓練船での勤務もしました。また、3ヶ月半の間、携帯電話やパソコン、テレビから離れた生活をする船内や寄港地では、面と向かった直接の人との関わりをもつことの大切さを改めて認識しました。
「6年たった今だから、当時の経験が本当に価値あるものだと自信を持って言えます。メディアを通して届く世界の様子はネガティブなものが多いけど、実際に自分で行って見た世界はとっても美しく素晴らしい所。船からひたすら海を眺めて考え事をした時間も貴重でした。」と振り返ります。
未来さんは現在、シンガポールで、米系テレビ局の言語部門で働いています。
第69回クルーズ(2010年4月出航)に乗船、当時25歳
大学へは付属高校からのエスカレータ、就職もとりあえず決まった一社に入り、社会人生活を送っていた神奈川県出身の羽鳥未来(はとり・みき)さん。
高校生のとき近所で英会話を習い、大学の交換留学で1年間オーストラリアに住んだだけで「英語力的には通訳になれるとは思わなかった。でも、体力的にも知力的にも大きなチャレンジをできる今だからこそ」と考え、2年勤めた仕事を辞めて通訳ボランティアとして船旅に参加しました。
乗船してみると「あんなに自分を追い込んだことはない」というほどの苦労と努力の日々。協力しながら遂行する船内での通訳業務では、チームメンバに比べ英語力が乏しいことを痛感しました。しかし、堂々と英語を使いこなすチームメイトが、意外にも日本語に苦労している姿を目の当たりにし、皆それぞれに得意不得意があるということに気づきます。
「できないことを嘆くより、強みをいかすことで、自信を持って周りと協力し、挑戦を続けることができました」と語る未来さん。船旅の終盤、参加者に「本当によくやってくれているね」と直接声をかけられたことでさらに自信に繋がりました。
地球一周での大きな収穫は「世界に対する見方が大きく変わった」こと。日本で生活しているだけでは気づかない、各地で異なる物事のとらえ方、考え方、表現のしかた、そして英語のアクセントに触れました。この経験を通して異なる文化に対するアプローチを学び、「一歩踏み込んで、理解や配慮ができるようになった」と語る未来さん。現在働いている職場で、世界各国から集まった同僚達とコミュニケーションを取る上で大きく役立っているそうです。
船旅に参加して、ネットワークも広がりました。日本中から集まる幅広い世代の乗船者に加え、世界中から集まるボランティア通訳や語学講師、ゲスト講師と知り合ったことで、世界各地に訪問する友人ができ、多方面から仕事のオファーも舞い込みます。紹介を受け、南極へ行く訓練船での勤務もしました。また、3ヶ月半の間、携帯電話やパソコン、テレビから離れた生活をする船内や寄港地では、面と向かった直接の人との関わりをもつことの大切さを改めて認識しました。
「6年たった今だから、当時の経験が本当に価値あるものだと自信を持って言えます。メディアを通して届く世界の様子はネガティブなものが多いけど、実際に自分で行って見た世界はとっても美しく素晴らしい所。船からひたすら海を眺めて考え事をした時間も貴重でした。」と振り返ります。
未来さんは現在、シンガポールで、米系テレビ局の言語部門で働いています。
「自分の考えを表現するのが苦手だった」
■フリン丈さん
第86回クルーズ(2014年11月出航)に乗船、当時20歳
福岡県で生まれ育ったフリン丈(じょう)さん。母語は日本語でありながら、「父親がオーストラリア人なら英語ができて当然」という周囲の期待に応えようと、中学と高校では英語の学習に励みました。
そんな彼が地球一周の船旅での通訳ボランティアを知ったのは、通訳の勉強をするために留学中のオーストラリア。「たまたまバーで出会ったアフロのお兄さんが応募する予定だと話してくれたんです」と19歳の時の出来事を振り返ります。
通訳の勉強をしていた丈さんにとって通訳ボランティアは、3か月間集中して、多岐にわたる分野での実践経験を積む絶好の機会でした。「学校では先生からの評価しかもらえないけれど、船の中では僕の通訳を聞いている方々からの直接の声を聞けたことがすごく勉強になりました」と語ります。
大学を休学して乗船した彼にとって実践の成果を強く感じたのは、船旅の最後に、親ほどの年代の方に上達を褒められたことです。また、広い年代に理解しやすい話し方や語彙が身についただけでなく、若い通訳に不足がちな「社会経験」を得られたことも大きな成果でした。通訳として担当した南アフリカの青少年オーケストラ(アフリカン・ユース・アンサンブル)のメンバーは、強盗や殺人、10代の妊娠など過酷な状況に囲まれた日々を送っているという事実。何も心配もせずに生きてきた同年代の自身と対比し、世界の現実に衝撃を受けたそうです。
ただ「伝える」のではなく、相手に「伝わる」ように通訳をする大切さを学んだのも船の上でした。70代や80代の広島・長崎のヒバクシャの方々が、思い出すだけでも辛い70年前の被爆経験を語る証言活動。当時の日本の生活様式や社会制度を理解している前提で語られる言葉が多く含まれます。どんなに正確に言葉を訳しても、背景を共有していない他国の人々には半分も伝わりません。繰り返し挑戦する中で、相手が共感できるような情景を表現することで大切なメッセージが伝わる実感を持つことができました。
