●歴史の傷跡 トゥールスレン博物館●

プノンペンは一見平和そうに見える街だが、実は至る所に悲劇の足跡が残されている。

ここトゥールスレン博物館もそんな場所のひとつである。昔は収容所だったこの博物館は、のべ2万人もの人々が収容されていたが、生きて帰って来られたのがたったの7人という非常に恐ろしいところである。まず、入って目に付くのが中庭にある14つの墓。これはベトナム軍がポル・ポト派を追放した際に、ここに放置されていた遺体を埋葬したものである。そして、建物の中に入ると、実際に亡くなっていった人々がどのような形で発見されたかという写真と、当時のままの鉄のベッドと足かせが置いてある。写真を見ると、地面が濡れて見えるのは遺体の血や体液なのだそうで、未だに現場にはうっすらと血の跡が残っている。さらに順路を進むと、おびただしい数の人の顔写真が展示されている。
拷問に使われた水ぜめの道具
これは実際に収容されていた人の顔写真で、本当に捕らえられていたかどうかの証拠なのだそうである。中にはまだあどけない顔の少年の写真もあり、とても政府にとって「危険」と思われるような人とは思えなかった。その次の部屋には、実際に人があらゆる方法で殺されたり、自殺した現場の写真の数々が展示されている。これも本当に死んだかどうか証拠なのだそうだ。他にも、レンガで仕切られた畳一畳くらいの独房、実際にどのようなことが行われたか拷問の絵や、それに使われた道具、それからカンボジアではあちこちで殴り殺した人々を入れていたという穴から大量に骸骨が見つかった写真などが展示されており、思わず気分が悪くなってしまった参加者もいたほどショッキングな場所であった。


頭蓋骨でできたカンボジアの地図
最後の部屋には、ここでなくなった人々の頭蓋骨(実物!)で作られたカンボジアの地図があり、思わず息をのんだ。この博物館はベトナム軍が作ったもので、カンボジア人にとってはこの展示は賛否両論なのだそうだが、ベトナムがこのひどい事態からカンボジアを救ったのは自分たちなのだというカンボジア駐軍を肯定させるための材料として作られたという側面もある。これらの展示を見て、参加者は一様に神妙な顔つきになっていたが、ガイドさんの「こういうことと同じようなことを過去に日本軍も行っていたということも忘れないでください」という一言が一層胸に突き刺さった。
プノンペンの人は家族全員が無事という方が珍しく、家族の誰かが殺されたまたは行方不明になっているという人が多いという。この収容所にはそもそもどういう人が収容されていたかというと、同じポル・ポト派内での仲間割れによって捕らえられた中級幹部と、農民以外の文化人が「古い考えに毒された人々」として処刑、拷問されたという。それゆえに、国力が著しく低下し、国の再建に時間がかかっているのだという。バスの窓からは平和そうに見えるプノンペンも、あちこちに足を失った人がいて、内戦の傷跡は余りにも深いということをまざまざと見せつけられた。それと同時に、日本の過去や平和の尊さについて改めて考えさせられた。


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