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世界で問われた「なぜ日本は核兵器禁止に反対するのか?」 第95回ピースボート帰港記者会見を実施しました

世界で問われた「なぜ日本は核兵器禁止に反対するのか?」 第95回ピースボート帰港記者会見を実施しました
第95回ピースボートで実施されたおりづるプロジェクトのメンバー
11月24日、約1000名の乗船者を乗せた第95回ピースボート地球一周の船旅が、横浜港へと帰港しました。帰国記者会見では、クルーズで実施されたおりづるプロジェクトの報告が行われました。今回は、木村徳子さん(長崎で被爆)と浦田沙緒音さん(非核ユース特使、被爆三世)のお二人が中心となり、55日間に6カ国、8都市で証言活動を実施。10月にはニューヨークを訪れ、核兵器禁止条約が採択されたばかりの国連でも被爆証言を行いました。また、アイスランド入港中に、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞するという嬉しい知らせも飛び込んできました。以下に記者会見の様子をご紹介します。
第95回ピースボートで実施されたおりづるプロジェクトのメンバー
11月24日、約1000名の乗船者を乗せた第95回ピースボート地球一周の船旅が、横浜港へと帰港しました。帰国記者会見では、クルーズで実施されたおりづるプロジェクトの報告が行われました。今回は、木村徳子さん(長崎で被爆)と浦田沙緒音さん(非核ユース特使、被爆三世)のお二人が中心となり、55日間に6カ国、8都市で証言活動を実施。10月にはニューヨークを訪れ、核兵器禁止条約が採択されたばかりの国連でも被爆証言を行いました。また、アイスランド入港中に、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞するという嬉しい知らせも飛び込んできました。以下に記者会見の様子をご紹介します。

核保有国と非核国での証言

世界で問われた「なぜ日本は核兵器禁止に反対するのか?」 第95回ピースボート帰港記者会見を実施しました
今回のおりづるプロジェクトで証言活動を行った国々は、前半はレイキャビック(アイスランド)、スコットランド(イギリス)、ニューヨーク(米国)という核兵器保有国やその核の傘のもとにある国を、後半はラテンアメリカのキューバ、メキシコ、ニカラグアといった非核国を訪れています。

スコットランドは、国家としてはイギリスの一部ですが、独立運動が盛んな地域です。イギリスの核兵器はスコットランドに置かれており、独立運動を進める人たちはその状態に反対をしてきました。証言会は、「核兵器のないスコットランド」という団体とともに実施し、交流しました。

ニューヨークの国連本部では、国連総会に合わせたサイドイベントで木村徳子さんが証言。核兵器禁止条約のすべての国の署名と批准を求め注目を集めました。

その後、キューバ、メキシコ、ニカラグアというラテンアメリカの非核国をめぐりました。これらは核兵器禁止条約に前向きで、署名もした国々です。証言会では、幅広い年齢層の人たちに熱心に聞いてもらえました。 

船内でも、核兵器禁止条約やノーベル平和賞受賞のニュースなどを受けて関心が高く、多くの人がおりづるプロジェクトに熱心に参加されました。特に、「おりづるピースガイド」というプログラムをつくり、被爆体験の継承のための養成講座を行いました。

これまで核問題に関わってこなかったような方が問題を語れるようになることが目的で、今回のクルーズ全体で40名を越える方が修了しています。また、船内を中心に集めた被爆者国際署名は、900筆ほど集まりました。

会見には、木村徳子さん、浦田沙緒音さんのほか、川崎哲(ICAN運営委員、ピースボート共同代表)、吉岡達也(ピースボート共同代表)、佐久間高志(おりづるプロジェクト担当)も参加しました。

国連で被爆証言「核兵器禁止条約に賛同を」/木村徳子さん(長崎被爆者)

世界で問われた「なぜ日本は核兵器禁止に反対するのか?」 第95回ピースボート帰港記者会見を実施しました
木村徳子さん
私は72年前、10歳のとき長崎市で被爆しました。今回初めてピースボートに参加させていただき、船上や寄港地で証言しました。印象深いのは、ニューヨークの国連で被爆証言させていただいたことです(10月16日)。

