パンフレットをでお届け
資料請求

第8回エッセイ大賞入賞者発表

第8回エッセイ大賞入賞者発表
大賞 南北朝鮮を旅した私だからできること/川崎裕紀さん(19歳)
次点 笑顔と髑髏/小林千夏さん
もっともっとそのままで/日高夏希さん

*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードして読むことができます。
INFO
大賞 南北朝鮮を旅した私だからできること/川崎裕紀さん(19歳)
次点 笑顔と髑髏/小林千夏さん
もっともっとそのままで/日高夏希さん

*大賞作および次点作は、ページ下部からダウンロードして読むことができます。

第8回エッセイ大賞選評

●鎌田慧さん(ルポライター)

川崎裕紀さんの『南北朝鮮を旅した私だからできること』は、タイトル通りの内容である。南北朝鮮を見て考えたことが、実践に結びつけられていて期待をもた せる。 軍事境界線「板門店」を南北両側からみれば、たいがい、平和を祈るような気持ちになる。高校生のときに両側をみた19歳の少年にとって、刺激が強かったの は十分に理解できる。朝鮮半島の平和に、使命感を感じる。そのために、とにかく両国の関係を学習しているうちに、NGO PYONGYANG PROJECTと出会う。とにかく、ちいさいことでもいいから、自分でなにかをはじめようという熱情が、文章によくあらわれている。この実行力を、ピース ボートの旅でさらに大きくつよめてほしい、という期待をこめて、大賞とした。
日高夏希さんの『もっと、もっとそのままで』は、スペイン南部のセビリアに交換留学した体験を書いていて、切実感がある。「チナ、チナ」と声をかけられ、 罵倒されることもある。中国人と一緒にされたくない、という自分のなかにある差別意識(優越感)を内省しながら、「チナ」とは蔑称ばかりではない、と気づ くようになるプロセスは重要だ。日高さんもその体験から、アジアと自分、ヨーロッパと自分の関係をとらえ返そうとしている。もう一歩進んだところでの報告 を読んでみたい。
小林千夏さんの『笑顔と髑髏』はカンボジア・シェムリアップでポルポト時代の虐殺の跡を訪問してからの行動がテーマである。ユニークなのは、自分の会社の 仕事として、カンボジアのNGOをバックアップしたい、と社内で働きかけるところである。が、まだ具体化はしていないようだ。

●伊藤千尋さん(ジャーナリスト)

「南北朝鮮を旅した私だからできること」の川崎さんは、高校時代に北朝鮮を訪れるという稀有な経験をした。積極的な好奇心を発揮し、多くの日本人が名前を 聴くだけで嫌悪する北朝鮮にも飛び込んでいく純粋さは、その一点だけ でも彼の人間性の大きさ、可能性を感じさせる。しかも、反対側の韓国にも行った。両側から物事を自分の目で見て判断しようという姿勢はジャーナリスティッ クな面からも評価に値する。そのうえで使命感を抱き、自ら探した海外の NGOの活動に参加しようとしている。日本国内で「北朝鮮フェスタ」を行うことは相当な困難にぶつかることになるだろう。その結果、めげるかもしれない。 性急にものごとを考えすぎるきらいもあり、その点は気になる。だが、こ の若さで自らのしっかりとした考えを持ち、それを行動につなげている彼のために、さらに新たな道を拓きたい。
「笑顔と髑髏」の小林さんは、カンボジアで虐殺跡を見て戦慄し、社会のための活動を考えた。実際に社会貢献を会社に働きかけた。その試みは、入り口に入っ たところだ。自ら道を切り開いたことは素晴らしい。ならば、せっかく 行い始めた活動をそのまま進めて結果を出すことが必要だ。その方が、いますぐに世界一周の船に乗るよりも自身のためになる。
「もっとそのままで」の日高さんは、スペインでの体験から人種差別の問題について考えるようになった。今から35年前の中南米で取材中にさんざん「チノ」 という差別言葉を投げかけられたうえスペインで特派員をした私には、彼女の気持ちがよくわかる。めげるのでなく差別をなくす動きに進んだ彼女の行動も評価 できる。船で世界中を回って他の差別問題があることを知るよりも、すでに差別問題があることを知ってしまったのなら、まずはそこで深めることが有益だと思う。

第8回「旅と平和」エッセイ大賞 大賞受賞作品

南北朝鮮を旅した私だからできること ⁄ 川崎裕紀さん

私は高校2年の時に北朝鮮を訪れた。

当時は平和について考えるなどという目的意識を持っていたからではなく、ただ日本ではあまり知られていない国を自分の目で見てみたいという好奇心からで あった。だが案内された観光地はほとんど「外国人観光客」 に見せびらかすために創られたものばかりで現地の人と触れ合う機会はほとんどなかった。でもその限られた滞在期間の中からも、国の事情を推測することは可 能であった。3泊4日という短い旅行期間中で私が一番印象に残ったのは、軍事境界線「板門店」の観光地だ。

