[ラバウル]
こんな国
・国名
 パプアニューギニア Papua New Guinea
・ことば
 公用語は英語。それぞれの民族の言葉のほか、英語が変化したピジン語も通じる。
・歴史
 19世紀から「独領ニューギニア」としてドイツに支配される。第一次世界大戦後、国際連盟の委任によりオーストラリア統治下へ。第二次世界大戦中は日本軍に支配され、激戦地のひとつとなった。戦後はふたたびオーストラリアの信託統治下に入り、1975r年に独立。1994年に、ラバウルの町を囲むように位置する3つの火山が爆発。町は灰に覆われ、ほぼ壊滅状態となった。少しずつ復興は進められてはいるものの、いまも傷跡は深い。

ヴァルカン火山とスピードボート
1987年と1994年の2度の噴火、そして現在も10分に1回の割合で噴煙を上げるバルカン火山。そんな火山を間近に感じながら、そして灰まみれ、泥まみれのハイキングなんてそうそうできる体験じゃない。予想外の子供たちとの交流も加わり、200%大満足のコースとなりました。

グアリム村で交流
500を越える民族が豊かな自然と共存し、独特な伝統や生活習慣を今も守り続けるパプアニューギニア。私たちはバイニング族の人々が暮らすグアリム村を訪れ、グアリム教育大学生、そして小学生と同じ時間を過ごしました。村までは火山灰が積もった、ほとんど舗装が施されていない凸凹道をミニバスで1時間半。視界に入ってきたのは椰子、バナナ、ココナッツ農園と小さな学校や教会だけでしたが、すれ違う度に手を振り、快い挨拶を交わしてくれた現地の人々の姿が印象的でした。

ラバウル旧日本軍戦跡を巡る
第二次世界大戦中、南方の前線基地として、旧日本軍の太平洋侵略の足場とされたラバウル。一時は10万人の日本人が暮らしていたという。今もあちこちに残されている旧日本軍の戦跡を巡り、戦争と平和について考えた。

ラバウルの学生とスポーツ交流
気温30度、港からほど近いマルテック高校へむかったのは、スポーツを愛する男女15名。「地元の学生さんと一緒にサッカーしよう!!」というのがこのコース。白熱した試合は予想外に(?)ピースボート・チームが主導権を握り、開始当初は少なかったギャラリーも増えて応援も賑やかに。対照的なのは、試合後の両者の表情。ラバウルの学生たちはひょうひょうとしているのに、こちらはもうバテバテなのでした。その後も歌ったり、ラグビーをしたりと、お互い汗だくになりながらも笑顔のたえない1日でした。
ここで1つご報告。これまで数々の寄港地にてサッカーの試合を挑んできましたが、なんとここラバウルにてピースボートチーム初勝利!!長い道のりでした。そして、すごく暖かい交流がもてた「対戦」だったこともつけ加えておきます。
(鈴木)

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