カナリア諸島から9条に思いを馳せて–スペイン・ラスパルマス

プロジェクト:グローバル9条キャンペーン 寄港地エリア:ヨーロッパ クルーズ: 第84回 地球一周の船旅
カナリア諸島から9条に思いを馳せて–スペイン・ラスパルマステルデ市の「広島・長崎広場」に建つ「9条の碑」
ここでは、第84回ピースボートで訪れたグラン・カナリア島の交流コースの様子をお伝えします。
カナリア諸島から9条に思いを馳せて–スペイン・ラスパルマスピースボート参加者と話す中村すみえさん
アフリカ大陸の北西にあるスペイン領の7つ群島の1つ、グラン・カナリア島に寄港し、この島ならではの交流ツアーを行いました。テルデ市のこじんまりとした広場、そこで、ピースボート参加者と地元住民が交流し、過去の教訓と未来の可能性についてともに語り、考えました。

グラン・カナリア島内で2番目に大きい自治体であるテルデ市は、長年にわたって反核兵器の運動に深く関わってきました。まず1982年に、スペインのNATO加盟に異議を唱えるため、都市を非核地帯にすると宣言します。また、1996年には、原爆の犠牲者を追悼するため「広島・長崎広場」を建設しました。広場の中心に位置する記念碑には、日本国憲法第9条の一文がスペイン語で刻まれています。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」 
カナリア諸島から9条に思いを馳せて–スペイン・ラスパルマス憲法9条の碑にてピースボート参加者と現地の若者たち
広島出身の中村すみえさんは、1972年以来グラン・カナリア島に移住しました。1945年8月6日、広島に原爆が落とされた日は家族と一緒に広島から離れていたため、命は助かりました。しかし、家を焼失し多くの親戚も失いました。さらにお姉さんも重傷を負ってしまいます。すみえさんのお姉さんは、「瞬く間に何もかもが消えた」と語ったそうです。ツアーの中で、中村さんはピースボート参加者と一緒に、記念碑の前に花を供え、犠牲者に弔意を表しました。そして、原爆について「家、家族、毎日使った通学路、そんな日常生活が一瞬にしてなくなった。経験していなかったら、信じられないかっただろう」と語ります。

「唯一の原爆体験をした国の者として、次世代に伝える責任を感じる」。そんな思いから、中村さんは自身や家族の戦争体験を語るため、グラン・カナリア島内の学校を回ってきました。テルデ市の「広島・長崎広場」の碑については、「日本で風化しつつある歴史が、遠く離れた国で9条の碑を通して伝えられていることを心強く感じる。この碑が世界中に広がり、戦争の悲惨さと平和の大切さを考えるきっかけになればいい」と語りました。


カナリア諸島から9条に思いを馳せて–スペイン・ラスパルマステルデ市の記念碑に花を手向けるピースボート参加者
学校で歴史を教える教師、アデクセ・ヘルナンデス・レイェスさんは「歴史を無視すれば、その過去を繰り返す運命を背負う。世界の反対側に住む人々に碑を建てさせるほどの力を9条は持っている。いつか将来、スペイン憲法にも9条のような条文を組み込む日がくれば嬉しい」と語りました。

また、アドリアナ・フェリペ・スアレスさんもピースボート参加者と交流し、「日本の9条を知ったら、外貨を稼ぐために外国に武器を売るスペインを恥ずかしく思うように なってきた。これは戦争を可能にするんだ。その反面、お金よりも平和を大切にし、武力行使を放棄する国がこの世界に存在することで、希望を持てた」と説明しました。

「お金より平和を大切にする」という理想は、必ずしも今の日本に当てはまるわけではありません。昭和42年に制定された「武器輸出三原則」はその後、徐々に形を変えて、2014年12月現在は、正式に武器を輸出することができるようになっています。ピースボート参加者の女性は、記念碑を訪問した時に複雑な思いがしたと語りました。「海外で9条は平和の象徴となり、外国の憲法へ条文を組み込もうとする動きがあることを誇りに思っている反面、9条の存続を心配している。戦争ができる国になることえを阻止する最後の砦と思う。9条を変えたら、子供と孫の世代がどうなってしまうかとても心配です」。

※当記事は、英語のリポートに基づいて編集されたものです。

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