ソウルまで70キロ、開城市から板門店へ向かう道中で見た標識を見かけた。おそらくこの70キロは世界で一番遠いのだろうと感じた。そしてこんな看板を立 てるぐらいならどうして平和的な解決をしないのだろうか。とても疑問に思った。そして「この70キロが現実になればどれだけ多くの人が幸せになれるだろう か」とぼんやりと感じた。そして軍事境界線「板門店」に到着。初めて板門店を訪れた私はとても不気味な印象を受けた。北の兵士と南の兵士が無言のまま互い を見張っている。まるで劇画のように殺伐と静寂が繰り広がる空間。同時に無駄な時間が流れているとも感じた。もしこれらの人間が穀物を作り、貧しい人民に 分け与えるならどれだけの人が幸せになれるだろうか。

戦争はすべてを破壊する人類にとって一番のマイナスを与える状態だ。だが休戦状態であってもムダな労働力・資金が使われ続けている。「軍事」というものが 存在する以上、そこには人間が生活で必要としないムダな資源が使われている。すべての国が戦争を放棄すれば、どれだけ人々を幸せにするモノの生産に寄与で きるだろうか。漫然とではあったが平和について関心を抱いた。この時は「世界が平和になればみんなが得をするのに」といった淡い願望のようなものだった。

そして高3の時、ソウルへ観光に行った時、「板門店とDMZ」という日帰りツアーに参加して板門店を南側から見ることが出来た。1年前に来た板門店、何も 変わっていない。殺伐とした静寂だけが流れていた。まるで1年前のあの日から時が止まっているかのように感じられた。この1年間、私は何をしてきただろう か。大して成長していない自分が恥ずかしくなった。そして次に訪れたのが韓国最北である都羅山駅。駅から徒歩数分、北朝鮮まで続くイムジン川に掛かる橋を 見学しに行くと、無数の旗やコメントが掛かれたものが物悲しく風に揺られていた。おそらく離散家族が統一を願って北朝鮮に一番近い場所に統一を願ってお祈 りのように結んで行ったのだろう。私はこれを見たとき思わず涙が出た。あと数キロで別れた家族が住む国に行けるのに。どんなに悔しくて悲しい思いをしてい るのだろうか。自分が韓国人たちを北朝鮮に連れて行ってあげることができたらどんなに幸せだろうか、と何度も思った。そして駅構内に行くと、離散家族の思 いを踏みにじるように行くこともできない「開城」の文字。こんな駅や休戦状態の地を観光の場所にする、政府はまるで戦争を見せびらかして楽しんでいるそん な風も感じられた。行くことが出来ない駅名なんて書くべきではない、そっちの方が「戦争中」という事態の深刻さをきちんと伝えられる。きちんと問題が解決 し、平和条約が結ばれてから、改めて駅名を書くべきではないか。政府に任せていては何も進展しない。

私たち民間が立ち上がらなければ何も変わらない。

そう痛感させられた。

この韓国旅行を終えて私は平和、とりわけ朝鮮半島問題に対する意識というか使命感が芽生えた。何とかして南北朝鮮の戦争状態を終わらせるために自分にでき ることはないだろうか。2つの国を行き来できる国民、そして朝鮮分断という戦争責任がある国民として。だが知識がなければアイディアは浮かばないし理想論 に走ってしまう。まずは現実と向き合うことが大切だと思った。インターネット、本、新聞、あらゆるメディアを駆使して朝鮮に関する情報収集に走った。旅 行、歴史、貿易、国際関係…幅広いジャンルで捉えることで偏らない知識を生かそうと思い、朝鮮や東アジアの国際関係に関する情報をできる限り集めた。

数か月後、ある程度情報を集めた私だったが北朝鮮に関する情報は少なく、古いものも多かった。朝鮮半島を平和にするために何か行動に移さなければならな い、両方から朝鮮半島を見た私の目線から何かできないかと考えるものの、どうやって行動に移すか分からずただただメディアから得られる情報を集める日が続 いた。そんなある日、北朝鮮についてインターネットで調べていた中で1つのものが目に留まった。Pyongyang Projectだ。