とにかく自身のスキル向上を意識していた丈さんですが、ピースボートでは意外にもチームワークの魅力に気づきます。世間で通訳業務というと通常一人で行うものですが、ピースボートの通訳ボランティアは2〜3人一組のチームで講座通訳を行います。互いに分野やアクセントによって強み弱みがある中で、互いの弱みを互いの強みでカバーしあうことで成し遂げられる通訳の心強さも経験しました。
さらに、非常にユニークな背景をもつ人材の集まりである通訳ボランティアのチームについて「3ヶ月間半も生活を共にする中で、大変なこともあったけれど、船旅が終わった後も仲の良い気のおけない友人がたくさんできたことが、すごく嬉しいです」と丈さんは柔らかい笑顔で語ります。
丈さんは船旅の後、大学を終え、NAATI(オーストラリアの通訳国家資格)を取得。現在は、福岡を拠点にフリーランスで通訳をしています。
第86回クルーズ(2014年11月出航)に乗船、当時20歳
福岡県で生まれ育ったフリン丈(じょう)さん。母語は日本語でありながら、「父親がオーストラリア人なら英語ができて当然」という周囲の期待に応えようと、中学と高校では英語の学習に励みました。
そんな彼が地球一周の船旅での通訳ボランティアを知ったのは、通訳の勉強をするために留学中のオーストラリア。「たまたまバーで出会ったアフロのお兄さんが応募する予定だと話してくれたんです」と19歳の時の出来事を振り返ります。
通訳の勉強をしていた丈さんにとって通訳ボランティアは、3か月間集中して、多岐にわたる分野での実践経験を積む絶好の機会でした。「学校では先生からの評価しかもらえないけれど、船の中では僕の通訳を聞いている方々からの直接の声を聞けたことがすごく勉強になりました」と語ります。
大学を休学して乗船した彼にとって実践の成果を強く感じたのは、船旅の最後に、親ほどの年代の方に上達を褒められたことです。また、広い年代に理解しやすい話し方や語彙が身についただけでなく、若い通訳に不足がちな「社会経験」を得られたことも大きな成果でした。通訳として担当した南アフリカの青少年オーケストラ(アフリカン・ユース・アンサンブル)のメンバーは、強盗や殺人、10代の妊娠など過酷な状況に囲まれた日々を送っているという事実。何も心配もせずに生きてきた同年代の自身と対比し、世界の現実に衝撃を受けたそうです。
ただ「伝える」のではなく、相手に「伝わる」ように通訳をする大切さを学んだのも船の上でした。70代や80代の広島・長崎のヒバクシャの方々が、思い出すだけでも辛い70年前の被爆経験を語る証言活動。当時の日本の生活様式や社会制度を理解している前提で語られる言葉が多く含まれます。どんなに正確に言葉を訳しても、背景を共有していない他国の人々には半分も伝わりません。繰り返し挑戦する中で、相手が共感できるような情景を表現することで大切なメッセージが伝わる実感を持つことができました。
とにかく自身のスキル向上を意識していた丈さんですが、ピースボートでは意外にもチームワークの魅力に気づきます。世間で通訳業務というと通常一人で行うものですが、ピースボートの通訳ボランティアは2〜3人一組のチームで講座通訳を行います。互いに分野やアクセントによって強み弱みがある中で、互いの弱みを互いの強みでカバーしあうことで成し遂げられる通訳の心強さも経験しました。
さらに、非常にユニークな背景をもつ人材の集まりである通訳ボランティアのチームについて「3ヶ月間半も生活を共にする中で、大変なこともあったけれど、船旅が終わった後も仲の良い気のおけない友人がたくさんできたことが、すごく嬉しいです」と丈さんは柔らかい笑顔で語ります。
丈さんは船旅の後、大学を終え、NAATI(オーストラリアの通訳国家資格)を取得。現在は、福岡を拠点にフリーランスで通訳をしています。
「コミュニケーションの手助けをできることが嬉しかった」
■大竹更さん
第67回クルーズ(2009年8月出航)に乗船、当時25歳
東京都出身の大竹更(おおたけ・あらた)さんは、15歳から25歳の10年間をイギリスで過ごしました。大学を卒業する頃には自然と英語だけで生活をしていましたが、何か手に職をつけたいと思い選んだ通訳翻訳の修士課程で改めて日本語を磨きました。
卒業後、かねてから興味のあった国際協力の分野に関わろうと帰国し、東京都渋谷区の国連広報センター(UNIC Tokyo)で6ヶ月間のインターンを経験。
そのあと通訳ボランティアとしてピースボートに参加したことは、更さん自身にとって「一石三鳥だった」と言います。第一に、人と人とのコミュニケーションを手助けするために、すでに習得した通訳スキルを活かせること。第二に、知識しかなかった国際協力の分野について、その現場となる国や地域を訪れることができること。第三に、エジプトやモロッコ、セイシェルやケニア、さらにはイースター島、タヒチなど個人旅行で気軽に行くことのない多くの場所に一度に訪れられること。
