戦争だから仕方なかったは通用しない
激スービックからバスに乗って2時間半、マパニケ村に到着する。門の向こうに、大きな
木と、そのすぐ後ろには古ぼけた2階建ての赤い家があった。あざやかな花もようの
ロングドレスを着た、ロラ達、70人ほどと、女性人権団体の人たち、そして子ども
たちも私たちを待っていた。バスから降りると、白いジャスミンで作った花輪を、ロ
ラがかけてくださり、ほおにキスを…。しっかりとにぎられた私の手、“赤い家”の
庭に立つ。ここが、ロラ達が、日本軍の占領下集団レイプを受けた所なのだ。庭では
ロラ達よりずっと若い男性のオーケストラの演奏が始まっていた。チョゴリ姿のイ・
ヨンスハルモニとロラとの悪霊払いを先頭に、かって、ロラ達が監禁され、レイプさ
れた部屋を見て回る。司令部が使っていたであろうソファー、さびついたベッド、か
つてこの家の主人の家族の写真も壁に、残っている。
その後、庭で音楽に合わせて、ダンスが行われているとき、一人でまた、一回の右側
の部屋に入ってみた。歩くと、ギシギシと音がする。階段を上がって、2階まで一人
で行ってみる勇気は私にはなかった。身も心もずたずたにされた被害者は、決して忘
れることなど出来ない。そして今も苦痛に襲われ、涙は流れ続けている。私は戦争を
直接的に知らない世代だ。でも、軍人達はそのとき、女達をレイプし続けなければ殺
されたのだろうか?今ごろ何をしているのだろう。戦争だったから仕方がなかった、
という加害者の論理はロラ達を平安にはしない。
大月 昌子
失望したマパニケ村
正直に言って失望した。
語る人々が、儀礼的、抽象的であり、被害にあった女性たちの代表の話もただ一人と
いうのがうなずけなかった。
3月5日ベトナム、ディェレ、タオ村・ツオン村での生々しい被害者の話に接してい
るだけに、いっそうこの思いは強かった。悪い意味で「和気あいあい」たる雰囲気で
あっただけに、終わりの楽隊と踊りも何か空しくみえた。スタッフの猛省を促したい。
畑中 康雄
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