924年にクロアチア王国が成立、のちハンガリーの支配下に。オーストリアとの二重支配を受けた後、19世紀、自治権を獲得。1918年に「セルビア人クロアチア人スロベニア人王国(のちのユーゴスラビア王国)」の一部として独立。第二次世界大戦中は、ドイツやイタリアの分割統治下に入り、ナチスの後押しを受けて民族主義が台頭する。そのなかで、チトー率いるパルチザン(抵抗運動)が、全民族の平等と協力による統合を訴えて民意を獲得。戦後、チトーを大統領とする「ユーゴスラビア連邦人民共和国」が成立した。
内部に6つの共和国を抱える「多民族国家」はしかし、チトーの死をきっかけに崩壊。91年、スロベニア、クロアチアが独立を宣言したのを皮切りに、あちこちで民族紛争が泥沼化する。クロアチアでも、人口の2割近くを占めていたセルビア系住民との間で何度もの戦いが続いた。
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