国名
 ベトナム社会主義共和国 Socialist republic of Viet Nam

ことば
 ベトナム語
・歴史
 1000年以上にわたる中国支配のあと、1884年ラオス、カンボジアとともにフランス領インドシナ連邦の一員に。第二次世界大戦がはじまると、日本軍がインドシナにも侵攻。ホーチミンらが率いるベトナム独立同盟が、日仏二重支配に抵抗して戦った。第二次世界大戦後、権力の復活を狙うフランスとの間に第一次インドシナ戦争が勃発。その戦後処理の過程で1954年、南北に分割される。
 60年、外国勢力からの「解放」を掲げる南ベトナム解放民族戦線と、親米南ベトナム政府の対立によりベトナム戦争が勃発。アメリカはこれに全面介入するが、73年、解放戦線が首都サイゴンを陥落させ、翌年南北を統一して「ベトナム社会主義共和国」が成立した。以後、一貫して社会主義体制を維持していたが、経済状況の悪化を受けて、1986年から、市場原理を導入する「ドイモイ政策」を実施している。

メコンデルタをゆく
ホーチミンから2時間、南に下ると恵み豊かなデルタ地帯が広がる。その入り口、ミトーを訪れた。4人乗りの小船に乗り換え、のんびりとメコン川クルーズを楽しんだ。とれたてのフルーツも振る舞われ、参加者は大満足の様子だった。

26年目の「ベトナム戦争」
かつて南北に分断されていたベトナムを舞台に繰り広げられた、ベトナム戦争終結から26年。当時の写真や資料、実際に戦闘で使用された飛行機などが展示された戦争証跡資料館、南ベトナム解放戦線の基地となったクチ・トンネルなどを訪問し検証するコース。

ホーチミンの若者と大交流
ベトナムの若者と仲良くなろうという「大交流」コース。それぞれの「パートナー」といっしょに市場を歩いたり、買い物を楽しんだりしたあとは、夜通しの交流会。とにかく全力で遊んだ、そんな「最高」の2日間だった。

ベトナムの孤児院訪問
ベトナム・ホーチミンから車で一時間程行った所に、日本人が孤児救済の為に開設した「有隣園」という孤児院がある。この孤児院では卒業後の自立を目指して、学校に通いながらも農作業やミシン縫いなどの技術を身につける職業訓練も行っている。とってもシャイな子供たちのいるこの孤児院を訪れた。

ベトナム料理にトライ
ベトナムの家庭で「本物のベトナム料理」を習おう、というこのコース。簡単なベトナム語を勉強した後、グループに分かれ2つの家庭を訪問。生春巻き・揚春巻き・ベトナム風お好み焼き・揚げバナナなどの料理を教わった。ベトナム料理はミントやドクダミなどの薬草や野菜をふんだんに使用した料理。香草などの持つ独特の「くせ」が気になる人もいるようだが、ヘルシーで、色彩も美しい。
参加者は自分達で作った料理に大満足。途中、激しいスコールに見まわれたり、おじゃましたお家ののブレーカーが落ちるといったハプニングもあったが、ベトナムの家庭に訪問するという貴重な経験ができ、印象に残る1日にとなった。
(鈴木亜紀子)

ホーチミンシティ悠々
エネルギッシュで熱気溢れる商都ホーチミン。フランス植民地時代の面影を残し、町のシンボルともなる聖母マリア教会、黄色い外観が印象的な中央郵便局、屋内約1万平方メートルの敷地に日用品が所狭しと並ぶベンタン市場を巡り市民の日常を垣間見た。
かつて南ベトナム大統領が暮らした統一会堂、戦争証跡博物館は、地下の秘密基地、爆弾、武器、米軍による残虐行為の様子など、ベトナム戦争時の悲惨さを記録する。そして、細い路地が入り組む中華街チョロンへ。民族衣装のアオザイをオーダーメイドしたり、ベトナム料理の夕食を楽しんだり、ホーチミンの魅力を存分に味わった。
(光崎佳世)


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