「被爆者と若者が共に作る未来」を掲げ、第83回ピースボートが出航!
第83回ピースボート「地球一周の船旅」が3月13日、横浜港を出港しました。この船旅では、のべ900名の参加者が、104日間にわたり世界18カ国20寄港地をめぐることになります。今回のクルーズでは、被爆者と若者がともに世界で核兵器の非人道性を訴える「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」や、福島の子どもたちが異文化体験をする「福島子どもプロジェクト 2014年春」などのプロジェクトが実施されます。
クルーズには、多彩な水先案内人が乗船いたします。
クルーズには、多彩な水先案内人が乗船いたします。
- プロジェクト: おりづるプロジェクト
- クルーズ: 第83回 地球一周の船旅
船
2014.3.15
2019.3.26
第83回ピースボート「地球一周の船旅」が3月13日、横浜港を出港しました。この船旅では、のべ900名の参加者が、104日間にわたり世界18カ国20寄港地をめぐることになります。今回のクルーズでは、被爆者と若者がともに世界で核兵器の非人道性を訴える「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」や、福島の子どもたちが異文化体験をする「福島子どもプロジェクト 2014年春」などのプロジェクトが実施されます。
クルーズには、多彩な水先案内人が乗船いたします。
クルーズには、多彩な水先案内人が乗船いたします。
ヒバクシャとユースが共に作る未来
今回で7回目となる「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」(通称、おりづるプロジェクト)のテーマは「ヒバクシャとユースが共に作る未来」というものです。被爆者8名(広島6名・長崎2名)と「おりづるユース特使」(※)として2名の若者が参加して、被爆者とともに、世代を超えて核廃絶に向けた取り組みを世界に届けてきます。参加する被爆者と「おりづるユース特使」は、それぞれ日本政府の「非核特使」と「ユース非核特使」として活動することにもなっています。
寄港地での活動としては、各地での証言活動の他、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡地でホロコースト生存者や現地学生との交流、フランスによる核実験が行われたタヒチでは、核実験被害者との交流などを予定しています。
※「ユース非核特使」は、被爆者の高齢化が進む中、被爆の実態を次世代に伝えるため、若い世代の人々に対して日本政府の外務省が委嘱しているものです。
寄港地での活動としては、各地での証言活動の他、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡地でホロコースト生存者や現地学生との交流、フランスによる核実験が行われたタヒチでは、核実験被害者との交流などを予定しています。
※「ユース非核特使」は、被爆者の高齢化が進む中、被爆の実態を次世代に伝えるため、若い世代の人々に対して日本政府の外務省が委嘱しているものです。
福島の子どもたちが、スリランカの津波被災者と交流
「福島子どもプロジェクト 2014年春」は、津波と原発事故で被災した南相馬の中学生を招き、保養や異文化体験、学びの場などを提供するものです。南相馬から参加予定の中学生は12名で、春休みを利用して、アジア区間(シンガポール〜スリランカ)に乗船することになります。10年前にスマトラ沖地震の大津波に襲われたスリランカでは、津波被害と底からの復興について、現地の人々と交流する予定です。
※今回の「福島子どもプロジェクト 2014年春」は、「南相馬こどものつばさ」との協力のもとで実施されます。また、「福島子どもプロジェクト」は、国際NGOピースボートと一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンターが共同で実施しています。
※今回の「福島子どもプロジェクト 2014年春」は、「南相馬こどものつばさ」との協力のもとで実施されます。また、「福島子どもプロジェクト」は、国際NGOピースボートと一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンターが共同で実施しています。
85歳ではじめてパスポートを取りました
出航記者会見で発言したのは、広島の爆心地から3.5キロの地点で被爆した服部道子さん(85歳)。当時は16歳で、看護業務をされていました。
「今回ピースボートに乗船できることを嬉しく思うとともに、非常に大きな責任を感じています。この旅のために、生まれて初めてパスポートを取りました。この機会に世界の多くの人たちと話し合い、核兵器や放射能をなくす努力をしていきたいと思います。私は幸いにして生き残りましたが、私が体験した広島の地獄絵の様子を忘れることはありません。その中で、三日三晩寝ないで何千人もの人たちを看取って、火葬にしてきました。私自身も肺がんを煩っていますし、被爆者としての苦しみを味わっています。私は、何万年も処理できない放射能を、未来の人のためにこれ以上残したくないと思っています」
「今回ピースボートに乗船できることを嬉しく思うとともに、非常に大きな責任を感じています。この旅のために、生まれて初めてパスポートを取りました。この機会に世界の多くの人たちと話し合い、核兵器や放射能をなくす努力をしていきたいと思います。私は幸いにして生き残りましたが、私が体験した広島の地獄絵の様子を忘れることはありません。その中で、三日三晩寝ないで何千人もの人たちを看取って、火葬にしてきました。私自身も肺がんを煩っていますし、被爆者としての苦しみを味わっています。私は、何万年も処理できない放射能を、未来の人のためにこれ以上残したくないと思っています」
演劇を通じて、被爆者の思いを届けたい
おりづるユース特使の浜田あゆみさん(28歳)は高知県出身。留学した先のカナダでは、井上ひさし原作の「父と暮らせば」をプロデュースして上演。現在は役者として活動しています。
「演劇には、痛みを受けた人の気持ちに共感をもたらす力があると思っています。私は、演劇をしてきた経験を活かしながら、船上の同世代の若者や世界の人たちに被爆者の思いを届けていきたいと考えています」
「演劇には、痛みを受けた人の気持ちに共感をもたらす力があると思っています。私は、演劇をしてきた経験を活かしながら、船上の同世代の若者や世界の人たちに被爆者の思いを届けていきたいと考えています」
被爆者と若者をつなぐ架け橋になりたい
もう一人のおりづるユース特使、福岡奈織さん(21歳)は広島県出身の被爆三世です。高校時代から広島・長崎の証言を伝えるなど積極的に行動をしてきました。
「これから世界を担っていくのは私たち若い世代です。その若者に被爆者の方たちが一生懸命語ってくれる気持ちに応えたいと思っています。また、被爆者と若い人たちをつなげる架け橋になりたいと思っています」
3.11から3年、今こそ考えなければならないことがある
ピースボートの吉岡達也は、3・11の震災から3年目を迎えるタイミングで迎えた出航にあたり、次のようにコメントしました。
「この3・11というものがいったい何だったのか、そこを通じて私たちが何をしなければいけないのかということを考えるべき時期が来ています。広島・長崎の体験があり、そしていま福島を体験している私たち日本人は、放射能の問題を、国境を越えて伝えていく責任があると思っています。この時期にヒバクシャの方や福島の人たちと世界をめぐるということは重要な意味を持つと思います」
「これから世界を担っていくのは私たち若い世代です。その若者に被爆者の方たちが一生懸命語ってくれる気持ちに応えたいと思っています。また、被爆者と若い人たちをつなげる架け橋になりたいと思っています」
3.11から3年、今こそ考えなければならないことがある
ピースボートの吉岡達也は、3・11の震災から3年目を迎えるタイミングで迎えた出航にあたり、次のようにコメントしました。
「この3・11というものがいったい何だったのか、そこを通じて私たちが何をしなければいけないのかということを考えるべき時期が来ています。広島・長崎の体験があり、そしていま福島を体験している私たち日本人は、放射能の問題を、国境を越えて伝えていく責任があると思っています。この時期にヒバクシャの方や福島の人たちと世界をめぐるということは重要な意味を持つと思います」