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第9回エッセイ大賞入賞者発表

第9回エッセイ大賞入賞者発表
大賞 PEACE WALK 歩いて繋がる平和/濱田 直翔さん(22歳)
次点 旅人は戦争できない/太田哲平さん(20歳)

*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードして読むことができます。
INFO
大賞 PEACE WALK 歩いて繋がる平和/濱田 直翔さん(22歳)
次点 旅人は戦争できない/太田哲平さん(20歳)

*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードして読むことができます。

第9回エッセイ大賞選評

●鎌田慧さん(ルポライター)

まだ自分を発見できていない若者たちは多い。濱田さんも自分が不分明な若者のひとりだった。それが3・11東日本大震災、とりわけ、福島原発事故に 衝撃を受けて、ボランティア活動に参加、自分が何ができるかを考えるようになる。東三陸町でのボランティア活動から、ヒッチハイク、内モンゴルでの植林と すすんでいく。その参加の経路の説明が欲しかったが、そのあと、アメリカでのピースウオークとすすんでいく。歩く、という行為について、つぎのように書い ている。

「歩く距離は毎日20Km~30Km。普段の生活で一日ここまでの距離を歩くことは、ほぼない。歩くことには深い意味がある。嫌でも自分の身体と向 き合うことになるし、一歩一歩踏み 出し続けることが「瞑想」のようになって、自分の内面とも向き合うことになる。自分自身で、心と身体がクリアになっていくのが分かる。町の人々の表情や、 土地が持つ自然など、歩くことでしか気付けないことも、たくさんあった。

そして、一緒に歩く仲間たちは家族のような存在になる。辛い時も楽しい時も共有しながら歩くことで、深い絆で結ばれていく」。

ここには、歩くことによる発見が書かれていて、説得的だ。600キロの行進だった、という。その後も、広島、長崎、福島、沖縄と歩いた、という。歩 いて考える。この実践が主人公を成長させた。これからの行動とそこで得た知見が楽しみだ。ピースボートの旅でさらに成長してほしい。

●伊藤千尋さん(ジャーナリスト)

濱田君の「PEACE WALK」は、いい。

ダラダラと人生を過ごしていた学生が3・11で突然、ボランティアを始めた点がまず評価できる。口先だけの人々とは違う。次が「僕たちが世界を変えられ る」という視点だ。無気力ですぐにあきらめる風潮の社会で、「できることをやってみよう」と考えた。そこで、いきなり退学したというのが驚きだ。実体験を 通して学びたいという気持ちを即、実行に移した。世間はこれを軽率だと言うだろうが、私は決断力と行動力の現れだと評価したい。それを実証するように濱田 君はヒッチハイクの旅そしてモンゴルへ、さらに脚を伸ばしてアメリカにウオークに行ったというのが、実にいい。実に軽い。この軽さがミソである。

今の若者の多くは、腰が重い。安全性や社会常識の枠に自らを縛り、日常から飛び出そうとしない。新たな体験しなければ、新しい価値観も身につかない。過去の乏しい知識だけから判断するから保守的になりがちだ。

決断は早く、腰は軽く。それを濱田君は見事に体現している。しかも行った先々で多くの人々とつながり、対話の中で物事を考えようとする姿勢を持っている。 ここが、実にいい。一つの縁から次の縁へ。次々に自分の世界を広げていく行動は、まさにピースボートの姿勢そのものだ。

濱田君には、ぜひ船に乗ってもらいたい。世界の各地を、その土地の人といっしょに歩きながら話し、さらに世界を広げていってほしい。

太田君の「旅人は戦争できない」という発想はユニークだ。旅をしながら多くの人々と接し、十人十色を実感した。違いを理解する姿勢があれば戦争にはならな い、というのはその通りだ。そこから「旅人は戦争できない」という言葉を導き出した感覚は面白い。ただ、そこには飛躍がある。

その主張を裏返せば、旅をしない人や、旅をしても違いを理解できなければ戦争ができるということだ。そして世間の圧倒的多数は旅をしない人であり、旅をし たとしても彼我の違いに苛立って「日本が一番」とナショナリズムに走りがちな人が多いことである。今の日本の右翼の中に米国に留学して嫌な思いをした経験 がある人たちがかなりいる。

作家になって平和に貢献したいと考え、作品を通じて旅を愛す人を増やすという明確な目標まで持っているのは、素晴らしい。だが、問題は行動だ。青写真だけなら、持つ人はいる。まずは具体的に行動で示して欲しい。

第9回「旅と平和」エッセイ大賞 大賞受賞作品

PEACE WALK 歩いて繋がる平和 / 濵田直翔さん

2011年3月11日、僕の人生は大きく変わった。

当時の僕は、特になんの目的もなく日々をダラダラと過ごしている大学生。
毎日、遅刻して授業に参加。帰ったらバイト。繰り返しのような毎日に飽き飽きしていた。
マイブームは「世界の絶望的なこと」を探すこと。暇があればインターネットで、戦争で殺された人の画像を見たり、環境問題の現状を調べて、一人で勝手に絶望していた。

