●フィリピンEコース 徹底検証「自由主義史観」●

戦争だから仕方なかったは通用しない

激スービックからバスに乗って2時間半、マパニケ村に到着する。門の向こうに、大きな 木と、そのすぐ後ろには古ぼけた2階建ての赤い家があった。あざやかな花もようの ロングドレスを着た、ロラ達、70人ほどと、女性人権団体の人たち、そして子ども たちも私たちを待っていた。バスから降りると、白いジャスミンで作った花輪を、ロ ラがかけてくださり、ほおにキスを…。しっかりとにぎられた私の手、“赤い家”の 庭に立つ。ここが、ロラ達が、日本軍の占領下集団レイプを受けた所なのだ。庭では ロラ達よりずっと若い男性のオーケストラの演奏が始まっていた。チョゴリ姿のイ・ ヨンスハルモニとロラとの悪霊払いを先頭に、かって、ロラ達が監禁され、レイプさ れた部屋を見て回る。司令部が使っていたであろうソファー、さびついたベッド、か つてこの家の主人の家族の写真も壁に、残っている。

その後、庭で音楽に合わせて、ダンスが行われているとき、一人でまた、一回の右側 の部屋に入ってみた。歩くと、ギシギシと音がする。階段を上がって、2階まで一人 で行ってみる勇気は私にはなかった。身も心もずたずたにされた被害者は、決して忘 れることなど出来ない。そして今も苦痛に襲われ、涙は流れ続けている。私は戦争を 直接的に知らない世代だ。でも、軍人達はそのとき、女達をレイプし続けなければ殺 されたのだろうか?今ごろ何をしているのだろう。戦争だったから仕方がなかった、 という加害者の論理はロラ達を平安にはしない。
大月 昌子


失望したマパニケ村

正直に言って失望した。 語る人々が、儀礼的、抽象的であり、被害にあった女性たちの代表の話もただ一人と いうのがうなずけなかった。 3月5日ベトナム、ディェレ、タオ村・ツオン村での生々しい被害者の話に接してい るだけに、いっそうこの思いは強かった。悪い意味で「和気あいあい」たる雰囲気で あっただけに、終わりの楽隊と踊りも何か空しくみえた。スタッフの猛省を促したい。
畑中 康雄

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