第40回ピースボート地球一周クルーズレポート
ダナン

国名
ベトナム社会主義共和国 (Socialist republic of Viet Nam)

ことば
ベトナム語  
--解説--
 1000年以上にわたる中国支配のあと、1884年ラオス、カンボジアとともにフランス領インドシナ連邦の一員に。第二次世界大戦がはじまると、日本軍がインドシナにも侵攻。ホーチミンらが率いるベトナム独立同盟が、日仏二重支配に抵抗して戦った。第二次世界大戦後、権力の復活を狙うフランスとの間に第一次インドシナ戦争が勃発。その戦後処理の過程で1954年、南北に分割される。
 60年、外国勢力からの「解放」を掲げる南ベトナム解放民族戦線と、親米南ベトナム政府の対立によりベトナム戦争が勃発。アメリカはこれに全面介入するが、73年、解放戦線が首都サイゴンを陥落させ、翌年「ベトナム社会主義共和国」が成立した。以後、一貫して社会主義体制を維持していたが、経済状況の悪化を受けて、1986年から、市場原理を導入する「ドイモイ政策」を実施している。

ストリートチルドレンセンター訪問
 港から車で約40分。そこに、ダナンで唯一のNGO「ダナンストリートチルドレンプログラム」の事務所がある。このコースでは、センターの子どもたちがひとつの「家族」として集団生活をおくる「ファミリー」や、彼らがやがて自立して生活していくための職業訓練所を訪問。また、手作りのお手玉やクリスマスカード・文房具などを自分たちの手でセンターに届けることで「助け合うこととは?」ということを考えるきっかけになると同時に、一緒に遊んだ子どもたちの表情がいつまでも心に残る交流になった。

ダナンの若者と大交流
 ベトナムと言えば、おしゃれな雑貨や民芸品、リゾート地などが思い浮かぶ。でも一番の魅力は「人」だろう。今クルーズの目玉交流の一つ、そして毎年恒例の「ダナン青年連盟」との交流がおこなわれた。「ダナン青年連盟」とは、いわば「ベトナムのボーイスカウト」。ベトナムの全土に支部を持つ、10代から20代の若者の団体である。青年連盟はこの企画のために数ヶ月かけて準備したという。ピースボート側も連日夜遅くまで準備に励んだ。暑いベトナムで繰り広げられた「アツイ交流」をレポート。

UPA国際協力プロジェクト・ベトナムスタディツアー
 支援物資を寄港地に届け、交流活動を行っている「UPA国際協力プロジェクト」。ベトナムではオリビア号から一時離脱、スタディツアーを行った。
 現在ベトナムには約5万人のストリートチルドレンがおり、現在も増えていっている。それだけではなく、ベトナムが経済的に発展していく一方で経済格差も広がり、職をなくしたり、ハンディキャップを負っていたりという親が子どもの面倒を見られなくなる、というケースもある。
 私たちUPAは、フエ「子どもの家」等、ストリートチルドレンのため施設を訪問し、支援物資を子どもたちに届けると共に、彼らと交流をした。

検証・カンボジア地雷教室
 ベトナムから約20名がオリビア号を離れ、空路カンボジアへ。1970年代、ポル・ポトが政権を握ったカンボジアでおこなわれた大虐殺・ベトナムとの国境紛争や、カンボジア国内でのポル・ポト派とそれに対する勢力による内戦の時にうめられた地雷は、今なお人々に大きな影響をもたらし続けている。このツアーでは、主に「戦争」・「地雷」に焦点をあて、カンボジアの過去・現在の状況を検証。また、地雷撤去に取り組む人々や地雷被害者にも、直接会って話を聞くことができた。

1日ベトナム人
 ゴイクン(生春巻)・チャーゾー(揚春巻)、バイン・セオ(ベトナム版お好焼き)…これら全部、自分たちで作ってみよう!ベトナムの日常の暮らしを実体験しようというこのコース。ハン市場見学で始まり、そのあとは一般家庭におじゃま。お家の方からベトナム料理を習うことができた。そのどれもこれもが大好評。お腹いっぱいになったあとはもちろん「お昼寝」。これも「ベトナム人」としてははずせないモノだ。
 しかし、受入れ先のご家庭では「子どもがベトナム戦争中に命を落としてしまい、いまでは8人中1人しか生きていないんですよ」という話題も。底抜けに明るく、元気なベトナム人が体験した「現実」にも触れることのできた1日となった。
(寺田満実子)

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