条約は7月に採択され、9月20日から調印が始まっています。採択に賛成した122カ国のうち調印したのは現在のところ53カ国です(11月24日現在)。残りの国にもスムーズに調印してもらいたいので、米国など核保有国は調印することに反対したり、妨害することのないようにお願いをいたしました。

キューバ、ニカラグア、コスタリカといった核を持たない国々でも証言しましたが、ラテンアメリカでは、20年も前に核兵器を禁止する条約が調印されていることも知りました。非常に先進的な取り組みをされているんです。

特にキューバは、8月6日と9日も、毎年追悼の集いが行われていました。今回は子どもたちにも話を聞いてもらいましたが、子どもの時から平和教育をされているとあって、熱心に聞いてもらえました。日本から離れたところで、「原爆を忘れてはいけない」と伝え続けられているのはとてもありがたいことです。

レイキャビックでは、ICANのノーベル平和賞受賞という嬉しいニュースを知ることができました。私たち被爆者は長い間、核廃絶の運動を続けていますが、運動そのものに世界が目を向けてくれたというのはたいへんありがたいと思っています。

今回の旅では、新しい出会いと学びがたくさんありました。核実験の被害にあったマーシャル諸島の方が乗船され、原爆の被害者は日本人だけでないということを痛感しました。

また、船内では中国や韓国などアジアの方も大勢乗っておられました。外国で話す際に日本も戦争の加害国であるということをきちんと認識しなければいけないといったことも気付かされました。さまざまな経験をさせていただいたことを感謝しています。

世界中で問われた日本政府の姿勢/浦田沙緒音(しおん)さん(おりづるプロジェクト・非核ユース特使)

世界で問われた「なぜ日本は核兵器禁止に反対するのか?」 第95回ピースボート帰港記者会見を実施しました
浦田沙緒音さん
私は、母方の祖父のいとこの方が広島で被爆しました。また、父方の祖父が長崎で入市被爆しています。私は被爆三世だと教えられてきたのですが、これまでは広島と長崎への原爆投下について資料館に行ったり学んできませんでした。今回、この機会を頂いてきちんと向き合おうと感じ、乗船しました。 

証言会を行った寄港地では、核兵器禁止条約をめぐる日本政府の姿勢が常に問われました。「日本政府はどう行動しているのか?」「政府は条約に反対しているが、あなたはどう思うのか?」と繰り返し問われました。

交流を重ねる中で、核廃絶に向けて世界中の一人ひとりが行動を起している様子を直に見ることができました。核兵器禁止条約は、ひとりひとりが自らの意志で活動することで大きな力になることを感じさせてくれました。

それに対して、日本政府がまったく行動を起こしていないことは、とても大きな問題です。日本に暮らす私たち一人ひとりは、その政府に対して向き合っていかないといけないと思いました。 

私はいま23歳で、被爆者の方から直接お話を聞ける最後の世代だと言われています。そんな中、船で木村徳子さんと2ヶ月間ともに生活するという貴重な体験をすることができました。木村さんと過ごしたことで、「被爆者」という存在から一人の女性としてつきあうことができるようになりました。

そして、そこから誰もが被爆者になる可能性があることを感じました。核廃絶を実現するためには、一人ひとりが、そういう想像をできるようにならなければと思いました。

被爆者が果たしてきた役割

世界で問われた「なぜ日本は核兵器禁止に反対するのか?」 第95回ピースボート帰港記者会見を実施しました
川崎哲
記者:ICANの運営委員を務める川崎さんに質問です。ICANのノーベル平和賞受賞に関して、被爆者が果たしてきた役割について教えてください。

川崎哲:今回のノーベル平和賞は、核兵器の禁止と廃絶のために努力してきたすべての人たちに向けられたものです。背景には、被爆者の方々ができれば話したくないようなことを、意を決して語ってくださったことがあります。

それによって、私たちの世代の市民運動も後に続くことができました。そうしたすべての取り組みに対する平和賞だと思いますので、被爆者の皆さんとともにICANというNGOの連合体が頂いたものだと考えています。

