●マレーシアBコース 椰子油の故郷と先住民族●

油ヤシプランテーションを訪れて

ブルネイの国境を越えて、サラワクの先住民の村に行き、木と草がぎっしりはえている森をかきわけて、村を訪問するという想像をしていた。

私の目の前に現れたのは、カンボジアで見たような高床式の家屋が少し長めの、田舎の村だった。先住民という言葉がそぐわないように思えた。私たちを迎える公式行事と、夕食を終え、一緒の踊ったり、子供たちとの交流する姿を見て感じたことは、次の日に油ヤシプランテーションを訪問して見たり聞いたりした知識よりも、たくさんのことを考えさせられた。

土地に対する所有概念がない先住民の人達が、土地を失い、自分たちの生存権を守るために、努力していたり、油ヤシ採集のために油ヤシプランテーションができ、自然林破壊、環境汚染、民族の葛藤などの問題についての意識を共有するには、短い時間だった。開発途上にある地域の先住民たちと直接出会うという体験を通して、異国的な感じを楽しんだり、子供たちと一緒に遊んだり、形式的なことはなく、先住民の若者たちと交流した日本の若者たちの心と姿を、忘れないようにしたい。
辛 敬淑


イバン族のロングハウス

9時20分に出発したバスは、フェリーで2つの川を渡った後、メイン道路を左折して山の方向へ入ること約50k.夕方6時頃、やっとイバン族のロングハウスに到着した。村はお祭りムードいっぱいで、好奇心いっぱいの子供たちの歓迎を受けた。

シャーマン(4人グループ)の先導で、ブタの生け贄で始まった。歓迎行事は翌朝8時過ぎの出発間際まで、拡声器による大音響のディスコ大会が夜を徹して続いた。このため、汗だらけのまま床にごろ寝にもほとんど寝れなかった。

そもそも大勢の人達が、同じ屋根の下で暮らす共同生活は、自分の個性を殺してでも共同生活をせざるを得ない、経済的な貧しさで成り立っている。住民たちの主な現金収入源は、近くの油ヤシ農場で稼ぐ、1日3ドル程度の収入でしかない。

しかし、村の中を散歩していると、10戸以上の独立家屋があり、なんと、その一軒の床下には、作業にも使える軽トラックではないグリーンのセダンが入っていた。輸入品のため、日本より高額な乗用車がどうやって、手に入れることできるのだろう?と思った。

ガイダンスで「虫よけスプレー必携」が強調される中、「どんなに生活環境が厳しいところなのだろう」と不安だったが、実際は立派な小学校があり、英語教育が盛んらしく簡単な英語をしゃべれる子供たちもいた。ハウスには、蛍光灯があり、イルミネーションが点灯し、14インチとはいえ各戸に(?)テレビあり、公衆電話あり、天水受けの大きなタンクありで、ランプ生活と思っていたイメージとはだいぶ違っていた。

ニワトリも犬もいるし水たまりもあるのに、虫もほとんどいなくて、網戸もないのに寝ていて蚊に刺されるということもなかった。

生活用水は幅10mくらいの川で、乾期が続き5mくらいある階段の一番下で石けんを使った洗濯や服を着たままの水浴びが行われていた。

しかし、100カ所っくらいある水くみ場のすぐ上流には、ビールの缶などいろいろな缶が捨てられたままになっていた。自分たちの生活用水の水源にゴミを投げ込めるというのはどういう心理なのだろう。

出発日7時頃、子供たちは旅行に行くらしくリュックサックを背負って出ていった。外部との接触は例外で、現金支出の必要のほとんどない自給自足経済を基盤として成立する共同生活は、テレビ、出稼ぎなどで新しい生活を知った若者たちを中心として(若者たちは伝統芸能を習おうともしないし、老人の言うことも聞かなくなった、と嘆いていた)崩壊していく物も、遠い将来のことではないな、と感じさせられた。
木村 悠治

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Cコース / ブルネイ