●アンコールワット●

夢のアンコールワット
お堀の橋を渡って巨大な城門をくぐると、ひっそりと現われた。あの、歴史資料集で 長年慣れ親しんできた、とろけそうなアンコール・ワットの塔たち。まさにホンモノ! 胸を高鳴らせ、カメラを3台抱えて石畳の参道を進むと、須弥山(神が住む所)を象ったピ ラミッド状の建物全体が見えてきた。
そこでここぞとばかりにビデオカメラを回そうとしたビデオチーマーの私。しかしここでアクシデント発生!暑さのためか埃のためか、カメラが壊れて回らないのだ。き、貴重なアンコール・ワットの映像が撮れない、しかも借り物のカメラを…。ぐすん。ちょっと泣きそうになりながら建物の中へ…。

中は、中央の祠堂を三重の回廊が取り囲み、回廊は祠堂に近づくにつれて一段ずつ高くなっている。まさに一歩ずつ神の世界に近づく構造というわけだ。回廊に一歩足を踏み入れると、まずびっしりと壁や柱を埋めつくす見事な浮き彫りに心奪われる。優しく微笑む美しい肢体の女神、悪魔と戦う神々、どこかユーモアの漂った動物たち、隙間なく彫られた精巧な紋様。その完璧なデザインと迫力に驚嘆してしまう。ようやく二番目の回廊にたどりつき、かなりきつい急傾斜の階段をやっとのこと上って第三回廊へ。頂上から西方を眺めると、アンコール・ワットを中心に雄大な景色が広がっている。時はすでに黄昏。観光客を避けるように避けるように、回廊を奥まで進む。西陽に照らされたテラスに腰かけ、かつて神々が住むといわれた空間に一人浸っていると、なんだか不思議な心地がしてくる。まるでどこか別の世界に誘われているような。すでに壊れたカメラなんてどうでもよかった。
(報告者:マキコ)


1.熱にうなされたアンコールワット

 ベトナムの交流コースではしゃぎすぎてしまったためか、ベトナムの2日目の晩からどうも調子が悪い。夜中のPC作業に専念するようつとめたが、悪寒に腹痛が私を襲う。次の寄港地、カンボジアのパッセンジャーズリスト(PL)を今夜中に仕上げねばという使命感もあせりも、この腹痛にはかなわず、結局作業を交代してもらって自分のホテルへ移動する。もう明け方の4時に近い。とても今日一日を過ごす自信がない。  無情にも朝がきて、いよいよベトナム最後の日となった。船から離れ、空路カンボジアのアンコールワットの遺跡がある、シェンムリアップ州へと向かうのだ。

アンコールトム
ああ、あこがれのアンコールワット。7月の事件以来、カンボジアの観光客が減ってしまった為だろう、日本ではカンボジアの観光局が力を入れていたようで、アンコールワット展も開催されていたし、NHKでも特集を組んでいた。その大いなる遺跡、アンコールワットを見に行くのだ!!・・・、と期待に胸を膨らませていたのだが、この調子ではとても遺跡を歩く自信がない。なにしろ、遺跡にはトイレもなく、木陰もないのが常だからだ。熱のせいか、灼熱のハズのカンボジアはとても暖かくて気持ちがよかった。

 それでも長袖を二枚着ている。気温は40度近くあるハズなのだが。意識もはっきりしないままバスに揺られていると、右手にアンコールワットの遺跡が見えてきた。

 アンコールワットはついこの間まで熱帯雨林に隠されていた、仏教の遺跡である。現在は砂漠化が進み、昔を偲ぶことしか出来ないが、その昔は水の都と呼ばれていたという。その神秘的な姿は、夕日をうけて茜色に輝いていた。
壮麗な門までおよそ100m。その先に寺院があるという。何とか門まではたどりついたが、どうしてもその先に行けそうもない。門の石段に横たわったまま遺跡を見つめた。  灼熱の太陽にさらされて、石段は焼け石のように暑かった。しかしここに横たわると遺跡に抱かれているような気がして、気持ちがいい。熱でぼーっとしていたのだろう、遺跡がより神々しく見えた。古代の人々はどんな気持ちで神々を祀ったのだろうか。

美しい女神の微笑み

2.軍用機で移動

船と合流するためにはプノンペンまで飛行機、その先は国道4号線を使ってシアヌークビルまで行く予定であった。しかし、国道4号線はゲリラ多発地帯で、日本政府は絶対に通って欲しくないと言う。そこでカンボジア政府が快く協力してくれ、私たちは空路で港までゆくことになった。

移動に使用したヘリコプター
乗り換えのためプノンペンに移動した私たちを待っていたのは、なんと2機のヘリコプター。カンボジア政府が提供してくれたのは軍用機だったのだ。先乗りのスタッフから「3m×12mのヘリコプター」とは聞いていたが、見て納得。いわゆる輸送機で、本当に3m×12mの箱のようだ。大きな羽が8本くらいついており、その羽が重そうにしなっていた。軍用機はおろか、ヘリコプターも初めてという人がほとんどだろう。耳が壊れそうなほどの爆音、爆風が私たちに容赦なく襲いかかる。ヘリの後ろががばっと大きく開いて、私たちは機内へと乗り込んだ。
 ヘリの両はじに、おそまつながら木で出来たベンチがあった。気候ががらっと変わったせいだろう、何人かの病人がでていたので、彼らを優先的にベンチに座らせる。250人が乗っていたのだから、ベンチに座るどころか床に座ることさえ出来ない。一揺れするとまさに人間ドミノ倒し。もちろん空調もないので、窓は開けっ放し。ものすごい轟音と蒸し暑さで誰もが口を開く気力さえない。
 しかし、不思議と文句を言う人はいなかった。いつもは口うるさいおばさんも、いつもは騒いで困らせてばかりいるおにーちゃんも、この時ばかりは誰も、何も言わなかった。そこには不思議な世界があった。そこには何の差別も存在しなかった。コリアンもオーストラリア人も日本人もお偉いさんも学生さんも、ごっちゃになって自分のこの環境を受け入れていた。肩を寄せ合い、互いを思いやる人々。熱で苦しんでいる人にあおいであげている人々。カンボジアという、未だ内戦の続く国。生と死が隣り合わせのこの国の、その緊張感がそうさせるのか私には分からなかったが、普段見ることの出来ない光景を目にしてなんとも言えない不思議な感慨を覚えた。
(報告者;MAO)


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