ドイツ国際平和村を訪れました ~国境を越えて子どもを救う場所~
ここでは、第91回ピースボートで訪れたドイツ国際平和村での交流プログラムの様子をお伝えします。
ドイツ国際平和村は、1967年に紛争などで危機に瀕した地域の子どもたちを助ける目的で、ドイツ市民の手によって設立されました。以来、市民の寄付金を財源に活動を続け、母国で治療を受けられない子どもたちを迎え、治療とリハビリを行ってきました。
ドイツ国際平和村は、1967年に紛争などで危機に瀕した地域の子どもたちを助ける目的で、ドイツ市民の手によって設立されました。以来、市民の寄付金を財源に活動を続け、母国で治療を受けられない子どもたちを迎え、治療とリハビリを行ってきました。
ついに平和村に到着
日本では、女優・タレントであり、一般社団法人「Get in touch」理事長の東ちづるさんの訪問がテレビ番組「ウルルン滞在記」で放送さたことをきっかけに、ドイツ国際平和村の認知度は上がりました。今回はピースボートに水先案内人として乗船した東さんのご紹介により、平和村への訪問が実現しました。
ツアー参加者は、一度船を離れ、パリから鉄道とバスでドイツのデュッセルドルフへ向かいました。約6時間をかけてドイツ国際平和村に到着しました。平和をイメージした、カラフルな建物には、至る所に虹色がちりばめられています。迎え入れてくれたのは、日本人スタッフの中岡麻記さんと、ドイツ人スタッフのヴォルフガング・メルテンスさん。彼らに案内され、施設に入りました。
早速、出航前から集め、全員で運んできた支援物資の子供服をメルテンスさんに渡しました。現在もパレスチナ、イラクやシリアなどの戦争・紛争地域からたくさんの子どもたちが定期的に平和村へ滞在しているため、メルテンスさんは支援物資を喜んでくれました。施設の中は、子どもたちに少しでも癒しを与えるため、緑が多く心地よい空間作りがされています。順番に、子どもたちの生活している場所、食堂、リハビリの場所や体育館などを外から見学しました。
ツアー参加者は、一度船を離れ、パリから鉄道とバスでドイツのデュッセルドルフへ向かいました。約6時間をかけてドイツ国際平和村に到着しました。平和をイメージした、カラフルな建物には、至る所に虹色がちりばめられています。迎え入れてくれたのは、日本人スタッフの中岡麻記さんと、ドイツ人スタッフのヴォルフガング・メルテンスさん。彼らに案内され、施設に入りました。
早速、出航前から集め、全員で運んできた支援物資の子供服をメルテンスさんに渡しました。現在もパレスチナ、イラクやシリアなどの戦争・紛争地域からたくさんの子どもたちが定期的に平和村へ滞在しているため、メルテンスさんは支援物資を喜んでくれました。施設の中は、子どもたちに少しでも癒しを与えるため、緑が多く心地よい空間作りがされています。順番に、子どもたちの生活している場所、食堂、リハビリの場所や体育館などを外から見学しました。
世界中から集まるボランティア
場所を移り、平和村のこれまでの活動、支援の方法と対象の国、子どもたちのこと、ドイツならではともいえる幅広いボランティアと支援についても学びました。
平和村の目的は、紛争地域で治療を受けられない子どもたちをドイツに送り、病院での治療と平和村で時間を過ごすことにより、心身ともに健康なってもらい、帰国してもらうことです。まずは紛争地域からのSOSを受け、スタッフが現地へ入り支援の方法を探ります。そして、飛行機をチャーターして現地へ向かう「援助飛行」で、子どもたちを送ります。滞在期間は、短い子どもは数週間で元気になるケースもあれば、長期的な治療が必要な子どももいます。
この大規模なプロジェクトを支えているのが、ドイツ国内はもとより、日本を含め世界中から集まるボランティアと支援金です。特にドイツ国内では、平和村の認知度は高く、子どもの移送などに関しては、医療関係者から航空関係者まで、すべての人々はスムーズに進むよう協力する体制があることを学びました。