「東日本大震災」が起きたのは、そんな時期だった。
大阪に住んでいた僕は、テレビのニュースを通して東北で起きていることを知った。津波に飲まれていく町。オモチャのように流されていく車や船。そして、泣き叫ぶ現地の人々の声。映像があまりにショックだったのか、僕はすぐに震災支援のボランティアをはじめていた。
宮城県の南三陸町に支援活動に入り、津波で流されてしまった町並みを見たとき、僕の中の「価値観」が崩れ落ちた。

帰る家があること、蛇口をひねれば水がでること、学校に通えること、いつだって温かく迎えてくれる家族や、一緒にバカなことをして騒げる友達の存在。そんな「当たり前の日常」が一瞬にして失われることがあると知った。

被災地が「感謝することの大切さ」を教えてくれた。
ボランティアを通して、たくさんの「ありがとう」と「笑顔」に出会う事ができた。

震災で、さらにショックだったのが原発事故だった。
原発事故の原因は、まちがいなく僕たちの「無関心」だったからだ。
福島で起きた原発事故は、僕たち人類が起こしてしまった最も大きな過ちだ。事故が起きる前から、原発の危険性を伝えるために、声を上げ続けてきた人がたく さんいた。だけど、ほとんどの人が関心を示さずに生きてきた。その結果、原発事故を起こしてしまった。一人一人が真剣に原発問題に向き合って行動していれ ば、少なくとも原発事故は防げたはずだ。もっとクリーンなエネルギーで経済を回せていたかもしれない。

戦争も同じだと思った。
争い合う原因は「地下資源」や「利権」かもしれない。原因が何であろうと、このままいけば戦争になることに気が付いて、声を上げた人達が必ずいたはずだ。 しかし、僕たちはそれらのメッセージに対して、いつも「無関心」で応えてきた。そうやって目を背け続けてきたから、戦争が無くならないんじゃないか?

「僕たち一人一人が意識して日常を変えていけば、世界は変えられるんじゃないか?」漠然と、そう考えるようになっていった。

震災を通して行動することの大切さを体感した僕は「とにかく自分にできることをやってみよう」と思い、大学を退学した。本や人の話を聞いて「考える」だけではなく、自分で色んな場所に足を運び、実体験を通して学びたかったからだ。
それからフリーターをしながら、視野を広げるためにヒッチハイクで日本中を旅したり、環境問題の現場を体験するために内モンゴルの砂漠へ植林に行ったりした。

植林に行ったとき、北京の学生たちと交流する機会があった。彼らは日本で起きた震災のことや、原発事故の事をとても気にかけていて、僕に色んなことを聞いてくれた。それをキッカケに「広島、長崎、福島。ここまで核の恐ろしさを体験しているのは日本だけや。
やからこそ、日本人が体験したことを海外に伝えていくべきや!」という想いを抱き始めた。

帰国後、想いはあるものの、どう行動すればいいか分からずに、ずっとモヤモヤしていた。そんな時期、ある仲間から電話がかかってきた。

僕が電話に出るなり
「今度、アメリカでPeaceWalkがあるから行ってこい!」と仲間が言う。

「アメリカ?ピースウォーク?なんの話や??」僕の頭の中はハテナだらけ。
「とにかく、アメリカで福島の話ができるチャンスやから行って来い!!」

話を聞いてみると、アメリカで平和活動をされている日本の尼さんが、福島のメッセージを伝えながら長い距離を歩いて旅をする。その旅を共にし、日本から福島の話をしてくれるメッセンジャーを募集しているらしい。

ワクワクが止まらなかった。「詳しい事は分からへんけど、とにかくアメリカの人たちに日本からのメッセージを伝えるチャンスや!」すぐにアメリカに行くと決断。

ピースウォークが始まるまで二週間しかなかった。
まずは、福島の現状を少しでも知るためにヒッチハイクで南相馬まで行き、田中徳雲さんを訪ねた。彼は震災前からずっと南相馬に住んでいた住職さんで、震災 後は福島の現状を日本中で伝える活動をされていた。徳雲さんは忙しい時間を割いて、津波で多くの人たちが流されてしまった場所や仮設住宅に案内してくれた り、震災と原発事故から体験したことをたくさん聞かせてくれた。

そして、福島から大阪へ帰ってきた次の日、借金で手に入れた航空券を握りしめてニューヨークへ飛んだ。

2013年3月1日、平和への祈りを込めてアメリカの大地を歩く旅が始まった。
テーマは「NO MORE FUKUSHIMA」。
主催者は、安田行純庵主さん。世界中で平和運動をしている日本山妙法寺という宗派のご出家だ。彼女は、30年以上アメリカを中心に世界中で平和行脚をされ てきた。彼女の純粋に平和を祈り歩く姿に、人々は胸を打たれ、平和に向かって生き始める。中には、一緒に歩いてくれる人。旅先で泊まる場所や、食事、集会 を準備してくれる人がいる。そうやって、ピースウォークは成り立っている。

