1996年7月に開催されたアトランタオリンピック。史上最多の197の国と地域が参加するこの大会に、新たに一カ国が加わろうとしていました。その国の名はエリトリア。前回のバルセロナオリンピック後に独立したばかりのエリトリアは、6人の自転車ロードレース競技の選手がアトランタのステージに向け、日夜練習に励んでいました。ところが、新生国家であるエリトリアの財政は厳しく、オリンピックへ選手を派遣する財源(最低500万円)の確保が不可能でした。そこで、95年に同国を訪問たことをきっかけとしてピースボートが中心となり、彼らをアトランタに送るべくエリトリアオリンピックキャンペーン展開することになったのでした。
本当に多くの方々の暖かいご賛同を得ましたが、みなさんご承知のとおり残念ながら今回のオリンピックへは選手として参加することはできませんでした。オリンピックは、大国・小国、国籍・人種、宗教・民族を問わず、すべての人々にとっての平和の祭典です。「参加することに意義がある」−その精神に乗っ取ったオリンピックはすべての人々に開かれるべきです。世界最貧国のひとつ、エリトリアの人々にも開かれていてしかるべきです。
「がんばれエリトリア!オリンピックキャンペーン」はこの当たり前のことを、国境を越えた市民・NGO による草の根レベルのネットワークで実現してしまおうという試みでした。残念ながら今回のオリンピックではその夢は実現されませんでしたが、名もなき人々の小さな貢献のつながりが、ついには一国のオリンピック初参加という歴史的事業を実現するほどの国際貢献へと発展するということを確信しました。
オリンピックでの日本人選手の活躍は、戦後の荒廃した社会を生きる当時の日本人にとってかけがえのない、心の支えであり励ましであったといいます。今日も、エリトリアの人々はまさに同じ境遇を日々必死に生き、そして郷土を再建すべくがんばっています。現在、エリトリアでは自転車競技の他にサッカー、バレーボール、バスケットボールが盛んです。特にサッカーはヨーロッパで開かれている少年部の国際大会で何度か優勝するほどの実力を持っています。そして、1997年10月ついに自転車、サッカー、バレーボール、バスケットボール、陸上競技の5つの国内競技連盟がすべて国際競技連盟に加盟することができ、オリンピック憲章の条件をすべて満たしました。着実にシドニーへと向かって進んでいます。これからのエリトリアを作る彼ら彼女らに、私達はひとりの人間として一体なにができるのか−その答えがここにあります。
がんばれエリトリア!
詳しくはオリンピック写真集×日録、エリトリア真夏の挑戦、小国を排除するオリンピックとは、このプロジェクト関係者からのメッセージをご覧ください。また、現在ピースボートではスポーツだけでなくエリトリア法律支援プロジェクトを進めています。ぜひご覧ください。
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