平和村の目的は、紛争地域で治療を受けられない子どもたちをドイツに送り、病院での治療と平和村で時間を過ごすことにより、心身ともに健康なってもらい、帰国してもらうことです。まずは紛争地域からのSOSを受け、スタッフが現地へ入り支援の方法を探ります。そして、飛行機をチャーターして現地へ向かう「援助飛行」で、子どもたちを送ります。滞在期間は、短い子どもは数週間で元気になるケースもあれば、長期的な治療が必要な子どももいます。
この大規模なプロジェクトを支えているのが、ドイツ国内はもとより、日本を含め世界中から集まるボランティアと支援金です。特にドイツ国内では、平和村の認知度は高く、子どもの移送などに関しては、医療関係者から航空関係者まで、すべての人々はスムーズに進むよう協力する体制があることを学びました。
元気いっぱいの子どもたち
2日目は、いよいよ子どもたちとの交流です。子どもの治療が目的の平和村では、通常は見学などを受け入れていません。普段の子どもたちの生活にできるだけ影響がないように配慮しながら、滞在していた建物に子どもたち約15名を男女別に時間で分けて交流させてもらいました。参加者は、船で練習していた片言のドイツ語とジェスチャーで交流し、訪問前に心配していた怪我や身体の不自由さに関係なく、ダンスや歌、折り紙や剣玉などの日本の遊びを一緒にしました。男の子は元気いっぱい、女の子たちは大人しく楽しんでいました。
午後は平和教育セミナー。多くの子どもたちの出身国をテーマに現状や豊富な資源によって起こった紛争の歴史、貧富の差、子どもたちの生活、地雷など紛争の爪痕に関して、最近子どもたちを送る援助飛行に同行した日本人スタッフの話を聞きました。「壊すのは簡単だが、直すのには時間がかかる」という彼女の言葉が参加者の胸に響きました。
午後は平和教育セミナー。多くの子どもたちの出身国をテーマに現状や豊富な資源によって起こった紛争の歴史、貧富の差、子どもたちの生活、地雷など紛争の爪痕に関して、最近子どもたちを送る援助飛行に同行した日本人スタッフの話を聞きました。「壊すのは簡単だが、直すのには時間がかかる」という彼女の言葉が参加者の胸に響きました。
不足する援助
運営費を全て寄付でまかなっていますが、必要経費は不足しています。年間4往復の援助飛行や、紛争地域へのチャーター往復輸送。ドイツでの医療費は各病院がすべて無償で負担してくれますが、帰国後の母国での医薬品代がかかります。また、松葉杖や車椅子など整形外科用品代。平和村に滞在する約170人の子どもたちの食事代。その他、子どもたちの母国や、カンボジアなどの支援国で治療を受けさせるための費用も必要です。昨今は、世界的に増える難民問題を受け、平和村への援助は少なくなりました。
平和村を訪れた参加者たちは、たくさんの言葉にならない想いを共有しました。ひどい怪我を負いつつも、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿、元気になってまた紛争地域へ帰る子どもたちの姿を見聞きして、自分に何ができるのかわからず、悩んだ人もいました。
船に戻ってからは1人1人が、自分の気持ちや思いを整理して報告会を行い、船内の他の参加者に伝える努力をしました。そして今、自分たちにできることとして、募金を集め平和村に送りました。いつか平和村が必要なくなる日が来ることを願って。
平和村を訪れた参加者たちは、たくさんの言葉にならない想いを共有しました。ひどい怪我を負いつつも、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿、元気になってまた紛争地域へ帰る子どもたちの姿を見聞きして、自分に何ができるのかわからず、悩んだ人もいました。
船に戻ってからは1人1人が、自分の気持ちや思いを整理して報告会を行い、船内の他の参加者に伝える努力をしました。そして今、自分たちにできることとして、募金を集め平和村に送りました。いつか平和村が必要なくなる日が来ることを願って。