ケープタウン[南アフリカ]
こんな国
・国名
 南アフリカ共和国 Republic of South Africa
・ことば
 公用語は英語。そのほか、ズールー語、コサ語などの各部族語、オランダ系白人のことばアフリカーナーなど。
・歴史
 17世紀末からオランダ系白人が入植を開始。18世紀末からイギリス人勢力が強まり、オランダ系白人(アフリカーンス)勢力と対立。2度にわたる戦争の末、1910年にイギリス領南アフリカ連邦が成立する(1934年独立、61年に英連邦脱退)。第二次世界大戦後、アパルトヘイト(人種隔離政策)を掲げる国民党が与党に。黒人の「ホームランド」への隔離、異人種間婚姻の禁止など、徹底した隔離政策をすすめた。このため、国際社会からの大きな非難を浴び、厳しい経済封鎖を受けたが、日本は貿易関係を続け、「名誉白人」としての扱いを受けた。
 ネルソン・マンデラが議長をつとめるANC(アフリカ民族会議)などの運動を受けて、1994年、ようやく初の全人種参加の総選挙が実施。ネルソン・マンデラを大統領とする「新生南アフリカ」が誕生した。現在は、その跡を継いだムベキ大統領のもと、「多民族共生国家」に向けての国づくりを進めている。いっぽうで、失業率の上昇や都市部での治安悪化も重要課題。

エルジン村宿泊交流
カラード(混血)の人々のみ暮らすレバノン地区内の「エルジン村」を訪問。小学校や広大な農園、そして各家庭にもおじゃまして、ふだんの生活を体験。参加者のだれもが驚いた「大スター並み」の大歓迎。でも、その熱烈歓迎の裏には「地区以外の人との関わりがほとんどない」というアパルトヘイト時代の遺産も見え隠れ。だからこそ、「ピースボートが訪れること」の意味も感じることができた充実の交流コースとなった。

黒人居住区からの熱い風
アパルトヘイト政策が完全に撤廃されたのは1994年のこと。その後、法的には平等になったものの白人に比べて黒人の生活水準は低く、教育を受けられる機会も少ないことから置かれた立場も弱いのが現状。私たちが訪れたのは、黒人が自立して暮らしていくためのプロジェクトを実施する4団体。「虹の国」南アフリカを創ってゆこうとする人々と出会い、アパルトヘイト時代の困難な道のりを知ると同時に、かつて「名誉白人」の称号を望んだ私たちのこれからの役割についても考えさせられるコースになった。

ソフトボール交流
とつじょ予定外の交流ツアーが企画された。その名も「ソフトボール交流」。『貧しいがため「悪の道」へとすすむ子供たちを、スポーツを通じてなくしてゆこう』という活動を行うNGO『Mannenberg Suports Assistans』のみなさんが、その対戦相手。ということは相手は子供!?のはずが球場に現れたのは、中学生からなんと中年のおじさんまで様々。見た目たくましい彼らを前に、「大差で負けるかも」と弱気になったが…。南アではマイナーな競技ゆえにルールも知らないメンバーが相手とあって、なんと8−5のスコアでピースボートチームの勝利!!
日本で集めてきた野球用具の寄贈式を終えてから、ホットドックやフルーツでささやかなお疲れさま会。港へと戻る車中では、互いのTシャツにメッセージを書き込み、そしていつまでも別れを惜しむ姿が印象的でした。
(石橋)

ランガ高校で熱い交流
アパルトヘイト時代、ケープタウン最大の黒人居住区に設立されたのが私たちが訪れた「ランガ高校」。現在この学校に通う黒人生徒数は1600名。黒人の学校では1クラスの生徒数が60〜70人と非常に多く、十分な教材も揃っていないなど、白人が通う学校に比べて教育の質が低い。そのため白人やカラードの生徒が通うことはなく、教育水準が高く白人の学校には学費も高いため黒人たちは通うことができないという。
アパルトヘイト政策が終わった今なお、人種によって受けられる教育に格差がある現状を目の当たりにした。今回で2回目となるランガ高校への訪問に際し、カラードの学校の生徒もランガ高校を訪れ、ともにフェスティバルを開催。黒人、カラード、ピースボート参加者による文化の交流が実現した。

アフリカ『南端』の喜望峰へ
ケープタウンから南下して向かったのは、ケープ半島に広がる喜望峰自然保護区。ケーブルカーで頂上まで登って喜望峰の全景を望みながら、「大航海時代」にちょっぴり想いを馳せてみた。美しい自然、そしてそこに暮らすカワイイ動物たちに大満足の1日でした。

初の黒人ワイナリー訪問
近ごろ評判の『新世界ワイン』のなかでも、もっとも高い評価を受けているのが南アフリカのワイン。しかし、人種によって差別されてきた時代の黒人たちは、季節労働者でしかなく、ワイナリーの経営に携わることはできなかった。そして、アパルトヘイト撤廃。このワイン業界にも人種融和の波が押し寄せているという。3年前からピースボートが交流を続けるネルソンズ・クリーク・ワイナリーを訪問した。

ビクトリアの滝へ
ジンバブエとザンビアの国境にあるビクトリアの滝。1855年に探検家デビット・リビングストーンによって紹介されるや、南米の「イグアスの滝」、北米の「ナイアガラの滝」とともに、世界3大瀑布として知られることになった。「一生に一度は行ってみたい!」、そんな思いで向かった先に待っていたのは、想像を絶する自然の大迫力。ずぶ濡れになりがら、全身で体験した「ビクトリアの滝」をレポート。

「虹の国」南アを作る人たち
「地球大学」カリキュラムの一環として実施されたオーバーランド・ツアー。ケープタウンでいったん下船。空路と陸路をつかって、アパルトヘイト時代の足跡をたどる。新生南アのエネルギーを感じ、ナミビアで再乗船する5日間の行程。1991年にアパルトヘイトが撤廃されてから10年、「虹の国」南アフリカはどのような方向へ進もうとしているのか? 白人による差別に怒りと怯えをもって暮らしてきた黒人たちの生活はどのように変化したのか? 自分たちの眼で確かめてきた。

32回クルーズレポートインデックスへ