NewYork州Albanyのお寺から僕たちは歩き始めた。先頭を歩く人が「NO MORE FUKUSHIMAPEACEWALK」と書いたバナーを持つ。希望者は、お坊さんが持つ団扇太鼓を叩きながら歩く。太鼓の音が、祈りを届けてくれると信じているからだ。

歩くメンバーは日によって変わる。全行程を歩くメンバーがいれば、一時間だけ歩いてくれる人もいた。白人、黒人、ネイティブアメリカン、あらゆる人種の仲 間たちが、それぞれの宗教を越えて共に歩いた。時にはキリスト教のセレモニーや、イスラム教のセレモニーに招待されることもあった。人種や宗教が違って も、平和を祈り歩くことで、壁を越えて繋がることが出来た。

「どこに住んでいようと、どんな宗教を信仰していても、平和を願う気持ちは同じなんや」

歩く距離は毎日20Km~30Km。普段の生活で一日ここまでの距離を歩くことは、ほぼない。
歩くことには深い意味がある。嫌でも自分の身体と向き合うことになるし、一歩一歩踏み出し続けることが「瞑想」のようになって、自分の内面とも向き合うこ とになる。自分自身で、心と身体がクリアになっていくのが分かる。町の人々の表情や、土地が持つ自然など、歩くことでしか気付けないことも、たくさんあっ た。

そして、一緒に歩く仲間たちは家族のような存在になる。辛い時も楽しい時も共有しながら歩くことで、深い絆で結ばれていく。

目的地に着いたら、ほぼ毎日、教会やコミュニティースペースで集会を開いた。その集会を通して、現地の人たちと交流することができたし、それぞれの地域が 抱える問題や、平和について語り合うことができた。集会の間に、僕は福島に行って学んだことをシェアさせてもらえた。英語が下手なので、現地にいる日本人 の仲間が通訳をしてくれた。

福島を案内してくれた徳雲さんの話を中心に、福島で出会った人たちの物語を話した。インターネットで調べたら出てくるような情報ではなく、リアリティを伝 えたかったからだ。徳雲さんの話しをしていると、家族への想いが溢れて涙する徳雲さんの姿を思い出し、涙が止まらなくなって、泣きながら話をしたことも あった。

話の最後はいつも
「僕は原発に反対したいわけじゃない。ただ、みんなと幸せに生きていきたいだけ。原発の問題は、日本人だけの問題じゃない。地球に生きるみんなの問題で す。もちろん戦争もです。だからこそ、みんなで一つになって、この問題に向き合って生きていきましょう。」と伝えるようにしていた。

その先に広がっている世界が、僕にとっての「平和」だったからだ。

「自分なんかが福島の話をしても良いのか?」不安でいっぱいだった。しかし、少なくとも話を聞いてくれた人たちの中には、僕を抱きしめてくれたり、一緒に涙を流してくれた人がいた。

ある時は、集会に16歳のアフガニスタンから来ているファティマという女の子がいて、僕の話がキッカケで次の日から一緒に歩いてくれることになった。
彼女の国では「死ぬまでに何を成し遂げたか」が大切なので、「幸せのために生きる」という僕のメッセージが彼女にとって新鮮で、心に響いたらしい。

勇気を出して、想いを伝えることの大切さを知った。

僕たちは、平和に関わる大切な場所へは必ず歩いていき、祈りを捧げた。核の研究施設、アメリカの東海岸にある原発、ハリケーンの被害を受けた被災地、黒人奴隷のモニュメント、ネイティブアメリカンが大虐殺された土地、アメリカの兵隊が弔われる墓地、など。
そういう場所を歩き、現地の人の話を聞くことは最高の体験学習になった。

PeaceWalkは、たくさんの出逢いと別れを繰り返しながら、4月6日にゴールのワシントンD.Cホワイトハウスにたどり着いた。約600Kmの旅路だった。

ゴールの後は、アメリカ国会議事堂にある一室で、集会をさせてもらった。その時、オバマ大統領に渡すために、スタートからずっと祈りを込めて運んできた千 羽鶴を、国会議事堂で働いている女性に渡した。すると、彼女は「これは私が責任を持ってオバマ大統領に渡します」と約束してくれた。

こうして「NO MORE FUKUSHIMA PEACE WALK」は終わった。
しかし、PEACE WALKは続いている。
その後、ウォークでできたご縁で、インディアンの居留地などを訪ね歩いた。
日本に帰ってきてからも、アメリカの仲間たちと一緒に広島、長崎、福島、沖縄などの土地を歩くことができた。

PEACE WALKを通して、僕は大切なことをたくさん学んでいる。
一番の学びは「自分は一人じゃなかった」ということ。

僕は、世界中で、世界中の人と一緒に歩きたい。
みんなで想いを込めた一歩一歩が、世界を変えると信じているから。

作品をダウンロードして読む

大賞作と次点作は、こちらのPDFファイル(A4横・縦書き)でも読むことができます。

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