私自身、おりづるプロジェクトを通じて多くの被爆者の方と旅をしてきたので、被爆体験を証言することがそんなに簡単なことではないというのを日々実感してきました。

また、現地の人たちに聞いていただく際にも、毎回工夫をして、思いをちゃんと届けなければならない。多くの被爆者の方に共通しているのはどなたか身近な人を亡くされたり、自分だけ生き延びたという思いを持たれています。だからこそ自分が語らないといけないんだ、という強い使命感を抱かれて活動されてきました。それが被爆者が果たしてきた道義的な役割だと思います。

国際社会の状況を説明する言葉にしてしまうと。「核兵器の非人道性が注目されて、核兵器禁止条約ができました」というたいへん軽い印象になってしまいます。

でもその「非人道性」ということが注目されるようになった背景には、ここにいらっしゃる木村徳子さんを含め、被爆者一人ひとりの勇気を奮って証言を積み重ねてきた努力と、周りの人たちがサポートすることで伝えられて、やっと形になったということです。

核兵器禁止条約の文言に「被爆者」という言葉が入ったと注目されていますが、それはたまたま入ったのではなく、みんなでひとつひとつ伝えてきたということになります。そして、それを聞いた外交官の方々が「被爆者」という言葉を入れなきゃいけないと感じて入れてくれた。だからこの条約も、みんなで作り上げてきた条約だと言えると思います。

核を必要とする日本の政治家は想像力が欠けている

世界で問われた「なぜ日本は核兵器禁止に反対するのか?」 第95回ピースボート帰港記者会見を実施しました
記者:日本政府が核兵器禁止条約に反対しているということに関してどのように思われるでしょうか?

木村徳子:日本政府の姿勢については、被爆者としての前に、ひとりの日本国民としてたいへん納得できない思いです。政治家の方はいろいろ理由を述べていますが、核兵器を国力の競争の道具にしているように感じます。

核兵器は、人の命を奪うものであって、落としたらどうなるかという想像力が政治を司っている方にはないのではないかと思うのです。今回、どの国に行っても「どうして日本は?」という質問を繰り返し問われて恥ずかしい思いをしてきました。

私は、被爆者の団体に参加していまして、これまでも署名を集めて国会に請願するといったことをやってきました。言わなければ一歩も進まないので、今後も運動を強化する方向でやっていきたいと思っています。

川崎哲:日本の姿勢は非常に残念でなりません。木村さんや浦田さんもおっしゃっていますが、私も世界を巡るとどこでも日本の姿勢が問われたと実感しています。

日本政府の姿勢は、「核廃絶の理想は共有するけれど、そこに核兵器の脅威がある以上、核兵器禁止条約には賛同できない」というものです。でもこれは論理と言えるのかどうか。

「そこに核兵器がある以上、禁止条約には賛同できない」のであれば、核兵器をなくす気はありませんということ宣言しているようなものです。誰かがなくしてくれるんだったら賛同しますよと。

物事が変わるときには、これまで我慢していたのを誰かが勇気をふるって「これはダメなんだ、おかしいことなんだ」と言って変わるのです。過労死でもセクハラでも、そうして始めて問題になる。核兵器も同じことではないでしょうか?

被爆者の方々は、長い間それをされてきた。日本政府がそれをしないというのは許されないと思います。世界が日本の行動を確実に見ています。ピースボートでは、今後も世界中で被爆証言の活動を続けていくとともに、日本政府をどう変えていくかを意識しながら、ノーベル平和賞で描かれた未来を実現できるよう行動を起こしていきたいと思っています。

なお、帰港記者会見の様子は、以下のメディアで紹介されています。

◆11月24日
・NHK首都圏ニュース「船で回り核廃絶訴え 被爆者帰国」
・毎日新聞「ピースボート船で回り核廃絶訴え 被爆者帰国」
・日刊スポーツ「ノーベル平和賞ICAN川崎氏『政府の姿勢は残念』」

◆11月25日
・毎日新聞「ピースボート帰国 長崎被爆語り部『平和賞手応え』」

なお、今回のプロジェクトの報告書は以下からダウンロードできます。

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