これは2009年にカナダ人のソーシャルベンチャーが設立したNGOで、アメリカやカナダといった欧米を中心とした視点から東アジアの平和について考える 組織である。このプログラムではただの観光だけではなく現地の学生や住民、政府機関と交流する機会や主に中国や韓国の大学で東アジアの平和についてディス カッションするなど北朝鮮をベースとした平和を考える機会を提供している。これだ。直感で彼らの目標としていることが理解できた。自分が共感できる点が多 かったからだ。次の夏期休暇を利用して、私は2週間のショートプログラムに参加しようと決心し、4月中に応募する予定である。夏のプログラムは「国内問題 と周辺地域とのつながり」というテーマだ。実質的な国交がないのはアメリカもカナダも日本も同じ。遠く離れたカナダ人やアメリカ人でさえ東アジアの平和を 模索しようと動き出している。しかし日本ではこのような活動は残念ながらあまり活発ではない。ならば自分がやるしかない。自分の使命が明確になった。

Pyongyang Projectに掛ける思いは大きく3つ、そしてプロジェクトに参加した後に行動したいことは2つある。中国、北朝鮮という旧東側諸国からの見方で東アジ アの平和を考え、日本とは異なる価値観やモノの見方を体験すること。通常の観光では訪れることが難しい北朝鮮の街に行き、現地の機関や人々と触れ合うこと で素の北朝鮮にできるだけ近いものを感じること。そしてそれらから学んだことを日本で広め、より多くの人に関心を持ってもらうためにどのような形で表現す ればよいのか、を模索すること。そしてこのプログラムに参加した後にしたいことが2つある。1つはPyongyang Projectのメンバーに協力してもらい、「Pyongyang Project Japan」を設立するための支援を要請したいと考えている。

そしてもう一つ、私の本拠地である名古屋において「北朝鮮フェスタ」といったより「南北朝鮮問題と東アジア平和共存」について社会に広めるためのプロモー ション活動を実施することだ。名古屋という地は2000年代前半まで高麗航空がチャーター便として就航した稀な都市の1つである。「名古屋から北朝鮮との 交流を再開し、東アジアの平和を原点の都市にしようではないか」というコンセプトで活動していくつもりである。

なぜ日本で「北朝鮮フェスタ」を開催することに意義があるのだろうか。遠く離れたカナダやアメリカでさえ北朝鮮問題を真摯に捉え、東アジアの平和を模索す る団体があるにもかかわらず日本では皆無である。まずこの現状を変えなければならない。アメリカやカナダでも北朝鮮との国交は事実上断絶している。この状 況は日本と変わらない。でもその中でも彼らは諦めずに東アジアの平和を守るために頑張っている。現在、国交だけでなく貿易がほぼ停止している上に、拉致問 題といった日本独自の問題も抱えているため、あまり大掛かりで派手な形式で実現することは難しいかもしれない。だが例え小規模であっても写真の展示、歴史 の紹介、お土産の紹介、観光地の紹介など、できることはいくらでもある。重要なのは、あの指導者が悪い独裁国家だから、核開発ばかりする国だから、などと いう刷り込まれたイメージではなく、現実を知り少しでも歩み寄って考えることだ。だからこのイベントの目標は「北朝鮮」という国について知ってもらうこと だ。そこから個人がどう考えるかは個人次第。

とにかく「知る機会を持つ」ということが重要だと思う。南北朝鮮問題、東アジアの平和…漫然とどこかに意識はある人も多いだろう。それを呼び起こして一人 でも多くの人に関心を持ってもらいたい。そのために縁あって北からと南から、両方の朝鮮を見て平和について考える機会を持つことが出来た私の使命だと自分 では感じている。

「別に朝鮮で戦争なんて起こっても私たちには関係ない」とか「日本はアメリカが守ってくれるから」などといった無責任な言葉を耳にすることもあるが、私は 納得できない。南北朝鮮問題は日本の戦争責任でもある。日本が朝鮮を併合したという事実があるのだから。休戦状態を終結させ、朝鮮の平和を確立させてはじ めて日本は戦争責任を果たしたといえるし、それまでは戦争責任を負っているという自覚を持たなければならない。同時に日本は唯一の被爆国だ。そして現在、 東アジアは再び核の脅威にさらされている。さらに集団自衛権を認めようといった改憲の流れが国内で起こり始めている。この流れは何としてでも止めなければ ならない。

戦争・原爆の痛みを知る国民として私たちは今すぐに行動しなければならない。だからこそ私は敢えて北朝鮮を中心として考えるプログラムに参加することで、 現状を日本で伝え広めることによって朝鮮問題の解決、そして東アジアの平和共存に一歩でも前進させるという決意である。

作品をダウンロードして読む

大賞作と次点作は、こちらのPDFファイル(A4横・縦書き)でも読むことができます。

このレポートを読んだ方におすすめ