乗船した第67回クルーズでは、インターンとして翻訳に関わったことがある「国連ミレニアム開発目標(MDGs: Millennium Development Goals)」のキャンペーナー養成講座が開催されており、担当通訳として企画に関わることに。ここで世界の貧困の状況とそれに対する国連の取り組みを学びます。さらにケニアのスラムを訪問したり、カンボジアの地雷問題について学ぶプログラムやパレスチナ難民支援プロジェクトの発表の通訳を担当したり、なんとなく聞いたことがあった世界の問題や取り組みが、一気に身近になりました。
のちに青年海外協力隊員として赴任することとなったモロッコとの出会いも実はこの船旅がきっかけ。海、砂漠、雪山などの大自然を有するこの国で、アラブ、ヨーロッパ、ベルベルの文化が混ざり合ったこの寄港地に2日だけの訪問でしたが魅了され、必ずまた訪れようと決心したそうです。
「先を読んで点と点をつなぐことはできない。あとから振り返ってみて初めてできるわけだ。だから、どこかで点と点がつながると信じなければならない。それがたとえ皆の通る道から外れても、自分の心に従う自信が生まれる。」という故スティーブ・ジョブス氏の言葉を強く実感している更さん。
乗船を決めた当時をこう振り返ります。「学生が終わってそのまま無職の状態でボランティアをすることについては周りに色々言われましたし、何か仕事をしてお金を貯めてからの方がいいかとも考えました。でも、いつ何が起きて参加できない状況になるかわからない。だから、今これをやりたいという強い気持ちに従うことにしました。その結果、今につながっています。」
更さんは現在、国連ボランティア(UNV)として、国連開発計画(UNDP)モロッコ事務所にて働いています。
第67回クルーズ(2009年8月出航)に乗船、当時25歳
東京都出身の大竹更(おおたけ・あらた)さんは、15歳から25歳の10年間をイギリスで過ごしました。大学を卒業する頃には自然と英語だけで生活をしていましたが、何か手に職をつけたいと思い選んだ通訳翻訳の修士課程で改めて日本語を磨きました。
卒業後、かねてから興味のあった国際協力の分野に関わろうと帰国し、東京都渋谷区の国連広報センター(UNIC Tokyo)で6ヶ月間のインターンを経験。
そのあと通訳ボランティアとしてピースボートに参加したことは、更さん自身にとって「一石三鳥だった」と言います。第一に、人と人とのコミュニケーションを手助けするために、すでに習得した通訳スキルを活かせること。第二に、知識しかなかった国際協力の分野について、その現場となる国や地域を訪れることができること。第三に、エジプトやモロッコ、セイシェルやケニア、さらにはイースター島、タヒチなど個人旅行で気軽に行くことのない多くの場所に一度に訪れられること。
乗船した第67回クルーズでは、インターンとして翻訳に関わったことがある「国連ミレニアム開発目標(MDGs: Millennium Development Goals)」のキャンペーナー養成講座が開催されており、担当通訳として企画に関わることに。ここで世界の貧困の状況とそれに対する国連の取り組みを学びます。さらにケニアのスラムを訪問したり、カンボジアの地雷問題について学ぶプログラムやパレスチナ難民支援プロジェクトの発表の通訳を担当したり、なんとなく聞いたことがあった世界の問題や取り組みが、一気に身近になりました。
のちに青年海外協力隊員として赴任することとなったモロッコとの出会いも実はこの船旅がきっかけ。海、砂漠、雪山などの大自然を有するこの国で、アラブ、ヨーロッパ、ベルベルの文化が混ざり合ったこの寄港地に2日だけの訪問でしたが魅了され、必ずまた訪れようと決心したそうです。
「先を読んで点と点をつなぐことはできない。あとから振り返ってみて初めてできるわけだ。だから、どこかで点と点がつながると信じなければならない。それがたとえ皆の通る道から外れても、自分の心に従う自信が生まれる。」という故スティーブ・ジョブス氏の言葉を強く実感している更さん。
乗船を決めた当時をこう振り返ります。「学生が終わってそのまま無職の状態でボランティアをすることについては周りに色々言われましたし、何か仕事をしてお金を貯めてからの方がいいかとも考えました。でも、いつ何が起きて参加できない状況になるかわからない。だから、今これをやりたいという強い気持ちに従うことにしました。その結果、今につながっています。」
更さんは現在、国連ボランティア(UNV)として、国連開発計画(UNDP)モロッコ事務所にて働いています。
通訳ボランティアに興味がある方は
国籍や出身地、年齢、ジェンダーや宗教は問いません。社会問題や異文化理解に興味関心を持ち、船でゆっくり地球をめぐりながら、コミュニケーションの架け橋として活躍する通訳ボランティアへのご応募をお待ちしています。