国名
 ブラジル連邦共和国 Federative Republic of Brazil

ことば
 ポルトガル語
・歴史
 1500年、ポルトガル人の漂着をきっかけにポルトガル領に。サトウキビのプランテーション労働力として、多数のアフリカ人労働者が連れてこられる。17世紀後半から18世紀にかけては、ダイヤモンドや金鉱山が相次いで発見され、空前の「ゴールドラッシュ」となった。
 1808年、フランスが「本国」ポルトガルに侵攻したことにより、ポルトガル王室がリオデジャネイロへ。国王が帰国したのち、1822年にポルトガル王子が「ブラジル皇帝」を名乗ってブラジルの独立を宣言。1888年には共和制へと移行した。1964年のクーデター以後軍事政権下にあったが、1985年に民政移管。現在は、ストリートチルドレンの増加に代表されるような、「世界一」とも言われる貧富の差の拡大が大きな問題となっている。

エマウス共和国の子供たち
豊かな生活を求めアマゾンの村からやってくる人々があとを絶たないベレンでは、治安の悪化や貧富の差の増大とともに、路上に生きる子供たちの増加が大きな社会問題となっています。1970年から、ストリートの子供たちを集めて職業訓練などを行っている施設「エマウス共和国」を訪れ、子どもたちと交流を行いました。

大アマゾンの自然の中へ
南米大陸の約半分を占めるブラジル。その「でっかい」国土は、さまざまな魅 力にあふれた多様な「顔」をもっている。このコースでは、その「顔」の一つ、アマゾンの熱帯雨林を訪ね、大自然に抱かれる2日間を過ごした。

1日リバークルーズ
ボートに乗り込んで、両手にうっそうと生い茂る木々を眺めながら、アマゾン川支流のグアマ川を遊覧。途中で島に上陸して、ジャングルトレッキングも。目にしたことのない植物や昆虫に少々腰が引けた人もいたようですが、森の生態やそこに暮らす人々の生活を垣間見ることができました。

日本人移民の町トメアスーへ
ベレン市から南に向かって約230Kmに位置するトメアスーは、1929年に日本人が始めてブラジルに入植した歴史ある町。このコースでは、「トメアスー文化協会」に所属する11家族の協力を得て、ホームステイという貴重な体験をすることができた。地球の反対側で活躍する日系人社会を垣間見ることができた3日間だった。

マラジョ島で牧場体験
アマゾン河の河口に浮かぶ世界最大の中州、マラジョ島を訪れ牧場体験。野生動物が生息する熱帯のジャングルに覆われた島で、朝は水牛の乳搾りから始まり、昼間は乗馬やカヌーツアー、そして夜は満天の星を眺めながらハンモックで眠る、そんな贅沢な時間を過ごすことができました。

アマゾン発地球環境の守り方
船内にて“アマゾン発「地球環境の守り方」”のテーマで、持続可能な開発について学んできた地球大学生たち。その一環として行われたこの現地プログラムでは、自然の生態系に即した農業の推進や、廃棄物を利用した産業開発などを通じて「環境保全と貧困撲滅」を目指す「ポエマプロジェクト」の活動現場を見学。アマゾンの豊かな自然に触れるとともに、その環境を活かした発展を模索する人々と出会った、実り多い8日間でした。

ブラジリアンサッカー対決
ブラジルといえばなんたってサッカー!!そんなイメージを持つ人は多いはず。ベレンでは、日系の方々が主体となって運営されているスポーツクラブ「アマゾンカントリークラブ」のサッカーチームとの交流試合を行いました。
「アマゾンカントリークラブ」の敷地に足を踏み入れると、最初に目に飛び込んできたのはゴルフコース。サッカーコート(天然芝、それも2面!!)だけかと思いきや、このゴルフコースに加え、なんとプールまで備え付けられているんだそう。
日系の人々だけではなく、近隣に暮らす多くの人々の娯楽施設として幅広く利用されている「アマゾンカントリークラブ」ができたのは1975年。
その資金源となったのは、なんと当時人々の間の娯楽となっていた「賭マージャン」だというからおもしろい。勝った人がその勝ち金の1割を積み立てていき、約10年かけて溜まったお金で土地を購入したんだとか。 そして、日系&非日系ブラジル人チーム対ピースボートで行われた試合の結果は、見事惨敗。でも試合後は、冷えたビールとブラジル名物シュラスコを頬張りながら、「サッカーの本場」に暮らす若者たち、そしてすでに「若者」ではないけれど、今も「サッカーは現役」の人たちと賑やかな交流を行いました。

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