3月6・7日 ▼エルジン村の宿泊交流
カラード(混血)の人々のみ暮らすレバノン地区内の「エルジン村」を訪問。小学校や広大な農園、そして各家庭にもおじゃまして、ふだんの生活を体験。参加者のだれもが驚いた「大スター並み」の大歓迎。でも、その熱烈歓迎の裏には「地区以外の人との関わりがほとんどない」というアパルトヘイト時代の遺産も見え隠れ。だからこそ、「ピースボートが訪れること」の意味も感じることができた充実の交流コースとなった。
ここタンディ農園は、200ヘクタールにも及ぶその広大な敷地内で14種類のブドウのほか、32種におよぶ果物類を栽培している。1996年に始まった『タンディプロジェクト』は、政府と農場主、そして労働者自らも積極的に関わることで運営されている。農園の説明をしてくれたヤンさんによれば「さらに多くの種類を栽培していきたいが、経済的な問題がそうはさせてくれない。これまでも、労働者が政府から与えられた住居手当をプロジェクト運営に充てることで、現在の規模にまですることが出来たぐらいだから」と話してくれた。
農園内の移動は全てトラクターに取り付けられた客車で。日本でいうならばちょうど秋のような心地よい良い風に吹かれ、ガタガタ揺られながら見渡す広大な景色はとても美しい。
ワイン醸造に使われる貴重なブドウを体験収穫。選別のポイントは、粒の3分の1がキレイな緑色ですぐにも食べられそうになっていて、残りの3分の2が干しぶどうのように固化しているのを選ぶようにとのこと。始めは遠慮がちにハサミを入れていたのも慣れてしまえばお手のもの、なかにはこっそりつまみ食いする姿まですっかり板に付いてたりして…。
摘みとったブドウ一箱分から、4本のワインが製造できるという。約20人が1時間かけての収穫が3箱で12本分。なかなかに骨がおれる作業だと実感。
約400名、55家族が暮らす「エルジン村」に到着していくつかの家庭におじゃま。その後に、村の公民館で盛大に交流会を開催してくれた。村人とピースボートの参加者がそれぞれ歌や踊りを披露。好評だったのは、村の子供らが披露してくれた「ブレイクダンス」、そして参加者による日本の伝統的なパフォーマンス「南京玉簾」。
歌と踊りを披露してくれた小さな子供たち。彼らに「将来の夢は?」とインタビューしたところ、「警察官」「兵隊」「医者」と答えてくれた。何気なく感じられるこの答え。でもガイドさんによると、「10年前に同じような質問を子供たちに投げかけても、今日のように様々な職業になりたいなんて答えはきっと返ってこなかったはず。今は『夢』を自由に持てるようになったのですから」。現在も地区外との往来は少ないというものの、アパルトヘイトの時代と、少なくとも悪法は廃止された現在とでは子供たちを取り巻く環境も大きく変わってきているようだ。
2日目の午前中は「デラスト小学校」を訪問。数名に分かれて教室へおじゃますると、待ってましたといわんばかりの猛烈サインぜめ。ひたすらサインしたのは、ノートはもちろん、腕や着ている服にまで。延々続くその様子にも、「そんな笑顔でお願いされると…」、みんなひたすら頼まれるがままサインを記してゆくのでした。
ふだんは外部からの訪問者が無いからとはいっても、これだけ歓迎されれば嬉しくないはずはない。あっという間にお別れの時間になると、バスの回りにはたくさんの見送りの子供たちが。テーブルマウンテンも喜望峰も行かないツアーだったけれど、こうして自分たちの訪問を心待ちにしてくれた人がいる、それだけで「南アフリカにきて良かった」と思える、そんな2日間でした。
ケープタウン寄港地レポートインデックスへ32回クルーズレポートトップページへ