6月16日
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独立への一票〜東ティモール住民投票の前と後〜
/トム・ハイランド(東ティモール・アイルランド団結キャンペーン)
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東ティモール問題について取り組んでいる水先案内人、トム・ハイランドさんによる、東ティモール独立運動についての講座。まず放映されたのは、1999年8月30日、東ティモールが住民投票によって「独立」を勝ち取るまでのドキュメンタリービデオだった。
インドネシア人民兵の、東ティモールの人たちに対する暴力行為を傍観していたインドネシア警察。東ティモール側の武装組織も、国際社会からの承認を得るため、インドネシア民兵の暴力行為に対して抵抗することができず、住民を守れなかった。そしてさらに、国連も東ティモールに駐屯しながら住民を守ろうとはしなかった。しかし、インドネシア人民兵の脅迫にも屈さず、多くの東ティモール住民が投票に参加し、圧倒的多数で独立を勝ち取ったのだという。
「1975年、東ティモールはポルトガルからの『独立』を目前にしながら、インドネシア軍の侵攻を受けました。以来24年間にわたって、住民の三分の一にあたる20万人もの人々がインドネシアによって虐殺されました。住民投票を、ひいては東ティモール独立を阻止するために、インドネシアの民衆が武装化し、東ティモールの住民に対して暴力行為や虐殺を行いました。
東ティモールの人々はインドネシア国軍によって完全に破壊された国を、これから再建しなくてはなりません。民家や公共の建物の90%が破壊され、失業率も80%を越えています。様々な問題に直面しつつも、それでも今、人々は幸せだといいます。それはインドネシア軍の非道な行為に勝ったからです。」
(森由香)
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海を渡った日本人〜中南米の日系移民〜/チョウミス(ピースボートスタッフ
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ピースボートスタッフ、チョウミスによる企画。寄港地のひとつ、キューバで実施される、日系移民との交流オプショナルツアーに先駆けて、日本が貧しかった時代に、ブラジルをはじめとした中南米の“楽園”を目指して、遠い国へ移り住んだ人々の、長い旅の道のりをとらえたテレビ番組「31年目の乗船名簿」を上映した。
「ピースボートは中南米を訪れるとき、必ずといっていいほど日系コミュニティーを訪ねますが、そのたび、そこではもう世代交代がされて、新しい『日系』という文化が生まれつつあるのではないか、と感じます。
そしてまた、日系の人々と話していて感じるのは、彼らは、日本と移住した国と、二つの国それぞれに愛情と落胆を背負っている分、日本で生きている人たちより、日本という国に対して強い思いを感じているのではないかということです。
今回訪れるキューバは、独自の「社会主義」という理想を掲げ、日本とは全く違う社会を形成してきました。そこに暮らしている日系の人々が、いまどんな想いを持っているのか、そして私達をどんなふうに受け入れてくれるのか、キューバ寄港時には、ぜひそんなことにも目を向けてみてください。」
(宮武礼乃)
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